日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

19 / 399
第六話『親と子』 急

 中学三年、卒業の差し掛かった時期だった。

 

 祭壇に掲げられた麗(うる)真(ま)魅(み)弦(つる)の遺影は、航(わたる)が知るよりも若く肉付きが良かった。

 麗(うる)真(ま)家と親密に付き合っていた航(わたる)だが、この時ばかりは赤の他人の立場に甘んずるより他は無かった。

 航(わたる)から離れて右側の席、親族の坐(すわ)る上座には、魅(み)琴(こと)を含めた三人の女と二人の老翁が陣取っている。

 

 喪主を務めるのは故人の妻、魅(み)琴(こと)の母親、当時の麗(うる)真(ま)奏(かな)手(で)だった。

 聞くところによると、彼女は政界の仕事に感(かま)けて家族を蔑(ないがし)ろにしてきたらしい。

 涙を見せないのは気丈に振る舞っているのか、それとも然(さ)程(ほど)思い入れが無いのか、航(わたる)には判断が付かなかった。

 

 他の親族達もあまり良好な関係には見えない。

 魅(み)琴(こと)を挟んで、喪主と同じ最前列に車椅子で控える老翁が故人の父、魅(み)琴(こと)の父方の祖父。

 二列目に二つ並んだ椅子に腰掛ける老翁と女は、魅(み)琴(こと)の母方の祖父と、故人の姉に当たる親族だという。

 子供心に、航(わたる)は母方の祖父が最も裕福である事、そして伯母が親族でも孤立している事を何となく察した。

 

 喪主たる母親、次いで故人の父たる車椅子の祖父に続き、魅(み)琴(こと)が焼香を上げた。

 遺影に何をか問うように佇(たたず)んだ彼女は、ただならぬ感情を抑えているように見えた。

 

(魅(み)琴(こと)……)

 

 親族に続き、一般参列者の焼香が行われる。

 航(わたる)は虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)ら同級生に混じり、席に着いて順番を待っていた。

 

 その間、気掛かりだったのはやはり魅(み)琴(こと)の様子だった。

 航(わたる)は彼女がずっと甲(か)斐(い)甲(が)斐(い)しく父親の世話をしていたとよく知っている。

 

 魅(み)弦(つる)は優しく穏やかな人物で、病気にも拘(かか)わらず周囲に当たり散らすような事もせず、やんわりと心を包んでくれるような雰囲気を持っていた。

 航(わたる)にとっても、魅(み)弦(つる)は極めて父親に近い人物だった。

 魅(み)琴(こと)にとってどれだけ大きな存在か、付き合いが深い分痛い程に能(よ)く解(わか)った。

 

 焼香を終えて席に戻る時、航(わたる)は見た。

 魅(み)琴(こと)の目から、さめざめと涙が流れていた。

 己が泣いている事にも気付いていないような、憚(はばか)る事も知らぬといった号泣だった。

 魅(み)琴(こと)も泣く事はあるのかと、航(わたる)は初めて彼女の中に弱い少女を見た気がした。

 

⦿

 

 通夜の後、航(わたる)は魅(み)琴(こと)が誰に言うでもない独り言を呟(つぶや)くのを聞いた。

 

「駄目だった……。どう足(あ)掻(が)いて良いかも分からなかった……。こんなにも何も出来ない事が……。こんなにも無力な事が……。こんなにも抗(あらが)いようのないものが……。こんなにも……」

 

 あまりにも大きなショックを受けた様子の魅(み)琴(こと)に、航(わたる)は掛ける言葉が見付からなかった。

 彼女に車椅子を押される老人、彼女の祖父がそれに答えるように呟いた。

 

「お前さんのせいではない。魅(み)弦(つる)を壊したものがあまりにも凶悪だったのじゃ。お前さんにもどうにもならぬ程に」

「はい、御(お)爺(じい)様(さま)……」

「おそらくは儂(わし)も、そう遠くない内に逝くじゃろう。後の事は……」

 

 老翁がそう言いかけた時、二人の女が彼を睨(にら)んだ。

 それを認めた老翁は、それ以上続けなかった。

 

 航(わたる)は、そんな老翁と目が合った。

 老翁は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せ、訝(いぶか)しむような、値踏みするような視線を航(わたる)に向ける。

 

(何だ、この人……?)

 

 航(わたる)は老翁の瞳の奥にただならぬものが渦巻いているように思えた。

 何か得体の知れない狂気が、老いて弱った身体に蜷局(とぐろ)を巻いている。

 それは息子の魅(み)弦(つる)とは似ても似つかぬ邪気だった。

 

 老翁は小さく口を開いた。

 

「小僧……」

 

 航(わたる)の方には老翁と面識は無かったが、向こうは航(わたる)を知っている風だった。

 航(わたる)は背筋に悪(お)寒(かん)が走るのを感じた。

 

「息子と孫の事、誠に感謝しておるぞ」

 

 航(わたる)は老翁から逃げるように魅(み)琴(こと)へ視線を移した。

 普段使っている白(しろ)兎(うさぎ)柄の手巾(ハンカチ)ではなく、無地のもので涙を拭く姿が痛々しい。

 

「魅(み)琴(こと)」

「航(わたる)、大丈夫だから」

 

 涙を拭い、充血した魅(み)琴(こと)の目に少女の終わりが見えた。

 孰(いず)れは誰もが経験する、親しき者との死別。

 それを経た時、人は哀(かな)しみをその身に宿し、大人の階段を昇るのだと聞いた事がある。

 

 航(わたる)には、魅(み)琴(こと)が雨の中で殻を破ろうとしている蛹(さなぎ)の様に思えた。

 忘れられない、哀しみの記憶だった。

 

⦿

 

 高校から、航(わたる)が魅(み)琴(こと)の家に行く事は無くなった。

 小遣いは相変わらず貰(もら)えなかったが、アルバイトをして凌(しの)いだ。

 浪人はしたが、予備校には行かなかった。

 それでも自身と同じ大学に一年遅れで合格した航(わたる)を、魅(み)琴(こと)は大変なプレゼントで祝ってくれた。

 

「合格祝いにバイクって、聞いた事無いよ」

「高校の頃、欲しがっていたでしょう?」

「そうだけど、とても簡単に贈れるようなものでもないじゃないか」

「あら、そうかしら?」

「金持ちが……」

 

 過去を夢に見る中で、航(わたる)は魅(み)琴(こと)が解らなくなってきた。

 君(きみ)は僕(ぼく)をどう思っているのだろう。

 だってここまでしてくれるのは明らかにおかしいじゃないか。

 それがどうして、今は僕(ぼく)と距離を取ろうとするんだ。

 

 君(きみ)には世話になってばかりだった。

 嘗(かつ)て好(よ)くしてくれた君(きみ)と、今避けてくる君(きみ)、一体どちらが本当なんだ。

 

 もう一度、君(きみ)に逢(あ)いたい。

 本当の君(きみ)を確かめたい。

 そして願わくは、また君(きみ)と……。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 航(わたる)は狭く柔らかい場所で振動を感じて目を覚ました。

 どうやら自動車の後部座席に寝かされていたようだ。

 

「お目覚めのようですね。気絶されていたということは、衝撃の耐久と損傷の修復に神(しん)為(い)の殆(ほとん)どを使ってしまわれたということ。今は生身の人間とお変わりありませんので、暫(しばら)くお休みになって神(しん)為(い)の回復を待たれた方が宜(よろ)しいかと」

 

 運転していたのは公(こう)転(てん)館(かん)の管理人、扇(おうぎ)小(さ)夜(よ)だった。

 

「何故(なぜ)僕(ぼく)を? 今度は何処(どこ)へ連れて行こうというんだ?」

「そう遠くへは参りませんよ。目的地へ向かう途中、道端で伸びていた貴方(あなた)をお見かけしましたので、序(つい)でに御同乗いただいたまでです」

 

 今度は、という皮肉も通じなかったようで、航(わたる)は忌々し気に外の景色を睨んだ。

 日本の山に似た道並みが酷(ひど)く恨めしく思えた。

 こんな現実に目覚めるくらいなら、もう少し夢を見ていたかった。

 

 どうやら本当にすぐの場所へ向かっていたようで、程無く自動車はトンネルの中で停車した。

 橙色に染まった薄暗い窓の外には大きなシャッターが見えた。

 

「扨(さ)て、私(わたくし)はこれから私(わたくし)の仕事を遂(すい)行(こう)しに参りますが、その前に貴方(あなた)と少しだけお話をさせていただきたく存じます」

 

 扇(おうぎ)はミラー越しに航(わたる)へ目を向けた。

 何の寝言か、と航(わたる)は鼻で笑って外(そっ)方(ぽ)を向いた。

 

「悪いけど、こっちには人(ひと)攫(さら)いの一味と話す事なんか無いよ」

「『人攫いの一味』ですか。つまり、同志になるおつもりは無い、と……」

「寝(ね)惚(ぼ)けた事を言うなよ、当たり前だろ。脱走だって、まだ諦めた訳じゃないからな」

「然(さ)様(よう)で御座いますか……」

 

 扇(おうぎ)は一つ溜(ため)息(いき)を吐いた。

 

「そうは仰(おっしゃ)いますが、帰る当ては御座いますか? 同じ国ならばいざ知らず、海の向こうなのですよ? 御無理はなさらず、数(すう)奇(き)な巡り合わせもまた人生と、運命に導かれた土地を第二の故郷と考え、新しい使命に尽くす中に意義を見(みい)出(だ)すことは出来ませんか?」

 

 !

 

「ふざけるな!!」

 

 航(わたる)は車体を震わせる勢いで怒号を上げた。

 まだ恢(かい)復(ふく)し切っていない体が軋(きし)んだが、その痛みを忘れる程に許せない言葉だった。

 

「いきなり攫(さら)っておいて、もう帰れっこないからここで生きろだと? 俺(おれ)の、俺(おれ)達の人生は貴様らのおもちゃじゃない! 何が革命、皇(こう)國(こく)打倒だ! ふざけるのも大概にしろ!!」

 

 捲(まく)し立(た)てた航(わたる)は痛みを堪え切れなくなり、呼吸を乱した。

 少しの沈黙が車内に流れる。

 

「成程。全く以(もっ)て、仰る通りかと。私(わたくし)も貴方(あなた)の御(お)言(こと)葉(ば)に、全面的に同意いたしますよ」

 

 扇(おうぎ)は意外な言葉を残して車を降り、後部座席の窓を開いて車外から航(わたる)を見下ろす。

 

「一つ条件を呑(の)んでいただけるなら、貴方(あなた)達をお助けしましょう。お体は痛むでしょうが、少々私(わたくし)にお付き合いくださいませんか?」

 

 突然の言葉に事態を飲み込めない航(わたる)は、扇(おうぎ)の顔をただじっと見上げていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。