日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第四十話『天敵』 序

 その光景を見て、水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)は後悔していた。

 地下室で吊(つ)るされて鞭(むち)打(う)たれるのは今日初めてではない。

 卓上に並べられた悍(おぞ)ましい拷問器具を使われるのも、孰(いず)れ避けられないことだったろう。

 

 だがこの日、早(さ)辺(え)子(こ)は既に愛する人を一人喪(うしな)っている。

 それは甲(きのえ)公爵家で自分が受けている待遇を、知己の伯爵・鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)唯(い)織(おり)に伝えてしまったことに始まった悲劇である。

 

 鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)伯爵家は旧華族と繋(つな)がる有力な新華族で、水(み)徒(と)端(はた)男爵家とも家族ぐるみでの縁がある。

 また、当主の鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)唯(い)織(おり)は皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゆ)黨(とう)を創設した一人であり、その動機には六摂家から受けた或る仕打ちの強い恨みがあった。

 そんな鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)家に、早(さ)辺(え)子(こ)が六摂家の一角・甲(きのえ)公爵家で受けている待遇が伝われば、彼女の実家である水(み)徒(と)端(はた)男爵家にまで伝わってしまうのは当然だった。

 結果的に早(さ)辺(え)子(こ)の弱音が父の男爵・水(み)徒(と)端(はた)賽(さい)蔵(ぞう)の討ち入りを招き、命を落とす遠因となってしまった。

 

 今、父を奪った公爵・甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)の前に、愛する人がもう一人現れてしまった。

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の碧(あお)森(もり)支部から脱出させて以来、二度と会うことは無いと思っていた男・岬(さき)守(もり)航(わたる)。

 それが今、いつかの夜と同じ怒りの眼(め)を甲(きのえ)に向けている。

 早(さ)辺(え)子(こ)の現状を何(ど)処(こ)かで知って駆け付けたとすれば、その遠因もまた自分が鸙(ひばり)屋(や)敷(しき)に泣きついてしまったことだろう。

 

「岬(さき)守(もり)様、おやめください! 私(わたくし)のことは構わず、貴方(あなた)は御自身の帰国だけを御(お)考(かんが)えください! 貴方(あなた)だけでなく、他の者の身も掛かっているのですよ!」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)は声を振り絞ってこう叫んだが、もう手遅れだろう。

 甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)は今更引き下がったところで許すような男ではない。

 航(わたる)は事の重大さが解(わか)っているのだろうか。

 

「やめない。貴女(あなた)を傷付けたこの男を、絶対にこのままにはしない。帰国のことは心配しなくて良い。こいつをぶちのめして俺(おれ)のやったことを不問にさせれば済む」

「岬(さき)守(もり)様、貴方(あなた)は一体何を仰(おつしや)っているのですか? それで済む筈(はず)が無いでしょう!」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)は困惑を禁じ得なかった。

 航(わたる)が何を言っているのか解らない。

 事の重大さが解っているかどうかではなく、怒りのあまり既に前後不覚になっているのかも知れない。

 あの夜もその激情が奇跡を起こしたのだろうが、今はそれが仇(あだ)になったとしか思えない。

 

「ほおぉう……?」

 

 航(わたる)の物言いに、甲(きのえ)は若々しい額に青筋を浮き立たせて怒りを剥(む)き出(だ)しにしていた。

 大礼服に齢(よわい)七十代とは思えぬ筋肉の張りが浮き上がる。

 航(わたる)と甲(きのえ)、二人の怒りが闇の中で牙を向き合い激しい火花を散らしていた。

 

「初めてだ……。乃(だい)公(こう)に対し、ここまで舐(な)めた口を利いた下郎は……」

 

 蝋(ろう)燭(そく)の灯で煉(れん)瓦(が)の壁に映った甲(きのえ)の影がゆらりと揺れる。

 彼の方から先に仕掛けるつもりだ。

 

「その両腕……既に能力は発動済みなのか。ならば面倒だが、此(こ)方(ちら)も手動で能力を発動して解析せねばならん。大した手間ではないがな。どぉれ……」

 

 甲(きのえ)は両腕を拡(ひろ)げた。

 彼の能力は相手が能力を発動しようとした時に自動的に発動するのだが、一方でこの様に自分の意思で発動することも出来るのだ。

 

「覚悟せよ! 貴様の能力を丸裸にし、無用の長物に改変してやろう! 『術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)・発動』!」

 

 甲(きのえ)の神(しん)為(い)が航(わたる)の潜在意識に接続し、術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)の詳細な内容を読み取ろうとする。

 そうして甲(きのえ)にとって都合の良いように改変されてしまえば、もう航(わたる)に為(な)す術(すべ)は無い。

 早(さ)辺(え)子(こ)は絶望から目を背けた。

 

 しかし、ここで異変が起こった。

 否(いな)、というより、起こる筈の事が何も起こらなかった。

 

「む、どうした……?」

 

 甲(きのえ)は何やら戸惑っている。

 

「何故(なぜ)時が止まらぬ? 解析出来ぬ? 潜在意識から術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)の内容が何も読み取れぬではないか。もう一度、『術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)・発動』!」

 

 甲(きのえ)は再度能力の発動を試みたようだが、やはり何も起こらない。

 甲(きのえ)は苛(いら)立(だ)ちから舌打ちした。

 

「チッ、何だ。間違いかと思ったが、潜在意識に術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)の内容が刻まれていないということか。つまり此(こ)奴(やつ)は未(いま)だに術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)に完全覚醒していないということではないか」

 

 そう、甲(きのえ)の読み通り、航(わたる)の第三段階、術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)の覚醒は未だに不完全なままである。

 それは前日に麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)も指摘している。

 そして、航(わたる)はこの状態に至る為(ため)に、潜在意識に作り出した魅(み)琴(こと)の幻影から呼び掛けを必要としている。

 つまり、航(わたる)は潜在意識ですら自分の能力を理解していないのである。

 

 甲(きのえ)から、というより、早(さ)辺(え)子(こ)も含む術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)の使い手からすると、これは信じられないレベルの未熟さである。

 甲(きのえ)の表情からは怒りが失(う)せ、代わりに侮蔑的な冷笑が浮かび上がる。

 

「四(よ)方(も)やその程度の分際で乃(だい)公(こう)に大口を叩(たた)いたとはな。そんな雑魚(ざこ)に能力など必要無い。皇別摂家の当主として、圧倒的な神(しん)為(い)量のみで捻(ね)じ伏(ふ)せてくれる!」

 

 胸の前に持って来た甲(きのえ)の両掌(てのひら)の間に巨大な光の球が形成される。

 甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)は皇(こう)國(こく)でも最上位の貴族である。

 その家柄故に備えた強大な神(しん)為(い)は、身体能力の強化を通り越して攻撃のエネルギーに転化すらしてしまう。

 それを解き放つだけで、甲(きのえ)は充分過ぎる破壊力を以(もつ)て敵の軍勢を跡形も無く消滅させてしまうのだ。

 

「消えよ虫(むし)螻(け)蛄(ら)ァ!」

 

 甲(きのえ)は腕を突き出し、航(わたる)に向けて光の破壊エネルギーを解き放とうとした。

 しかしその瞬間、航(わたる)の射撃が甲(きのえ)の右膝に中(あ)てられ、甲(きのえ)は体勢を崩した。

 

「うぐぁアッッ!!」

 

 光のエネルギーは上方に向けて放たれ、天井を擦り抜けていった。

 甲(きのえ)は崩れそうになるも、すぐに膝の傷を修復して体勢を立て直す。

 

「ば、莫(ば)迦(か)な。乃(だい)公(こう)の耐久力を突破する威力だと……?」

 

 神(しん)為(い)が強大になれば、当然に第一段階である耐久力や回復力・生命力もそれに比例して上昇する。

 甲(きのえ)にとって、術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)に完全覚醒していない相手の攻撃など屁(へ)でもない筈だった。

 しかし、航(わたる)が形成しているのは超(ちょう)級(きゅう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の光線砲ユニットである。

 その破壊力は、甲(きのえ)の耐久力を以てしても貫通されてしまう程ものだった。

 

「そう来るのなら乃(だい)公(こう)にも別の戦い方がある……!」

 

 甲(きのえ)は再び両腕を拡げた。

 甲(きのえ)の能力は相手の術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)を解析し、その能力を改変、そして自分自身にも相手に合わせた能力を捏(でつ)ち上(あ)げるというものだ。

 彼は今、この第三の能力を使い、航(わたる)にとってどうしようもない理不尽な能力を身に付けて反撃しようとしていた。

 しかし、航(わたる)の射撃が素早く両肩を貫く。

 

「ぐああっっ!?」

 

 既に甲(きのえ)は航(わたる)を攻撃しており、この動きも警戒されて当然だった。

 最(も)早(はや)、甲(きのえ)は自分の能力を発動させてもらえない。

 航(わたる)の怒りが冷徹に甲(きのえ)を攻め立てる。

 

「おのれ! 雑魚の分際で調子に乗るな!」

 

 甲(きのえ)は素早く肩の傷を修復し、再び単純な破壊力を掌から解き放とうとする。

 だが、これも航(わたる)の早撃ちで腕を貫かれて未然に防がれてしまう。

 甲(きのえ)は強大すぎる神(しん)為(い)と強力過ぎる能力に頼るあまり、基礎的な戦闘力を全く鍛えていなかった。

 

「この……この下郎が! 乃(だい)公(こう)を誰と心得る!」

「お前が誰だろうと、口(くち)喧(げん)嘩(か)をしに来たんじゃないんだよ」

「おのれェッ! ガアアアアアッッ!!」

 

 打つ手が無くなって錯乱したのか、甲(きのえ)は闇雲に航(わたる)へと飛び掛かった。

 だが当然、そんな悪(わる)足(あ)掻(が)きが航(わたる)に通る筈が無い。

 航(わたる)は光線砲ユニットで甲(きのえ)の顔面を殴り飛ばした。

 甲(きのえ)は卓上へと倒れ、自身で用意した拷問器具を派手にぶち撒(ま)けた。

 

「莫迦な……こんな……! うおっ!?」

 

 甲(きのえ)は卓上から転げ落ちた。

 そして迫る来る航(わたる)の怒りに満ちた眼を仰ぎ見る。

 それは宛(さなが)ら、天敵である猛(もう)禽(きん)類(るい)に睨(にら)まれた蛇といった構図であった。

 実際、術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)を解析出来ないにも拘(かか)わらず強力な能力を使う脅威の未覚醒者・岬(さき)守(もり)航(わたる)は、皇(こう)國(こく)貴族でも最強の能力者である筈の甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)にとって、まさかの天敵だった。

 

「莫迦な! 冗談じゃない!! こんな盆(ぼん)暗(くら)が! 逆に才能が無さ過ぎて乃(だい)公(こう)を追い詰めるだと!? あり得ぬ! あってはならぬ!!」

「追い詰められている割には随分莫迦にしてくれるな。どうする? 降参するか?」

 

 甲(きのえ)は歯(は)噛(が)みし、屈辱を噛(か)み締(し)めている。

 彼が負った傷はすぐに跡形も無く修復され、戦闘の継続には何ら支障は無いだろう。

 だが、このままでは甲(きのえ)に勝ち目は無かった。

 その事実が、彼にとって受(う)け容(い)れ難(がた)い事実が、尻餅を搗(つ)いた甲(きのえ)を壁際まで後退させる。

 

「畜生……畜生ォォォッッ!!」

 

 甲(きのえ)は壁の煉瓦の一つを殴って凹(くぼ)ませた。

 すると勢い良く壁が崩れ、隠し通路が現れた。

 甲(きのえ)は航(わたる)に背を向けると、一目散に通路へと逃げ込んで行った。

 

「何だ、こんなものか。あんなのが僕(ぼく)達を狙ってた、六摂家当主とかいう大貴族の親玉なのか?」

 

 あまりにも一方的に叩きのめして退散させてしまい、航(わたる)はすっかり拍子抜けしてしまった様だ。

 頭を掻くその表情からも怒りが抜け、元の稚(いとけな)い童顔が戻ってきている。

 そんな航(わたる)が、吊るされていた早(さ)辺(え)子(こ)を解放する。

 思わぬ再会、またしても劇的に助けられた早(さ)辺(え)子(こ)だったが、その胸中は感動よりも戸惑いの方が大きかった。

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