日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第六十八話『個人的仇敵』 序

 時は遡(さかのぼ)り、七月十六日。

 この日、雲(くも)野(の)兎(と)黄(よ)泉(み)は白(びゃく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)を通して皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)に呼び出され、一つの要請を受けていた。

 

 彼女と兄・雲(くも)野(の)幽(ゆ)鷹(たか)は元々日本国民ではなく、拉致被害者と共に日本に入国してから帰化の手続に入った、ということになっている。

 二人の帰化申請は非常に特殊な事例であるので、通常よりはかなり短い期間で許可が下りるだろうが、それでもこの短い期間ではまだ日本国籍は付与されていない。

 それで、この二人に関しては特別警察特殊防衛課の契約対象から外れたのである。

 だがそれとは別に、兎(と)黄(よ)泉(み)は皇(すめらぎ)から秘密裏に最後の作戦を助ける様に要請されたのだ。

 

 二十時半過ぎ、兎(と)黄(よ)泉(み)は一人で兄の病室を訪れていた。

 一時は集中治療室に移されていたが、今は通常の病室に戻っている。

 とはいえ、元通り麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と同室ではなく、それぞれ別々に一人ずつで入院していた。

 

「御(お)兄(にい)様(さま)、兎(と)黄(よ)泉(み)はどうすれば良いのでしょう……?」

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)は独り、兄の寝顔に問い掛けた。

 皇(すめらぎ)の要請を受ける他無い、ということは解(わか)っている。

 今自分達を庇(ひ)護(ご)し得るのが日本国だけであり、その唯一の国家が失われれば自分達もまた運命を共にするしかない。

 要望通り、航とカムヤマトイワレヒコに同乗し、日(ひの)神(かみ)回(かい)路(ろ)を発動し続ける為に神(しん)為(い)を貸すことを断るつもりは無い。

 

 だが彼女には一つ、不安があった。

 神(しん)為(い)を貸すのは良いとして、果たしてそれだけで事足りるのだろうか。

 

「兎(と)黄(よ)泉(み)にも……出来るでしょうか……」

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)は拳を握り締めた。

 元々、彼女が貸せる神(しん)為(い)は兄・幽(ゆ)鷹(たか)と違って多くない。

 戦いで役に立つ為には、兄が死の淵(ふち)、黄泉(よもつ)比(ひ)良(ら)坂(さか)の麓(ふもと)で覚醒した力が必要になるのではないか。

 誰かと融合して自分を委ねることで、神(しん)為(い)を何倍にも引き上げるあの力が。

 

「御兄様、教えてください。兎(と)黄(よ)泉(み)にも、御兄様が麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)さんを助けた力を授けてください……」

 

 そう呟(つぶや)いたとき、彼女は頭上から自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 顔を上げると、そこにはどこかで見たような、曖昧な記憶の片隅に見付けたような少年が半透明の朧(おぼろ)気(げ)な姿で佇(たたず)んでいた。

 

『兎(と)黄(よ)泉(み)ちゃん……』

 

 少年は兎(と)黄(よ)泉(み)の名を呼んでいる。

 その声をはっきり聞き、彼女は声の主、少年の正体を悟った。

 

「ああ、御兄様、今の身体に入る前はそんな姿でしたね……」

 

 雲(くも)野(の)兄妹は元々、植物状態だった別の異性一卵性双生児の魂を現在の肉体――神(じん)皇(のう)の複製(クローン)体に移した異性一卵性双生児である。

 二人の、今の肉体に入る前の人生についての記憶は曖昧であるが、決して消えた訳ではない。

 兎(と)黄(よ)泉(み)は兄・幽(ゆ)鷹(たか)が魂の姿で漂っている様子を見て理解した。

 

「そういうことですか……。元々、この身体は魂の無い空っぽの器だった……。兎(と)黄(よ)泉(み)は魂と身体の神(しん)為(い)を繋(つな)ぎ合(あ)わせ、融(と)け合わせることで一人の人間として成り立たせている……。ほんの少し、魂の一部を神(しん)為(い)に変えて……」

 

 それは為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)を操縦する原理とほぼ同じである。

 謂(い)わば、魂という操縦士が肉体という外なる神と接続され、操縦している状態だ。

 魂は肉体の神(しん)為(い)を全部、肉体は魂の神(しん)為(い)を一部、自らのものとして使用することが出来る。

 

「なら自分を完全に神(しん)為(い)に変えてしまえば、より深く強く融け合うことが出来る。そして、その状態で別の誰かの中に入れば……。御兄様はそうやって麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)さんに全部を預けた。そして、返してもらう時にまた肉体と魂が別れてしまったのですね。それが、御兄様の今……」

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)は小さな胸に手を当てて呼吸を整える。

 その推察は兎(と)黄(よ)泉(み)にとって、これからやろうとしていることが大きな賭けであると示していた。

 

『大丈夫だよ、兎(と)黄(よ)泉(み)ちゃん』

 

 宙に浮かぶ幽(ゆ)鷹(たか)の魂が兎(と)黄(よ)泉(み)に優しく微(ほほ)笑(え)みかける。

 そして心(こころ)做(な)しか、ベッドで眠る今の兄の顔も笑っている様に見えた。

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)は少しばかり勇気付けられた気がした。

 兄が大丈夫と言うからには、屹(きつ)度(と)兄は帰って来られるのだろう。

 それは勿(もち)論(ろん)、兎(と)黄(よ)泉(み)も……。

 

「御兄様は今、もう一度魂と身体を繋ぎ合わそうとしているのですね」

『ふにゅ』

「まだ、終わってはいないのですね」

『ふにゅ』

 

 幽(ゆ)鷹(たか)は兎(と)黄(よ)泉(み)の質問に頷(うなず)く。

 彼女は覚悟を決めた。

 

「解りました。皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)さんのお願い、兎(と)黄(よ)泉(み)は受けます。その時までに、自分の全部を神(しん)為(い)に変えられるようになっておきますです」

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)の決意を見届けた幽(ゆ)鷹(たか)は安心した様に消えていった。

 再び目覚めの準備に入ったのだろう。

 

 蒸し暑い夜のことだった。

 その後、八月半ばにミッドウェー島の上空で、兎(と)黄(よ)泉(み)はこの日の覚悟を実践することになるのである。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 単機、カムヤマトイワレヒコで皇(こう)國(こく)首都統(とう)京(きよう)を目指す岬(さき)守(もり)航(わたる)はミッドウェー島上空へ差し掛かろうとしていた。

 それと同時に、前方の敵が黙殺し難(がた)く気配を強めていく。

 近付くまでは殆(ほとん)ど感じなかったにも関わらず、その威圧感は指数関数的に怖(おぞ)気(け)を増していき、悍(おぞ)ましい感覚が全身をどす黒く塗(ぬ)り潰(つぶ)す。

 苦い記憶、心的外傷(トラウマ)が背中に圧(の)し掛(か)かり、尻の穴から脳天へと激しく突き上がる。

 

「はぁ……はぁ……」

『大丈夫ですか、岬(さき)守(もり)航(わたる)さん?』

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)が航(わたる)に声を掛けたのは、一つに融合した彼女に航(わたる)の精神状態が伝わったからだろう。

 近付くにつれ、航(わたる)は待ち受ける敵の正体の確信を深めていく。

 

 滅(めつ)多(た)なことでは折れない航(わたる)だが、そんな彼を心底震え上がらせた人物が二人居る。

 一人は言うまでも無く幼馴染の麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)で、航(わたる)が彼女に与えられた敗北は一生消えない思慕の烙(らく)印(いん)となって残り続けるだろう。

 そしてもう一人の許(もと)へ、航(わたる)は今にも到達する。

 抗(あらが)うことが一切出来なかったあの夜、魅(み)琴(こと)の助けが入らないまま夜を明かしていれば、間違い無く屈服してしまっていた。

 

 魅(み)琴(こと)と並び、航(わたる)の心を折り得た女、麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)。

 ミッドウェー島の上空にて、航(わたる)は遂(つい)に彼女の駆る全高三十六米(メートル)の特別機、絶(ぜつ)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・カムムスビと対(たい)峙(じ)した。

 

『久し振りですねえっ! 待っていましたよ、航(わたる)!』

 

 天を揺るがす彼女の声、即(すなわ)ち絶大なる神(しん)為(い)に、航(わたる)は戦(おの)慄(の)いて硬直した。

 能(よ)く通る彼女の声、鮮明に想起された生身の姿形が、拭い得ない心的外傷(トラウマ)を呼び起こす。

 

「麒(き)乃(の)神(かみ)……聖(せい)花(か)っ……!」

 

 航(わたる)は敵の名を呼び捨て、辛うじて戦意を保つ。

 

(呑(の)まれるな。唯でさえ厳しい戦いなのに、気持ちで負けていては駄目だ!)

 

 この敵は彼自身が乗り越えなければならない因(いん)縁(ねん)の相手である。

 

(生きて、勝って、この戦争を終わらせて、日本を守る!)

 

 航(わたる)は歯を食い縛って戦意を奮い立たせる。

 個人的な仇(きゆう)敵(てき)に対し、光線砲を向ける。

 少々前のめりであるが、動けなくなるよりはずっと良い滑り出しだ。

 しかし、そんな気負った航(わたる)の意識に兎(と)黄(よ)泉(み)が警告する。

 

『駄目です! 機体を神(しん)為(い)で守って!』

「え?」

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)の声に航(わたる)が踏(ふ)み止(とど)まった、その時だった。

 敵機カムムスビが刹那の揺らぎを見せたと同時に、世界が横転する凄(すさ)まじい衝撃が航(わたる)を襲う。

 全身がバラバラ、粉(こな)微(み)塵(じん)に砕かれた様な痛みと同時に、航(わたる)は自身が機体ごと金剛石(ダイヤモンド)の如く固い壁に叩(たた)き付(つ)けられたと感じた。

 そして、機体と結び付いた感覚は自身が水に沈められたのだと認めた。

 

(何が……起こったんだ……!)

 

 困惑する航(わたる)だが、戦いの記憶が答えに結び付く。

 このダメージは、規模こそ桁違いだが硫黄島の時に似ている。

 タカミムスビに止めを刺す直前、鯱(しやち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)から受けた最後の抵抗とそっくりだ。

 

「今のは……解放された神(しん)為(い)をぶつけられたのか……!」

 

 航(わたる)は戦慄した。

 今の攻撃、カムムスビは殆どその気配を見せなかった。

 ほんの僅(わず)かに見られた揺らぎも、攻撃と全く同時だったと言って良い。

 また、攻撃範囲も全く分からない。

 

(こんなの躱(かわ)しようがないぞ)

 

 焦燥感と共に海面を見上げる航(わたる)だったが、再び兎(と)黄(よ)泉(み)が警告する。

 

『油断しないで! 神(しん)為(い)の攻撃は水の中だろうと関係無いです!』

「解ってるけど、だからってどうすれば!」

『さっきみたいに機体を守って!』

 

 さっきみたいに、とはどういうことか――そう尋ねようとした瞬間、再び航(わたる)は痛烈極まり無い衝撃に襲われた。

 耐え難い激痛、全身から噴き出す血潮に、早くも意識が薄れる。

 

「う……ぁ……」

 

 闇の中へ沈んでいく最中、航(わたる)は砂(しゃ)粒(りゅう)の様な細やかな煌(きら)めきを見ていた。

 為(な)す術(すべ)無く、このまま海の底で永久の眠りに就く――そう予感した時だった。

 

『は? 殺されるの? 私(わたし)以外の女に?』

 

 魅(み)琴(こと)の姿が航(わたる)の脳(のう)裡(り)に映し出された。

 しかもその表情、声はこれまでに無い怒りを纏(まと)っている。

 

「ひぃっ!?」

 

 余りの迫力に、航(わたる)の意識は一気に現実へと引き戻された。

 妄想の中の魅(み)琴(こと)がここまでの怒りを見せたのは初めてのことだ。

 

『あの、岬(さき)守(もり)航(わたる)さん、大丈夫ですか……?』

「み、魅(み)琴(こと)……無(む)茶(ちや)苦(く)茶(ちや)怒ってた……」

 

 航(わたる)は呼吸を荒げながら額の汗と血を拭った。

 心臓が早鐘を打っているせいで出血が止まらない。

 

『当然でしょ。他の女に殺されるってことは、永遠にそいつの物になるってことなのよ。そんなの、許せる訳無いじゃない』

「目が覚めたのにまだ話し掛けてくるの!?」

『自分の妄想でしょうが』

 

 航(わたる)は尚(なお)も自分で作り出した魅(み)琴(こと)の声と一人問答している。

 

『な、何をやっているのですか?』

 

 兎(と)黄(よ)泉(み)は唯(ただ)々(ただ)困惑している。

 航(わたる)の行動は狂人のそれでしかないのだから、当然だろう。

 だが、航(わたる)には別の予感があった。

 航(わたる)の潜在意識が魅(み)琴(こと)の妄想を作り出す時、それは何か重大なことを報(しら)せようとしているのだ。

 

『良い? この戦い、相手は桁外れの神(しん)為(い)に物を言わせ、為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の神(しん)為(い)無効化機能を無視して攻撃してきているわ』

「ああ、そうだろうね。皇族らしい戦い方だよ」

 

 航(わたる)は問答を続ける。

 

『そしてそれに耐えられているのは、貴方(あなた)が兎(と)黄(よ)泉(み)ちゃんと同調して大幅に、それこそ皇族と張り合える程に神(しん)為(い)を上昇させているからよ』

「君(きみ)が神(じん)皇(のう)と戦った時、幽(ゆ)鷹(たか)君と融合したみたいに、だろ?」

『ええ。私(わたし)を差し置いて他の女と一つになるなんて本来は許せないけれど、その時の分を差し引いて今は不問にしてあげるわ』

 

 繰り返すがこれは航(わたる)の妄想なので、彼自身が一人で魅(み)琴(こと)に嫉妬されて許される茶番を演じているだけである。

 

『まあそれは兎(と)も角(かく)、重要なのはここからよ。今受けた二発の神(しん)為(い)は、どちらもたった一発で機体ごと跡形も無く消し飛ばされる威力の攻撃だった。にも拘(かか)わらず、貴方(あなた)もカムヤマトイワレヒコも生き残っている。これが何(な)故(ぜ)だか解る?』

「その答えはさっきなんとなく掴(つか)んだよ」

 

 航(わたる)は意識を失いかける寸前に見た煌めきのことを思い返す。

 

「僕(ぼく)は無意識のうちに虎(こ)駕(が)の能力、鏡の障壁で機体を守ったんだ。だからその破片が微(かす)かに見えた。そうだろう?」

『正解よ。この戦い、最(も)早(はや)通常の為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)戦じゃない。術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)まで駆使した総決算になると思いなさい』

「解ったよ。で、それだけか?」

 

 航(わたる)は妄想の魅(み)琴(こと)の声に問い掛ける。

 此(こ)処(こ)までのことは既に解っている話だ。

 つまり、潜在意識が伝えたいことは他にもある筈(はず)だ。

 

「まだあるんだろう? もっと大事な話が」

『ええ。航(わたる)、能(よ)く聴きなさい……』

 

 魅(み)琴(こと)は航(わたる)に言い聞かせる。

 抑(そもそ)も、航(わたる)に虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)の能力が使える理由はまだ航(わたる)自身にも能く解っていない。

 つまり、航(わたる)の術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)には尚も未知の能力があり、完全覚醒に至っていないのだ。

 それが今、解き明かされようとしていた。

 

『貴方(あなた)って本当、とことん才能が無いのね。今更完全覚醒だなんて』

「自分でもそう思うよ。というか、だから今君(きみ)にそう言われているんだけどね」

『ええ。でも、これでもう大丈夫……』

「ああ、ありがとう……」

 

 航(わたる)は魅(み)琴(こと)に礼を言い、再び海面を睨(にら)み上げた。

 

『岬(さき)守(もり)航(わたる)さん……?』

「ごめん兎(と)黄(よ)泉(み)ちゃん、待たせたね。さあ、気を取り直して行こう」

 

 航(わたる)はカムヤマトイワレヒコをゆっくりと浮上させていく。

 不思議と、麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)を前にした緊張は消し飛んでいた。

 戦いはここからが本番、といったところである。

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