日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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幕間十『夕餉』 上

 七月八日水曜日の夕刻、皇(こう)國(こく)皇宮に一台の高級車が到着した。

 時系列でいうと、丁度岬(さき)守(もり)航(わたる)達が帰国を前にして能(のう)條(じよう)緋(ひ)月(づき)首相との面会に行っている頃合いである。

 つまり、日本国と皇(こう)國(こく)が戦争状態に突入する数時間前のことであった。

 

 この日、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)は皇族達との晩(ばん)餐(さん)会(かい)に招待されていた。

 皇(こう)國(こく)滞在中、第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)の邸宅で世話になっていた魅(み)琴(こと)は、彼女とその侍従・灰(かい)祇(ぎ)院(いん)在(あり)清(きよ)と共に後部座席から降車した。

 

(遂(つい)に来た……)

 

 魅(み)琴(こと)は目の前に聳(そび)える荘(そう)厳(ごん)な混凝土(コンクリート)造の和風宮殿を見上げて息を整えた。

 この席に相(ふ)応(さわ)しいようにと灰(かい)祇(ぎ)院(いん)に見繕われた壮麗な黒のドレスは、まるで真剣勝負に備えて身に纏(まと)った鎧(よろい)の様に身も心も引き締める。

 実際、彼女は自らの決意を確固たるものにすべくドレスの下に戦闘用のホルターネックレオタードを着ており、決闘に向かうに似た心境であった。

 

「どうかしましたか、御婦人(マドモアゼル)?」

 

 立ち止まった魅(み)琴(こと)の心持ちを慮(おもんぱか)ってか、灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が穏やかな声(こわ)色(いろ)で尋ねてきた。

 魅(み)琴(こと)は立ち止まったまま問い返す。

 

「此(こ)方(ちら)に神(じん)皇(のう)陛下があらせられるのですか……?」

「はい、然(さ)様(よう)で御座います」

「普段からお住まいに?」

「勿(もち)論(ろん)、宮殿で御座いますから」

 

 魅(み)琴(こと)の質問に、いつもの気取った調子で灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が答えた。

 彼女は皇(こう)國(こく)の皇宮について、事前にいくつかの情報を聞かされている。

 その中でも、神(じん)皇(のう)の御所については是が非でも確かめておきたかった。

 

(皇(こう)國(こく)の皇宮では御所と宮殿は同一……御(お)爺(じい)様(さま)から聞いていた通りね)

 

 神(じん)皇(のう)が普段何処(どこ)に居るのか――それを把握しておくことは、魅(み)琴(こと)の使命を果たす上で極めて重要である。

 この夕食会は、魅(み)琴(こと)と第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)の婚約に神(じん)皇(のう)の勅(ちょっ)許(きょ)を取り付ける場として設けられたものだが、魅(み)琴(こと)にとっては神(じん)皇(のう)への接近と宮殿の下見という隠れたもう一つの目的があったのだ。

 全ては、事が起きた時に可能な限り速やかに神(じん)皇(のう)を暗殺する為(ため)……。

 

「さあ、行こう」

「ええ、龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)に促され、魅(み)琴(こと)は宮殿に向かって歩き出した。

 

「ようこそお越しくださいました」

 

 礼服を着た壮年の男が宮殿前へ出迎えに出ており、三人に深々と頭を下げた。

 洗練された出(い)で立(た)ちと立ち振る舞いが、貴族の中でも一際の威厳を感じさせる男だ。

 

「侍従長自らお出ましか」

「本日の御(お)客(きやく)様(さま)は特別中の特別で御座いますから」

 

 侍従長・大(だい)覚(かく)寺(じ)常(つね)定(さだ)。

 皇族に仕える全ての侍従・侍女を束ねる総責任者として、神(じん)皇(のう)の厚い信任を得ている男だ。

 その為、侯爵でありながらその言葉の重みは公爵をも上回ることさえある。

 本来はこのような召使いの如き役割を負うような者ではないのだが、それだけ今回の催しは重要だということだろうか。

 

「麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)様、休所へ御案内いたしましょう。夕食会の準備が整いますまで、今暫(しばら)くお待ちくださいませ」

 

 魅(み)琴(こと)は大(だい)覚(かく)寺(じ)に先導され、大理石の階段を昇っていく。

 その先には黒(くろ)御(み)影(かげ)石(いし)の優雅な回廊が待ち構えているが、その前に階段の上で二人の男女が彼女を出迎える。

 

「よく来たな、待っていたぞ」

 

 二一六糎(センチ)の筋骨隆々とした肉体を誇る偉丈夫、第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)が両腕を広げて歓待の意を表した。

 白金色の髪と茶金色の肌が薄紫の明かりに照らされ、実に神秘的な趣を感じさせる。

 

「本日は御招待いただき光栄の至りに存じます、獅(し)乃(の)神(かみ)殿下」

 

 魅(み)琴(こと)は恭(うやうや)しく頭を下げた。

 この男に気に入られ、求婚までされたというのは実に好都合な偶然である。

 図らずも、神(じん)皇(のう)に近付く絶好の口実が出来たのだ。

 しかし、苟且(かりそめ)にもこの申し出を受けるのはどうにも胸を締め付けられる。

 

(断るなんてあり得ない……。でも……)

 

 魅(み)琴(こと)の脳(のう)裡(り)に幼馴染・岬(さき)守(もり)航(わたる)の顔が浮かぶ。

 自らの使命に殉じるべき心から、彼への想(おも)いがどうしても消えてくれない。

 幾ら後ろ髪を引いても、振り切ることしか出来ないというのに……。

 

(どの道……初めから叶(かな)わないのよ。それに、私(わたし)は航(わたる)に相応しくない。私(わたし)の様な邪悪な獣(けだもの)は……)

 

 魅(み)琴(こと)は努めて未練を顔に出さぬように意識しながら、徐(おもむろ)に顔を上げた。

 そんな彼女の癇(かん)に障ったのは、獅(し)乃(の)神(かみ)と共に出迎えたもう一人の女だった。

 背の高い、高貴にして妖艶な黒髪の美女である。

 

「こんにちは。御(お)前(まえ)が麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)ですね……」

 

 第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)、獅(し)乃(の)神(かみ)との婚姻の暁(あかつき)には魅(み)琴(こと)の義姉となる女である。

 だがその顔を見た瞬間、魅(み)琴(こと)の胸中を漆黒の怒りが静かに包み込む。

 この女は前夜、魅(み)琴(こと)の誰よりも大切な岬(さき)守(もり)航(わたる)を連れ去り、悍(おぞ)ましい行為に及んだ。

 留守中を狙って魅(み)琴(こと)が連れ帰らなければ、一体彼はどこまでの目に遭わされただろうか。

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)は何かを探る様な眼で魅(み)琴(こと)を見下ろしている。

 確証は無いが、自分の許(もと)からお気に入りの玩具(おもちや)を連れ去った相手の目星は大方付いているのだろう。

 魅(み)琴(こと)にとって、ここは知らぬ振りを突き通すのが賢明であり、彼女自身も当然そのつもりだ。

 だが彼女は、決して表立って事を荒立てたりはしないが、何気ない態度の中に解(わか)る相手にだけは解る毒を密(ひそ)かに盛る。

 

「初めまして、『御(お)姉(ねえ)様(さま)』」

 

 背後で魅(み)琴(こと)の挨拶を聞いていた第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)は蒼(あお)い顔をしていた。

 魅(み)琴(こと)は航(わたる)が如(い)何(か)なる顛(てん)末(まつ)で麒(き)乃(の)神(かみ)に連れ去られたか、大体のところを第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)から聞かされている。

 その中で、麒(き)乃(の)神(かみ)が何を切(きっ)掛(かけ)に航(わたる)を見初めたのかも知らされていたのだ。

 

「今、私(わたくし)のことを『御姉様』と言いましたか?」

「ええ。今後、私(わたし)の姉となる御(お)方(かた)ですから。何か不都合でも御座いましたでしょうか?」

 

 わざとらしい笑顔を見せる魅(み)琴(こと)の答えは、端から見ると不自然なところは何も無い。

 しかし、麒(き)乃(の)神(かみ)は魅(み)琴(こと)の心の内を見抜いたのだろう、手に持った扇で口元を隠した。

 知る人ぞ知る、不快感の表明である。

 

「いいえ、好(よ)く出来た娘だと感心しただけですよ。家族が増えるのは目(め)出(で)度(た)きことです。これからは私(わたくし)が皇族に相応しい身の振り方を手取り足取り教えて差し上げましょう。是非、私(わたくし)の邸宅に御招待したいわ。初めてお越しになった時は屹(きつ)度(と)驚きますよ」

「勿(もつ)体(たい)無(な)い御(お)言(こと)葉(ば)ですわ。御姉様のお住まいですもの、素敵な御(お)屋(や)敷(しき)なのでしょうね。屹度、気に入りすぎて帰りたくなくなってしまうくらいに。こんなことでも無ければ、庶民の私(わたし)が招かれる筈(はず)も無い。大変栄誉なことですわ」

 

 互いに棘(いばら)のある笑顔と言葉を向け合う魅(み)琴(こと)と麒(き)乃(の)神(かみ)。

 そんな二人の脇で、龍(たつ)乃(の)神(かみ)と灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が小声で話している。

 

「姉様、やはり気付いているな。彼女が昨夜、姉様の邸宅に侵入したことに。もう初めての訪問は済ませているだろうと、暗にそう仰(おつしや)っている」

「麗(うる)真(ま)様も麗(うる)真(ま)様で、岬(さき)守(もり)様を攫(さら)われたことが相当腹に据えかねている模様ですね。庶民の彼が招かれたことなどあり得ないだろう、と。況(ま)してや閉じ込めて帰さないつもりだったなどとは……」

 

 二人は険悪な空気を感じ取っている。

 対して、もう一人の男は暢(のん)気(き)なものだ。

 

「二人共、仲良くなれそうで何よりだな」

「に、兄様にはそう見えているのですね……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)はそんな獅(し)乃(の)神(かみ)の鈍感さに呆(あき)れかえっていた。

 唯一人、大(だい)覚(かく)寺(じ)は動じる様子も見せずに皇族の長姉長兄に挨拶をする。

 

「獅(し)乃(の)神(かみ)殿下、麒(き)乃(の)神(かみ)殿下、ご機嫌麗(うるわ)しゅう御座います。これより麗(うる)真(ま)様と龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下を休所・蓮(れん)華(げ)の間へと御案内いたしますが、御一緒なさいますかな? 丁度、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)殿下と狛(こま)乃(の)神(かみ)殿下もお越しですし、食事会の準備が整うまでの間、暫(しば)し御歓談のお時間も御座いますが……」

「那(な)智(ち)は来ていないのか?」

「鯱(しやち)乃(の)神(かみ)殿下は訓練がお済み次第お越しになると」

「ふむ、ならば俺(おれ)は彼(あれ)を待たねばならん。魅(み)琴(こと)よ、暫し弟妹と交流を深めておいてくれ」

 

 どうやら獅(し)乃(の)神(かみ)は弟の第二皇子・鯱(しやち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)に用があるらしい。

 

「麒(き)乃(の)神(かみ)殿下は如(いか)何(が)なさいますかな?」

「私(わたくし)は六摂家の者共と会わねばなりません。特に、甲(きのえ)公爵家は昨夜の件がありますので」

「畏(かしこ)まりました」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)も席を外すということだが、この流れでは当然だろう。

 

「では、御案内いたしましょう」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)及び獅(し)乃(の)神(かみ)と一旦別れた魅(み)琴(こと)は引き続き大(だい)覚(かく)寺(じ)に連れられ、休所・蓮華の間へ向かって回廊を進んでいった。

 

「貴女(あなた)が獅(しし)兄(にい)様(さま)に見初められたっていう婚約者?」

 

 派手な装い、年不相応な程に凝った化粧を施された少女が魅(み)琴(こと)に話し掛けてきた。

 

(このギャルの様な娘は……第三皇女か)

 

 魅(み)琴(こと)は灰(かい)祇(ぎ)院(いん)から事前に各皇族について一通り聞かされている。

 それで、この少女が第三皇女・狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)であると察した。

 

「初めまして。麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)です」

「ふーん、平民出にしては雰囲気あるじゃん。兄様に気に入られるだけのことはあるってことね。でも勘違いすんなよ? 貴女(あなた)はまだ私(わたし)様(さま)達に認められた訳じゃないから」

「御忠告、誠に痛み入ります。心しておきますわ」

 

 魅(み)琴(こと)の無難な受け答えに、半笑いだった狛(こま)乃(の)神(かみ)は口をへの字に曲げた。

 おそらく、自分など相手にしていないという印象を与えて不機嫌にさせたのだろう。

 狛(こま)乃(の)神(かみ)がそれ以上ちょっかいを掛けてこなかったのは、この場に姉の眼(め)があったことが幸いした。

 

(やれやれ……)

 

 臍(へそ)を曲げてその場を去った狛(こま)乃(の)神(かみ)を尻目に、魅(み)琴(こと)は小さく溜息を吐いた。

 

(第三皇女・狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)……如(い)何(か)にも我(わ)が儘(まま)放題に育てられた末娘といったところか。化粧も改造制服も、皇族華族御(ご)用(よう)達(たし)の名門校としては校則違反ではないのか。あまり褒められた娘じゃなさそうだ……)

 

 狛(こま)乃(の)神(かみ)に対する魅(み)琴(こと)の第一印象も好(よ)くはなかった。

 そしてこの後、二人は空港で衝突することになり、この印象は結局覆らない。

 

 その後、魅(み)琴(こと)は龍(たつ)乃(の)神(かみ)らと共に休所で夕食会の時を待つ。

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