日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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幕間八『二つの朝廷』

 皇宮の正門から宮殿へ向かう途上に鉄橋が架かっている。

 そこを皇族とその侍従・侍女達が歩いて渡っていた。

 十八歳に達していない末娘の第三皇女・狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)以外、五人の皇族達はそれぞれの邸宅に暮らしており、夕食会も終わったので戻ろうとしていたのだ。

 

 例の映像が夜空に映し出されたのは、まさにそんなタイミングだった。

 映像が終わり、第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)と第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)は驚(きよう)愕(がく)に目を見開いたまま天を仰いでいた。

 

「何なんだ、今の映像は……!」

「能(のう)條(じよう)は嵌(は)められたのか……」

 

 この二人は皇族の中でも日本国への武力行使に強く反対する穏健派である。

 対して、力による征服を辞さない強硬派もまた共に並び歩いていた。

 

「これはまた随分と意外な展開ですね」

「姉様……!」

 

 第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)もまた立ち止まり、何を思ってか空を見上げていた。

 彼女の脇には第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)も並んでいる。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は彼女の動きを警戒していた。

 そんな妹を差し置き、麒(き)乃(の)神(かみ)はもう一人の弟に声をかける。

 

「那(な)智(ち)」

「はい、姉様」

「近く招集があるかも知れません。今の内に準備を進めておきなさい」

「出兵の準備なら日々進めていますよ、姉様」

 

 もう一人の強硬派である第二皇子・鯱(しやち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)は軍人である。

 その彼に、貴族院議員でもある第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)が招集を仄(ほの)めかす。

 明らかに不穏な意味を孕(はら)んだ行いだ。

 

「姉様、どういうことですか!」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は姉の背中越しに問い詰めた。

 

「今の映像、明らかに捏(でつ)造(ぞう)でしょう。しかし、私(わたくし)達政治家にとって重要なのは、あの映像を出した者の政治的意図、そして利用価値です。能(のう)條(じよう)が開戦に慎重であったのは周知の事実。であるならば、今起きたことが彼女にとって負の材料となるのは間違いありません。近い内に政局が起こり、政界が一気に主戦論へと傾くことが予測されます」

「まさか、開戦なさるおつもりですか……!」

「それは私(わたくし)が決めることではありません」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は麒(き)乃(の)神(かみ)の物言いが気に食わなかった。

 強硬的な姉はこの状況を面白がっているのではないか、そう思っていた。

 しかし、どうもそう単純ではないらしい。

 

「しかし、気に入りませんね……」

「どういうことだ、姉上?」

 

 第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)もまた、妹と同じ言葉で姉に尋ねた。

 

「このやり方、恰(あたか)も能(のう)條(じよう)の首を挿(す)げ替(か)え、主戦派に発破を掛けている様ではありませんか。皇(こう)國(こく)を恣(ほしいまま)に操ろうという意図が透けて見えます。何やら不届きなる者が背後で蠢(うごめ)いているようですね……」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は弟・獅(し)乃(の)神(かみ)の方へ目を遣った。

 その視線は巨躯に遮られた先に向かっているようにも見える。

 即(すなわ)ち、脇に控える皇太子の近衛侍女・貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)である。

 その貴(き)龍(りゆう)院(いん)はそれに気付く様子は無く、ただ獅(し)乃(の)神(かみ)に付いて歩いていた。

 

「まあ良いでしょう。どの道この後のことを決めるのは内閣です。開戦するか、それとも尚(なお)先延ばしにし続けるのか……。何(いず)れにせよ、私(わたくし)の仕事は皇(こう)國(こく)の行く道を舗装し整えることです。私(わたくし)はこれから、議員会館へと向かいます。では、おやすみなさい」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)はその場から忽(こつ)然(ぜん)と姿を消した。

 

「では私(わたし)も邸宅に戻り、招集に備えるとしよう。水(み)徒(と)端(はた)、君(きみ)も例のあれを準備しておけ」

「畏(かしこ)まりました」

 

 鯱(しやち)乃(の)神(かみ)は足早に先へ行き、彼の新しい侍女である水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)もやや駆け足で付いて行った。

 

「くっ、このまま開戦などさせるか……!」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の表情に焦りが滲(にじ)む。

 

「賢(けん)智(ち)、力を貸してくれ。内閣や姉様を止めないと……!」

「止める? 龍(たつ)姉(ねえ)様(さま)、本当は解(わか)っているんでしょう?」

 

 第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)は姉の言葉に溜息で応えた。

 

「麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)も鯱(しやち)兄(にい)様(さま)も、当然予感している筈(はず)だ。だからこそ、確定したかの様に動いている。それが解らない龍(たつ)姉(ねえ)様(さま)でもないでしょう。残念ながらもう、戦争は不可避なんだよ」

「だからって、このまま流れに任せて良い筈が無い。君(きみ)の方こそ解っているだろう」

「貴女(あなた)はいつもそうだね……」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)はうんざりとした表情で姉から顔を背けた。

 

「僕(ぼく)はほとほと嫌気が差したよ。甲(きのえ)といい能(のう)條(じよう)といい麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)といい、政治家は身内の権力抗争しか考えていない。それで外部の言うことを聞かず、他国を踏(ふ)み潰(つぶ)す安易な選択をして憚(はばか)らない」

「賢(けん)智(ち)、だからこそ妾(わらわ)達がなんとかしないと……!」

「皇族は本来、政治に関わるべきではないんだよ。それでなくても、僕(ぼく)はもう世の中のこととは距離を置きたい。疲れたからもう休むよ……」

「賢(けん)智(ち)……!」

 

 引き留めようとする龍(たつ)乃(の)神(かみ)を振り切る様に、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)はその場から忽然と姿を消した。

 

「くっ……! 諦めてなるものか……!」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は悔しさに奥歯を噛(か)み締(し)めた。

 とその時、彼女の前方で兄・獅(し)乃(の)神(かみ)に付いていた貴(き)龍(りゆう)院(いん)の電話が鳴った。

 

「もしもし。どうかしたの、灰(かい)祇(ぎ)院(いん)君?」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)の口から出た名前に、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は息を呑(の)んで目を瞠(みは)った。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は構わず話を続ける。

 

「……色々と大変そうじゃない。取(と)り敢(あ)えず、貴方(あなた)の主に引き継いだ方が良さそうね」

 

 どうやら、龍(たつ)乃(の)神(かみ)が夕食会の客人だった麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)を送り届けに出した侍従・灰(かい)祇(ぎ)院(いん)在(あり)清(きよ)に何かあったらしい。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は電話を切ると、龍(たつ)乃(の)神(かみ)の方へ振り返った。

 

「畏れながら龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下、たった今灰(かい)祇(ぎ)院(いん)君から連絡が入りましたわ。場所をお伝えしますので、お迎えに行かれた方が宜(よろ)しいかと……」

「どういうことだ?」

「何やら色々と緊急の事態が立て続けに起こった様で御座いますわ。取分け重要なのは、その中で彼が不覚を取り動けない、ということです」

「何だと……!?」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は驚きを隠せなかった。

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)の力は龍(たつ)乃(の)神(かみ)も能(よ)く知っている。

 そう簡単にやられたとは、俄(にわ)かには信じ難(がた)かった。

 

「それが事実だとして、何故妾(わらわ)に直接連絡してこない?」

「さあ? 気(き)障(ざ)な彼のことですから失態を主に直接伝えるのが恥ずかしいのでしょうか……?」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)はどうにも腑(ふ)に落ちず、眉を顰(しか)めた。

 

(それはおかしい。灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が気位の高い男だとは重々承知だが、妾(わらわ)への忠義は確かな筈。妾(わらわ)に筋を通すよりもつまらぬ誇りを取るとは考えられない。何か他に理由があるのか……?)

 

 疑問は残ったものの、それは灰(かい)祇(ぎ)院(いん)に直接問うべきだろうか。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は貴(き)龍(りゆう)院(いん)から詳細な場所を聞き、現場へ向かうべくその場から姿を消した。

 

 鉄橋にはただ二人、獅(し)乃(の)神(かみ)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)だけが残されていた。

 

「灰(かい)祇(ぎ)院(いん)君、貴方(あなた)の意図は解っているわぁ……。それにしても、まさか彼が事をし損じるとはね……」

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)、今の電話に何か思う処(ところ)があるのか?」

「ええ、少し気になることが。しかし、些(さ)細(さい)なことですし私(あたくし)の思い過ごしかと……」

「そうか。ならば何も問うまい」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は特に気にしないのか、それ以上貴(き)龍(りゆう)院(いん)を問い詰めることは無かった。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は一人、意味深に北(ほく)叟(そ)笑(え)んでいた。

 

「それにしても、縁談の話が一旦頓挫したのは、詮(せん)方(かた)無きこととはいえやや不完全燃焼だな。少し飲み直すか」

「畏まりましたわ、獅(し)乃(の)神(かみ)殿下」

「折(せつ)角(かく)だ、敷(しき)島(しま)のことも呼ぼうではないか」

「……承知しました。連絡しておきましょう」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)の表情から笑みが消えた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

  首相官邸から出た前総理大臣秘書・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)は独り夜空を見上げていた。

 

「愈(いよ)々(いよ)、か……」

 

 風がざわめき、揺れる木の葉が激動の訪れに怯(おび)えているかの様だ。

 そんな情景に、武士の様な出(い)で立(た)ちの偉丈夫は何を思うのだろうか。

 

「あな懐かしや。二つの朝廷、互いの存続を懸けし争い……」

 

 そんな彼の背後に、二人の男が姿を顕(あらわ)した。

 軍服の老翁と、朝服の少年である。

 

「こんな場所で黄(た)昏(そが)れてどうしたんだい、推(つき)城(しろ)?」

「此(こ)方(ちら)の仕事は概(おおむ)ね済ませましたぞ」

「お前達か……」

 

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)に、猫面の老翁である。

 この三人は日本と皇(こう)國(こく)の裏で陰謀を巡らせ、蠢いていた。

 

「しかし、君(きみ)がよく、苟且(かりそめ)とはいえ自分の主君を貶(おとし)める様な策に乗ったね」

「儂(わし)が言い出したことですが、少々驚きましたぞ」

「何を言う。私(わたし)に言わせれば、故あらば主君を鞍(くら)替(が)えするなど珍しくともなんともない。たった一人に忠義を尽くし、最(さい)期(ご)まで仕える方が奇特過ぎるのだ……」

 

 推(つき)城(しろ)は両目を閉じた。

 その胸中に何かを巡らせているようにも見える。

 しかしそれは誰にも、本人にすら十全に理解し得ない思いだろう。

 

「そんなことを言って、君(きみ)はもう何百年もたった一人への忠義を胸にここまで来たじゃないか」

「その様ですな。儂(わし)には計り知れぬところではありますが」

「それは……そうか。確かに、裏切りに何も思わぬという訳でもない。だが、お前達のいう一人への忠義が私(わたし)の心を一つの意思に黒く塗(ぬ)り潰(つぶ)すのだ」

 

 推(つき)城(しろ)は再び両目を開いた。

 

「我らが歩み続けたるは冥府魔道と百も承知よ。今更揺れはせん」

「成程、儂(わし)などとは年季が違いますな」

「何を言っているんだい。生きた時代は違えども、僕(ぼく)達が秘めた胸の傷、恨みの向きは皆同じじゃないか」

「八(や)社(おと)女(め)の言うとおりだ」

 

 三人は並び立ち、一様に空を睨(にら)んだ。

 

「持(じ)國(こく)天(てん)よ、貴様の御(お)陰(かげ)で我らの樂(らく)園(えん)へ大きく近付いた。盟に加わりしこと、感謝しておる」

「光栄の至りです、多(た)聞(もん)天(てん)様」

「広(こう)目(もく)天(てん)の御(お)媛(ひめ)様(さま)も喜んでいるよ」

「幸甚ですな、増(ぞう)長(じょう)天(てん)様」

 

 三人が見上げる先に、雲が急速に集まって紅(あか)い月へと渦を伸ばしている。

 それはまるで、闇の底へと世界を巻き込み吸い込まれていく様に。

 

「我が父(ふ)君(くん)を貶め盟約に背きし忘恩の統よ、心大いに延ばし亡(ほろ)びの刻(とき)を待つが良い……」

 

 長い長い夜が、様々な思惑を包み込み、更けていく。

 日本と皇(こう)國(こく)――二つの皇統を、天(あま)日(のひ)嗣(つぎ)・三種の神(じん)器(ぎ)を巡る争いへと誘いながら……。

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