日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第四十一話『皇族』 急

 航(わたる)は大きく深呼吸した。

 彼とて、皇族に意見する意味が、それも彼自身の立場を守る計らいに異を唱えることの意味が解(わか)らない訳ではない。

 それでも彼の中の何かがこのまま流されるのを良しとしなかった。

 航(わたる)は麒(き)乃(の)神(かみ)に自らの考えを述べる。

 

「殿下、甲(きのえ)が早(さ)辺(え)子(こ)さんに対して酷(ひど)い事をしたのも、超(ちよう)級(きゆう)を出して無(む)茶(ちや)苦(く)茶(ちや)しようとしたのも、それらに関しては僕(ぼく)や早(さ)辺(え)子(こ)さんが実際に見て体験した事実です。しかし、謀(む)叛(ほん)に関しては推(つき)城(しろ)と能(のう)條(じよう)首相がそう言っているだけでしょう。能(のう)條(じよう)は甲(きのえ)と政治的に対立していると聞きます。その筋からの甲(きのえ)の情報って、鵜(う)呑(の)みにするのは危険ではないでしょうか」

「それで、甲(きのえ)は謀叛を企(くわだ)てていないと、首相たる能(のう)條(じよう)が皇族たる私(わたくし)を謀(たばか)っていると、そう言いたいのですか御(お)前(まえ)は?」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)が鋭い視線で航(わたる)の眼(め)を見て問い返す。

 思わずたじろぐ航(わたる)だったが、もう吐いた唾は飲めない。

 ならば言いたいことを言い切ってしまうまでである。

 

「まだ早計じゃないですか、ってだけですよ。証拠が挙がったら、その時は気兼ねなく裁けば良い」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は尚(なお)も納得せず、怪(け)訝(げん)そうな表情で航(わたる)に問い続ける。

 

「何故(なぜ)甲(きのえ)を庇(かば)い立(だ)てするのですか? この男は既に皇(こう)國(こく)貴族にあるまじき行いをしており、また御(お)前(まえ)にとって益があると思えませんが」

「それはそうですけど、悪人であれば何でもかんでも罪を被(かぶ)せても良いという訳じゃない。窃盗と強盗じゃ意味が違うし、どうせ罪人だからと殺人犯に仕立て上げたら濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)だ。僕(ぼく)だって助けて貰(もら)えるなら有難いですが、それと引き換えにこんな道理に合わないことを見過ごす訳には行きませんよ」

 

 二人の間に沈黙が流れる。

 航(わたる)の方はこの時、強く出過ぎたのではないかと少し己の行いを悔い始めていた。

 一方で、麒(き)乃(の)神(かみ)の様子には不興を買ったという兆候は感じられない。

 ただ何か、これはどうしたものかと考えている様な、そんな沈黙だった。

 

 航(わたる)の背後では早(さ)辺(え)子(こ)と甲(きのえ)が跪(ひざまず)いたままである。

 早(さ)辺(え)子(こ)は最初、航(わたる)の行動が理解出来ずに困惑と怒りを見せていたが、今は呆(あき)れ果(は)てた様に微(ほほ)笑(え)んでいる。

 皇族に食って掛かることも助かる流れをふいにすることも賢いとは言えないが、人としての道理を通そうという姿は決して間違っていない。

 

 早(さ)辺(え)子(こ)の隣では、甲(きのえ)が顔を伏せて震えている。

 それは裁かれる恐怖からの震えではなさそうだ。

 

「貴様……。貴様の如き下郎が……乃(だい)公(こう)に手を差し伸べようというのか……! どこまでも思い上がりおって……」

 

 甲(きのえ)は屈辱から絞り出す様に航(わたる)への罵声を吐き捨てた。

 それは温情に対して唾を吐く行いである。

 しかし航(わたる)はこの時、不思議と甲(きのえ)に不快感を覚えなかった。

 

「貴様如きに庇(かば)われる程、乃(だい)公(こう)は落(おち)魄(ぶ)れておらんわ!」

「へえ、御(ご)立(りつ)派(ぱ)じゃないか」

 

 航(わたる)は甲(きのえ)の方へ向き直った。

 

「貴方(アンタ)はどこまでも貴族としてのプライドに拘(こだわ)るんだな。それを貫き通すんなら、それはそれで一つの生き方じゃないか。ある意味清(すが)々(すが)しいよ。しかし悪いが、こっちには最初から貴方(アンタ)に諂(へつら)うつもりなんて無いんでな」

 

 甲(きのえ)は驚いた様に目を見開いた。

 そして顔を伏せ、やや強い声で呼び掛ける。

 

「麒(き)乃(の)神(かみ)殿下……!」

「良いでしょう」

 

 航(わたる)は麒(き)乃(の)神(かみ)の方へ目を遣った。

 彼女は考えが決まった様に背を向け、航(わたる)達から遠ざかる。

 

「岬(さき)守(もり)はこのまま甲(きのえ)を謀反人として裁くを良しとせず、甲(きのえ)は岬(さき)守(もり)に庇われるを良しとせず。この一件、どうやら私(わたくし)が預かるには手に余るようです。然(しか)らば裁定を仰ぐべきはただ御(お)一(ひと)方(かた)のみ……」

 

 周囲の空気が一気に重くなった。

 航(わたる)は思わず膝を屈してしまった。

 何か途(と)轍(てつ)もない存在がこの場に顕(あらわ)れようとしている。

 心做しか、空の色も薄明るく感じる。

 

「うぅっ……」

 

 甲(きのえ)は縮こまった。

 何が起こるのか、彼は理解しているらしい。

 そんな彼らに背を向け、麒(き)乃(の)神(かみ)は高らかに告げる。

 

「陛下に御(ご)聖(せい)断(だん)を仰ぎましょう!」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)の言葉と共に、空の雲が桃色の渦となって彼女の前方に集まり始めた。

 皇族達が二手に分かれ、渦の中心の前を開ける。

 桃色の渦雲は小さく収束し、人の形を為(な)していく。

 そしてけたたましい爆発音と共に弾(はじ)け飛(と)び、光りが周囲を一瞬、包み込んだ。

 

 目が眩(くら)んだ航(わたる)が視力を取り戻すと、その場には一人の小柄な男が浮かんでいた。

 少年と見(み)紛(まが)う男は桜色の髪を靡(なび)かせ、静かにその場へ着地した。

 

「う……」

 

 航(わたる)はその顔に見覚えがあった。

 いつか麗(うる)真(ま)家の写真で見た、桜色の髪の少年その人である。

 但し、その姿は写真とは比べものにならない威厳に満ちあふれている。

 迂(う)闊(かつ)に立ち上がることもままならない圧力と心地良い清涼感が辺りを包み込んでいる。

 

「神(じん)皇(のう)……陛下……」

 

 航(わたる)の背後では早(さ)辺(え)子(こ)が驚(きよう)愕(がく)に呟(つぶや)いた。

 その言葉で、航(わたる)はこの男こそが皇(こう)國(こく)に君臨する「神(じん)皇(のう)」なる存在だと知った。

 否(いな)、その姿を見た段階で予感はしていた。

 今、目の前に居る男は明らかに超常の雰囲気を纏(まと)っている。

 

 二手に分かれた六人の皇族達もまた一様に跪いた。

 桜色の髪の男――神(じん)皇(のう)はその間を此(こ)方(ちら)へゆっくりと歩み寄って来る。

 

「皆の者、面を上げよ」

 

 神(じん)皇(のう)は口を開いた。

 少年の様な姿に似つかわしくない、深く渋みのある声だった。

 そのまま、神(じん)皇(のう)は甲(きのえ)の眼前で足を止めた。

 

「甲(きのえ)よ……」

「へ、陛下……」

 

 甲(きのえ)の声は震えていた。

 航(わたる)にも気持ちは理解出来る。

 麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)とは全然、その威容が違うのだ。

 さしもの航(わたる)も、神(じん)皇(のう)に詰問されれば抗(あらが)うことは出来ないだろう。

 

「甲(きのえ)よ、朕(ちん)は哀(かな)しい」

「陛下っ……!」

「爾(なんじ)の祖父には大変世話になった。博識な人物で、当時最新の学説であった多元宇宙論(マルチバース)を教え聞かせてくれたのは彼であった。詩吟を愛する人物でもあり、花鳥風月を能(よ)く解し、豊かな感受性を持った心穏やかな人であった。彼から聞かされた話を、若き日の久(く)遠(おん)寺(じ)公爵や爾(なんじ)に語った日々を昨日のことの様に思い出す……」

 

 甲(きのえ)は息を荒くしていた。

 

「その爾(なんじ)に謀叛の疑いが掛かっていること、朕(ちん)は誠に哀しい……」

「陛下、陛下……! 甲(きのえ)は断じて、断じて陛下に叛(はん)意(い)など御座いません……!」

「甲(きのえ)よ、それでなくとも爾(なんじ)は捨て置けぬ不祥事を三つも抱えておる」

 

 神(じん)皇(のう)は甲(きのえ)の前に三本の指を立てた手を差し出した。

 

「一つ、朕(ちん)が水(み)徒(と)端(はた)家に男爵位を与えし裁量を不服とし、その令嬢に対し、尊厳に悖(もと)る扱いをしたこと」

「陛下、その点は申し開く言葉も御座いません。しかし……!」

「一つ、己が企てに朕(ちん)の盟友たる一(いち)桐(どう)を始めとした六摂家当主を巻き込み、徒(いたずら)にこれを喪(うしな)わせたこと」

 

 言葉に合わせ、神(じん)皇(のう)の指が一本ずつ折られていく。

 

「一つ、朕(ちん)の臣民に対し、事もあろうに超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の暴威を、その恐るべきを充分知りながら向けたこと」

 

 甲(きのえ)は言葉を失っていた。

 謀叛の疑いとは違い、事実に基づいて糾(きゆう)弾(だん)されているのだから無理も無い。

 神(じん)皇(のう)は拳を差し出したまま続ける。

 

「これらだけで、既に慨(がい)嘆(たん)を禁じ得ぬ烏(お)滸(こ)の沙(さ)汰(た)である。この上謀叛までもが事実だと信じたくはない」

 

 神(じん)皇(のう)の拳が拡(ひろ)げられた。

 その掌(てのひら)に朧(おぼろ)気(げ)な光りが点(とも)る。

 

「甲(きのえ)よ、爾(なんじ)がこれまで政治家として、皇(こう)國(こく)の秩序の番人たる六摂家当主として、朕(ちん)に忠義を尽くしてきた功もまた事実である。故にその爾(なんじ)の名を皇統に弓を引きし大逆の徒として残すのはあまりにも忍びない」

 

 掌の光りは凝縮され、二つの粒となっていく。

 

「と、東(とう)瀛(えい)丸(がん)……!」

 

 甲(きのえ)は差し出された掌に形成された二粒の錠剤を見て呟いた。

 そして震える両手を差し出し、掌を上にして受け皿を作る。

 

「朕(ちん)の言いたいことが解ったか。甲(きのえ)よ、爾(なんじ)が尚も朕(ちん)の臣下であるというならば、その忠誠をこの場で示せ。皇(こう)國(こく)貴族の筆頭として、最(さい)期(ご)の誇りを朕(ちん)に見せてみよ」

 

 甲(きのえ)の掌に二粒の東(とう)瀛(えい)丸(がん)が置かれた。

 甲(きのえ)は神(じん)皇(のう)の目を見上げ、再び掌を見てから意を決した様に立ち上がった。

 奇妙な静けさが辺りを覆う中、甲(きのえ)は神(じん)皇(のう)に一礼すると、ゆっくりと歩き出す。

 

「何をやっているんだ……?」

 

 航(わたる)には事態が呑(の)み込(こ)めなかった。

 しかし他の者達は全てを承知しているかの様に落ち着いた様子で甲(きのえ)の行動を見守っている。

 そんな中、甲(きのえ)は立ち止まって航(わたる)の方を見た。

 屈辱と恨みの眼を向けるのかと思いきや、その表情は憑(つ)き物(もの)が落ちた様に穏やかなものだった。

 

「な、なんだ……?」

 

 航(わたる)は息を呑(の)んだ。

 異様な静けさに、甲(きのえ)から目を離せない。

 見届けなければいけない、瞬(まばた)きすらも許されない――何故かそう思えた。

 

 甲(きのえ)は二粒の東(とう)瀛(えい)丸(がん)を握り締めると、固(かた)唾(ず)を呑んで天を仰いだ。

 

「じ、神(じん)皇(のう)陛下万歳! 皇(こう)國(こく)に弥(いや)栄(さか)あれ!」

 

 そう高らかに声を張り上げると、甲(きのえ)は意を決した様に二粒の東(とう)瀛(えい)丸(がん)を呑み込んだ。

 程無くして、東(とう)瀛(えい)丸(がん)を複数同時に飲んだ甲(きのえ)は全身から血を噴き出してその場に膝から崩れ落ちた。

 

「なっ……!?」

 

 航(わたる)は驚愕し、絶句した。

 困惑して周囲の者達の方を見渡しても、誰一人として航(わたる)の様に慌てていない。

 早(さ)辺(え)子(こ)が航(わたる)に、特に感情を乱すでもなく解説する。

 

「東(とう)瀛(えい)丸(がん)の服用間隔が短すぎると健康に害が及ぶと説明しましたね。それが一切の間隔無く、二粒以上を同時に服用してしまった場合、あの様に神(しん)為(い)が暴走して絶命するのです。皇(こう)國(こく)の華族家当主は皆、いざという時の為に東(とう)瀛(えい)丸(がん)を懐に忍ばせているのですが、最大の理由は誇りある死を選ぶ為です」

 

 航(わたる)はこの場の者達に気味の悪いものを感じていた。

 目の前で人が悲惨な死を遂げたのに、誰もが意に介せず落ち着き払っている。

 皇(こう)國(こく)の倫理観が日本国とは全く違うと思い知らされる。

 そんな中、甲(きのえ)の最期を見届けた神(じん)皇(のう)が口を開く。

 

「甲(きのえ)よ、見事な最期であった」

 

 神(じん)皇(のう)は来た道を歩き始め、途中で航(わたる)とすれ違う。

 瞬間、航(わたる)は電撃を浴びた様に動けなくなった。

 神(じん)皇(のう)と同じ空間を共有していることそのものが耐え切れない程に畏れ多い。

 

 そんな中、神(じん)皇(のう)は二手に並ぶ皇族達の間を通り抜けていく。

 

「聖(せい)花(か)、後は任せる。良きに計らうように」

 

 神(じん)皇(のう)はそう言い残すと、その場から忽(こつ)然(ぜん)と姿を消した。

 嘘(うそ)の様な寂(せき)寥(りよう)感が辺りに残されている、

 皇族達はそれぞれ立ち上がり、緊張感が霧散していく。

 この場を任された麒(き)乃(の)神(かみ)は神(じん)皇(のう)が消えた空間に頭を下げた。

 

「畏(かしこ)まりました、陛下」

 

 そして、麒(き)乃(の)神(かみ)は再び航(わたる)達の方へと顔を向ける。

 

「扨(さ)てそこの二人、これからの話をしましょうか……」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は艶(つや)やかで蠱(こ)惑(わく)的(てき)な微笑みを浮かべていた。

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