水徒端早辺子はこの戦争で初めての捕虜となった。
「豊中一尉、後は宜しくお願いします」
「承知いたしました、根尾さん」
横田飛行場にて、岬守航の付き添いの下で根尾弓矢から豊中大洋へと早辺子の身柄が引き渡される。
彼女を捉えた航は横田飛行場へと徐行して向かう中、根尾に連絡しておかなければならなかった。
連絡を受けた根尾は横田飛行場で合流すべく車を走らせ、航から一旦早辺子の身柄を預かっていた。
神為を使う彼女に対して、捕虜待遇を与える前に処置を行う必要があったからだ。
「水徒端嬢には『人道上の解毒』の為『扶桑丸』と呼ばれる錠剤を服用させました。これは皇國の兵士に遍く投与されている『東瀛丸』と呼ばれる『ドーピング剤』の効果を打ち消すものです。副作用として投薬から凡そ十二時間後から二・三日程の期間に掛け、四十度以上の発熱が予想されます。どうか充分な厚生環境での管理をお願いします」
神為に由来する超人的な身体能力や異能を前にして、拘束は非常に困難である。
叛逆者との戦闘で神為の使い手を捕縛してきた皇國は、それを打ち消す為の薬剤――謂わば「東瀛丸の逆」の効果を持つ「扶桑丸」を使用し、虜囚の神為を無効化している。
日本国に於いては、皇國で諜報活動を行ってきた秘密政治結社・崇神會が東瀛丸だけでなくこの扶桑丸も密かに入手し、皇奏手防衛大臣兼国家公安委員長の手に渡していた。
「早辺子さん」
豊中に引き渡され、去り行く早辺子の背中に航が声を掛けた。
「貴女は悪くありません。もしこの戦いの果てに僕が死んでしまっても、決して貴女を恨んだりなんかしません。逆に、僕は貴女の主を殺してしまうかも知れません。その時は僕のことを恨んでいただいて構いません」
航にはどうしても伝えておかなければならないことがあった。
戦闘中に交わした会話から読み取るに、早辺子はかなり自暴自棄になっている。
そんな彼女を何も言わずに見送ることなど出来なかった。
「それでも、僕は貴女から受けた恩はずっと忘れません。屹度死ぬまで、貴女の存在は僕の中から消えないでしょう。どうかそれを過去の幻影にさせないでほしい。貴女には生きていてほしい。そして願わくは、幸せになってほしい……」
嘗て、航は早辺子に受けた恩義を「貴女が居なければ闇の中を藻掻き続けるしかなかった」と評した。
武装戦隊・狼ノ牙の下から脱出したときも、確かに彼女の行く末の幸福を願い伝えた。
その心は敵味方に分かれてしまった今も変わらない。
二人の距離は遠い。
物理的には兎も角、心理的には国を隔ててしまった。
しかし、それでも同じ青い空の下に生きていてほしい。
その思いは早辺子に届いただろうか……。
「岬守様、もう貴方には逆らえる気がしませんよ……」
早辺子はそれだけを航に言い残し、豊中ら自衛官に連行されていった。
⦿⦿⦿
航と早辺子が交戦した翌日、皇國は遠征軍参謀本部の作戦室に数人の軍高官が集まっていた。
遠征軍大臣である伯爵・鬼獄康彌元帥遠征軍大将、国防軍大臣である縞田成之元帥国防軍大将、内閣総理大臣・小木曽文章予備役遠征軍大将、杜若光穂現役遠征軍大将、掛井克也現役遠征軍中将、そして皇族軍人である第二皇子・鯱乃神那智国防軍大佐の、計六名である。
「本日、急遽お集まりいただいたのは、昨日甲公爵より提供いただいた水徒端男爵令嬢の交戦記録を分析し、これまでの交戦記録と照合しました結果、一つの結論に達しましたことを御報告させていただくと同時に、鯱乃神殿下へ作戦方針をお伝えする為で御座います」
五人の中でも一際大柄な壮年の男・掛井中将が大型ディスプレイに表示された資料に指示棒を延ばし、説明を始めようとしていた。
「此方の表を御覧ください。左が昨日の水徒端嬢、右が八日夜に『金色の機体』が侵攻してきた際の石動冬二大尉による交戦記録を纏めたものです。搭乗機体は何れもミロクサーヌ零式です」
掛井が指し示した表に軍人達の視線が集まった。
そして男性陣は揃って訝しげに画面を睨んでいた。
唯一、杜若大将だけは彼らの疑念とその真相を知っている様子で澄ましている。
「皆さん、表の左右で交戦時間が入れ替わっているとお考えね? 確かに、隼と称された歴戦の勇士である石動大尉よりも水徒端嬢の方が長く保っているというのは如何にも不自然ですわ。しかし、その点は掛井中将から説明があるでしょう。掛井中将、説明をお続けなさい」
「はい」
画面の表示が切り替わった。
どうやら参考資料があるらしい。
「只今表示しましたのは、『金色の機体』が石動隊と遭遇した時刻、そしてその次に国防軍の下柳隊と遭遇した時刻、そして両遭遇地点の距離です。これらから『金色の機体』の速度より求めた移動時間を差し引くと……」
「成程、先程の表の左は石動隊全ての機体が撃墜されるよりも長く戦っていることになる。つまり、石動大尉単機の交戦時間としては不適当ということになり、データの取り違えではないことが確認出来るという訳ですか……」
「はい殿下。間違い無く水徒端嬢は石動隊より長く『金色の機体』と戦っているのです」
掛井と鯱乃神の遣り取りの中、縞田は苦虫を噛み潰した様な表情をして机の下で拳を握り締めていた。
遠征軍が国防軍下柳隊の交戦情報を持っているのは彼が鬼獄に提供させられたからだ。
早辺子の独断専行が彼女を予備役としていた国防軍の失態とされ、そこに付け入られていた。
そんな縞田を横目に、鬼獄は小さく北叟笑んでいた。
「いや、国防軍の訓練というのは素晴らしいようですな。予備役の彼女が我が遠征軍の石動よりも善戦する程の操縦技術を身に付けているとは。これは、我々にも方法論を御教授願いたいところです」
「揶揄わんでください、鬼獄伯爵。この奇妙な結果には何か別の要因があるのでしょう?」
二人の遣り取りに鯱乃神は眉を顰める。
国難の中にも拘わらず派閥同士の陰湿な争いに感ける姿は端から見て気持ちの良いものではない。
そんな聴衆の様子は兎も角、掛井は縞田の質問に答えるべく画面を切り替えた。
「続いて此方を御覧ください。この表は昨日の水徒端嬢と九日の輪田少佐、それぞれを相手に敵の『金色の機体』が繰り出した兵装の平均エネルギー出力の比較です。上が光線砲、下が切断ユニットの出力です」
「今度は明らかに輪田を相手にした方が高い出力となっていますね。しかしこれは当然では? 輪田が搭乗していたのは専用機である特級為動機神体・ツハヤムスビです。その装甲を破るのに必要なエネルギーが汎用機のミロクサーヌ零式と同じとはいかないでしょう」
「無論、我々も初めはそう考えました。しかし、この値を単純に読み取るのは落とし穴です。何故なら、この出力ではツハヤムスビの前では傷一つ付けられないのですから」
「どういうことです?」
鯱乃神の質問に、掛井は更に次の画面を表示した。
「此方は輪田少佐との交戦に於ける敵機の攻撃出力を詳細に纏めたものです。光線砲、切断ユニット共に最後の一回で突出した出力を発揮しているのが解るかと思います」
「確かに。しかし、私は未だ掛井中将殿の仰りたい意図を図りかねておりますが?」
「一回の攻撃にこれほどの出力、つまり神為を発揮したということは、その分操縦士の負担も尋常ではないでしょう。我々はここにこそ、水徒端嬢が善戦出来た理由が潜んでいると踏んでいるのです」
掛井の眼に鋭い光が宿った。
「『金色の機体』は輪田少佐との戦いで酷く消耗し、そしてその疲労は昨日の時点で回復していなかったのです。そんな状態で、水徒端嬢と再び交戦してしまった。以上の推論により、遠征軍としては操縦士が恢復する前に『金色の機体』を叩くべきだと考えます」
「承知しました。私としても異論はありません。我が専用機も準備出来ております」
鯱乃神は静かに、それでいて決意に満ちた強い口調で答えた。
基より望むところだ。
輪田が斃せなかった「金色の機体」を自分が斃す、それでこそ欲して已まなかった「皇國最強の為動機神体操縦士」の称号が手に入るのだ。
「では続きまして、作戦任務をお伝えしましょう」
画面が切り替わった。
「輪田少佐の敗因の一つは、機体の性能差により上陸時刻がばらついて単機で『金色の機体』に挑む羽目に陥ったことでした。皇國最高の為動機神体である殿下の専用機ですと、これはより顕著に生じると予想されます。これは避けたい」
「はい……」
鯱乃神は拳を握り締めた。
本心では自分も単機で挑みたい。
そうすれば輪田の不可能を達したことで好敵手の先へ行ったとよりはっきり実感出来る筈だ。
しかし、遠征軍の指揮下に入る以上は命令に従わなくてはならない。
「そこで、一旦中継地点を設けます。皇國と明治日本の間、皇海には多くの島嶼が点在し、中には軍事拠点になり得る大きさのものも存在します」
掛井は画面に表示された地図上の一点を指し示した。
「殿下には此処、硫黄島に上陸し、そこに在る明治日本の軍事拠点を占領していただきたい。そこで一旦部隊を集合させ、それから一気に明治日本を叩いて『金色の機体』を破壊するのです!」
「成程。一旦その島で時間を置けば、『金色の機体』は向こうからやって来るかも知れませんね。その時は集めた部隊でそのまま迎え撃てば良い、という訳ですか」
「作戦には出撃しなかった輪田隊の面々をお貸ししましょう。彼らも隊長の仇を討ちたいと意気込んでおります。殿下の部隊と混成していただけると宜しいかと……」
斯くして、皇國は次の侵攻の方針を決め、鯱乃神にその内容を伝えた。
⦿⦿⦿
第二皇女・龍乃神深花と第三皇子・蛟乃神賢智は現在、父・神皇が担っていた「皇國全土に神為を送り、インフラを維持する」という役割を負うべく皇宮に詰めている。
会議を終えた第二皇子・鯱乃神那智が宮殿に足を運んだのは、そんな二人の様子を見に来ているという第一皇女・麒乃神聖花に出撃の報告をする為だ。
つまり、彼の目当ては弟妹ではない。
特に妹に対しては態々報告しようとも思わない。
従って、宮殿の回廊で鯱乃神と龍乃神が出くわしたのは全くの偶然だった。
怪我から恢復した龍乃神の侍従・灰祇院在清が恭しく主の兄宮に頭を下げる。
「深花……」
「鯱兄様……」
実のところ、二人の仲は皇族の中でも険悪だった。
というのも、日本国に対する方針として最も強硬派で好戦的ですらある鯱乃神と、最も穏健派で吸収自体を快く思っていない龍乃神では考え方があまりにも両極端だ。
故に何度も衝突し、今ではろくに口も利かなくなっていた。
「何か御用ですか、兄様?」
「お前には無い。姉様が此処へ来ていると聞いたのだ。報告したいことがあってな」
一瞬、龍乃神の眉が僅かに引き上げられた。
鯱乃神の言葉から凡そのことは察したのだろう。
鯱乃神は構わずに妹の横を通り過ぎようと歩き始めた。
「兄様」
そんな兄を、龍乃神は呼び止めた。
鯱乃神は眉根を寄せて立ち止まる。
「兄様、どうかくれぐれも御自愛ください」
「ふん……」
不仲の兄が戦場へ赴くことを悟った妹は、蟠りの中でも無事を願う言葉を掛けた。
しかし、その為に彼女が選んだ言葉が鯱乃神には気に食わなかった。
そんな彼に対し、妹の侍従である灰祇院も声を掛ける。
「鯱乃神殿下、私もお祈り申し上げます。貴方様の御武運と、水徒端殿の御無事を……」
足を止めたて振り向いた鯱乃神は、背中越しに灰祇院へと視線を向けた。
灰祇院は再び頭を下げる。
「出過ぎた言葉でした、殿下」
「全くだ……」
龍乃神と灰祇院はやや足早にその場から歩き去って行った。
「灰祇院め、病み上がり早々に知った風な口を……」
鯱乃神は小さく悪態を吐いた、吐かずにはいられなかった。
妹を見る灰祇院の眼に、その言葉の真意を垣間見てしまったからだ。
「分を弁えろ、戯けが」
鯱乃神の不快感とは、自らの心のざわつきを見透かされた羞恥心に他ならなかった。