日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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幕間十『夕餉』 下

 皇宮宮殿・蓮(れん)華(げ)の間は参殿者の休所として使われる小部屋である。

 大理石の壁に掛けられた絵画や掛け軸、立て置かれた花瓶等の美術品が洗練された空間を演出している。

 

 部屋の席では、先程少し話をした第三皇女・狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)がふてくされた態度で一人坐(すわ)っている。

 また、この場に控えるもう二人の皇族は小声で何かを話している。

 第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)と第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)は皇族の中でも歳(とし)も考え方も近く、仲が良いらしい。

 

「龍(たつ)姉(ねえ)様(さま)、彼女と麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)はやっぱり険悪だった?」

「ああ、会うなり嫌(いや)味(み)を応酬していたよ」

「獅(しし)兄(にい)様(さま)は何て言ってた?」

「仲良くなれそうだ、と」

「はは、相変わらずだねあの人は」

 

 この二人に対しては、魅(み)琴(こと)の印象は然(さ)程(ほど)悪くはない。

 

(第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)……航(わたる)の危機を伝えてくれたところを見ると、悪い人物ではないのだろう。ただ、攫(さら)われる前に止めてはくれなかった。良い人ではあるけど、兄や姉に刃向かえる程には骨太じゃない。あと、雰囲気は少し航(わたる)に似ているかも……)

 

 また、龍(たつ)乃(の)神(かみ)に対しては恩義を感じてすらいる。

 

(第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)……航(わたる)を助けてくれた恩人……。おそらく、皇族では一番信用の置ける人物。ただ、航(わたる)に粉を掛けようとしているのはいただけない。航(わたる)の気を惹(ひ)くことに嫉妬は無いけれど、断じてそれは無いのだけれど、航(わたる)が私(わたし)以外の好(い)い女を見付けられるのは慶(よろこ)ばしいことだけれど、皇族の女だけは駄目なのよ……)

 

 魅(み)琴(こと)にとって、皇族は孰(いず)れ敵対する者達である。

 航(わたる)がその者達の側に行くことは、あまり気分が良くない。

 

(大体、貴族社会で皇族の女は公爵家とかの良家の嫡男と縁談があって、家同士の合意で結婚するものでしょう。航(わたる)はどう足(あ)掻(が)いても愛人にしかなれないし、彼女自身、それは解(わか)っている筈(はず)。にも拘(かか)わらず手を出そうとするなんて航(わたる)の気持ちはどうなる? 逆に、そんなことも解らず彼女に鼻の下を伸ばすなら航(わたる)も航(わたる)だ……)

 

 そんな魅(み)琴(こと)の胸中を知ってか知らずか、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は魅(み)琴(こと)に話し掛けてきた。

 

「麗(うる)真(ま)さん、急にこんな話が持ち上がって、さぞ困惑しているだろう。だが、あまり心配はしなくて良い。妾(わらわ)に少し考えがある」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は魅(み)琴(こと)にウィンクして見せた。

 その仕草に、魅(み)琴(こと)は胸に沈んでいた淀みが洗われるような心地がした。

 

(皇(こう)國(こく)の皇族でさえなければ、基本的に好感の持てる女(ひと)なのだけれど……)

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)が善意の人間であることは確かだろう。

 屹(きっ)度(と)、このまま敵対しなければ彼女はこれからも魅(み)琴(こと)を助けてくれるに違い無い。

 

 結論から言うと、この後の食事会で神(じん)皇(のう)の勅許は降りない。

 というのも、魅(み)琴(こと)は婚約を前に近縁の伯爵家である鬼(き)獄(ごく)家の養子になるという手順を踏むことになっている。

 これに対して、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は「別の家に入るからには、魅(み)琴(こと)は自身の家族と話し合うべきだ」と提案するのだ。

 これに対し、神(じん)皇(のう)も獅(し)乃(の)神(かみ)も納得し、婚約は一旦保留となる。

 

「皆様、夕食会の準備が整いました。翠(すい)玉(ぎよく)の間へとお入りください」

 

 大(だい)覚(かく)寺(じ)の案内に従い、休所に控えていた魅(み)琴(こと)達は食堂・翠玉の間へと向かった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 魅(み)琴(こと)は大覚寺(だいかくじ)の案内で食堂・翠玉の間へと入った。

 これまた、一つ一つの備品や衣装が静かな高級感と気品に満ちた、見事な食堂だ。

 

(まだ揃(そろ)ってはいないようね。来ていないのはこの間私(わたし)を迎えに来た第一皇子の近衛侍女と、私(わたし)を養女にするという鬼(き)獄(ごく)伯爵家の当主、それから第二皇子とその関係者か、そして、神(じん)皇(のう)……)

 

 魅(み)琴(こと)にとって気掛かりなのは、何よりも神(じん)皇(のう)の所在だった。

 長年考え続けた、人生を懸けた暗殺の対象である、気にするなと言っても無理だろう。

 食卓へ目を遣(や)り、写真を記憶に焼き付けた男の着(ちゃく)御(ぎょ)を待(ま)ち侘(わ)びていた矢先、三人の男女が後から入室してきた。

 

「遅くなりました、姉様、兄様」

「那(な)智(ち)、待っていましたよ。まだ時間ではありませんから、改まる必要はありません」

 

 三人のうち二人は第二皇子・鯱(しやち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)とその侍女・水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)である。

 魅(み)琴(こと)は軍服姿と兄姉への挨拶から、最後の皇族の到着を察した。

 そしてもう一人、軍服を着た壮年の男が彼に伴っていた。

 男は着席せずに立ち止まり、雁(がん)首(くび)揃えた皇族達に向かって恭(うやうや)しく礼をする。

 

「遠征軍大臣・鬼(き)獄(ごく)康(やす)彌(み)元(げん)帥(すい)大将、只(ただ)今(いま)参りました。本日は斯(か)様(よう)な目(め)出(で)度(た)き席にお招きいただき、誠に光栄の至りで御座います」

「よく来ましたね、鬼(き)獄(ごく)。さあ、御(お)前(まえ)の席は麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)の正面です、着席なさい」

 

 麒(き)乃(の)神(かみ)に促され、鬼(き)獄(ごく)は魅(み)琴(こと)の正面に着席した。

 

「初めまして、魅(み)琴(こと)お嬢さん。私(わたし)は鬼(き)獄(ごく)康(やす)彌(み)、貴女(あなた)の御(お)爺(じい)様(さま)・麗(うる)真(ま)魅(み)射(いる)殿の腹違いの弟に当たります。謂(い)わば、貴女(あなた)の大叔父ですな。今回、獅(し)乃(の)神(かみ)殿下との御(ご)婚(こん)約(やく)に先立って貴女(あなた)を養女として預かることになっております」

「どうも、初めまして……」

 

 魅(み)琴(こと)は目の前の男に素(す)気(げ)なく挨拶を返した。

 彼女は祖父・麗(うる)真(ま)魅(み)射(いる)から自らの曾(そう)祖(そ)父(ふ)が逆賊であり、皇(こう)國(こく)を嗾(けしか)けて日本国を脅かそうとしていると聞かされている。

 曾祖父の鬼(き)獄(ごく)姓を名乗っているということは、間違い無くこの男は敵なのだ。

 そんな男の養女になるなど、気分の良い話ではない。

 

「いや、実にお美しいお嬢さんですな。斯様な美女を娘に迎え入れられるとは実に幸運だ。この度の御(ご)婚(こん)姻(いん)は、両日本の友好の象徴として限りない祝福が注がれることでしょう」

「ありがとうございます」

 

 魅(み)琴(こと)は最低限の挨拶しか返さない。

 気にも留(と)めずに笑っている鬼(き)獄(ごく)は、魅(み)琴(こと)が何の為(ため)に此(こ)処(こ)に居るか知っているのだろうか。

 

「鯱(しやち)兄(にい)様(さま)、遅かったじゃん。毎日毎日訓練ご苦労様だねー。少しは強くなった? 輪(わ)田(だ)の息子には勝てそう?」

「嵐(らん)花(か)、客人の前だ」

 

 着席した鯱(しやち)乃(の)神(かみ)は、末妹の狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)から揶(か)揄(らか)われていた。

 その理由、魅(み)琴(こと)は何となく察した。

 

「おいおい嵐(らん)花(か)、兄に対してあまり礼を逸するものではない。俺(おれ)は那(な)智(ち)は能(よ)く頑張っていると思っている。今では立派な国防軍人だからな。兄として誇らしい」

「勿(もつ)体(たい)無(な)い御(お)言(こと)葉(ば)です、兄様」

 

 言葉とは裏腹に、獅(し)乃(の)神(かみ)に褒められた鯱(しやち)乃(の)神(かみ)は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せて険しい顔をしている。

 

(第二皇子・鯱(しやち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)、この男の神(しん)為(い)は皇族の中ではかなり弱い方だな。それでも私(わたし)よりは遥(はる)かに上だけれど、生意気な妹に舐(な)められる訳だ。おそらく原因は、兄への劣等感。まあ、この兄では致し方ない……)

 

 魅(み)琴(こと)はそのまま、これから婚約しようとしている男へと目を遣った。

 

(第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)。おそらく、皇族の中でも別格の強者。性格は良く言えば純粋でお人(ひと)好(よ)し、悪く言えば世間知らずで独り善がりな男。敷(しき)島(しま)さん曰(いわ)く、ずっと夢の様な錯覚の世界の中で我が儘放題に生きてきた、究極の箱入り息子。しかしそれでこの人間性に育ったのは、生来の性根が奇跡的に善良だったからだろう。それだけに、反転してしまうと大惨事になりそうな予感がする……)

 

 そして更に、彼の正面に坐(すわ)っている長姉・麒(き)乃(の)神(かみ)へと視線を向けた。

 

(第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)。この女は本当に許せない。己を強者と疑わない内心が態度から透けて見える。その自意識が航(わたる)に酷(ひど)い事をさせた。おそらく、私(わたし)が航(わたる)にやりたかったあんなことやこんなことまで……! ただ、自意識過剰ではない。自負に見合う力は持っている。素(す)の格闘能力では私(わたし)が遙(はる)かに上だけど、神(しん)為(い)では逆、そして総合的には多分互角。上の二人は立ちはだかってきたら面倒だ……)

 

 魅(み)琴(こと)は六人の皇族全員に目を遣った。

 上の兄弟三人との敵対をシミュレートしたことで、一つの憂(うれ)いが芽生えていた。

 

(そうか……神(じん)皇(のう)と戦う時は、皇族も敵になる。解っていた筈だ……。だが今私は避けたがっている。龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下や蛟(みずち)乃(の)神(かみ)殿下との対立を……。今更……)

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)と蛟(みずち)乃(の)神(かみ)には航(わたる)や双葉、虎(こ)駕(が)、その他の仲間達を助けてくれた恩義がある。

 また、鯱(しやち)乃(の)神(かみ)に仕えている早(さ)辺(え)子(こ)もそうだという。

 神(じん)皇(のう)暗殺は、そんな彼らの恩を仇(あだ)で返す行為に他ならない。

 

(それでも、私(わたし)は……)

 

 と、そんなとき、何処(どこ)からともなく男の声が響いた。

 

「揃ったようだな」

 

 誰も居ない、中央最奥の上座からである。

 深く渋みのある、威厳に満ちた声だった。

 

「一(いち)桐(どう)綾(あや)花(か)がこの世を去って九年か。今再び、叡(えい)智(ち)に伴(はん)侶(りよ)となるべき女が見付かり、朕(ちん)の胸中は実に晴れやかだ」

 

 突如として、空席だった最上位の席に一人の小男が姿を顕(あらわ)した。

 桜色の髪をした、少年と見(み)紛(まが)う姿だが、百年以上の生をも超える貫(かん)禄(ろく)を備えた神秘的な男である。

 

(神(じん)皇(のう)……!)

 

 魅(み)琴(こと)は遂(つい)に、人生の宿敵と相対した。

 神(じん)皇(のう)は魅(み)琴(こと)を一(いち)瞥(べつ)すると小さく微(ほほ)笑(え)む。

 

「麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)、鬼(き)獄(ごく)伯爵家の近縁か……」

「初めまして。お会い出来て誠に光栄、恐悦至(し)極(ごく)に存じます、神(じん)皇(のう)陛下」

 

 魅(み)琴(こと)は起立して深く頭を下げた。

 命を賭して、死を覚悟して討つべき相手――しかしそれに相(ふ)応(さわ)しい偉大な男――だからこそ、嘘(うそ)偽りなく敬意もまた確かに抱いていた。

 

「ふむ、まあ坐れ」

「はい……」

 

 促されるままに席に着く魅(み)琴(こと)のことはそこそこに、神(じん)皇(のう)は子女達の方へ目を向ける。

 

「嵐(らん)花(か)以外の家族とは離れ離れで暮らして久しいのでな、一週間としないうちに食卓を囲むのは不思議な気分だが、嬉(うれ)しく思う」

 

 魅(み)琴(こと)は神(じん)皇(のう)の言葉、そして視線に一人の父親の姿を見た。

 そしてふと、気が付く。

 

 皇(こう)國(こく)の皇族は、日本国同様に政治に直接関わってはいないが、力で支配する貴族社会の頂点に立つという意味で、権威主義国家の君主という性質を確実に持つ。

 にも拘わらず、彼らには多少の諍(いさか)いや蟠(わだかま)り以上の、骨肉の争いの気配が感じられない。

 それこそ、同じ一族の中で皇位継承権を巡って陥れ合い殺し合うといった感じではない。

 

(彼らは……殆ど普通の家族と言って差し障り無い……)

 

 魅(み)琴(こと)は考える。

 使命を果たさずに済む未来があれば、どんなに良かっただろうと。

 自分は彼らから、父親を奪うのだ――魅(み)琴(こと)は眉根を寄せて目を伏せた。

 

(でも、皇(こう)國(こく)はこの世界へ来てしまった……。その魔の手が日本に伸びるなら……)

 

 数時間後、日本国と皇(こう)國(こく)は開戦不可避となり、魅(み)琴(こと)は神(じん)皇(のう)に決死の戦いを挑む。

 そしてそれは、航(わたる)達の運命を大きく変えるのだ……。

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