病室で関係性を前に進めた航と魅琴の様子を、室外の根尾と兎黄泉が扉の影から窺っていた。
「岬守航さん、頑張りましたですね」
「流石に事此処に至っても言えないようでは最早望みなど無かっただろうからな。世話の焼ける男だ」
親しい二人の関係性と今後というプライベートな話し合いを盗み聞きするというのは褒められた行いではないだろう。
「逆にそれが上手く嵌まったとも言えるか。このタイミング以外では麗真君は岬守君を振らざるを得なかっただろうからな」
根尾は温かな眼で二人の様子を見守っていた。
彼もまた麗真家の因縁と宿命に深く関わり、魅琴の使命と運命を憂えていた男である。
その彼女が愛する人と手を取り合う結果に至ったことに思う処があるのだろう。
「あ、見てください根尾弓矢さん」
「距離近いな。早速イチャ付き過ぎだろう」
丁度、魅琴が航の手を引いて耳元で囁いたところだった。
「あの二人、横で御兄様が寝ていること忘れてません?」
「幸せを噛み締めるのは結構だが、羽目を外し過ぎんように釘を刺した方が良いかもな」
根尾が快とも不快とも言えないもどかしさから微妙に苦い表情を浮かべていると、彼のポケットでスマートフォンが振動した。
皇國で使用していた端末とは別の、国内で使用していた本来のものだ。
「兎黄泉君すまん。少し電話を折り返して来る。先にあの二人と合流しておいてくれ」
「兎黄泉も付いて行くですよ。もう少し二人で居させてあげましょう」
「……ああ、そうだな」
根尾は眉根を寄せて病室で談笑する航と魅琴に目を遣り、そして背を向けた。
「暫くは態々釘を刺さんでも良さそうだな……」
二人は電話スペースへ向かい、病室から離れた。
⦿
病室では引き続き航と魅琴が談笑していた。
二人の間にあった諸々の蟠りも解け、これからは健全な恋人同士として未来へ歩んでいくだろう。
ここから先、関係が再び拗れないとも限らないが、今まで経験した以上のトラブルがあるとも考え難い。
「神為、全く無くなってしまったのかい?」
「ええ、暫くは普通の人間として生活せざるを得ないわね。兎黄泉ちゃんの御陰で怪我は跡形も無く治るっていうのは救いだけれど」
「普通の人間、ねえ……」
航は思い出す。
魅琴は超級為動機神体を素手で解体するほどの膂力の持ち主だ。
しかもその行為は神為の強化無しで行わなくてはならない為、完全な素の力なのだ。
「君は神為無しでも普通じゃないだろう」
「それもそうね」
魅琴は生まれついての神為の使い手である。
従って、一度神為を使い果たしてしまうと回復するまで相当の期間を要するのだ。
そしてそれは神皇もまた同じである。
裏を返せば、神皇は相当の期間の後に元の状態に回復する。
「それまでが勝負か……」
「え?」
「あ、いや……」
航は小さく呟いたところを魅琴に聴かれ、はぐらかした。
この平和は束の間のものである。
だがそれは紛れも無く魅琴が齎したもので、だからこそ航は魅琴がより好きになった。
「早く元気になりなよ」
「勿論よ。あ、でも……」
魅琴は再び意地悪な微笑みを浮かべた。
「入院している間は彼氏の航が何をしているか把握出来ないわね」
「あ、うんまあ、それは大丈夫だよ。僕を信じて」
「いいえ、別に良いわよ、浮気しても」
「え?」
意外な言葉に驚く航だが、魅琴は満面の笑みでその真意を告げる。
「その代わり、浮気したらお仕置きとして昨日の続きが待っているわよ」
「アッハイ」
「今度こそ貴方をたっぷり時間を掛けて完全に壊してしまうのも、それはそれで愉しくなりそうだから、私はどちらでも構わないわ。それでも良いならどうぞ」
「勘弁してください一生貴女に操を立てます」
それは彼女ならではの警告と脅迫だった。
航は青褪めながら、もう魅琴から一生逃げられなくなったのだと悟った。
(人生終わったかも……)
航は魅琴一筋な様に見えて、意外と心が揺れ動く青年である。
魅琴はそんな彼のことを能く見抜いているのかも知れない。
しかし、本命から眼を逸らさずに済むのならそれは幸せでもあるだろう。
航は魅琴に人生を終わらせてもらえることに感謝した方が良い。
「ま、大丈夫だよ魅琴。入院中のことは心配しなくて良い」
「どうだか」
「いや、本当に心配無いんだ」
航は確信を持って、魅琴の眼を真直ぐ見て言った。
「その間、僕には一寸やらなきゃいけないことがあるからね」
「え……?」
意味深な航に魅琴は驚きを見せた。
と、そこへ根尾と兎黄泉がやや急ぎ足で入ってきた。
「岬守君、事態が動いた。俺と一緒に横田飛行場へ向かうぞ」
「そうですか。わかりました」
突然根尾に同行するよう求められた航だったが、彼は最初から解っていたかの様に何の疑問も挟まずに立ち上がった。
流石に魅琴は訳が解らないようで、困惑したように問い掛ける。
「どういうことですか?」
「麗真君、岬守君は行かなければならないんだ。皇國は昨日、日本に宣戦布告してきた。その後、君が神皇を一時的に行動不能にしてくれた御陰で取り敢えずの命運は繋がったが、それでも皇國が完全に諦めた訳じゃない」
「え……?」
魅琴は青褪めて瞠目した。
今の根尾の言葉と、航が「行かなければいけない」という事情を考えると、最悪の想像が自ずと浮かび上がる筈だ。
「まさか、航を戦場へ行かせるつもりですか? どうして!」
「超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコだ。あの機体には二つの重大な欠陥がある。一つは、波動相殺を発動させてしまうと神為の発光を抑えられないというもの。これは感覚による察知を主とする為動機神体の戦闘に於いてマイナスとなる。そしてもう一つ、此方はより兵器として最悪と言わざるを得ないのだが……」
根尾は苦しそうに眼を閉じ、忸怩たる思いを覗かせながら続ける。
「カムヤマトイワレヒコは、操縦士が性能を発揮すればするほど個人に適合してしまう。もし限界性能で飛行したり、激しい戦闘を行ってしまったりとすると、最早その人物以外には動かすことが出来なくなってしまうのだ」
根尾が告げた事実、それはあまりにも過酷で残酷なものだった。
現状、日本国が皇國と戦う上で超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコを抜きにすることなどあり得ない。
国産為動機神体は開発が始まったばかりで、壱級以下も稀少であるし、超級に関してはカムヤマトイワレヒコしか存在しないのだ。
つまり、そのカムヤマトイワレヒコを操縦出来るのが航唯一人となってしまった以上、皇國との戦争に航を欠くことなど出来なくなってしまったということである。
「それって……。私を助ける為にあれに乗ったから……」
魅琴は震え始めた。
「私のせいで航が!」
それは天国から地獄へと突き落とされた様な心地だろうか。
魅琴は今、愛する人が、世界で一番大切な人が死と隣り合わせの戦場へ向かい、無力故に止められない、何も出来ずに見送るしか無い立場に置かれてしまった。
そんな魅琴に対し、航は両肩に手を置いて言い聞かせる。
「君の気持ちは解る。本当に能く解るよ」
「ごめんなさい航……。私、なんてことを……!」
「君のせいじゃない。君が行動を起こさなければ、皇國に国を奪われた僕の運命はもっと酷いものだっただろう」
航は魅琴を抱き締めた。
航の胸が魅琴の涙で濡れる。
「何も心配しなくて良い。君が命を懸けて戦った意味を決して消させはしない。君が一人で背負い込んだ重荷を、今度は僕達で支える番だ。今度は僕が君を守る」
「お願い、死なないで航……! 必ず帰って来て……!」
「勿論だよ。今、国はカムヤマトイワレヒコの後継機を極限の生産力で製造しているという話だ。僕はそれまでの繋ぎをしに行くだけだよ。神皇の力が欠けた今、生きて帰ってこられる可能性は充分ある」
「充分じゃ嫌。必ずよ……!」
魅琴が航に縋り付いて懇願してきた。
彼女の心境は如何程のものだろう。
航はそんな彼女の頭を撫でる。
「ああ、約束する」
航と魅琴の身体が離れた。
「ごめん、痛かった?」
「それは大丈夫。身体の方は本当に平気なの。でも、心は凄く痛いわ」
「そうか。ごめんね……」
涙を流す魅琴に航は微笑んで見せた。
「僕が帰って来たら、君が元気になったら、その時は思いっ切り恋人同士を楽しもう」
「ええ、待ってるから……」
無理に笑う魅琴の頭に、去り際の航は掌で軽く触れた。
そして彼は根尾に連れられて横田飛行場へと向かう。
これは防衛大臣兼国家公安委員長の皇奏手が仕組んだことである。
航は全てを承知の上で引き受けた。
何が何でも魅琴を連れ戻したかった。
仮令その代償として、自身が戦場へ行くことになっても。
航は考える。
彼は二つの誓いを果たさなければならない。
一つは、彼の亡き友である虎駕憲進の魂が己を許して安らかに眠れるようにすること。
その為には、友を愚かな亡国の奸徒としてはならない。
一つは、彼の恋人である麗真魅琴の覚悟を決して無駄にしないこと。
その為には、危険を承知で戦い抜かなければならない。
彼は心に決めた。
必ず日本を守り、そして帰って来ると。
『かくすれば、かくなるものと、知りながら、已むに已まれぬ、大和魂』
――吉田松陰。
今、岬守航は自らの意思で新たな戦場へと向かう。
――第二章『神皇篇』完