輪田は新兒を睨みながら、自身の足下を確かめる様に踏み締めた。
(やや脚に来ているな。随分と重い拳だ。そう何度も喰らって良いものではないということか……)
基本的に、血筋の良い者は己の由緒を心の支えに出来る為、自己肯定感が己の神性に良い影響を与え、強力な神為を備えている。
将軍家の末裔で公爵令息の輪田衛士も例に漏れず、その力が六摂家当主に匹敵するというのも決して過剰な自負心ではない。
当然耐久力も並外れたものがあるのだが、その輪田をして一目置かれる新兒の攻撃力はかなりのものだ。
おそらく拉致被害者の中でも航に次ぐだろう。
「おい、仮面野郎」
そんな新兒が輪田に一歩迫る。
「此処は俺の母校だぜ。可愛い後輩達や世話ンなった教員達に手ェ出しちゃいねえだろうな?」
「で、あるか……」
輪田は周囲の状況を窺う。
直接的に対峙しているのは新兒であるが、彼だけでなく根尾と双葉も自身を叩く為に送り込まれて来ていた。
一先ず双葉は戦闘不能に追い込んだものの、根尾の方も警戒を怠ってはならない。
今のところ根尾は双葉に付いている。
「安心しろ。今のところは手を出してなどいない。だが、此方としては今や民間人を非戦闘員と見做すことが出来なくなっていてな。邪魔立てするならば女子供であろうと容赦はしない、とだけ言っておこう」
新兒の表情が険しくなった。
無残に破壊された運動場と校舎、恐怖に駆られて避難する生徒達が瞳に映されている。
「虻球磨君、不用意に飛び出すなよ!」
忠告する根尾だったが、新兒に反応は無い。
許しがたい光景を見た新兒は、額に青筋を立て、眦を決して殺気立っている。
そして忠告を無視し、輪田に飛び掛かってきた。
「手前エエッッ!!」
新兒の剛腕が唸り、氷を纏った鉄拳が輪田に向けて矢継ぎ早に振るわれる。
だが輪田はこれを軽々と往なし続ける。
皇國最強の為動機神体操縦士は白兵戦に置いても高い格闘能力を誇る。
特に、回避能力に関しては折り紙付きだ。
「成程、能く解ったよ」
輪田は後跳びで大きく間合いを取った。
彼が新兒を挑発したのは格闘能力を見極める為だ。
(戦い慣れしている、そこそこの訓練の形跡も見て取れる。だが、限りなく玄人に近い素人といったところか。職業軍人たる私に及ぶべくもない。一発の威力は脅威だが、当たらなければどうということはないな)
輪田は右腕を振り上げた。
掌から黒い木瓜紋が顕れ、焔の人型に姿を変える。
(寧ろ格闘能力では彼方の背の高い男の方が脅威。連携されると面倒だ。蚊帳の外へと追い遣っておくとしよう)
焔の人型が、倒れ伏した双葉の方へと向かって行く。
気を失った彼女が今攻撃を受ければ致命的だ。
「手前、この野郎!」
「落ち着け、虻球磨君!」
双葉を庇おうと輪田に背を向けた新兒は、根尾との連携に失敗していた。
母校を荒らされ、どうも頭に血が上っているらしい。
双葉を守る根尾の姿を見て動きを止めた時には、既にもう一体の人型が新兒の背後に回り込んでいた。
「気が早い奴だ。『戦友』を使って揺動したのは貴様ではないのだがな」
人型が新兒に飛び付き、爆発した。
同時に双葉へ向かった人型も根尾に飛び付いて爆発。
運動場に爆煙と土煙が立ち込める。
「私の狙いはもう一人の、背の高い男を確実に潰すことだった。先に倒した女はまだ息がある。だが次の爆破が入れば絶命は免れない。つまり、背の高い男は女を庇わざるを得ない。しかしそれにしても、貴様までもが庇おうとしたのは誤算だった。御陰で『戦友』の齎してくれた戦果は想定以上になったがな」
輪田はゆっくりと歩き出した。
新兒に爆破が炸裂したのは勿論、狙い通りに根尾にも喰らわせたことを確信していた。
「……まだ仕留め切れていないか……」
輪田は煙の中の影を睨み付けた。
⦿
朦朧とした意識の中、新兒は二つの感触を認めていた。
一つは顔から胸や腹、脚に掛けて押し付けられる地面の感触。
そしてもう一つは何者かが手首を掴む感触だった。
「虻球磨君、しっかりしろ!」
「その声……根尾さんか」
新兒と根尾は輪田の作り出した人型に突撃され、爆発に巻き込まれた。
その威力は凄まじく、二人共倒れてしまったのだ。
虻球磨新兒と根尾弓矢は日本国民の中でも指折りの実力者達であり、神為に因る耐久力強化も一際である。
しかしその彼らですら、輪田の一撃を受けたダメージは甚大だった。
「済まねえ、根尾さん。頭に血が上って下手こいた」
「立てるか、虻球磨君?」
「気力を振り絞りゃなんとかいけるかも知れねえ、ってところかな……」
「立つんだ!」
根尾の方が寧ろ気力を振り絞っているかの様な声色だった。
どうやら彼の状態も新兒とそう変わらず、ギリギリで意識を保っているらしい。
「虻球磨君、奴と戦えるのは君だけだ。俺では奴に決定打を与えることは出来ん。君が奴を斃さなければならない。君は敗けてはならん」
新兒は根尾に掴まれている手から力が注ぎ込まれている様な感覚を覚えた。
力が与えられている――そんな気がした。
「勝て! 勝つまで決して斃れるんじゃない! 力の限り戦い、勝利を掴め! 全神経を覚醒させ、なんとしてでも生還するんだ! 良いな!」
新兒の手首から根尾の手が離れた。
どうやら限界を迎えたらしい。
一方で、新兒には気力が漲っていた。
地面に手を突き、力強く脚を踏み締めて立ち上がる。
「ああ、わかったよ」
煙が晴れた。
新兒は前方に仮面の軍人・輪田衛士の姿を認めた。
⦿
輪田衛士は恐るべき能力を備えている。
主に焔を操り、攻めては間合いも数的不利も物ともせずに敵を殲滅し、守っては害意を敵に跳ね返す、両面に於いて優れた能力だ。
だが彼は未だにその真骨頂を見せていない。
輪田は、自らの生み出した焔の人型を突撃させ、自爆させて攻撃する。
彼らはそれらを「戦友」と呼ぶが、そこには大きな理由があるのだ。
「残るは一人、さっさと始末させてもらおうか!」
輪田は右腕を振り上げた。
掌から木瓜紋が拡がり、黒い焔の人型が一人・二人と彼の周囲に降り立つ。
その有様を目撃した新兒は僅かに後退っていた。
「容赦ねえな、おい……」
「貴様らの実力は認めざるを得んからな。出し惜しみはせんよ」
この燃える人型「戦友」達は、一体一体が衝突時の自爆一発で鍛えられた戦士を戦闘不能に追い込みかねない威力を誇る。
それが十数体、輪田の周囲に控えているのだ。
新兒からすれば、気の遠くなる光景に違いない。
尤も、輪田が勝負を急ぐのはもう一つ、切羽詰まった理由があった。
彼はある方法でそれを肌で感じ取っていた。
(部下の命が次から次へと消えている。急がねばならんな……)
輪田が降り立った中学校から虚栄があるが、夢の島では遅れて上陸した超級為動機神体・ミロクサーヌ零式は全機破壊され、彼の部下達は白兵戦を展開していた。
彼らは崇神會の戦士達と戦闘を繰り広げているが、戦況は良くないらしい。
(だが、決して無駄ではないぞ。お前達が散った分、私は更に……!)
相対する二人の間に砂塵が舞った。
決着は一瞬――そう予感させる風が逆巻いている。
「全軍、突撃!」
輪田は右腕を振り下ろした。
それは攻撃開始の合図である。
彼が周囲に展開した燃える人型達が新兒に飛び掛かっていった。
「チイッ!!」
新兒は必死の形相で、縦横無尽に襲い掛かる人型の突撃を躱し続ける。
多くの喧嘩を経験した彼にとって、飛び掛かる敵を互いに衝突させて同士討ちを誘うのは慣れたものだろう。
しかしそれでも、回避は紙一重だった。
そんな中で、新兒は冷や汗を掻きながら小さく漏らす。
「こいつら……! 上がってやがる、動きの速さも爆発の威力も……!」
「ほう、気が付いたか」
輪田は北叟笑んだ。
彼は今、ほんの少し戦いを楽しんでいる。
それは偏に天下を取った戦国大名の血を引くが故の性か。
「その通りだ。私は共に戦う仲間の死を糧にして神為を高めることが出来る。そして私の能力はより強力になっていくのだ」
爆発の衝撃が大気を揺らし、恐怖の悲鳴が空気を乱す。
「くっ……!」
周囲では逃げ遅れた中学生や教員が爆発に脅かされながらどうにか避難しようとしている。
「おいお前ら! とっとと此処から離れやがれ! グズグズしてっと巻き込まれるぞ!」
堪りかねた新兒が中学生の後輩に声を掛けた、その時だった。
燃える人型が新兒を前後から挟み撃ちにし、肉薄する。
この距離で躱すことなど不可能だ。
「しまっ……!」
爆煙が新兒を包み込んだ。
凄まじい衝撃に、校舎の建屋がゆっくりと崩れ落ちていく。
爆発は地面を抉り、運動場を見るも無残な姿へと変えていた。
逃げ遅れた生徒達も、直撃は避けられたものの巻き込まれ、多くが怪我をして呻き声を上げていた。
血を流し、意識の無い者も居る。
まさに地獄絵図が出来上がっていた。
「漸く片付いたか……」
勝利を確信した輪田は足早に、酷薄に歩き出した。
彼の関心は既に、というよりも最初からこの場所には無かった。
目指すは議会・政府機関。
輪田はこの燃える人型の能力を駆使し、たった一人で政府を占領しようとしていた。
「私はやらねばならん。全ては皇國の、輪田将軍家の栄光の為に。これまで、その為に多くの部下が散った。だが彼らは今も私と共に在る。私は戦友と共に、皇國に永遠の安寧を齎すのだ……」
輪田は信じていた。
能力で生み出す人型は散っていった戦友の魂だと、彼らが力を貸し共に戦ってくれているのだと信じて已まなかった。
生身で戦うとき、輪田の行く手を阻む者は戦友達が残らず消し去ってくれる。
丁度今も、跡形も無く消し去ってくれた。
否、輪田は突如足を止めた。
背後から気配を感じたのだ。
「莫迦……な……!」
間違い無い、立っている。
挟み撃ちにして仕留めたはずの男が尚も自分を止めようとしている。
「運動会の時によ……」
新兒は輪田の背後で、咳き込みながら語り始めた。
「俺の妹、千草は中一の運動会の時によ、初めて徒競走で一着を取ったんだ。俺や親父やお袋に良いところを見せたいって、最後まで諦めて走ってたっけ。紙一重だったな。走り終わった時のあいつの顔、嬉しそうで誇らしそうで、そんで一寸照れくさそうだったっけ……」
輪田は慌てて振り返った。
ボロボロになった新兒がそれでも立ち上がり、拳を握り締めている。
信じ難い光景だった。
「耐えたというのか……!」
「おうよ。思い出の詰まったグラウンドをこんな滅茶苦茶にしてくれやがって。これから楽しい思い出を作る筈の奴らを酷え目に遭わせやがって。こんなことされたんじゃ、おめおめ眠ってられっかよ……!」
新兒の怒れる眼が輪田を凝視していた。
通常ならば足を竦ませるに充分な迫力が籠った視線だ。
しかし、輪田は動じない。
軍人たる彼はこの程度の、覚悟や怒りの眼を向けられるのは慣れている。
「それが戦争というものだ。嫌ならば戦うのをやめて軍門に降れば良い。戦いは終わる。そして皇國と一つになれば、二度と外敵に脅かされることもないだろう。永遠の安穏はこの地にもまた訪れるのだ」
「へえ、皇國は平和だってか。その割には手前らのロボット兵器をよく見掛けたがな。警察署をぶっ壊したり、街中で襲われたりよ。結構色々と暴れ回ってたが、あれは皇國の偉いさんが送ってきたんじゃなかったか? 今だって、手前らの都合一つでいきなり俺達の街をぶっ壊しやがったのが皇國じゃねえか」
輪田は眉間に皺を寄せた。
「で、あるか。ならば是非も無し……」
輪田の手が新兒に向けて差し出され、燃える人型が不意打ち気味に突撃する。
それも一体ではなく、何体も連続で。
新兒に躱す力は残されておらず、連続して強烈な爆撃が彼を容赦無く包み込んだ。
「今度こそ耐えられまい……」
勝利を確信する輪田。
しかし次の瞬間、爆煙から飛び出した新兒の姿に彼は驚愕した。
想定外の出来事に彼の防御は間に合わず、新兒の拳が顔面に突き刺さる。
「ぐうぅっっ!?」
凄まじい一撃に、輪田は大きく仰け反った。
だが耐えた。
膝を突いてしまったが、それでも倒れなかった。
とはいえ、一発で脚に来る拳を今一度喰らって無事という訳にはいかない。
(重い、先程よりも格段に! 本当に同じ人間の拳か?)
輪田は新兒を睨み付けた。
今の攻撃で斃しきれなかったばかりか反撃してきたことは意外ではあった。
だが新兒もまた、ふらついて膝を突いていた。
(互いに立てんときたか。ならば私の勝ちだ。奴に攻撃の手段は無いが私にはある!)
新兒に向けられた輪田の掌から木瓜紋が顕れ、燃える人型を模っていく。
相手は動けない、この一発で確実に仕留める――その意志を宿した「戦友」が新兒に襲い掛かる。
勝った――輪田は今度こそ確信した。
しかし、またしても新兒は土壇場で底力を見せた。
地面に着いていた手に力を込め、腕力で空中に跳び上がったのだ。
「莫迦な! 何処にそんな力が……!」
疑問が脳裡に過った刹那、輪田は目撃した。
中空に舞い、輪田に飛び掛かってくる新兒の拳が石になっている。
肉体を土や石塊に変える能力は今戦っている相手のものではない。
「まさかこれは……!」
石化した新兒の拳が輪田の顔面を思い切り殴り付けた。
今度こそ輪田は堪らず吹き飛び、仰向けに倒れて後頭部を地面に打ち付けた。
勢い余って外れた仮面が乾いた音を立てて跳ねていた。