日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第四十五話『救援辞退』 序

 時をやや遡(さかのぼ)り、皇宮で開かれた晩(ばん)餐(さん)会(かい)がお開きになった頃のことである。

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)は既に第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)とその侍従・灰(かい)祇(ぎ)院(いん)在(あり)清(きよ)と共に退席していた。

 また、第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)も既に去っている。

 

 第二皇子・鯱(しやち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)も自らの邸宅に戻ろうと、侍女の水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)を呼びつけた。

 その時彼の兄、第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)が呼び止める。

 

「ああ汝(なれ)ら、少し待て」

「何用ですか、兄様。私(わたし)は明日も訓練で忙しいのですが」

 

 鯱(しやち)乃(の)神(かみ)はうんざりした様な表情で兄に応えた。

 実際、軍人である彼はかなり無理を言って今回の晩餐会に参加した。

 尤(もつと)も軍の誰も彼を咎(とが)められはしないが、それ以上に彼は自身の都合で訓練に専念したいのだ。

 

「私(わたし)は一日でも早く皇(こう)國(こく)最強の為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)操縦士になりたいのです。家族の集まりを無下にするつもりはありませんが、あまり兄様の思い付きで束縛されても困るのですよ」

「心配するな。何もそう時間を取らせるものではない。少し水(み)徒(と)端(はた)に用があるのだ」

「私(わたくし)に、で御座いますか……」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)にとって、要件はすぐに推察出来た。

 この日、獅(し)乃(の)神(かみ)が連れてきた近衛侍女は貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)一人だった。

 つまり、もう一人の近衛侍女である敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)――早(さ)辺(え)子(こ)の姉である水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)は、妹と会うことを拒んだのだ。

 

「やはり会うのは気が進まんということだ。ならば無(む)理(り)矢(や)理(り)連れて来る訳にも行くまい。しかし孰(いず)れは必ず納得させた上で会わせる故、今暫(しばら)く待つが良い」

「とんでも御座いませんわ。皇太子殿下にお力添えいただけること自体が私(わたくし)にとって身に余る光栄で御座います故……」

「うむ、その折には那(な)智(ち)、頼むぞ」

「それは構いませんよ。ただ、余裕を持って日程を立てていただきたいですね」

 

 相変わらず、鯱(しやち)乃(の)神(かみ)は兄に憎まれ口を叩(たた)く。

 ここまで様子を見ていると、早(さ)辺(え)子(こ)にも新たな主とその兄の関係が何となく察せられる。

 

(鯱(しやち)乃(の)神(かみ)殿下に対してあまり獅(し)乃(の)神(かみ)殿下の話はしない方が良さそうだ……)

 

 ふと、早(さ)辺(え)子(こ)はもう一つ気が付いた。

 姉だけでなく、連れて来られた筈(はず)の近衛侍女・貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)も獅(し)乃(の)神(かみ)から離れている。

 

「畏れながら皇太子殿下、貴(き)龍(りゆう)院(いん)様は何(いず)処(こ)に?」

「ああ、おそらく嵐(らん)花(か)と服飾談義だ。嵐(らん)花(か)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)の趣味は特殊にして対極。故に、嵐(らん)花(か)は貴(き)龍(りゆう)院(いん)の服飾に興味があるらしい」

 

 早(さ)辺(え)子(こ)は考える。

 どうやら獅(し)乃(の)神(かみ)は二人の近衛侍女に干渉しない時間をそれなりに設けているらしい。

 それはまさに、二人の「近衛侍女」という肩書きが有名無実であることを示している。

 皇太子の近衛侍女が実質的に愛人であるという噂(うわさ)は、早(さ)辺(え)子(こ)も聞き及んでいる。

 

(姉さん、やはり貴女(あなた)はこの御(お)方(かた)の許(もと)で……)

 

 早(さ)辺(え)子(こ)は少し、姉のことを恨めしく思った。

 自分に会いたくないというのは、「絶対強者」と呼ばれる獅(し)乃(の)神(かみ)の庇(ひ)護(ご)下で安穏無事に過ごす中で水(み)徒(と)端(はた)早(そ)芙(う)子(こ)としての過去が邪魔なのではないか。

 憧れていた姉がそんな人間に堕してしまったとは考えたくなかった。

 

「兄様、もう良いでしょう。私(わたし)は失礼させて頂きますよ」

「ああ、おやすみ那(な)智(ち)」

「おやすみなさい、兄様。水(み)徒(と)端(はた)、行くぞ」

「畏(かしこ)まりました」

 

 尤も、それは自分も大して変わらない、とも早(さ)辺(え)子(こ)は考えていた。

 早(さ)辺(え)子(こ)とて、姉を探す為(ため)とはいえ武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に協力した。

 その過去を無かったことにして、父親を犠牲にして、今は第二皇子に仕えている。

 そういう意味では、姉妹揃(そろ)って似た様な境遇に落ち着いたと言えるだろう。

 

⦿

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)の推察通り、貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)は待合室で第三皇女・狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)と談笑していた。

 どうやら一(ひと)頻(しき)り話し終えた後の様だ。

 

「やっぱり貴(き)龍(りゆう)院(いん)とお話しするのは楽しいなあ」

「そう仰(おつしや)っていただけると、私(あたくし)といたしましても臣下冥(みよう)利(り)に尽きますわ」

 

 狛(こま)乃(の)神(かみ)の服飾は所謂(いわゆる)「ギャル」といった様相で、ゴシックロリータ服の貴(き)龍(りゆう)院(いん)とはかなり傾向が異なる。

 しかしながら、異なるジャンルとの化学反応が新たな可能性を生むのも文化の特性である。

 狛(こま)乃(の)神(かみ)は幅広いジャンルの流行を咀(そ)嚼(しやく)してアレンジする、優れた感性の持ち主である。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)から教わったゴシックホラー風味のアクセサリーもポップなキャラクターアイコンと化して一部取り入れられている。

 

「扨(さ)て、龍(たつ)姉(ねえ)様(さま)と蛟(みずち)兄(にい)様(さま)も返っちゃったみたいだし、私(わたし)様(さま)もそろそろ寝室に戻ろうかな。明日も学校だし」

「おやおや、お若い人は色々と大変ですねえ」

 

 小さく伸びをする狛(こま)乃(の)神(かみ)を微(ほほ)笑(え)ましげに見詰めていた貴(き)龍(りゆう)院(いん)は、ふと思い出した様に話題を変える。

 

「そういえば、昨日も遅くまで大変でいらしたとか」

「あ、そうなの! 何か、麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)に突然呼び出されちゃって」

「甲(きのえ)公爵閣下の件ですわね」

「それそれ! 私(わたし)様(さま)、吃驚(びつくり)しちゃった! まさか皇族に謀反を起こそうとする貴族がいたなんて!」

 

 どうも、狛(こま)乃(の)神(かみ)は昨晩の事情を細かく理解している訳ではないらしい。

 甲(きのえ)が自害させられた意味も能(よ)く解(わか)っていないのだろう。

 

「どうも六摂家当主の皆様方、拉致被害者が叛(はん)逆(ぎやく)者に加担していたと思い込まされていたようですわね」

「あー、でもそれって甲(きのえ)の法(ほ)螺(ら)だったんでしょ?」

「うーん、果たして本当にそうだったのでしょうかね?」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は真顔になり、意味深な眼で狛(こま)乃(の)神(かみ)を見詰めていた。

 

「何々? どういうこと?」

「大した事では御座いません、狛(こま)乃(の)神(かみ)殿下。所詮は根拠の無い私(あたくし)の勘です。しかし、気になってしまうのですよねえ……。拉致被害者の方々、妙に皇族方と急接近しすぎではないか、と……」

 

 どうやら貴(き)龍(りゆう)院(いん)が言いたいのは、岬(さき)守(もり)航(わたる)や麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)が龍(たつ)乃(の)神(かみ)や獅(し)乃(の)神(かみ)に近付くことは好ましくない、ということらしい。

 狛(こま)乃(の)神(かみ)は困惑した様な表情を浮かべている。

 

「ああ、申し訳御座いません殿下。先程も申しましたとおり、根拠の無い勘で御座います。昨日の様なことがあると、私(あたくし)としても色々と疑(うたぐ)り深(ぶか)くなってしまいまして……」

「もう、人騒がせだなあ貴(き)龍(りゆう)院(いん)は……」

 

 二人は不穏な空気を吹き飛ばそうとわざとらしく笑い合った。

 

「そうそう、拉致被害者が皇族に近付いているといえば、麒(き)乃(の)神(かみ)殿下から一つ賜り物が御座いましたわ」

「え? 麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)が? 貴(き)龍(りゆう)院(いん)に? それが拉致被害者と何の関係が?」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は懐から何やら黒い塊を取り出した。

 

「……何それ?」

「口紅……の様ですわ」

「珍しいじゃん。麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)がそんなものを女に贈るなんて」

「勿(もち)論(ろん)、本来ならば大変、この上なく喜ばしいことなのですが、困ったことにこの口紅、使用済みなのですよ」

「え? それはいくら麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)でも……失礼じゃない?」

「あの御(お)方(かた)は、寧(むし)ろ皇族の使用済みであれば尚(なお)のこと悦(よろこ)ばしいだろうとお考えなのでしょう」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は溜息を吐いた。

 

「ですがどうも話を聞いていると、本来は昨夜自邸に招かれた拉致被害者の一人に贈るつもりだったそうですわ」

「マジ? 麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)とそんな関係に?」

「ですから、私(あたくし)の為に選ばれたものではないようなのです。私(あたくし)に似合う色味のものではありませんし……」

 

 狛(こま)乃(の)神(かみ)は貴(き)龍(りゆう)院(いん)の顔をじっと見詰めていた。

 相手の眼は、何かを訴えかけている。

 

「……良かったら寝る前にひとっ走り行ってあげよっか? 麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)としても、本来贈りたかった相手に届いた方が嬉(うれ)しいだろうし」

「おやまあ、皇族ともあろう御方にそのようなことを……」

「良いって良いって。私(わたし)様(さま)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)の仲じゃん」

「そう言っていただけるなら、御(お)言(こと)葉(ば)に甘えましょうか……」

 

 狛(こま)乃(の)神(かみ)は貴(き)龍(りゆう)院(いん)から口紅を受け取ると、笑顔で手を振って待合室を出て行った。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 再び時を戻し、空に虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)の面談が映し出された直後のことである。

 面談相手だった能(のう)條(じよう)緋(ひ)月(づき)首相は、官邸執務室の机で怒りをその眼に湛(たた)え、頭を抱えていた。

 対面には彼女の秘書・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)がその長身を真(まつ)直(す)ぐ伸ばして立っている。

 

「どういうつもりだ、推(つき)城(しろ)?」

「なんのことでしょう?」

「恍(とぼ)けるな。私(わたし)と虎(こ)駕(が)殿の面談を隠し撮り出来る人間は極めて限られる。明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の拉致被害者と、彼らを迎えに来た二人の閣僚、外務省の総(そう)源(げん)、それからお前だ。官邸に居た人間に絞ってもこれだけしか居ない」

「成程、その中で怪しいのは私(わたし)だけだと……」

 

 今能(のう)條(じよう)が挙げた中で、日本国政府の根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)と白(びゃく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)、皇(こう)國(こく)内閣の小(お)木(ぎ)曽(そ)文(ふみ)章(あき)と都(つ)築(づき)廉(れん)太(た)郎(ろう)は別室で打ち合わせをしており、盗撮の余裕は無い。

 拉致被害者にはそのようなことをする動機が無い。

 残るは総(そう)源(げん)量(かず)子(こ)と推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)だが、晒(さら)し上げられた二回目の面談時、総(そう)源(げん)はずっと能(のう)條(じよう)と虎(こ)駕(が)の脇に控えていた。

 つまり、映像の入手と加工が行えるのは推(つき)城(しろ)のみである。

 

「まあ、隠す意味もありませんな。御明察です、能(のう)條(じよう)閣下」

「推(つき)城(しろ)、私(わたし)の質問は『一体何の目的でこの様な真(ま)似(ね)をしたか』だ」

 

 鋭い眼で詰問する能(のう)條(じよう)だが、推(つき)城(しろ)は不(ふ)貞(て)不(ぶ)貞(て)しい笑みを浮かべている。

 

「知れたこと。皇(こう)國(こく)と明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の間に戦争を起こしたいからですよ」

「あんな陳腐な映像でか?」

 

 能(のう)條(じよう)はわざとらしく鼻で笑った。

 

「人工知能生成を使うならば、もう少し指令文を詳しく組むべきだったな」

「別に、あれを真実と信じさせるのが狙いではありませんよ。明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の政府には、貴女(あなた)が慎重派だと知っている人間もそれなりに居る。しかし、あの映像を見た彼らはこう思うでしょう」

 

 推(つき)城(しろ)は歪(ゆが)んだ笑みを浮かべる。

 

「『皇(こう)國(こく)は我々にとって思い出したくもない先の大戦の惨劇を出汁にして挑発してきた』『出来の悪い人工知能生成の映像を使い、仕掛ける理由などいくらでもひねり出せると恫(どう)喝(かつ)してきた』『慎重派の能(のう)條(じよう)は舐(な)められており、首相の座も安泰ではなさそうだ』『であるならば、皇(こう)國(こく)はやはり危険だ』とね。つまり、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の皇(こう)國(こく)に対する国民感情は間違い無く悪化する……」

 

 能(のう)條(じよう)は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せて推(つき)城(しろ)を睨(にら)んでいた。

 

「そういうことか。確かに、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の国民感情が致命的に悪化すれば、皇(こう)國(こく)としては武力による吸収に出ざるを得なくなると、そう言った覚えがあるな……」

「お解り頂けましたか」

「お前は私(わたし)の命で甲(きのえ)卿(きよう)の許(もと)へ密偵として近付いた。だが、私(わたし)に近付いたこと自体が主戦派の差し金だったということか。今考えれば、甲(きのえ)卿を裏切る人間が私(わたし)を裏切ることを躊(ため)躇(ら)う訳も無いな」

「まあ、そういうことにしておきましょう」

 

 推(つき)城(しろ)は小型の拳銃を懐から取り出し、能(のう)條(じよう)の心臓に銃口を向けた。

 

「私(わたし)を殺すつもりか」

「ええ。能(のう)條(じよう)閣下がこの程度で観念するとは思えません。首相の座にしがみ付かれても面倒ですからね」

「私(わたし)が死ねば戦争を起こせるとでも?」

「貴女(あなた)に不測の事態が起きた時、首相に就任するのは副総理内務大臣の小(お)木(ぎ)曽(そ)閣下です。彼は隠れ主戦派ですよ。御(ご)存(ぞん)知(じ)ありませんでしたか?」

 

 能(のう)條(じよう)は顔を顰(しか)めた。

 

「そんな玩具(おもちや)で私(わたし)を殺せると思っているのか!」

「殺せるとは思えない銃だからこそ良いのですよ」

 

 推(つき)城(しろ)は右手で銃を構えつつ、左手の親指と人差し指で輪を作ってそこから能(のう)條(じよう)を片目で覗(のぞ)いた。

 突如、奇っ怪な行動に出た推(つき)城(しろ)の様子に能(のう)條(じよう)は怪(け)訝(げん)そうに首を傾(かし)げたが、次の瞬間、彼女は胸を押さえて苦しみ始めた。

 

「能(のう)條(じよう)閣下、貴女(あなた)に恨みは無い。世話になったし、個人的には好感の持てる女だったと思っている。だが、我々の大願の為には死んでもらわねばならん」

 

 暫くすると能(のう)條(じよう)は体の力を失い、背(せ)凭(もた)れにだらりと寄り掛かった。

 顔から生気が失われ、明らかに絶命していた。

 推(つき)城(しろ)はそんな能(のう)條(じよう)の死体に拳銃を握らせると、胸に銃口を押し当てて心臓を撃ち抜かせた。

 

「貴女(あなた)は戦争が避けられなくなったという失政に絶望して自殺するのです、閣下……」

 

 能(のう)條(じよう)緋(ひ)月(づき)――皇(こう)國(こく)がこの世界に顕現して以来、六年に亘(わた)ってその顔として世界を脅かしてきた女は、実に呆(あつ)気(け)ない最(さい)期(ご)を遂げた。

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