日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第五十五話『帰還』 序

 横田飛行場へ帰り着いてすぐ、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と雲(くも)野(の)幽(ゆ)鷹(たか)は病院へ搬送され、入院することになった。

 運び込まれた病院は、幼少期の岬(さき)守(もり)航(わたる)や、魅(み)琴(こと)の祖父・麗(うる)真(ま)魅(み)射(いる)が晩年に入院していた場所である。

 これは偶然の一致ではなく、二人共「崇(す)神(じん)會(かい)」の息が掛かっている病院へと入院先を指定されたのだ。

 今回の魅(み)琴(こと)と幽(ゆ)鷹(たか)もまた、皇(こう)國(こく)と神(しん)為(い)に纏(まつ)わる怪(け)我(が)と治療の都合から同じ病院が選ばれた、という訳だ。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 一夜が明けた。

 一つの病室で、二人の入院患者と三人の見舞人が窓から差し込む午前の日差しを浴びている。

 岬(さき)守(もり)航(わたる)と雲(くも)野(の)兎(と)黄(よ)泉(み)は根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)に連れられ、面会時間が始まってすぐに麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と雲(くも)野(の)幽(ゆ)鷹(たか)の病室を訪れていた。

 彼らはなるべく早くに二人の入院患者と会いたかった。

 

 昨夜以来、幽(ゆ)鷹(たか)は一向に目を覚まさない。

 命に別状は無いが、相変わらず死んだ様に眠り続けている。

 やはり兎(と)黄(よ)泉(み)の云(い)うように、当分はこのままなのだろうか。

 

 幽(ゆ)鷹(たか)の隣のベッドでは、その兎(と)黄(よ)泉(み)に魅(み)琴(こと)が包帯の巻かれた手を握られている。

 二人の身体が淡い光を纏(まと)う。

 

「ありがとう、兎(と)黄(よ)泉(み)ちゃん」

「早く元気になってくださいね」

 

 魅(み)琴(こと)は半分を包帯に覆われた顔で兎(と)黄(よ)泉(み)と微(ほほ)笑(え)み合った。

 

 これは兎(と)黄(よ)泉(み)にしか出来ない治療行為の一環である。

 神(じん)皇(のう)との戦いで神(しん)為(い)を使い果たしてしまった魅(み)琴(こと)の恢(かい)復(ふく)力は今、普通の人間と変わらない。

 通常ならば生きていること自体が奇跡的な大(おお)怪(け)我(が)にそれでは心許ない為、兎(と)黄(よ)泉(み)が毎日神(しん)為(い)を貸し与えることで治癒力を高めることにしたのだ。

 偏(ひとえ)に、この病院が崇(す)神(じん)會(かい)系列であるが故に可能な、通常ではあり得ない治療法である。

 尚、標準医療に関してこの病院の評判は良くない。

 

「怪我の調子はどうだい?」

 

 航(わたる)の問い掛けに、魅(み)琴(こと)は顔の包帯に手を添え、また微笑んだ。

 

「御(お)陰(かげ)様(さま)で、随分楽になったわ」

「兎(と)黄(よ)泉(み)が神(しん)為(い)を貸す効果は長続きしないですから、一気に怪我が治ることはないと思います。でも、暫(しばら)く続ければ全部の傷が綺(き)麗(れい)に治りますですよ」

 

 屈託の無い笑みを浮かべる兎(と)黄(よ)泉(み)の頬(ほお)に、魅(み)琴(こと)の手がそっと触れた。

 

「それは楽しみね……」

 

 航(わたる)は魅(み)琴(こと)の言葉にほっと胸を撫(な)で下(お)ろした。

 おそらく昨日まで、魅(み)琴(こと)は神(じん)皇(のう)と戦った後の未来など想定していなかった筈(はず)である。

 彼女の心があり得なかった明日へと向いている――そう感じられただけでも僥(ぎよう)倖(こう)だった。

 

 入道雲の谷間を南に向かう太陽の日差しが、時間と共に強くなっていく。

 風鈴と蝉(せみ)の声が季節の音色を奏でている。

 ゆったりとした時間の中で、冷たい麦茶などを飲めばその趣をより感じられるだろう。

 

 航(わたる)達は今、日本の夏を噛(か)み締(し)めていた。

 紆(う)余(よ)曲(きよく)折(せつ)あったが、遂(つい)に生まれた国へと帰って来たのだ。

 

「扨(さ)て、と……」

 

 根(ね)尾(お)が兎(と)黄(よ)泉(み)に何やら眼(め)で合図を送った。

 兎(と)黄(よ)泉(み)もその意図を察したらしく、無言で頷(うなず)く。

 

「兎(と)黄(よ)泉(み)君、見知らぬ土地に来たばかりで、しかも兄がこのようなことになった中、麗(うる)真(ま)君の治療に協力してくれてありがとう。一つ、俺(おれ)が御褒美を買ってあげよう」

 

 根(ね)尾(お)はわざとらしい口調で兎(と)黄(よ)泉(み)を病室の外へと誘い出す。

 

「御褒美、ですか? 兎(と)黄(よ)泉(み)、ずっと眠っていたから欲しいものとかよく分からないのです……」

「何でも良いぞ。こういう時に気持ち良く金を出すのが大人の甲(か)斐(い)性(しよう)というやつだからな」

「わかりました。お願いしますです」

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)も根(ね)尾(お)の誘いに乗ったようだ。

 彼女は去り際、航(わたる)に小声で声を掛ける。

 

「頑張ってくださいね」

「ん? ああ……」

 

 航(わたる)は曖昧な返事を告げた。

 兎(と)黄(よ)泉(み)は特に構うことなく、根(ね)尾(お)と共に病室から出て行った。

 奇(く)しくも、眠ったままの幽(ゆ)鷹(たか)を除けば病室には航(わたる)と魅(み)琴(こと)の二人切りになってしまった。

 

「参ったな……」

 

 航(わたる)は少し照れを感じながら頭を掻(か)いた。

 根(ね)尾(お)はおろか、兎(と)黄(よ)泉(み)にまで気を遣われているとなると、流(さ)石(すが)に気恥ずかしさがある。

 

(うーん、どうしようかな……)

 

 航(わたる)は考える。

 積もる話は沢山あるが、何から話せば良いか迷っていた。

 そんな中、魅(み)琴(こと)がしみじみと語り出す。

 

「もう夏ね……」

「え?」

「日本を出る前はまだ梅雨入り時だったから……」

 

 魅(み)琴(こと)は窓の外へと顔を向けた。

 分厚い雲の隙間からの強い日差し、風鈴の音、蝉の声。

 それらを噛み締める様に、じっと景色を見詰めている。

 

「日本の夏ね。こんな穏やかな気持ちで感じられるなんて、一体何年振りかしら……」

「そうだね」

 

 航(わたる)もまた、窓の外へと目を遣った。

 今は魅(み)琴(こと)と同じ景色を眺め、想(おも)いを共にしたい――そう感じてならなかった。

 

「この平穏はね、間違い無く君(きみ)の御(お)陰(かげ)だよ」

 

 航(わたる)は切り出した。

 魅(み)琴(こと)には伝えたいことが多くある。

 その中でも、まずは謝意を述べたかった。

 

「実は昨日の夜さ、既に皇(こう)國(こく)の為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)がこっちへ向かってきていたんだよ。何とか阻止出来たけどね」

「え、そうなの?」

「ああ。だから、君(きみ)が神(じん)皇(のう)と戦わなければ今頃やつらは日本全土を占領してしまっていたと思う」

 

 航(わたる)は魅(み)琴(こと)を助けるべく、兎(と)黄(よ)泉(み)と共に超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・カムヤマトイワレヒコで皇(こう)國(こく)へと乗り込んだ。

 その際、皇(こう)海(かい)を渡る中で石動(いするぎ)隊――皇(こう)國(こく)の遠征軍と交戦した。

 その後、下(しも)柳(やなぎ)隊を始めとした国防軍とも交戦したが、航(わたる)は特に皇(こう)國(こく)軍の一部が日本へと向かっていたことに肝を冷やしていた。

 だから彼は、改めて魅(み)琴(こと)に伝えたかった。

 

「君(きみ)が命を懸けて戦わなければ、今の時間は無かったんだよ」

「そう……かしら……」

「一度君(きみ)と別れてから、色々なことを考えたよ……」

 

 航(わたる)はベッドの傍らに設けられた椅子に腰掛け、両手を組んだ。

 

「実は僕(ぼく)さ、甲(きのえ)邸に突入した際に皇族全員に会っててさ、神(じん)皇(のう)のこともこの眼で見たんだよね」

「本当に?」

「うん。僕(ぼく)はその威厳に唯(ただ)々(ただ)圧倒されたよ。有無を言わさぬ絶対の裁定者って感じでさ。甲(きのえ)を裁くのは尚早だと言いたかったけど、逆らおうだなんてとても思えなかった」

「それは……賢明だったわね」

 

 航(わたる)は当時、神(じん)皇(のう)の強大な力の全容をはっきりと認識していた訳ではない。

 しかしそれでも、擦れ違った瞬間の、あの電撃の様な感覚は忘れ難(がた)い。

 もし航(わたる)が魅(み)琴(こと)と同じ立場だったとして、戦いを挑むことなど果たして出来ただろうか。

 

「魅(み)琴(こと)、君(きみ)があのまま死んでも良かっただなんて決して思わない。命を投げ出そうとしたこと、それは絶対に認められない。ただそれでも、それでも尚……」

 

 航(わたる)と魅(み)琴(こと)、二人は互いに見詰め合った。

 これから大事な話が始まる――それが魅(み)琴(こと)にも伝わったらしい。

 航(わたる)は一つ深呼吸すると、話を続ける。

 

「それでも尚、君(きみ)の勇気と覚悟には心底から敬意を抱かざるを得ない。君(きみ)はたった一人でこんなにも大変な使命を背負い続けた。そうまでして君(きみ)が守ろうとしたものの尊さは疑うべくもない。今、僕(ぼく)はそれを切に感じ、君(きみ)を誇りに思っているよ。僕(ぼく)のことを、みんなのことを、日本を守ろうとしてくれて、どうもありがとう」

 

 魅(み)琴(こと)の行為は決して肯定出来ない。

 しかし、魅(み)琴(こと)の気持ちが理解出来ないなどということは決してない。

 航(わたる)とて、魅(み)琴(こと)を助ける為に命を懸けて皇(こう)國(こく)へ乗り込んだ。

 

 時に人は自分の命を投げ出してでも誰かの命を守ろうとする。

 矛盾するようだが、命とは命懸けで守るほどに、掛け替えなく尊いものなのだろう。

 

 しかしながら、航(わたる)が伝えたいことはこれで終わりではない。

 最も大事なことがまだ残っている。

 そしてそれは、ここで伝えられなければ嘘(うそ)になってしまうだろう。

 

「魅(み)琴(こと)」

「何?」

 

 魅(み)琴(こと)も言葉を待っている。

 何かを予感しているようだ。

 

「君(きみ)はやっぱり、凄(すご)い人間だ。改めて、スケールが違うと思ったよ」

 

 蝉が鳴いている。

 それ極めて短い命の中で成(じよう)就(じゆ)させようとうする思いの丈である。

 

「君(きみ)に憧れて良かった」

 

 入道雲に遮られていた日差しが強くなり、病室の二人を光の世界へと誘う。

 航(わたる)は意を決して、言葉の続きを紡ぎ出す。

 

「魅(み)琴(こと)、君(きみ)を好きになって良かった」

 

 今、航(わたる)は魅(み)琴(こと)に想いを告げた。

 出会ってから実に十五年、意識し始めてからでも相当の時間を掛けて、漸(ようや)く辿(たど)り着(つ)いた告白であった。

 

「やっと……言えたのね……」

 

 魅(み)琴(こと)は航(わたる)に対し、全てを慈(いつく)しむ様な微笑みを向けていた。

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