日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第五十一話『神皇』 序

 月明かりが夜の大都会を照らしている。

 (いま)だ人の気配が絶えない大通りを避けるように、第三皇女・(こま)()(かみ)(らん)()は人目を忍んで裏道をフラフラと(さま)()(ある)いている。

 

「あり得ない……。この(わたし)(さま)が……」

 

 彼女は今、自分の足で人並みに歩くことしか出来ない。

 (うる)()()(こと)(たた)きのめされたことで、無尽蔵に思われた皇族の(しん)()が尽きてしまったのだ。

 通常であれば、(しん)()が回復するまでには(しばら)く安静にしていれば充分だ。

 しかし、彼女の場合はそうも行かない。

 

 (こま)()(かみ)(らん)()を含め、皇族は全員が生まれながらに(しん)()の使い手である。

 こういう者達は自己の在り方そのものが内なる神と同化している(ため)(しん)()の覚醒度が極めて深く、より強大且つ自在に力を行使することが出来る。

 反面、(しん)()を失う程の敗北を喫した場合、それだけ自己の存在そのものへの毀損が激しくなってしまう。

 生まれながらの(しん)()使いは、失った(しん)()の回復に通常の比ではない程の時間――(いな)、期間を要してしまうのだ。

 

「あの女……よくも(わたし)(さま)をこんな目に……」

 

 (こま)()(かみ)(らん)()は当分の間(しん)()を使うことが出来ない。

 それは彼女にとって完全に不測の事態だった。

 皇族が瞬間的に離れた場所に姿を(あらわ)すことが出来るのは、(しん)()()って巨大な力を発揮して超高速で移動出来る為だ。

 その力の(より)(どころ)を失った今、彼女は傷付いた体を()()るように夜の路地裏を歩いているという訳だ。

 

 乱れたギャルファッションを(さら)し、屈辱に表情が(ゆが)む。

 普段ならば一瞬で移動出来る(みち)(のり)が果てしなく遠い。

 しかし、(こま)()(かみ)は迎えを呼ぶことが出来ない。

 恥や外聞以前に、この外出に彼女は電話端末を持って来ていなかった。

 

 このような失態、父や兄姉の耳に入ったらどのような叱責を受けるだろうか。

 無断で外出した上、勝手に(めい)()(ひの)(もと)の民を虐殺しようとし、挙げ句に()()く敗北してこの様だ。

 叱責では済まず、皇族としての立場を脅かされるような重い罰を受けるかも知れない。

 

(場合によっては(とう)(えい)(がん)を飲まされた上で()()かの下級貴族との縁談を進められちゃうかも知れないじゃん。最悪……)

 

 生まれついての(しん)()の使い手が(しん)()を失った場合、他の者達と同様に(とう)(えい)(がん)を服用することで再び(しん)()を身に付けることが出来る。

 但し一度でも(とう)(えい)(がん)を飲んでしまうと、以降は他の者達同様に二十八日以内に再服用しなければ(しん)()を維持出来なくなるのだ。

 

 (しん)()の大きさ自体が服用前後で変化する訳ではないが、(こま)()(かみ)にとってそれは皇族として完全性を失うことを意味していた。

 その認識は他の兄姉も大差無いだろう。

 つまり(こま)()(かみ)が危惧しているのは、そのような処遇を課されて皇族から()()てられてしまうことだ。

 そうなれば、縁談も皇族が嫁入りするに()(さわ)しい格の家ではなく、爵位の低い華族家になる――事実上の追放処分になることも充分あり得る。

 

(かば)ってくれるとしたら(しし)(にい)(さま)(みずち)(にい)(さま)かな……。(きりん)(ねえ)(さま)の目は厳しいだろうし、(しゃち)(にい)(さま)は今までの態度を憎々しく思ってるかも。(たつ)(ねえ)(さま)は普段なら味方してくれるだろうけれど、あいつらのこと匿ってた張本人だからな……。三対二かあ……()(もう)(さま)、許してくれるかな……)

 

 (こま)()(かみ)(あん)(たん)たる気分を振り切ろうとして首を振った。

 だがそんな彼女の前に、背の高いフリル付きの衣装を着た人影が現れた。

 

「まさか本当に皇族がこんな()(ざま)な姿を(さら)しているなんて……。首領補佐の(おつしや)っていたことは本当だったのね……」

 

 鼻に掛かったハスキーボイス――その声に(こま)()(かみ)は違和感を覚えた。

 ()く見ると、目の前に居るのは女装した男だ。

 その不穏な物言いに、(こま)()(かみ)は思わず(あと)退(ずさ)った。

 

「だ、誰?」

「初めまして、(こま)()(かみ)殿下。(あたし)()(そう)(せん)(たい)(おおかみ)()(きば)の最高幹部である(はつ)()(しゆう)が一人・()()(いつき)といいます」

(おおかみ)()(きば)!?」

 

 (こま)()(かみ)(あお)()めた。

 普段ならばいざ知らず、(しん)()を失った状態で(はん)(ぎやく)者に出会ってしまうなど、想定を(はる)かに超えて最悪の事態である。

 (ちな)みに(こま)()(かみ)は知らないことだが、この()()(いつき)は既に(ろく)(せつ)()当主の一人・(たか)(つがい)(よる)(あき)を殺害している。

 

「ど、どうしてよりにもよってこんな時に……?」

(あたし)(じゆつ)(しき)(しん)()把巣家把背体下(パスカパセティカ)』の能力は、狙いを定めた相手の近辺へと一瞬で移動すること。対象のことは鮮明にイメージする必要がありますが、(こう)(こく)で皇族の顔が曖昧な人間は居ませんからね」

 

 ()()は話しながら、自らのスカートの裏からスタンガンを取り出した。

 

「ヒッ……!?」

「加えて、首領補佐から貴女(あなた)が敗北したとの報を受けたので、喜んで()(さん)じたという訳ですよ。情報の出所は知りませんけどね。貴女(あなた)達皇族は(じゆつ)(しき)(しん)()()めているようですが、弱みを見せたが(さい)()(あたし)がそれを逃しはしません」

 

 スタンガンのスイッチを細かくオンオフする様を見せ付けながら、()()(こま)()(かみ)にゆっくりと迫る。

 

「さあ殿下、零落のお時間です。()ちる覚悟は(よろ)しいですか?」

「や、やめろ!!」

 

 (こま)()(かみ)は恐怖から叫んだ。

 

「待て! 無礼は許さないから! (わたし)(さま)に手を出したら(ただ)じゃ済まないぞ!」

「唯じゃ済まない? 叛逆者なんだから、元々そういう立場なんですけどね」

「やめろ! 来るな!!」

 

 (こま)()(かみ)の命令など一顧だにされる(はず)も無く、一瞬で間合いを詰めた()()はスタンガンを彼女の身体に押し当てた。

 (こま)()(かみ)は敢え無く再び失神し、その体を叛逆者・()()(いつき)に預けてしまった。

 

「生まれ付きの(しん)()使いね……。暫く安静にしていないと(しん)()の喪失から復活出来ないらしいじゃない。でも、今から貴女(あなた)(あたし)達の大切な交渉道具、(すなわ)ち人質。(しん)()はずっと失ったままで居て(もら)わなきゃ困るのよね……」

 

 (こま)()(かみ)の身体を抱え、()()は不気味で下卑た笑みを浮かべる。

 

「つまり、貴女(あなた)はこれから先もう安静になど出来ないということ。あの人に、(しゅ)(りょう)Д(デー)に犯していただく(よろこ)びをたっぷりと教えてもらうと良いわ。(あたし)の……(あたし)の様に……! ふへ、ふひへへへ……!」

 

 ()()(こま)()(かみ)を連れ、その場から姿を消した。

 ()くして、第三皇女・(こま)()(かみ)(らん)()は叛逆組織「()(そう)(せん)(たい)(おおかみ)()(きば)」の手に落ちた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 夜の皇宮、その広大な敷地内で、様々な虫達の音が交響曲を響かせている。

 そんな中、(じん)(のう)が住まう混凝土(コンクリート)造の和風宮殿「御所」に侵入すべく、一人の女が忍び寄っていた。

 全身が()れて(しずく)が滴り落ちる姿を月明かりが照らし、(うるわ)しき女体を(みず)(みず)しく(なま)めかせている。

 

 女は静かに宮殿の屋根を(にら)み上げた。

 その鋭い目付きは、(さなが)ら獲物に狙いを定めた(きん)(じゆう)といったところか。

 

「随分とまあ、不用心ね。いや、宮殿の主が主だから、用心する必要が無いのか……」

 

 (うる)()()(こと)は跳び上がり、宮殿正面の広間向かいに(こしら)えられた窓の防弾硝子(ガラス)面に右手の指を押し当てた。

 その手の形は壁に張り付く蜥蜴(とかげ)の足に似ていたが、彼女は滑らかな硝子(ガラス)面を片手で(つか)んで体勢を維持しているという、(にわ)かには信じられない状態になっている。

 そのまま、今度は広げた左手の全指を(そろ)え、手刀を大きく振るった。

 音も無く、防弾硝子(ガラス)は丁度()(こと)の身体が通るくらいの長方形に()()かれた。

 

 ()(こと)は即席で作った進入口から御所の回廊へと降り立った。

 彼女の目的は唯一つ、この先にある寝室で休んでいる(じん)(のう)の暗殺である。

 (こう)(こく)の強大な軍事力が日本国に行使される前に、そのエネルギー供給源である(じん)(のう)を亡き者にすることで、祖国を戦禍と滅亡から守らなければならない。

 

 ()(こと)は一歩一歩、己が人生の集大成に向けて回廊を進む。

 (じん)(のう)を始めとした皇族が臣民に(まみ)える為の窓硝子(ガラス)が星月の明かりを取り込み、皮肉にも賊の美しさを天女のように際立たせていた。

 

(御所の構造は頭に入っている。(じん)(のう)の寝室の場所も……)

 

 ()(こと)は少し、都合の良い期待をしていた。

 もしも(じん)(のう)が眠っていれば、事はすんなりと()せるだろう。

 (じん)(のう)と刺し違える覚悟で()()まで来たが、そんな余裕のある展開になったらもう少し()(えん)で動いてみようか。

 皇族には一人、(さき)(もり)(わたる)に自分がしたくても出来なかったことをしでかした許せない女が居る。

 

(つい)でだから、殺してしまおうか……)

 

 ()(こと)は思わず暗い笑みを(こぼ)した。

 自分は今から命を投げ出してまで日本を守ろうというのだから、神様からそれくらいの()(ほう)()があってもおかしくはない。

 普段は(けい)(けん)()(こと)だが、このときばかりは少し(よこしま)な心が芽生えていた。

 

(どうせ何もかも()()く行ったって最期は海に身を投げるんだから、夢くらい見ても良いでしょう)

 

 祖国の為に相手国の(あら)(ひと)(がみ)を手に掛けようという暗殺者が、敵国に()(じよう)を追求されて祖国に迷惑にならないように自らの命を絶ち、証拠を隠滅するのは当然の後始末である。

 今の()(こと)はたった一人の決死隊である。

 

 そんなことを考えながら、()(こと)は目的となる部屋の扉の前までやって来た。

 一つ、大きく深呼吸をして、扉に手を掛ける。

 意外にも、扉は()(こと)を全く拒みもせず、まるで部屋の主を迎え入れるようにあっさりと開かれた。

 

 世界一の大国の君主が過ごす私室にしてはこぢんまりとした、しかし格式を感じさせる洋室へと、()(こと)は足を踏み入れた。

 (れい)()な光を宿した彼女の両眼は、()ず寝台の方へと視線を遣った。

 布団の中は空、(じん)(のう)は寝ていない。

 

「来たか……」

 

 声を聴いた()(こと)は溜息と共に、近くの椅子へと視線を移した。

 桜色の髪をした、少年のような小男が腰掛けて(くつろ)いでいる。

 この男こそ、()(こと)の暗殺対象である(しん)(せい)(だい)(にっ)(ぽん)(こう)(こく)の君主・(じん)(のう)である。

 ()(こと)は慌てるでもなく朗らかな笑みを浮かべて応えた。

 

「ええ。起きていらっしゃったのですね、(じん)(のう)陛下」

()(よい)はまだ招かれざる来客がある気がしてな。(ちん)の予感は能く当たるのだ」

 

 (じん)(のう)は小さく笑うと、椅子から腰を上げた。

 ()(こと)よりも一回りも二回りも小柄なその姿はまるで少年のまま時が止まった様だ。

 だが同時に、不思議な威厳と(かん)(ろく)を涼やかに備えている。

 (こう)(こく)臣民の崇敬を一身に集めるも納得の(たたず)まいであった。

 

「して、何の用かな、(うる)()()(こと)? 明日の皇太子妃、未来の皇后よ」

「そのお話をお断りし、陛下のお命を頂戴しに参りました」

 

 静かな、命を狙う者と狙われる者とは思えぬ程穏やかな会話だった。

 互いに向ける表情には奇妙な程敵意が無い。

 まるで晩酌でも共にしようという風情ですらある。

 

「成程な。小一時間程前に新首相の()()()(めい)()(ひの)(もと)への宣戦布告を上奏して来おってな、夜分に憩いの興を殺がれたが、(ひと)()(みことのり)を出してやったところだ。あ奴は(のう)(じょう)と同じく開戦には慎重だと思っておったが、どうも腹に一物抱えておったようだな。それは()(かく)、つまり(なんじ)にしてみれば、祖国を守るには()(はや)予断は許されぬという訳だな」

「はい」

(なんじ)の祖父、確か()(ごく)(いる)()改め(うる)()()(いる)だったか。あの男の遺志だな?」

「やはり()(ぞん)()でしたか」

「先祖の行いを(あがな)うは子孫、か……」

()(よう)で御座います、陛下。この命に代えましても」

 

 意見の食い違いがある(うる)()家の三代だが、そんな中でも彼女らには一つだけ共通見解がある。

 (しん)(せい)(だい)(にっ)(ぽん)(こう)(こく)を生み出し、(あま)()の世界線にその厄災がばら()かれる元凶となったのは(うる)()()(いる)の父・()(ごく)()(さぶ)(ろう)である。

 (うる)()家の宿命とは護国であるが、それは彼らの血の(しよく)(ざい)でもあった。

 結局の所、()(こと)(そう)()()の罪から逃れられず、向き合い立ち向かうことを選ばざるを得なかったのだ。

 

「そうか、因果なものよ……」

「陛下、(わたし)はこの選択と決意に誇りを持って殉じます」

 

 (じん)(のう)は「うむ」と(うなず)くと、自らを手に掛けようとする賊たる()(こと)に背を向けて、窓の方へ歩いた。

 ()(こと)はそんな彼に手を出さず、隣に立って共に外を見詰める。

 

「よくぞ……これ程の国を作り上げられましたね」

(なんじ)の方こそ、()(ごと)(まで)に練り上げたものよ。一目見たときから好ましく思っておったぞ。(なんじ)ならば(えい)()(きさき)として迎えても良かったのだがな」

「恐縮です。しかし、(わたし)の心は始めから決まっております」

 

 ふ、と小さく笑った(じん)(のう)は、()(こと)に手を差し伸べた。

 

「少し歩いて外の空気に当たらぬか? 宮殿の脇には(ちん)()べる穀物企業『(てい)(じょう)』の本社が入る高層建築がある。その半ばの屋根は屋上庭園になっていてな。(ちん)()()から一望する(とう)(きょう)の夜景が気に入っているのだ」

 

 ()(こと)(じん)(のう)に笑い返すと、腰を(かが)めて彼の手を取った。

 

「お供いたしますわ、陛下」

 

 二人は手を(つな)いだまま寝室を出て、回廊をゆっくりと歩いて行く。

 その姿は宛ら、花嫁通路(ヴァージンロード)を歩く様であった。

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