時を戻し、七月十五日の昼過ぎ。
帰還して昼食を済ませた岬守航は、拉致被害者達と共に皇奏手防衛大臣兼国家公安委員長の事務所に招かれた。
「急な呼び出し、誠に申し訳御座いません」
先行して到着していた根尾弓矢と白檀揚羽、そして皇の側に付いている久住双葉と伴藤明美に見守られながら、航達は普段よりも多く用意された椅子に腰掛けた。
「本日皆さんにお越しいただいたのは他でもありません。皆さんの今後のことを私の口からきちんと話しておかなければならないと考えたからです」
繭月百合菜が最初に首を傾げた。
「既にその話は済んでいるのでは? 私達が東瀛丸を服用したのは十二日前の七月三日、狼ノ牙から脱出して不時着した川の畔から中一日で出発した朝のこと。つまりその二八日後の七月三一日で東瀛丸の効果が切れて神為が無くなるまでホテルで待機し、その後身体を検査して異常が無ければ帰宅する手筈と聞いていますが……」
航も概ね繭月と同じ事を疑問に思った。
しかし皇の方に目を遣ると、皇の脇に控える者達の表情はそれぞれの形で何かを示唆している。
根尾はばつが悪そうに厳しい顔を航達に向け、白檀は自分の境遇に対する諦観を忍ばせた呆け顔を下に向け、伴藤は戦々恐々と皇を見詰め、そして双葉は冷めた視線を皇に向け、それぞれの態度で航達にとって良くない話を予感させる。
(成程、そういうことか……)
航はこれから話される内容を何となく察した。
「まずはお聴きしましょう」
「恐縮です」
皇は小さく息を吐いて語り始めた。
「初めに御礼申し上げます。先日は銀座の防衛戦にご参加いただき、誠にありがとうございます。岬守さんに至ってはその後も何度も為動機神体で出撃いただき、度重なる皇國の侵攻から我が国を守っていただきました。皆様の活躍には感謝しても仕切れません」
「はい……」
頭を下げる皇に対し、航は返す言葉を少し迷った。
航が超級為動機神体・カムヤマトイワレヒコで度々防衛に出ているのは、帰国した夜に彼女から頼まれた結果である。
麗真魅琴を救う為の選択として、航自身の意思で決めたことではあるが、それは皇の目論見通りだということも承知していた。
つまり、あまり長々と礼を言ってはまたあの時の様に変な合意をさせられかねないが、一方で皇が航達の帰国に尽力した恩人であることも事実なので、無体な態度を取るわけにもいかなかった。
「お役に立てたなら幸いです」
「大いに助かっています。私達だけでなく、日本そのものが。扨て、そのように大変な御貢献をいただいている貴方達ですが、民間人の立場で戦闘に参加してしまうのは私達だけでなく貴方達御自身の立場をも危うくしかねません。その為、貴方達の行為に法的な根拠を与え、無用ないざこざを防がなければならない。国家の要請で国家を守る為に戦った者達に対して、国家には果たすべき責任と尽くすべき仁義があると私は考えます」
皇は伴藤に目で合図し、航達拉致被害者達に書類を配らせた。
何やら契約書の様だが、後は判を押すだけの状態まで仕上がっている。
そしてもう一つ、掌サイズの手帳の様なホルダーがそれぞれ差し出された。
「これは……?」
「貴方達に与える新しい身分に関する契約書と、身分証です」
航はホルダーを拾い上げ、中を開いた。
所属と名前が記されたカードが挟まれている形は、警察手帳を彷彿とさせる。
事実、それは警察手帳に近いかもしれない。
「特別警察特殊防衛課?」
「皇國との衝突に備えて法整備し、新設した組織と部署です。今年の六月に施行されました。御存知の様に皇國の勢力が上陸した場合、貴方達の様な神為の使い手が対処しなくてはなりません。その為の組織です。主に神為の絡んだ犯罪・有事を取締り、治安を守ることを目的とした組織。場合によっては自衛隊の指揮下に入り、神為兵器――即ち為動機神体に搭乗して戦闘を行うことも出来る」
航が計釈書に目を通す傍ら、他の二人も身分証を手に取った。
「かっけー……!」
虻球磨新兒は無邪気に喜んでいる。
死んだ彼の父親が警察だったこともあり、その感動も一入なのだろう。
一方で繭月は怪訝な表情を浮かべ、ホルダーを卓上に置き契約書を読み始めた。
「日付は……今日ではないのですか?」
社会人である繭月は、契約日が七月十五日ではなく二日になっていることを見逃さなかった。
皇は平然と答える。
「特別警察特殊防衛課の任期は一箇月です。これは国家による統制強化を危惧した野党の要求を呑み、事態が収束した場合に速やかに組織を解散する為の措置です。しかしながら、今日契約開始にしてしまうと待機期間が終わってから二週間も国家の管理下に置いてしまうことになり、これは好ましくありません。そこで契約の開始日を、龍乃神殿下から合流場所の連絡があり、身柄確保の目処が立った七月二日としました。これは可能な限り早期に解放しようという日程です。指揮命令者は課長の根尾。A班は貴方達に白檀と久住さんを加えた五人、B班は崇神會の残り構成員八人となっています」
航は契約書を何度も繰り返し読んでいた。
どうやら、開戦の夜に皇國へ乗り込んだこともその後戦ったことも、特別警察として自衛隊の指揮下で動いたことにしてもらえるようだ。
だが一つ、航には気掛かりがあった。
「有効期限が八月二日……」
「政府として、契約開始日を貴方達の生存を確認した日程よりも遡ることは出来ませんでした。待機期間より二日延びてしまうことは御容赦ください」
「ええと、七月三一日の二日後……なんですね」
航は一旦皇の目を見た。
揺るぎない表情からは隠されたいとは読み取れない。
次に、双葉の様子を窺う。
やはり皇を見る双葉の視線は皇に何か後ろめたいことがあると示唆している。
双葉は何か知っている。
そして二つの日程を整合したとき、或る疑念が湧き上がってくる。
「皇大臣、七月三一日に待機期間が終わるのは東瀛丸の効果が切れるからですよね?」
「はい、その通りです」
「特別警察契約の有効期限はその二日後」
「ええ、仰る通り」
「契約終了後、身分証はどうすれば良いですか?」
「最終日に此方へ返却しにお越しください」
航は皇の執務机の上に置かれた小瓶に目を遣った。
見覚えのある、というより忘れようのない小瓶だった。
虎駕憲進が自殺に使用した、東瀛丸の入っていた小瓶である。
彼の遺体と共に帰国して紛れ込み、どういう経緯か皇の手に渡ったということだろう。
(そういうことだな)
航と皇の視線が再び交わった。
全てを察した航に、皇は鋭い視線を返している。
「皇大臣、あまり僕を見縊らないでください」
視線が航に集まった。
しかし皇には動じる様子は無い。
「東瀛丸の効力が斬れてしまった場合、再服用には中一日空けなくてはなりません。だから僕らは狼ノ牙から脱出した際に一度効果が切れ、川の畔で二泊しなければならなかった。そして待機終了日、即ち東瀛丸の効果が切れる日から二日後に特別警察の任期が切れ、身分証を返しに此処へ来いと仰る……。大臣、貴女の狙いはそのタイミングで僕らにその机の上にある東瀛丸を再服用させ、契約延長を持ち掛けることですね?」
航の問いに皇は答えない。
だが眉根を寄せて目を閉じる根尾や冷めた目を逸らす双葉の反応から、その問いが図星であったことは推し量れる。
皇が肝心なことを隠したまま話を進めようとしたのはこれが初めてではなく、黙って騙される航ではなかった。
航は椅子から立ち上がり、執務机の方へと歩いた。
「岬守さん?」
皇は珍しく戸惑った調子で航に呼び掛けた。
そんな彼女を余所に、航は小瓶から東瀛丸を一錠取り出すと、皆の目の前で飲んで見せた。
「なっ……!?」
根尾・双葉・繭月が驚いて声を上げた。
声を上げなかったのは皇と伴藤――皇は表情を変えず、伴藤は瞠目している。
「くくっ……」
唯一、新兒は嬉しそうに笑っていた。
航の行動を彼だけは純粋に気に入ったらしい。
「皇大臣、僕の出番が終わっていないのは解っています。為動機神体による防衛の体制が整うまで日本の守りを繋ぐのが僕の役割だった筈だ。だったら僕は可能な限り戦い続ける。その為には、東瀛丸が切れて戦えない日なんてあっちゃいけない」
航は七月十二日から十四日の三日間で七回に亘って出撃している。
皇國の侵攻はそれだけ激しく、本来ならばこの瞬間にも出撃要請が来ておかしくない。
航が一日の空白期間を作りたくないと考えるのも当然だった。
「東瀛丸は服用して十日後から二十日後の期間内に再服用すれば効果を途切れさせずに持続出来る。だったら十二日後の今日飲んで、その十八日後の契約期限に再服用すれば八月三十日まで効果を途切れさせずに維持出来る。そうでしょう?」
手に持った小瓶に航の顔が歪んで映っている。
航はその屈折した虚像に亡き虎駕の姿を重ねていた。
「約束したんですよ、あいつを皇國じゃなくて日本で眠らせるって。誓ったんですよ、あいつに日本を滅ぼさせたりしないって」
「成程、どうやら貴方の覚悟を見誤っていたようですね。お詫びいたします」
皇は徐に立ち上がった。
「しかし、今や東瀛丸は非常に貴重で、此方にも考えがあります。以後、勝手な判断で服用しないでください」
「はい、すみません……」
航は執務机の上に小瓶を置き直した。
皇は改めて皆に言い聞かせる。
「概ね岬守さんが仰ったとおりです。場合によっては皆さんに契約延長をお願いすることもあるかも知れません。無論皆様の御意志を尊重いたしますが、どうかよく御考えください。根尾、白檀、虻球磨さんと繭月さんをホテルまでお送りしなさい。岬守さんにはもう少し話があります」
根尾と白檀は皇の指示に従い、新兒と繭月を連れて退出した。
それを見届け、皇は執務机の椅子に座り直した。
「伴藤、貴女は久住さんを連れてB班の方へ説明に行きなさい」
「えっ? び、B班ってあの秘密政治結社の崇神會ですよね? あの、秘密裏に神為による殺し合いの技術を磨き、内部分裂して廻天派とかいう過激派テロ組織すら生んだあの崇神會? 私があんな人達と話すんですか?」
「そうよ。寧ろこの機会だから、一層のこと完全に政府の管理下に置いてしまうの。そうすれば、任期が切れた時に解散させて組織を消滅させることも出来るでしょう」
「いや、あのですね……先生の狙いは解りましたけど、問題は私があの人達と交渉するんですかっていう……」
「良いからさっさと行きなさい」
「ひーん、話そうとしても問答無用で取りつく島も無い!」
伴藤は追われる様に双葉を連れて部屋を出て行った。
「扨て、これで本当に大事なお話が出来ますね」
皇は背筋を伸ばし、改めて航と向き合った。
「大事なお話?」
「ええ。これは貴方だけに話しておきたかった。日本国を背負って命懸けで戦った娘を救うべく、この戦争に身を投じる選択をしてくださった貴方だけに……」
只事ではない雰囲気に、航の胸に緊張が宿った。
「どういったお話ですか?」
「ずばり、この戦争の終わらせ方についてです」
航は自身の心臓が強く脈打つのを感じた。
「目途が……あるのですか?」
「ええ。この状況では極めて限られますが……」
「その方法とは……?」
航は固唾を呑んで皇の答えを待つ。
そして皇の口が開く。
「皇國本土に為動機神体の部隊を上陸させ、神皇の身柄を確保します。作戦には是非貴方のご協力を仰ぎたい……」
彼女から出た展望に、航は気が遠くなる思いがした。
しかし、一方で航は力強く拳を握ってもいた。