日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

162 / 399
第五十話『麗真魅琴』 破

 当初思っていたより学校は楽しかった。

 表向き、私(わたし)は極普通の女の子になっていったと自負している。

 ただ、転校初日にしでかしたことは結構長く尾を引いた。

 そんな中、終始航(わたる)は私(わたし)と仲良くしてくれた。

 

 好都合だった。

 

 私(わたし)にとって、航(わたる)は格好の玩具(おもちや)。

 彼と一緒に過ごすことは、有りと有らゆることで幾度と無く彼を負かす遊戯。

 そうして彼のことをじわじわと壊していく。

 私(わたし)にはそれが堪(たま)らなく楽しかった。

 

 けれどもどういう訳か、こんな私(わたし)の仕打ちにも拘(かか)わらず、彼もまた満更でもない様子を見せるようになった。

 妙なことになってきた。

 自分が壊されていることに気付いていないのだろうか?

 

 尚(なお)、物理的に人間を壊す遊戯をやめたわけではない。

 祖父は相変わらず変な人達と関わりがあったようで、壊す相手には困らなかった。

 ただ少しずつ、煩わしくなってきていた。

 好きな料理が沢山出来た今となっては、昔は一番好きだった料理でも、何なら今でも好物ではあるけれども、毎日食べていると辟(へき)易(えき)してしまう――喩(たと)えるならばそんなところだろうか。

 

 私(わたし)は次第に、航(わたる)と共に過ごす時間そのものが好きになっていた。

 それはまるで家族のことを無条件で愛していたように。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 小学校も高学年になって、航(わたる)の様子に変化があったことに気が付いた。

 私(わたし)と遊んでいても浮かない顔をすることが多くなったのだ。

 初め、私(わたし)はとうとう壊れてきたのかと思った。

 平気な顔をしてはいたものの、じわじわとダメージが溜(た)まっていたのかと、そう思った。

 

 人間を壊す上で楽しいのは、壊す前・壊す途中・壊れかけ・壊れた姿と、段階的に移ろう変化が人によって様々なことだ。

 その違い――苦しみ方、悔しがり方、怒り、悲しみ、絶望の千差万別を愉(たの)しむのだ。

 当然、私(わたし)は航(わたる)に変化の兆候が現れたら心が躍るものだとばかり思っていた。

 

 しかしどういう訳か、航(わたる)の塞(ふさ)ぎ込(こ)んだ様子が私(わたし)には面白くなかった。

 話をよくよく聞いてみると、どうやら航(わたる)は唯一の家族である母親とトラブルがあり、不仲になってしまったらしい。

 同時期、御(お)母(かあ)様(さま)が殆(ほとん)ど家族と接点を持たなくなっていた私(わたし)は、父の体調が悪化していたこともあって、身につまされた。

 獲物を横取りされている気分になった。

 

 私(わたし)は航(わたる)の心を守ることにした。

 家族が冷たくなったなら、新しく温かい家族を与えてあげれば良い。

 序(つい)でに、家事能力の差も思い知らせてあげよう。

 航(わたる)のことを、他の誰にも手が出せないようにして囲いつつ、引き続きゆっくりと壊して遊ぶのだ。

 

 けれども、やはり航(わたる)は嬉(うれ)しそうだった。

 何故(なぜ)だろう、私(わたし)は何かやり方を間違えているのか。

 航(わたる)の様子が違う意味でおかしい。

 もしかすると航(わたる)は、私(わたし)のことを好きになったのか。

 

 失敗だった。

 私(わたし)は家族が好きだ。

 だったら、航(わたる)を私(わたし)の家族にすれば航(わたる)が私(わたし)を好きになっても何らおかしくはない。

 

 だがよく考えてみると、どうして私(わたし)は航(わたる)にこれ程拘(こだわ)るのだろうか。

 別に、人間を物理的にではなく精神的に時間を掛けて壊したいのならば、航(わたる)以外にも相手は居るだろう。

 航(わたる)の心が弱っていたとき、思っていた程面白い気分でなかったのは、本当に獲物を横取りされそうだったからなのか。

 

 そう考えた時、私(わたし)は気付いてしまった。

 私(わたし)にとって航(わたる)は、とっくに家族と同じ枠に入っていたのだ。

 もう随分前から、私(わたし)の方が航(わたる)を好きになっていたのだ。

 

 航(わたる)は輝きに満ちた世界を色々と教えてくれる兄の様でもあったし、残酷な世界から何かと守ってあげたい弟の様でもあった。

 或(あ)る時は格好良くて素敵な人。

 また或る時は情けなくて可(か)愛(わい)い人。

 

 その本心に気付いてから、世界は一気に彩度を増した。

 巡る季節の色めく鮮やかさを知った。

 もう人間を壊すことが私(わたし)の全てではない。

 私(わたし)はこのとき漸(ようや)く邪悪な獣(けだもの)を脱却し、一人の人間の少女になった。

 

 またこの頃から私(わたし)の視界は大きく拡(ひろ)がった。

 航(わたる)だけでなく、その周りに居る友達も見えるようになった。

 

 虎(こ)駕(が)君を始め、航(わたる)以外の人達にもそれぞれの事情を抱えている。

 この世には多くの善良な好ましい人達が居て、その人達にも千差万別に大切な物が、譲れない思いが、愛する人達が居るのだ。

 

 私(わたし)の中で、御(お)父(とう)様(さま)と御(お)爺(じい)様(さま)の言葉が結び付いた。

 人間は美しいものだ。

 日本は美しい国だ。

 この世界は掛け替えのないものだ。

 

 善き人々は無(む)闇(やみ)矢(や)鱈(たら)と壊すものではない。

 とても壊れやすく脆(もろ)いからこそ、守るべきものだ。

 自分の手で壊す為(ため)ではなく、この愛(いと)おしい者達が永く継続していくように。

 

 思えばこの時の日々が一番眩(まぶ)しかったかも知れない。

 航(わたる)は私(わたし)のことが好き、私(わたし)も航(わたる)のことが好き。

 それはとても嬉しくて幸せで、けれどもほんの少し怖くて切なくて……。

 だって航(わたる)は私(わたし)を普通に――少しだけ発露の仕方が歪(ゆが)んでいた様な気はするけれども――健全な中学生男子の恋愛感情を持っていたのに対し、私(わたし)の中には依然として邪悪な異常性が潜んでいたのだから。

 

 私(わたし)達はお互い、関係を深めることに臆病だったのかも知れない。

 そしてもう一つ、私(わたし)達の関係に一つの影が迫っていた。

 もう一人の壊れやすく脆い大切な人に、終(しゆう)焉(えん)の時が近付いていたのだ。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 白状すると、どこかで目を背けていた。

 御父様の体調が悪化していることは分かっていた筈(はず)なのに……。

 航(わたる)が家に来るようになってから、暫(しばら)くは快復した様に思えたのも良くなかった。

 海釣りに出掛けたあたりがピークだったと思う。

 

 高校受験が終わった頃から、御父様はまた急激に悪くなった。

 私(わたし)は御父様がもう長くないのだと理解してしまった。

 以前から、私(わたし)には人体について人並み外れた察しの良さがあった。

 御父様の体調の変化を察知したのはいつも私(わたし)が最初だった。

 

 私(わたし)は中学生ながら、汎(あら)ゆる手を尽くして御父様を延命しようと考えた。

 でも、何が出来る筈も無かった。

 私(わたし)はただ、少しでも評判の良い医者を探して藁(わら)にも縋(すが)る思いで託す他無かった。

 麗真家が金を持っているせいか、医者以外に妙な連中が群がってきたのはかなり煩わしかった。

 

 そして卒業を目前に控えた時期、御父様は逝った。

 私(わたし)は初めて人の死に立ち会った。

 身近で世話になった大切な人を喪(うしな)うという、思春期にありふれた傷を負った。

 

 家族と葬式の準備をする中、私(わたし)は考えていた。

 世の中には自分の力ではどうにもならないことがあるのだ。

 ただ与えられた結果を受(う)け容(い)れ、平(ひれ)伏(ふ)すしかない絶対的な宿命力とでもいうべきものが。

 御爺様が再三言っていたことがなんとなく解(わか)った気がした。

 

 私(わたし)はどうすれば良かったのだろう。

 御父様に生きて欲しいという私(わたし)の願いは無意味で、滑稽なものだったのだろうか。

 でも、最(さい)期(ご)の会話で御父様は私(わたし)に「幸せだった」と言ってくれた。

 私(わたし)の頑張りに「ありがとう」と言ってくれた。

 

 そんなことを伝えられても、貴方(あなた)はもう居ないではないか。

 悲しみが増すだけではないか。

 そんな私(わたし)に寄り添ってくれたのは、両親に悪魔と忌み嫌われていた御爺様だった。

 

『お前にも解った筈じゃ』

『何がですか?』

『お前が云(い)う、絶対的な宿命力を唯(い)々(い)諾(だく)々(だく)と受け容れる……ことなど、そう易(やす)々(やす)と人には出来ん』

『はい……』

『お前は受け容れなかった。運命を変えようとして、そして打ちのめされた』

『そうは云っても、何も出来ませんでした』

『それで良い。重要なのは抵抗の意思を示したこと。それで変わったものが本当に何も無いなどということはあり得ぬ。少なくとも、魅(み)弦(つる)の最期は変わったと、儂(わし)は信じておる』

『……そうでしょうか?』

『お前は何も感じんかったか?』

『……いいえ』

 

 御爺様が私(わたし)に伝えたかったこと、今ならはっきり解る。

 同時に、それは御父様や御母様が私(わたし)を御爺様から遠ざけようとした理由なのだ。

 御爺様は私(わたし)に自らの悲願を託そうとしていた。

 その為に、自分と同様の相(ふ)応(さわ)しい心構えを教えたかったのだ。

 

 国家の為に人生を尽くし、国家の為に絶望的な抵抗に身を投じ、国家の為に命を投げ出す心構えを……。

 とどのつまり、御爺様は私(わたし)を洗脳したかったのだ。

 

『儂(わし)に見えているもの、お前にも解るな?』

『はい……。皇(こう)國(こく)は……神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)は……本当に来るのでしょうか……』

『来ないなら、それに越したことはない。来たとして、お前に戦う意思が無ければどうにもならん。戦う意思があればどうにかなるとは、口が裂けても言えんが……』

『そう……ですか……』

『皇(こう)國(こく)の力は、神(じん)皇(のう)の力は絶望的な宿命力にも近いかも知れん……』

『では……』

 

 次に御爺様は珍しいことを言った。

 私(わたし)は耳を疑った。

 

『嫌ならば戦わずとも良い』

『え?』

『抵抗の確固たる意思が無ければ戦えん相手に、嫌々向かわせてもむざむざお前を死なせるだけじゃ。儂(わし)とて、出来れば可愛い孫娘にその様な真(ま)似(ね)はさせとうない』

『御爺様……』

『魅(み)琴(こと)よ、こういう言い方は全く以(もつ)て不本意じゃが、儂(わし)の命あるうちに伝えられて良かった。今までお前は一切の挫折を知らんかった。そんなお前に、皇(こう)國(こく)との戦いから身を引くという選択肢を与えても理解出来んかったじゃろう。四(よ)方(も)や息子の死が切(きっ)掛(かけ)になろうとはな……。そこだけは全く以て不本意じゃが……』

 

 御父様の死因は崇(す)神(じん)會(かい)の人(ひと)伝(づて)に聞いた。

 御爺様は自分の娘と息子に皇(こう)國(こく)と戦う為の過酷な訓練を施そうとした。

 しかしそのやり方は手探りの稚拙なものだった。

 結果、娘である魅(み)弓(ゆみ)伯(お)母(ば)様(さま)は逐電し、息子である御父様は身体を壊したのだと云う。

 

『御爺様、命あるうちに、ということはやはり……』

『流(さ)石(すが)じゃ、察しておったか。その通り、儂(わし)とて長くはない。すぐに儂(わし)もこの世を去るじゃろう。魅(み)弦(つる)と顔を合わせて謝ることは出来んじゃろうが……』

 

 私(わたし)は考えた。

 もし私(わたし)が戦わなければどうなるのだろう。

 御爺様の云うとおり、挫折を知った私(わたし)は初めて負けることを意識した。

 もし私(わたし)が戦わず、或(ある)いは負けて、皇(こう)國(こく)が日本を好き放題にしてしまったら?

 

 答えは出なかった。

 しかし、考えたくないという想(おも)いが脳(のう)裡(り)に過(よぎ)った。

 私(わたし)の周囲には、まだ喪いたくない、守りたい人達が居たからだろう。

 

 私(わたし)は自分の運命について、生と死について考えるようになった。

 何の為に生まれ、何の為に生きるべきなのか。

 神社巡りをするようになったのは、そんな問いの答えを求めたからかも知れない。

 いつの間にか御爺様の思想に毒されていた私(わたし)は、御爺様の深層と根源に何かを見(みい)出(だ)そうとしたのかも知れない。

 

 日が経(た)つにつれ、私(わたし)の心と体に使命と愛着が馴(な)染(じ)んでいくような気がした。

 此(こ)処(こ)は、大切な人と共に生きた社会は、風俗は、文化は、紛(まぐ)れも無く私(わたし)の故郷だ。

 咀(そ)嚼(しやく)された毒が血肉に変わっていった。

 それでも、答えを出すのは年の瀬まで待たなければならなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。