硫黄島上での死闘を制した航は、三度の日神回路発動で神為を使い果たして気を失っていた。
「う……ん……」
目を覚ました彼は、見慣れない部屋のベッドの上で豊中大洋一尉と求来里美乃三尉の姿を見た。
「此処は……?」
「硫黄島航空基地だ。カムヤマトイワレヒコの操縦席で気を失っていたところを、駐屯していた自衛官の手で運び出されたそうだ」
「そうですか……」
窓からは月と星の光が差し込んでいる。
夜まで眠り続けていたらしい。
「川西三佐の部隊は……通信が繋がらないということは、そういうことなんだな……」
「はい……」
部屋は重い空気に沈んだ。
航は何の犠牲も無く鯱乃神に勝てた訳ではない。
特に、重力崩壊を利用した敵の光線砲は、川西隊が何も出来ずに消し飛ばされる様を見ていなければ航が最初の犠牲者となっていただろう。
国防の為、また多くの命が喪われたのだ。
「豊中隊の皆さんは?」
「今回は全員無事だ。他の連中も此処へ来ているよ。……そうだ、一寸外へ出てくれないか。困ったことになっていてな」
「困ったこと? 何か問題が起きているんですか?」
「いや、そう身構える必要は無い。人名や国家存亡に関わるような話ではないから」
航は豊中の言葉を怪訝に思いながらベッドの下に靴を見付けて履くと、彼らに連れられて建屋の外へと出て行った。
⦿⦿⦿
夜の闇の中、二つの巨大な鉄の塊が重なり合っている。
その周囲に自衛官達の人集りが出来ていた。
豊中と求来里に連れられてきた航はこの時、完全に機能を停止したカムヤマトイワレヒコを初めて見た。
起動時に神為の発光が抑えられない機体が、今はその残光すらも失って星月の光で白く照らされていた。
屹度この冷厳な白が「金色の機体」と呼ばれるカムヤマトイワレヒコの本来想定されていた色合いなのだろう。
航は初めて戦友の寝顔を見た様な、これまでと違った親近感を覚えた。
「これ、決着が付いた時のままなんですね」
航は戦いの記憶を何気なく思い出した。
兎に角必死だったが、確かに最後はこのような体勢で止めを刺し、そして自身も気絶したのだった。
そんなことを考えていると、期待の胸が開いて中から二人の自衛官が出て来た。
豊中隊の恩田聡二尉と剣持或人二尉である。
「やはり駄目です。我々では全く動かせません」
「豊中隊長の仰るとおり、完全に岬守さんと適合してますねこりゃ……」
どうやら二人はカムヤマトイワレヒコを動かそうと悪戦苦闘していたらしい。
先程豊中が言っていた「困ったこと」とはこのことか。
「ジュネーヴ条約というものがありましてね。戦死者の遺体は敵であっても丁重に扱わねばなりません。然るべき対応の為にまずは機体から外へ出したいのだが、カムヤマトイワレヒコがビクとも動かんので困っていた、というところなんだ」
「私達の乗って来たスイゼイで運ぶことも考えたんですけど、切断ユニットが遺体に突き刺さっちゃってますからね。持ち上げる際に刃が変に動いて遺体がグチャグチャになるかも知れない、と……」
「おそらく、長時間の日神回路発動で岬守さん以外には整備機動すら出来ない程に個人適合してしまったのだろう」
「ああ、成程……」
豊中と求来里から事情を聞いた航はカムヤマトイワレヒコの切断ユニットの先へと目を遣った。
タカミムスビに突き刺さったあの刃の先には、死闘を演じたあの男が今も居るということらしい。
だが戦闘中に感じられた異様な気迫はもう消えている。
「やれますか? 出来れば、刃を引き抜いてくれるだけで良いんだが……」
「どうでしょう……? まだ目が覚めたばかりで、神為がそこまで回復しているかと言われると微妙ですね……」
今回の戦い、航はかなり無理を続けて漸く勝利をもぎ取った。
豊中も推察したとおり、日神回路を三度も発動させた航は、今でも此処まで歩くだけでヘトヘトになってしまう。
今カムヤマトイワレヒコを動かそうとすると、整備機動だけでまた気絶しかねない。
「そうですか。では、明日にしましょうか……」
「いや、やりますよ。確かに、敵とはいえ彼をこのままにしておくのは忍びない……」
航は鯱乃神に対して憎しみや敵対心を抱いていない。
寧ろ、何処か友情に近い思いが胸に芽生えていた。
互いに、互いの守るべき国家の為に死力を尽くして戦ったからだろうか。
最後の最後まで諦めずに戦い抜き、止めの瞬間まで苦しめられた難敵に対して、確かな敬意があった。
「ただ、皆さんの力もお借りしたいですね。今の僕は自力で操縦席の所まで機体を登れませんから。誰かの為動機神体であそこまで連れて行ってくれると有難いです」
「解った。準備しよう」
豊中は航の頼みを了承し、この場を離れた。
カムヤマトイワレヒコの機体からは恩田と剣持が降りて来る。
航は聳える機体を再び仰ぎ見た。
満天の煌星に煌めく姿は何処か涼しげで、清らかな何かが宿っている様に思えた。
まるで空から何かが、多くの何かがこの場を見守っている様な……。
「求来里さん」
「はい?」
「今回の戦いで死んでいった人達って、何処へ行くんでしょうか……。家族のところへ帰るんでしょうか……。僕達のこれからを見守ってくれるんでしょうか……」
航の問に、求来里は首を傾げた。
航も別に答えを求めた訳ではない。
唯なんとなく、戦いに散った川西隊や鯱乃神隊の面々が何を遺して逝ったのか、ふと気になっただけだ。
否、彼らだけでなく、もっと古くから、それぞれの思いを命懸けで通そうとした戦士達の遺志がどうなるのか……。
「岬守さんは川西三佐のこと殆ど知らないでしょうけど、あの人は面白い人でしたよ。気さくで、良い人でした。一寸距離感が近くて鬱陶しいところはありましたけど……」
「そうですか……」
「この戦いが始まってから、仲間の殉職がかなり増えました。遺族のことを思うと堪えます。でも彼らの御陰で、私達は今も戦えている……」
「はい……」
求来里の言葉が航の胸に染みた。
そして航は強い実感と共に、二機の為動機神体と夜空を見上げて呟いた。
「硫黄島、どうにか守り切れて良かった……」
超級為動機神体・スイゼイが航達の許へと降り立った。
今回の戦いは日本国の勝利に終わったが、今後も厳しい戦いが続くだろう。
それに備え、航は一度この島で休んで夜を明かし、翌日に本土へ帰還する。
⦿⦿⦿
神聖大日本皇國は皇宮宮殿、神皇の寝室。
麗真魅琴との戦い以来、神皇はずっと目を覚ましていない。
神為を失って無力な彼を守るべく、嫡子・獅乃神叡智は開戦以来この場所で寝台に眠る父を見守り続けていた。
窓から差し込む月の光が、小さな父と大きな息子をそれぞれ照らしている。
愁いに満ちた獅乃神の美貌を、彼の近衛侍女の一人・敷島朱鷺緒が窺っている。
「獅乃神殿下、少しお休みになられては……」
主を気遣い声を掛けた敷島に、獅乃神は無言で視線を向ける。
その表情に疲れは見えないが、彼はこれまでの贅を尽くした生活から一変、我が身を省みずに父の看病に没頭していた。
侍従や侍女を一切頼らず、死んだ様に眠り続ける父の身の回りの世話を全て自らの手で行っていた。
今までの彼と比較すると、これは異常な状態である。
「あの、殿下……?」
「心配には及ばん。やるべきことはやっている。つい先程、新型為動機神体の全仕様を貴龍院に預けたところだ。特別機一機と、汎用量産機……これらが導入されれば、戦局は皇國へ一気に傾くだろう」
敷島は固唾を呑んだ。
絶対強者と呼ばれる主は学問や技術に於いても他の追随を許さない。
軍事・経済・産業――現在の皇國を支える凡そ全ての革新は、この男に因って齎されたと言っても過言ではない。
だが一つ、敷島は違和感を覚えた。
父の世話の傍ら、新技術の全仕様を作り上げる獅乃神の能力は確かに異常であるが、敷島はそれでもこう思えてならない。
「殿下、貴方様があの日より考案された新兵器が二機種に留まるとは……。何か御宸憂でも?」
「うむ……」
獅乃神は敷島から目を逸らし、溜息を吐いた。
彼女の考えるとおり、何か思う処があるのだろうか。
彼は父の竜顔を見下ろしつつ答える。
「敷島よ、汝は誠に出来た近衛だ。六年前のあの日、汝を迎えた俺の考えは間違っていなかったのだ」
「では殿下……」
「汝の察するとおりだ。俺は今、迷っている……」
「迷われている……?」
獅乃神が迷いを口にしたのは初めてだった。
彼は今まで、自らの善意を極めて自分本位に押し通してきた。
敷島が覚えた違和感とは、そんな彼の態度に変化が見られたことに起因していたということか。
獅乃神はそんな自らの思いを吐露する。
「俺が皇國の兵器を考案してきたのは、単に『日本』の為だ。此岸に於いては本邦を脅かす外敵を退け、彼岸に在っては友邦を苦しめる圧政を除き、汎ゆる世界線に遍く生きる全ての大和民族に福音を齎す為、無敵の力を皇國に与えたかった」
獅乃神の表情に影が差した。
手の指を絡ませる姿は、敷島に主の嘗て無い愁いを感じさせた。
「皇國の力は全ての世界線に於ける『日本』の光でなくてはならん。だが今、その為に拵えた力が日本人同士の血で血を洗う争いに使われている。果たしてこれで良いのか?」
「しかし畏れながら殿下、その争う相手は陛下を……」
「確かにそうだ。父上を斯様な目に遭わせた者共のことは許せん。だが一方で、何の理由も無く彼らが父上に狼藉を働き、皇國に刃向かうとも思えんのだ。彼らには彼らの事情が、明治日本には明治日本の信義があるのではないか? そう思うと、このままで良いのかと迷いを禁じ得んではないか……」
獅乃神は両目を細めた。
彼の躊躇いは偏に皇國の正義に対する疑いが無いこと、それでいて皇國以外の日本人の善性もまた信じて已まないという、そんな先入観、思い込み同士の矛盾から生ずるものである。
そんな主の揺らぎは、臣下たる敷島の胸中にもまた迷いを生じさせた。
彼女は主が都合の良い夢から醒めてしまうことを懸念しているのだ。
だが獅乃神はそんな敷島の思いを余所に言葉を止めた。
というより、何かに驚いてそれどころでは無くなったと言った方が正しい。
彼は目を瞠り、真紅と柳緑の眼で一点を凝視していた。
視線の先で起きていることに気が付いた敷島もまた息を呑む。
「陛下……!」
寝台の上で寝ていた神皇が目を開けていた。
神皇はゆっくりと身体を起こすと、深く溜息を吐いた。
「父上! お目覚めか! 良かった、本当に良かった……!」
獅乃神は心底の安堵と喜びを表した。
目覚めたばかりで神為は戻っていないだろうが、国を支える彼が戻る目途が立ったことは皇國にとって朗報である。
神皇は項垂れたまま力無く呟く。
「悪夢を見ておった……。久しく見なんだ、革命の夢を……」
神皇の表情は暗い。
一方で獅乃神は先程の悩みが嘘の様に燥いでいた。
「そうだ敷島よ、あの時の河豚刺しだ! もう一度用意させよう! 父上、お好きでしたよね?」
だがそんな彼らの耳に、寝室の扉を叩く音が届いた。
「殿下、貴龍院で御座います。畏れながら、お耳に入れなくてはならないことが」
「おお貴龍院! 良いところへ来た、入れ!」
上機嫌でもう一人の近衛侍女・貴龍院皓雪を招き入れる獅乃神。
だが一方で敷島は一抹の不安を覚えた。
貴龍院の言葉は「お耳に入れなくてはならない」であり、「お耳に入れたい」ではない。
何か悪い報せを持って来たのか。
「獅乃神殿下、恐み恐み申し上げますわ。弟君が、鯱乃神那智殿下が名誉の戦死を遂げられました……」
貴龍院は目を覚ました神皇に目も呉れず、深々と頭を下げて訃報を届けた。
神皇覚醒の朗報も束の間、あまりの報せに寝室の空気は一気に凍り付いた。