時をやや遡り、皇宮で開かれた晩餐会がお開きになった頃のことである。
麗真魅琴は既に第二皇女・龍乃神深花とその侍従・灰祇院在清と共に退席していた。
また、第三皇子・蛟乃神賢智も既に去っている。
第二皇子・鯱乃神那智も自らの邸宅に戻ろうと、侍女の水徒端早辺子を呼びつけた。
その時彼の兄、第一皇子・獅乃神叡智が呼び止める。
「ああ汝ら、少し待て」
「何用ですか、兄様。私は明日も訓練で忙しいのですが」
鯱乃神はうんざりした様な表情で兄に応えた。
実際、軍人である彼はかなり無理を言って今回の晩餐会に参加した。
尤も軍の誰も彼を咎められはしないが、それ以上に彼は自身の都合で訓練に専念したいのだ。
「私は一日でも早く皇國最強の為動機神体操縦士になりたいのです。家族の集まりを無下にするつもりはありませんが、あまり兄様の思い付きで束縛されても困るのですよ」
「心配するな。何もそう時間を取らせるものではない。少し水徒端に用があるのだ」
「私に、で御座いますか……」
早辺子にとって、要件はすぐに推察出来た。
この日、獅乃神が連れてきた近衛侍女は貴龍院皓雪一人だった。
つまり、もう一人の近衛侍女である敷島朱鷺緒――早辺子の姉である水徒端早芙子は、妹と会うことを拒んだのだ。
「やはり会うのは気が進まんということだ。ならば無理矢理連れて来る訳にも行くまい。しかし孰れは必ず納得させた上で会わせる故、今暫く待つが良い」
「とんでも御座いませんわ。皇太子殿下にお力添えいただけること自体が私にとって身に余る光栄で御座います故……」
「うむ、その折には那智、頼むぞ」
「それは構いませんよ。ただ、余裕を持って日程を立てていただきたいですね」
相変わらず、鯱乃神は兄に憎まれ口を叩く。
ここまで様子を見ていると、早辺子にも新たな主とその兄の関係が何となく察せられる。
(鯱乃神殿下に対してあまり獅乃神殿下の話はしない方が良さそうだ……)
ふと、早辺子はもう一つ気が付いた。
姉だけでなく、連れて来られた筈の近衛侍女・貴龍院皓雪も獅乃神から離れている。
「畏れながら皇太子殿下、貴龍院様は何処に?」
「ああ、おそらく嵐花と服飾談義だ。嵐花と貴龍院の趣味は特殊にして対極。故に、嵐花は貴龍院の服飾に興味があるらしい」
早辺子は考える。
どうやら獅乃神は二人の近衛侍女に干渉しない時間をそれなりに設けているらしい。
それはまさに、二人の「近衛侍女」という肩書きが有名無実であることを示している。
皇太子の近衛侍女が実質的に愛人であるという噂は、早辺子も聞き及んでいる。
(姉さん、やはり貴女はこの御方の許で……)
早辺子は少し、姉のことを恨めしく思った。
自分に会いたくないというのは、「絶対強者」と呼ばれる獅乃神の庇護下で安穏無事に過ごす中で水徒端早芙子としての過去が邪魔なのではないか。
憧れていた姉がそんな人間に堕してしまったとは考えたくなかった。
「兄様、もう良いでしょう。私は失礼させて頂きますよ」
「ああ、おやすみ那智」
「おやすみなさい、兄様。水徒端、行くぞ」
「畏まりました」
尤も、それは自分も大して変わらない、とも早辺子は考えていた。
早辺子とて、姉を探す為とはいえ武装戦隊・狼ノ牙に協力した。
その過去を無かったことにして、父親を犠牲にして、今は第二皇子に仕えている。
そういう意味では、姉妹揃って似た様な境遇に落ち着いたと言えるだろう。
⦿
獅乃神の推察通り、貴龍院皓雪は待合室で第三皇女・狛乃神嵐花と談笑していた。
どうやら一頻り話し終えた後の様だ。
「やっぱり貴龍院とお話しするのは楽しいなあ」
「そう仰っていただけると、私といたしましても臣下冥利に尽きますわ」
狛乃神の服飾は所謂「ギャル」といった様相で、ゴシックロリータ服の貴龍院とはかなり傾向が異なる。
しかしながら、異なるジャンルとの化学反応が新たな可能性を生むのも文化の特性である。
狛乃神は幅広いジャンルの流行を咀嚼してアレンジする、優れた感性の持ち主である。
貴龍院から教わったゴシックホラー風味のアクセサリーもポップなキャラクターアイコンと化して一部取り入れられている。
「扨て、龍姉様と蛟兄様も返っちゃったみたいだし、私様もそろそろ寝室に戻ろうかな。明日も学校だし」
「おやおや、お若い人は色々と大変ですねえ」
小さく伸びをする狛乃神を微笑ましげに見詰めていた貴龍院は、ふと思い出した様に話題を変える。
「そういえば、昨日も遅くまで大変でいらしたとか」
「あ、そうなの! 何か、麒姉様に突然呼び出されちゃって」
「甲公爵閣下の件ですわね」
「それそれ! 私様、吃驚しちゃった! まさか皇族に謀反を起こそうとする貴族がいたなんて!」
どうも、狛乃神は昨晩の事情を細かく理解している訳ではないらしい。
甲が自害させられた意味も能く解っていないのだろう。
「どうも六摂家当主の皆様方、拉致被害者が叛逆者に加担していたと思い込まされていたようですわね」
「あー、でもそれって甲の法螺だったんでしょ?」
「うーん、果たして本当にそうだったのでしょうかね?」
貴龍院は真顔になり、意味深な眼で狛乃神を見詰めていた。
「何々? どういうこと?」
「大した事では御座いません、狛乃神殿下。所詮は根拠の無い私の勘です。しかし、気になってしまうのですよねえ……。拉致被害者の方々、妙に皇族方と急接近しすぎではないか、と……」
どうやら貴龍院が言いたいのは、岬守航や麗真魅琴が龍乃神や獅乃神に近付くことは好ましくない、ということらしい。
狛乃神は困惑した様な表情を浮かべている。
「ああ、申し訳御座いません殿下。先程も申しましたとおり、根拠の無い勘で御座います。昨日の様なことがあると、私としても色々と疑り深くなってしまいまして……」
「もう、人騒がせだなあ貴龍院は……」
二人は不穏な空気を吹き飛ばそうとわざとらしく笑い合った。
「そうそう、拉致被害者が皇族に近付いているといえば、麒乃神殿下から一つ賜り物が御座いましたわ」
「え? 麒姉様が? 貴龍院に? それが拉致被害者と何の関係が?」
貴龍院は懐から何やら黒い塊を取り出した。
「……何それ?」
「口紅……の様ですわ」
「珍しいじゃん。麒姉様がそんなものを女に贈るなんて」
「勿論、本来ならば大変、この上なく喜ばしいことなのですが、困ったことにこの口紅、使用済みなのですよ」
「え? それはいくら麒姉様でも……失礼じゃない?」
「あの御方は、寧ろ皇族の使用済みであれば尚のこと悦ばしいだろうとお考えなのでしょう」
貴龍院は溜息を吐いた。
「ですがどうも話を聞いていると、本来は昨夜自邸に招かれた拉致被害者の一人に贈るつもりだったそうですわ」
「マジ? 麒姉様とそんな関係に?」
「ですから、私の為に選ばれたものではないようなのです。私に似合う色味のものではありませんし……」
狛乃神は貴龍院の顔をじっと見詰めていた。
相手の眼は、何かを訴えかけている。
「……良かったら寝る前にひとっ走り行ってあげよっか? 麒姉様としても、本来贈りたかった相手に届いた方が嬉しいだろうし」
「おやまあ、皇族ともあろう御方にそのようなことを……」
「良いって良いって。私様と貴龍院の仲じゃん」
「そう言っていただけるなら、御言葉に甘えましょうか……」
狛乃神は貴龍院から口紅を受け取ると、笑顔で手を振って待合室を出て行った。
⦿⦿⦿
再び時を戻し、空に虎駕憲進の面談が映し出された直後のことである。
面談相手だった能條緋月首相は、官邸執務室の机で怒りをその眼に湛え、頭を抱えていた。
対面には彼女の秘書・推城朔馬がその長身を真直ぐ伸ばして立っている。
「どういうつもりだ、推城?」
「なんのことでしょう?」
「恍けるな。私と虎駕殿の面談を隠し撮り出来る人間は極めて限られる。明治日本の拉致被害者と、彼らを迎えに来た二人の閣僚、外務省の総源、それからお前だ。官邸に居た人間に絞ってもこれだけしか居ない」
「成程、その中で怪しいのは私だけだと……」
今能條が挙げた中で、日本国政府の根尾弓矢と白檀揚羽、皇國内閣の小木曽文章と都築廉太郎は別室で打ち合わせをしており、盗撮の余裕は無い。
拉致被害者にはそのようなことをする動機が無い。
残るは総源量子と推城朔馬だが、晒し上げられた二回目の面談時、総源はずっと能條と虎駕の脇に控えていた。
つまり、映像の入手と加工が行えるのは推城のみである。
「まあ、隠す意味もありませんな。御明察です、能條閣下」
「推城、私の質問は『一体何の目的でこの様な真似をしたか』だ」
鋭い眼で詰問する能條だが、推城は不貞不貞しい笑みを浮かべている。
「知れたこと。皇國と明治日本の間に戦争を起こしたいからですよ」
「あんな陳腐な映像でか?」
能條はわざとらしく鼻で笑った。
「人工知能生成を使うならば、もう少し指令文を詳しく組むべきだったな」
「別に、あれを真実と信じさせるのが狙いではありませんよ。明治日本の政府には、貴女が慎重派だと知っている人間もそれなりに居る。しかし、あの映像を見た彼らはこう思うでしょう」
推城は歪んだ笑みを浮かべる。
「『皇國は我々にとって思い出したくもない先の大戦の惨劇を出汁にして挑発してきた』『出来の悪い人工知能生成の映像を使い、仕掛ける理由などいくらでもひねり出せると恫喝してきた』『慎重派の能條は舐められており、首相の座も安泰ではなさそうだ』『であるならば、皇國はやはり危険だ』とね。つまり、明治日本の皇國に対する国民感情は間違い無く悪化する……」
能條は眉間に皺を寄せて推城を睨んでいた。
「そういうことか。確かに、明治日本の国民感情が致命的に悪化すれば、皇國としては武力による吸収に出ざるを得なくなると、そう言った覚えがあるな……」
「お解り頂けましたか」
「お前は私の命で甲卿の許へ密偵として近付いた。だが、私に近付いたこと自体が主戦派の差し金だったということか。今考えれば、甲卿を裏切る人間が私を裏切ることを躊躇う訳も無いな」
「まあ、そういうことにしておきましょう」
推城は小型の拳銃を懐から取り出し、能條の心臓に銃口を向けた。
「私を殺すつもりか」
「ええ。能條閣下がこの程度で観念するとは思えません。首相の座にしがみ付かれても面倒ですからね」
「私が死ねば戦争を起こせるとでも?」
「貴女に不測の事態が起きた時、首相に就任するのは副総理内務大臣の小木曽閣下です。彼は隠れ主戦派ですよ。御存知ありませんでしたか?」
能條は顔を顰めた。
「そんな玩具で私を殺せると思っているのか!」
「殺せるとは思えない銃だからこそ良いのですよ」
推城は右手で銃を構えつつ、左手の親指と人差し指で輪を作ってそこから能條を片目で覗いた。
突如、奇っ怪な行動に出た推城の様子に能條は怪訝そうに首を傾げたが、次の瞬間、彼女は胸を押さえて苦しみ始めた。
「能條閣下、貴女に恨みは無い。世話になったし、個人的には好感の持てる女だったと思っている。だが、我々の大願の為には死んでもらわねばならん」
暫くすると能條は体の力を失い、背凭れにだらりと寄り掛かった。
顔から生気が失われ、明らかに絶命していた。
推城はそんな能條の死体に拳銃を握らせると、胸に銃口を押し当てて心臓を撃ち抜かせた。
「貴女は戦争が避けられなくなったという失政に絶望して自殺するのです、閣下……」
能條緋月――皇國がこの世界に顕現して以来、六年に亘ってその顔として世界を脅かしてきた女は、実に呆気ない最期を遂げた。