皇國首都統京は繁華街「金座」に一件の超高級倶楽部がある。
客層は主に伯爵家以上の華族だが、この夜はその中でも一際の上客が店を貸し切りにしていた。
「相変わらず此処の河豚刺しは高級料亭と比しても遜色無いな。絶品な上、酒にも能く合う。実に良き仕事だ」
筋骨隆々とした一人の巨漢が社交員を脇に酒と料理を愉しんでいる。
今、彼が楽しんでいる日本酒と料理だけでも下手な一流企業社員の年収が軽く吹き飛ぶ程の散財振りだ。
しかし、この男にはそれをものともしない財力がある。
「畏れ多くも殿下の御眼鏡に適いまして、光栄の至りに存じますわ」
社交員が上客――第一皇子・獅乃神叡智の盃に酒を注ぐ。
その彼女を獅乃神と挟み、彼の近衛侍女・敷島朱鷺緒が浮かない表情で自身の盃を見詰めていた。
「敷島ちゃん、殿下からの折角の御誘いなのよぉ?」
獅乃神の脇からもう一人の近衛侍女・貴龍院皓雪がやや嫌みたらしく敷島に釘を刺した。
二人にとって、主の機嫌を損ねることは絶対にあってはならぬ事である。
前日、獅乃神から食事に誘われた麗真魅琴に対して「全力で持て成されろ」と忠告したのは他ならぬ敷島である。
敷島の態度は職責上極めて不適切なものだと、彼女自身が他の誰よりも解っている筈なのだ。
「敷島よ、汝の愁いは妹のことか?」
「はい……」
獅乃神の問いに、敷島は小さく頷きながら答えた。
「御厚意には畏れ多くも深甚なる感謝を抱いております。しかし、今更どのように顔を合わせれば良いか分からないのです」
「汝の思いも致し方無かろう。しかし、水徒端早辺子の心境を思うとこのままという訳にも行くまい」
「心得ております。ただ、昨日の今日でしたので……」
「ふむ、ならば近い内に何処かで改めて場を設けようではないか。丁度……」
獅乃神は河豚刺しを箸で口に運び、舌鼓を打つ。
「この河豚刺しを父上にも献上したいと思っておったところだ」
「で、殿下。まさかこの店で御宸宴を……?」
社交員は目を泳がせて戸惑い見せる。
皇太子を迎えている彼女といえど、神皇の親臨となれば次元の違う話だ。
しかし、獅乃神にそんな社交員の動揺を気に留める様子は無い。
彼にとってこれは、自分に最高の持て成しをした倶楽部へのこの上無き褒美であり、悦びに胸を打ち振るわせているだろうとしか考えていない。
獅乃神叡智は気前よく善意を振り撒く人物である。
ただ、そのときに相手の気持ちや都合を慮ることは無い。
自分が気分良く施しを行い、相手はこの上なく幸せな気持ちになる――それが獅乃神にとって世界で唯一の人間関係である。
謂わば彼は、自分の喜びと他人の喜びの区別が付いていないのだ。
「河豚刺しは父上の好物だからな。嘸や御喜びになるだろう」
獅乃神は夢見心地と行った様子で盃を口に運んだ。
⦿⦿⦿
皇海上、超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコを駆る岬守航は遥か前方に敵の気配を察知した。
先程と同じく、超級為動機神体・ミロクサーヌ零式の部隊である。
北西から正体不明の飛翔物が皇國の領海に侵入したので、皇國の国防軍が小隊を緊急発進させたのだ。
「うおおおおっっ!!」
航はカムヤマトイワレヒコを縦横無尽に激しく揺さぶり、流星群の様な光線砲を掻い潜って進み続ける。
「容赦無く撃ってきやがって!」
『当たり前だろう。遠征軍の石動隊が消息を絶った時点で貴様が敵意を持っていることは明らかなのだ。国防軍の誇りに懸けて、貴様を本土まで行かせはせん!』
隊長機らしき敵機が航の前に横から現れた。
突然の遭遇だったが、航は冷静にカムヤマトイワレヒコの手に持った切断ユニットを振るって敵を切り裂こうとする。
対する敵もミロクサーヌ零式の切断ユニットで応戦し、両機は空中で鍔迫り合いの状態となった。
「僕の後方で海に浮かんでいる仲間を助けに行った方が良いと思うけどな」
『仲間? 遠征軍の連中がか? 我々は国防軍・下柳隊! 遠征軍と馴れ合うつもりは毛頭無い。今、我々の関心は貴様だけだ!』
「遠征軍に、国防軍だと……?」
ミロクサーヌ零式の胸部が光った。
航は咄嗟に自機を翻し、敵の胸から発射された光線を回避した。
逆に後ろを取った航は、再び切断ユニットを斜め上から振るい、敵を撃墜しようとする。
敵機は振り向きながら距離を取ったが、航の刃が肩を掠めた。
『ぐっ、強い……! だが相手にとって不足無し! 国防軍大尉・下柳晴代、参る!』
航のカムヤマトイワレヒコと下柳のミロクサーヌ零式が再び互いに交錯する。
だが今度は、航の切断ユニットがミロクサーヌ零式を胴部から真二つに切り裂いた。
『な、なんだとぉ!? おのれぇっ!』
ミロクサーヌ零式の背中から球体の操縦室「直靈彌玉」が飛び出し、落下傘を拡げた。
航は自機を旋回させ、再び皇國へと向かう。
しかし敵は下柳単機ではない。
『た、隊長!』
『お待ちください! 今、直靈彌玉の回収を!』
下柳の部下と思しき十数機のミロクサーヌ零式が集団で航に向かってくる。
航は苛立ちを覚えた。
こんな所で立往生している訳には行かないのだ。
「邪魔だ……! 退けえええッッ!」
カムヤマトイワレヒコは下柳隊のミロクサーヌ零式を光線砲と切断ユニットで次々と撃墜していく。
まさに千切っては投げ、千切っては投げといった大立ち回りだ。
航はカムヤマトイワレヒコを加速させ、敵機の群を突っ切っていった。
⦿⦿⦿
麗真魅琴は雲野幽鷹と互いに逆様の状態で向かい合って倒れている。
無残、無残。
それは彼女が積み上げてきた人生の全てにとって、あまりにも無残な結末だった。
烏有を湛えた目から零れ落ちる涙に込められた無力感は、屈辱感は、敗北感は、果たして如何程のものだろうか。
壊滅した屋上庭園は、一見すると死闘の爪痕の様に見えるかも知れない。
しかし、血溜りの大花を咲かせる魅琴に対し、彼女が命に代えてもうとうとした神皇は残酷な程に無傷である。
この場の惨状は全て、魅琴が為す術も無く敗北した跡。
そして今、神皇は無情に掌を二人に向けて突き出し、止めを刺そうとしている。
このまま放置しても死を待つばかりの魅琴は、生まれてきた意味さえも跡形も無く消し飛ばされようとしていた。
実際、己が暴力に絶対の信を置いていた魅琴にとって、この死に様は滑稽で虚しく、惨めなものだ。
勝てる筈の無い相手だとは解っていたが、それでも魅琴は挑む道を選んだ。
そして挑戦は無意味な玉砕に帰結し、その結果に伴い日本国は壮絶なる戦禍と悲惨なる滅亡を齎されるだろう。
神皇の掌に光が集積される。
彼は絶大なる神為を以て、破壊すべき対象を絶対的に消滅せしめる。
魅琴と神皇、両者の有様は日本と皇國、両国の未来を暗示しているかの様だ。
為動機神体の大軍が日本国の汎ゆる抵抗を鎧袖一触に捻じ伏せ、放たれる光線砲は核兵器並みの破壊力を以て国土を灰燼に帰す。
姿が重なる。
無慈悲な力で捻じ伏せる超兵器と、逃げ惑うことも出来ずに消し飛ばされる街と人々。
神皇の掌から光の柱が放出され、魅琴と幽鷹を呑み込んだ。
正しくそれは、為動機神体がロシア・中国・米国を破壊した暴――光線砲を日本に向けて放つ姿である。
光が収まった。
二人が倒れていた場所には血溜りだけが残されていた。
神皇はその竜顔に勝利の感慨の一欠片も浮かべず、眉根を寄せて口をへの字に結んだまま手を下ろした。
いや、その様子は唯の冷徹とは些か異なっていた。
神皇の両眼はまるで何かを探すかの様に左右に動いている。
そう、まるで仕留め損なった獲物の行方を追う様に。
「後か……」
神皇は何かの気配に気が付いたのか、眉間に皺を寄せた厳しい顔付きで振り返ってやや上方を仰ぎ見た。
屋内に隠れていた幽鷹を攻撃し、同じ場所に投げ捨てた魅琴と二人纏めて仕留めようという状態から振り返ったのだから、彼の視線の先には庭園の塀が拵えられている。
丁度開戦前に神皇が統京の夜景を見下ろして両腕を拡げた場所に、一人の女が長い黒髪を靡かせながら立っていた。
酸素に触れた血で黒く染まったレオタードに麗しき女体の隆線を包み込んだ美女が、麗真魅琴が一人で立っていた。
「命拾いしたようだな」
彼女の体は薄らと光を纏っていた。
宛ら、蘇った生命力の松明が絶望の闇を照らしているかの様だ。
のみならず、無茶な戦い方で二目と見られない状態に破壊された四肢も完全に修繕されている。
この様な奇跡が神為の尽きた魅琴に起こせる筈も無く、強大な神為を持った何者かが介入したことは明らかだ。
「初めて見る現象だ。朕の複製たる童の力か、興味深い」
神皇もすぐに雲野幽鷹の仕業だと察したらしい。
見知らぬ現象とのことだが、それでも看破するとは流石の洞察力である。
「情けない限りね。自分一人の力では何一つ為せないなんて……」
言葉とは裏腹に、魅琴の姿には未曾有の活力と新たな決意が満ちている。
彼女の呟きは自嘲というよりは、自分自身の内側に居る誰かに語り掛けている様だった。
「童は爾の中に潜んでおるな。爾の神為の源――内なる神「直靈」と融合し、貸与に留まらず全ての神為を接続し同化しておる……」
魅琴の姿に幽鷹の幻影が重なる。
「丁度叡智が考案した皇國の主力兵器・為動機神体の操縦原理と同じように……」
為動機神体を操縦する際、機体を「外なる神」に見立て、操縦士自身は内なる神の役割となって機体に己の神為を預ける。
更に、為動機神体はそれそのものが神を模したものであり、機体そのものにも神為が備わっている。
操縦士は自身の神為と機体の神為を接続し、互いの力を何倍にも引き上げるのだ。
今、幽鷹は魅琴と融合することによって全ての神為を魅琴に委ねた。
つまり今、魅琴は神皇の複製人間たる幽鷹の神為をそのまま得たばかりか、自身の神為とも接続し互いの力を何倍にも引き上げている。
その結果、彼女はこれまでとは比べものにならない力を得たのだ。
言ってしまうと、神皇は一つのミスを犯した。
幽鷹に一撃で止めを刺さなかったのは、魅琴と死にゆく時間を共有させ刃向かった二人を漆黒の絶望に沈める為だろう。
だが幽鷹は神皇の複製人間である。
嘗て神皇が革命からの虐待で生死の境を彷徨い神為を大幅に増幅させたように、幽鷹もまた死の淵で新たな力に覚醒したのだ。
幽鷹と融合した魅琴はゆっくりと神皇と同じ地平に降り立った。
戦いは思わぬ形で第二局を迎えようとしていた。