日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

139 / 399
第四十三話『夢魔』 序

 岬(さき)守(もり)航(わたる)は見知らぬ部屋で目を覚ました。

 亀甲縛りの縄は解かれたが、全裸の状態で手(て)枷(かせ)と足(あし)枷(かせ)を嵌(は)められて椅子に拘束されており、身動きが取れない。

 どうやら気を失っている間に何者かの寝室に運び込まれたらしい。

 

「此(こ)処(こ)……は……?」

 

 豪(ごう)華(か)絢(けん)爛(らん)な意匠・装飾・美術品の数々から、この寝室の主は相当の上流階級のようだ。

 航(わたる)は段々と思い出してきた。

 

(確か……あの皇女、深(み)花(か)様のお姉さんに連れて来られた……?)

 

 航(わたる)が記憶を辿(たど)っていると、部屋の扉が開いた。

 

「目が覚めたようですね」

 

 第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)が、ドレスを纏(まと)った二人の従者を伴って寝室へ入ってきた。

 長く美しい黒髪を備えた、長身でグラマラスな美女の寝室に招待されたといえば聞こえは良いが、この状況はどう考えてもそんな喜ばしいものではない。

 

「そんなに暴れても、その枷(かせ)は壊せませんよ。超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の装甲と同じ処理が施された金属ですからね。皇(こう)國(こく)で拘束用に使われる部材は、神(しん)為(い)対策で同じ素材から出来ているのですよ。皇太子殿下の発明品なのですが、我が弟ながら実に英明な頭脳ですね」

 

 言われてみれば、第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)に縛られた拘束も、神(しん)為(い)で強化された身体能力を駆使しようが解けなかった。

 皇(こう)國(こく)では当然、犯罪者や謀反人の確保はそういった相手を想定して標準化されているのだ。

 

「僕(ぼく)をどうする気だ!」

「そう怖い顔をせずとも平気ですよ。悪い様にはしませんからね」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)が手を上げると、二人の従者が航(わたる)の両脇に歩み寄ってきた。

 彼女の後ろの控えていたときは暗がりで能(よ)く判(わか)らなかったが、近くで能く見るとこの二人は化粧と女装を施された男だ。

 

「なんだ、この二人……?」

「私(わたくし)の夜(よ)伽(とぎ)役です」

 

 臆面も無く告げられ、航(わたる)は更に恐る恐る尋ねる。

 

「その格好は本人の意思で……?」

「いいえ、私(わたくし)の趣味です」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は恥ずかしげも無く堂々と答え、困惑する航(わたる)に二人を紹介し始める。

 

「向かって左が頤(おとがい)望愛(のあ)、右が宍(しし)妻(め)娼(しょう)也(や)です。二人とも美形なので、こうやって可(か)愛(わい)らしく着飾って飼ってやっているのですよ」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)はそう言うと、自身もまた航(わたる)に歩み寄った。

 艶(つや)やかな微(ほほ)笑(え)みを湛(たた)え、潤んだ眼(め)で航(わたる)の眼を見ている。

 そしてきめ細やかな肌をした白い手でそっと航(わたる)の頬(ほお)に触れてきた。

 航(わたる)の心臓が高鳴っているのは、その色気に惑わされているというよりは拷問前の恐怖に近い。

 

「御(お)前(まえ)も美形ですね」

 

 嘗(かつ)て無い怖(おぞ)気(け)が航(わたる)の背中を走り抜けた。

 確かに、麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)は見た目航(わたる)好みの美女である。

 だが、その言葉には喩(たと)えようのない恐怖感が勝っている。

 しかし麒(き)乃(の)神(かみ)に意に介する様子は無い。

 

「航(わたる)、その唇は接(せつ)吻(ぷん)を交わしたことがありますか? この、程良く鍛えられて絞られた体は女を知っているのかしら? 興味が尽きませんよ」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)に見据えられ、航(わたる)は蛇に睨(にら)まれた蛙(かえる)の様に固まってしまった。

 この迫力、彼女には逆らえない、有無を言わせぬ何かがある。

 幼馴染の麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)とは違う種類の気後れが航(わたる)に嫌な汗を掻(か)かせる。

 そんな航(わたる)に対し、麒(き)乃(の)神(かみ)は更なる言葉で追い打ちを掛ける。

 

「私(わたくし)の質問に答えなさい」

 

 ビクリ、と航(わたる)は震えた。

 この女(ひと)に逆らうのは絶対に拙(まず)い。

 航(わたる)は恐る恐る口を開いた。

 

「無い……です……」

「そうですかそうですか。それはそれは……」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は嬉(うれ)しそうに手を合わせると、空(す)かさず航(わたる)の顎を摘まんで強引に唇を重ねてきた。

 相手の意思を一顧だにせず強行された接吻である。

 初めてだと知った上で、舌まで入れてくるその行いには、彼女の自分本位な性格が端的に表れていた。

 

 これ程強引に求められたのは、航(わたる)にとって初めての経験だった。

 言うまでも無く、初めての口付けは魅(み)琴(こと)と交わしたかった。

 しかし、その望まない筈(はず)の接吻が、どうしようもなく航(わたる)を蕩(とろ)けさせている。

 それは航(わたる)に強い剥(はく)奪(だつ)感を与えた。

 

(魅(み)琴(こと)……ごめん……!)

 

 航(わたる)の脳(のう)裡(り)に魅(み)琴(こと)の姿が浮かぶ。

 その幻影は心底冷めた表情を浮かべ、背を向けてしまった。

 その後には、ただ柔らかな唇と滑らかな舌の感触だけが残された。

 

 溺れそうになる、塗(ぬ)り潰(つぶ)されそうになる。

 抵抗の意思が溶けて無くなる、その寸前まで行ったところで麒(き)乃(の)神(かみ)の唇が航(わたる)から離れた。

 

「はぁ……はぁ……いきなり何を……!」

「言ったでしょう。御褒美ですよ」

 

 彼女が言っているのは、甲(きのえ)公爵邸に押し入った顛(てん)末(まつ)を語った際に告げられた言葉のことだろう。

 

「そんなの……僕(ぼく)は望んでません」

「ええ。私(わたくし)からの気持ちです」

「そんな勝手な……! 甲(きのえ)の件だって、僕(ぼく)はまだ納得した訳じゃない……!」

「ほう、あくまで謀(む)叛(ほん)の証拠は無い、と?」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)はさも可(お)笑(か)しげにくすくすと笑った。

 

「随分拘っているところ気の毒ですが、実はその様なことなどどうでも良いのですよ」

「は?」

「首相を降板してからというもの、甲(きのえ)は碌(ろく)なことをしてきませんでしたからね。私(わたくし)も迷惑していたのですよ」

「迷惑……?」

 

 どうやら、甲(きのえ)は謀叛の容疑とは関係無く、ただ政治的な理由で麒(き)乃(の)神(かみ)に排除されたらしい。

 彼女は航(わたる)の後に回りながら続ける。

 

「公(く)殿(でん)や丹(に)桐(どう)に唆され、何やら皇族や旧華族への贖(しよく)罪(ざい)意識の醸成を教育に盛り込もうとしていたようです。そんなことをされてしまっては、皇族は崇敬ではなく憐(れん)憫(びん)の対象となってしまう。私(わたくし)達は臣民の上に君臨し、善導する使命を負った強者であって、弱者として保護の対象にされるなど不愉快極まりない。不敬千万なる思い上がりです。それに、崇敬という正の感情は求心力となって君臣間の強固な団結を生みますが、憐憫という負の感情は敬遠の元となって深刻な断絶を生みます。これは良くありません」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は航(わたる)の頭を撫(な)でながら溜息を吐いた。

 

「普段ならば私(わたくし)が手を回して貴族院の三分の二で否決し、類似法案の永久廃案に持ち込むところです。しかし、神(じん)皇(のう)陛下の地位を不動のものにするという建前から甲(きのえ)の側に付く議員もそれなりに居て、難儀していたのですよ。まったく、面倒なことをしてくれるものですよね……」

 

 皇(こう)國(こく)の立法府、議会の構成は日本国のそれと似ている点と異なる点がそれぞれある。

 衆議院と貴族院の二院から成り、法案の成立には両院の過半数か衆議院の三分の二が必要である点、それから首班指名に於(お)ける衆議院優越は日本国とほぼ同じであるが、その代わり貴族院には一つ強力な権限がある。

 

 衆議院で過半数を得て通過した法案は貴族院へ送られ、採決の結果貴族院の過半数を得られれば法が成立する、逆に得られなければ衆議院に送り返される――ここまでは同じである。

 しかし貴族院での採決の際に賛成が三分の一を超えなかった法案に対して、類似すると認められた法案を貴族院の判断で永久廃案にすることが出来るのだ。

 この貴族院の強さは、皇(こう)國(こく)に於ける華族制度が維持され、強固な貴族社会を形成している一因となっている。

 

 そして麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)は、貴族院議員として活動する唯一の皇族である。

 彼女はその権威を以(もつ)て、議会を裏から支配しているのであった。

 

「更に、甲(きのえ)は私(わたくし)を強行的な主戦派と印象付けることによって、自身の勢力拡大に利用していた。私(わたくし)は相手国へ服従を求める為(ため)に力を背景とし、場合によっては武力行使をも辞さずという立場であって、最初から武力に恃(たの)んだ安易な解決を求めている訳ではありません。しかし、甲(きのえ)は然(しか)も、私(わたくし)も自身と同じ立場であると吹(ふい)聴(ちよう)していた……」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)が話す傍ら、二人の従者が小卓の上に化粧品を並べ始めた。

 青(あお)褪(ざ)める航(わたる)の表情など見える筈も無い麒(き)乃(の)神(かみ)は、構わず話を続ける。

 

「可愛い妹の深(み)花(か)に迄(まで)その誤解が浸透していると知った時、私(わたくし)は甲(きのえ)の排除を決意しました。扨(さ)てどうしたものかと計略を巡らせていたのですが、丁度良い具合に御(お)前(まえ)が騒ぎを起こしてくれましてね。お陰ですんなりと筋道が整いました。本当に、良くやってくれましたよ」

 

 高らかに笑い声を上げる麒(き)乃(の)神(かみ)だが、航(わたる)はそれどころではない。

 二人の従者が航(わたる)に化粧を施す手を拒む術が無いのだ。

 

「ですから御(お)前(まえ)には、私(わたくし)の夜伽役となる褒美を与えましょう。見目麗(うるわ)しき御(お)前(まえ)にはその資格が充分ある。そうすれば、弟の后(きさき)となる御(お)前(まえ)の想い人のことも見続けられますよ」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は再び、簡易的な化粧を施された航(わたる)の前に回った。

 

「な、何を言っているんですか! 日本に帰してくれるんじゃなかったんですか!」

「どうせ皇(こう)國(こく)は明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)を吸収してしまうのですから、今帰ろうが帰るまいが些(さ)細(さい)なことですよ」

「なっ……!」

 

 航(わたる)は今、皇(こう)國(こく)の有力政治家からはっきりと日本国吸収の方針を聞かされた。

 薄々分かってはいたが、麒(き)乃(の)神(かみ)程の立場の者に直接聞かされた衝撃は大きかった。

 

「ふ、ふざけないでください……!」

「大真面目ですよ。これは御(お)前(まえ)の国の為でもあります」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は航(わたる)から離れ、その両眼を鋭く光らせる。

 

「聞けば明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)は衰退し始めているというではありませんか。しかし皇(こう)國(こく)の大いなる力を以てすれば、事態を好転させることが出来ます。これは同じ日本の、大和民族の好(よしみ)で施そうという慈悲に他なりません。強者に組み込まれ、その恩恵に与(あずか)ることは弱者にとって僥(ぎよう)倖(こう)です。しかも皇(こう)國(こく)は神(しん)為(い)という力によって無限に繁栄を謳(おう)歌(か)することが出来る。その何処(どこ)に不安や不満があるのか、理解に苦しむと言う他ありませんね」

 

 瞠(どう)目(もく)する航(わたる)を尻目に、麒(き)乃(の)神(かみ)は両腕を拡(ひろ)げた。

 

「そうして大和民族の大連合によって強大な運命共同体を築き上げ、皇(こう)國(こく)は世界の新たなる軸となるのです! 更には世界の在り方を修正することによって、我々は全人類を善導する指針となる! 見なさい、今の世界を! 文明が成熟したといえば聞こえは良いですが、熟れ過ぎた結果は老醜であり、耄(もう)碌(ろく)です! 弱者や敗北者に阿(おもね)り、良い顔をしようという下心で先人の歩みを否定し、伝統的な風習の中に生きる民衆を置(おい)行(てけ)堀(ぼり)にし、強さと気高さを投げ捨てて憚(はばか)らない! そんな愚かな潮流を打開し、世界を救済する為に我々は幾度と無く時空を跨(また)いできたのですよ!」

 

 航(わたる)は愕(がく)然(ぜん)としていた。

 六年前にこの世界へと顕現した「神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)」は、これまで航(わたる)にとって日本と似ているが強大な軍事力を持つ外国でしかなかった。

 しかし、今開示されたその思想はあまりにも危険である。

 

「救済……。貴女(あなた)達は既に随分この世界で滅(め)茶(ちや)苦(く)茶(ちや)してきたような気がするが……?」

「それはここ数年の話でしょう。如(い)何(か)なる統治も先(ま)ずは覇道から始まるものです。我々がしているのは、この行き詰まった既存の秩序に変わる新たな体制を築くという数十年の大偉業の話です。近視眼的な御(お)前(まえ)達では見えぬやも知れませんが、敢(あ)えて言いましょう」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は穏やかに、何ら悪びれている様子も無い微笑みを浮かべて言い放つ。

 

「皇(こう)國(こく)は日本を、世界を『救済』してやるのですよ」

 

 航(わたる)は絶句するしかなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。