日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第四十二話『夜行歌劇』 急

 湊(みなと)区紅(あか)阪(さか)御用地獅(し)乃(の)神(かみ)邸(てい)。

 先んじて戻っていた二人の近衛侍女が、居並ぶ使用人達と共に主の第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)を出迎える。

 

「お帰りなさいませ、獅(し)乃(の)神(かみ)殿下」

「うむ。本日は大義であったぞ、敷(しき)島(しま)」

 

 敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)はこの日、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)を迎えに行った。

 ただ、実は魅(み)琴(こと)のドレスアップを考慮して居らず、灰(かい)祇(ぎ)院(いん)在(あり)清(きよ)に任せきりにしてしまい、おまけに予定していた時間に遅れてしまうという失態を犯してもいた。

 にも拘(かか)わらず、獅(し)乃(の)神(かみ)は然(さ)程(ほど)気にしていないらしい。

 そのような大らかさは、会食中にもう一人の近衛侍女が演じた失態にも発揮される。

 

「お帰りなさいませ。先程は大変失礼いたしました」

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)、汝(なれ)が気に病むことはない。姉上から俺(おれ)への電話、それも父上の勅命に関する連絡だ。逃さずに済み寧(むし)ろ感謝している」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)は会食中に電話を鳴らしてしまった。

 しかし獅(し)乃(の)神(かみ)が言う様に、鳴ったのは獅(し)乃(の)神(かみ)の電話であり、また無視出来ない緊急の連絡だったので、仕方の無い部分も大きい。

 また、抑(そもそ)も貴(き)龍(りゆう)院(いん)に自身の電話を預けているのは、獅(し)乃(の)神(かみ)から彼女への信頼の証(あかし)である。

 先に述べた敷(しき)島(しま)の失敗に関して、会食の時間をずらしたのは連絡を受けた貴(き)龍(りゆう)院(いん)の機転だった。

 

 侍女としての二人の能力では、実のところ敷(しき)島(しま)の方に難があり、反面貴(き)龍(りゆう)院(いん)が優位に立っていた。

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は上着を使用人に預け、半裸で二人の近衛侍女を引き連れ歩く。

 

「先(ま)ずは風呂だ。穢(けが)れを祓(はら)わねばならん」

「畏(かしこ)まりました」

「御(お)供(とも)いたしますわ、殿下」

 

 今夜も獅(し)乃(の)神(かみ)は湯(ゆ)浴(あ)みに二人の近衛侍女を引き連れるし、寝室で二人を抱くだろう。

 既に魅(み)琴(こと)に対して妻問いの答えを待つ状態だが、その様なことは気にしない。

 どこまでも都合の良い世界観で夢見る様に生きる彼は、広く寵(ちよう)愛(あい)を分け与えれば皆が喜ぶと簡単に考えており、またそれが否定された経験も無い。

 

(しかしそんな獅(し)乃(の)神(かみ)殿下の考えが、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)で生きた麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)に通用するとは限らない。明日、改めて釘(くぎ)を刺しておくべきか……)

 

 敷(しき)島(しま)の頭には、皇(こう)國(こく)と環境や価値観の違う日本国と交わることへの懸念があった。

 そんな彼女の考えを見透かす様に、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は北(ほく)叟(そ)笑(え)む。

 

「敷(しき)島(しま)ちゃん、貴女(あなた)の考えていることは分かっているわよぉ……」

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)殿……」

「心配しなくても、私(あたくし)達三人の関係は何も変わらないわぁ。如(い)何(か)に未来の皇太子妃殿下、皇后陛下といえども、獅(し)乃(の)神(かみ)様の大いなる愛を賜る悦(よろこ)びを咎(とが)めることなど許されない、私(あたくし)と違って貴女(あなた)は初めてだから怖いのは解(わか)るけれどねぇ……」

 

 敷(しき)島(しま)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)、二人は揃(そろ)って獅(し)乃(の)神(かみ)の近衛侍女という名の愛人であるが、実のところ側(そば)に居た時間は貴(き)龍(りゆう)院(いん)の方が遥(はる)かに長い。

 それは敷(しき)島(しま)が此(こ)処(こ)へ来た経緯(いきさつ)が関係している。

 

「そうだ、敷(しき)島(しま)よ。後で汝(なれ)に話がある。心に留(とど)めておくが良い」

「お話、で御座いますか?」

 

 唐突な主の言葉に、敷(しき)島(しま)は珍しく疑問符を付けた。

 その隣では、貴(き)龍(りゆう)院(いん)が眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せて唇を尖(とが)らせている。

 

「うむ、湯浴みが済んだら露台(バルコニー)で話すとしよう。貴(き)龍(りゆう)院(いん)は先に寝室で待っていろ」

「……畏まりましたわ、殿下」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は顔を隠す様に深々と頭を下げた。

 そして顔を上げると、小声で敷(しき)島(しま)に囁(ささや)いた。

 

「そう緊張しなくても大丈夫よぉ。獅(し)乃(の)神(かみ)様の寛大さは御(ご)存(ぞん)知(じ)の筈(はず)。間違っても、お役御免なんて話にはならないわぁ」

 

 言葉の上では敷(しき)島(しま)を気遣っている貴(き)龍(りゆう)院(いん)だが、その裏には腹黒いものが渦巻いているとはっきり解った。

 元々、獅(し)乃(の)神(かみ)の近衛侍女は貴(き)龍(りゆう)院(いん)ただ一人だったのである。

 

(貴(き)龍(りゆう)院(いん)、まるでそういう話になって欲しいと言いたげだな。なって欲しいのだろうな。お前はそういう女だ……。だがしかし、私(わたくし)は獅(し)乃(の)神(かみ)様の御(お)側(そば)を離れるつもりは一切無い。離れる訳にはいかないのだ……)

 

 敷(しき)島(しま)は溜息を吐いた。

 

「畏まりました、殿下。お伺いします」

「うむ、貴(き)龍(りゆう)院(いん)の気遣うとおりだ。汝(なれ)を脅かす類の話をするつもりはないから安心するが良い」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)はそのような貴(き)龍(りゆう)院(いん)の意図に全く気付いていないようだった。

 貴(き)龍(りゅう)院(いん)は蝋人形のように感情の消えた表情で二人を見ていた。

 その眼には良からぬ感情が渦を巻いて燃えていた。

 

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 一台の高級車が夜の統(とう)京(きよう)を走り抜ける。

 会食を終えた魅(み)琴(こと)が、灰(かい)祇(ぎ)院(いん)に連れられて帰路に就いていた。

 

「お疲れ様でした。皇族の御(おん)前(まえ)に出られるのは嘸(さぞ)かし緊張なさったでしょう。本日はゆっくりとお休みになると良いですよ。御希望なら個室を御用意いたしましょう」

「御(お)気(き)遣(づか)いありがとうございます。本日は助かりました」

 

 会食中、灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は終始、獅(し)乃(の)神(かみ)の両近衛侍女に眼を光らせていた。

 場合によっては二人が魅(み)琴(こと)を害すると考えていたのだろうか。

 

「麗(うる)真(ま)様、敷(しき)島(しま)殿の言葉は深刻に受け止めずとも大丈夫ですよ」

 

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は意外なことを言い出した。

 

「近い内に、改めてお食事の席へ招かれ、本日の答えを求められるでしょう。ですが、未来の皇(こう)國(こく)皇后という立場が重荷に感じられるのでしたら、無理をせず御辞退なさってください」

「それは……良いのでしょうか?」

「はい。獅(し)乃(の)神(かみ)殿下は対話の出来る御(お)方(かた)であらせられます。誠意を持ってお話しすれば、御無理は仰(おつしや)りますまい。どうしても心苦しいようでしたら、私(わたくし)も御(お)言(こと)葉(ば)添えして構いません」

 

 魅(み)琴(こと)は、敷(しき)島(しま)とは真逆の獅(し)乃(の)神(かみ)評に戸惑いを覚えた。

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)の秀麗な微(ほほ)笑(え)みには凍える少女を優しく包み込む様な安心感がある。

 宛(さなが)ら、御(お)伽(とぎ)噺(ばなし)の王子様であった。

 

「灰(かい)祇(ぎ)院(いん)さんは……皇太子殿下のお人柄を御存知なのですか?」

「ええ。一応、皇族方は私(わたくし)の遠い親戚の様なものですから」

「遠い親戚……ですか」

「はい」

 

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は少し恥ずかしそうに目を背けた。

 

「我が灰(かい)祇(ぎ)院(いん)家は元は宮家でして、神(しん)和(わ)維新政権下で臣籍降下の折に華族として侯爵位を賜ったのです。その縁で、皇族方とは今もそれなりにお付き合いがあるのですよ」

 

 貴族の中で最も格の高い公爵と比べ、第二位の侯爵は一枚下がる印象があるかも知れないが、実はそうとも言い切れない。

 公爵家は摂関家や旧将軍家、その他最有力の貴族が十二の席を有するが、侯爵家は旧大名家や臣籍降下した元皇族が含まれるのだ。

 その血筋、家柄は決して公爵に引けを取るものではない。

 

 しかし灰(かい)祇(ぎ)院(いん)の様子からして、彼にはその家柄を殊更にひけらかすつもりはないらしい。

 ただ、彼の高貴な振る舞いにはその血筋に対する自負心があるのかも知れない。

 その発露が王子様然とした紳士的な態度であるならば望ましいことだろう。

 

 そんな灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が、獅(し)乃(の)神(かみ)について不誠実な嘘(うそ)を吐くとは思えない。

 屹(きつ)度(と)、彼の言う為人(ひととなり)も獅(し)乃(の)神(かみ)の一面ではあるのだろう。

 一方で、敷(しき)島(しま)の懸念も理解出来る。

 今日会った印象は、彼女の言葉を裏付けるかの如く子供染みたものだったからだ。

 

「少し考えます……」

 

 そんなことを話しているうちに、車は龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸に到着した。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸の待合室では、主の第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)が大層立腹した様子で腕を組んで椅子に腰掛けていた。

 その向かいでは弟である第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)が居心地悪そうに肩を縮めている。

 どうやら蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に連れ帰られた龍(たつ)乃(の)神(かみ)が目を覚まし、気を失っている間の成り行きを知ったらしい。

 

「賢(けん)智(ち)、姉様を止めようとは思わなかったのか」

「あの女(ひと)は止めても聞かないでしょう。僕(ぼく)も龍(たつ)姉(ねえ)様(さま)と仲良く夢の中へ誘(いざな)われるだけだよ」

 

 待合室には二人の皇族の他に六摂家当主の女公爵・十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)と雲(くも)野(の)幽(ゆ)鷹(たか)・兎(と)黄(よ)泉(み)兄妹が控えている。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は雲(くも)野(の)兄妹の呼び掛けで目を覚ましたのだ。

 

「僕(ぼく)だって、彼をこのまま麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)に預けておいて良いなんて思っていないよ」

「本当か? それなら良いんだが……」

「現に、龍(たつ)姉(ねえ)様(さま)の目覚めを待っていたのは彼を連れ戻す算段を相談する為(ため)だよ」

「解ったよ。君(きみ)を信じよう」

 

 どうにか龍(たつ)乃(の)神(かみ)は納得したようだ。

 そこへ、食事に出掛けていた魅(み)琴(こと)と灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が戻ってきた。

 

「これはこれは蛟(みずち)乃(の)神(かみ)殿下、折(せつ)角(かく)お越しのところ、不在にしており申し訳御座いません」

「良いよ、灰(かい)祇(ぎ)院(いん)。突然だったからね。それと、其(そ)方(ちら)が獅(しし)兄(にい)様(さま)に見初められた女性か、成程ね……」

「殿下、あまりそういったことを仰るのは……」

「おっと、失礼」

 

 魅(み)琴(こと)は蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に礼をする。

 

「初めまして。麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と申します」

「ああ、申し遅れたね。第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)だ」

 

 軽く挨拶を済ませた魅(み)琴(こと)だったが、彼女はすぐにこの場の異様な雰囲気に気が付いたらしい。

 

「何か……あったのですか?」

「うん、落ち着いて聴いてほしいんだけど……」

 

 事の概(あらまし)――航の取った行動とその顛(てん)末(まつ)を聞かされた魅(み)琴(こと)は、見る見る顔に怒りを露(あら)わにしていった。

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