それは、今際に見るという走馬灯か。
甲夢黝は己の人生を振り返る。
彼は生来、気の小さな男だった。
六摂家筆頭たる甲公爵家の嫡男として生まれ、十代には美少年との評を得た彼は、聡明だが相応に傲慢な少年であった。
しかしその実、彼は人一倍自尊心の傷付きを恐れる繊細な少年だった。
そんな甲夢黝の数少ない理解者が、政権奪還に於ける功労者として名高い公爵・久遠寺幹徳であった。
青年期、西洋美術の世界に興味と憧憬を抱いていた甲の巴里留学を後押ししたのも久遠寺だった。
この時はまだ、皇國が世界線を渡り行く長い旅に出ることなど誰も想像だにしていなかった。
しかし、この巴里留学が甲にとって大きな転機となってしまう。
甲が現地で接したのは上流階級の人間であり、彼が教養人であったことも相俟って、表面上は露骨に無下な扱いを受けることは滅多に無かった。
しかし、聡明で疑り深くそして繊細な彼には、同級生達の根底に非欧州人への差別意識が潜んでいることを嫌という程に感じてしまったのだ。
そして、彼を決定的に闇へ堕としてしまったのは、巴里へ外遊に訪れた久遠寺が死亡してしまったことだ。
久遠寺は当時の政権の要請で体調不良を押して国際会議に出席する為に訪仏していた。
その折に、スケジュールの合間を縫って無理をしてまで甲に会いに来たのだ。
それが間違いだった。
甲を訪れた帰り、久遠寺は倒れた。
彼はすぐに病院へ運ばれたが、治療の甲斐なくそのまま帰らぬ人となった。
甲はすぐに遺体と面会することが出来なかった。
要人の突然死とあって事件性が疑われ、司法解剖されたのだ。
結局、久遠寺は病死と判断されたが、この一件は甲の心に拭えない疑念を植え付けた。
即ち、久遠寺が黄色人種であるが故に差別され、本来助かったにも拘わらず命を落とし、その事実を隠蔽されたのではないか、という疑念だ。
この時、甲の心に、體中にどす黑い感情がこびり付いて離れなくなった。
その後、巴里留学生活で差別の片鱗を垣間見る度に彼の中の闇は深く濃くなっていった。
まだそれ程に階級意識に凝り固まっていなかった甲は、一般皇國臣民の巴里滞在者からも話を聞いてみたりもした。
そうやって話を聞けば聞く程に、甲は欧州に根強く残る人種差別を思い知り、憎悪を深めていった。
一方で、肝心の語り手自身にその意識が然程感じられないという点も甲を苛立たせた。
彼らは差別に抗うどころか、欧州に滞在することに皇國本国で暮らす臣民への優越意識すら抱いており、差別に甘んじて助長していると感じられたのだ。
巴里留学から皇國へ戻る頃、甲の中に二つの志向が確立されていた。
一つは、神皇の下で世界の覇権国家となるであろう皇國の政治権力を牛耳ることにより、世界の王として憎き欧州社会を上から支配してやろうという野望。
一つは、皇國臣民としての誇りに欠ける平民への徹底した蔑視である。
後者は皮肉にも、自身の立場への強烈な傲りと苛烈な階級差別主義的思想へと発展していった。
しかしながらその闇は傲慢な態度を加速させていき、貴族社会でも周囲から孤立していった。
同格の一桐陶麿からは初め苦言を呈されたが、次第に諦められて特に口煩く言われなくなった。
十桐綺葉のことも嘗ては姉の様に接していたが、次第に心が離れて社交辞令以外の付き合いはなくなった。
公殿句子は最初から心を許せる相手ではなかった。
丹桐士糸や鷹番夜朗が知る甲夢黝は、既に苛烈な人間性を完成させた後だった。
小心者の甲は孤立を深める中で、益々家柄に拘泥していった。
その悪循環が続けば続く程、甲の心を空虚にしていった。
唯一人、岬守航だけが今際の彼に美点を見出した。
貴族としての誇りを拾い上げ、素朴な感情から「立派だ」「清々しい」と評した。
最期、甲がどこか憑き物の落ちた晴れやかな表情を浮かべていたのは、少しでも嘗ての自分を、後天的な闇に紛れてしまった本当の意味での甲公爵家に生まれた誇りを思い出たからだろうか。
真相は誰にも、死に往く甲自身にも分からない。