日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第七十一話『総神』 急

 日が沈み、星の光が天井の破れた議場の闇に降り注ぐ中、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は佇(たたず)んでいた。

 その姿は心做しか光を纏(まと)っており、議場を照らしているようにも見える。

 

 彼はゆっくりと階段を降り、中央の議長席へと歩いて行く。

 そしてその眼(め)は、血(ち)塗(まみ)れで倒れる三人の遺体を映した。

 獅(し)乃(の)神(かみ)は一度足を止める。

 

「嵐(らん)花(か)……」

 

 第三皇女・狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)は道(どう)成(じよう)寺(じ)の術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)に因(よ)って操られ、辱められようとしていたところを、自らの懇願で姉に胸を貫かれた。

 背中が血に染まっているのは、背後で心臓を握(にぎ)り潰(つぶ)された為(ため)だ。

 

「姉上……」

 

 そのすぐ後に、第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)が自らの心臓を止めた。

 彼女も血に塗れているのは、死後に道(どう)成(じよう)寺(じ)が拳銃を撃ち込んだからだ。

 比較的穏やかに、綺(き)麗(れい)に死んだ筈(はず)の者であろうと、道(どう)成(じよう)寺(じ)は汚さずにはいられなかったということなのだろう。

 勿(もち)論(ろん)、長年憎み続けた相手ともなれば尚(なお)のことだ。

 

「父上……」

 

 寿命を迎えた神(じん)皇(のう)・鳳(おおとり)乃(の)神(かみ)大(だい)智(ち)もまた、道(どう)成(じよう)寺(じ)から銃弾を撃ち込まれた。

 三人に一通り目を遣った獅(し)乃(の)神(かみ)は、この事態を生み出した元凶たる道(どう)成(じよう)寺(じ)の方に視線を向ける。

 そしてそのまま、議長席の彼へ向かった再び階段を降り始めた。

 

「獅(し)乃(の)神(かみ)様っ!」

 

 そんな主の許(もと)へ、近衛侍女・敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)は息を切らして駆け寄った。

 普段の凜(りん)とした姿は一(ひと)欠(かけ)片(ら)も見られず、崩れる様に駆け込んで彼の前に平伏した。

 

「誠に……誠に申し訳御座いません! 全てはこの私(わたくし)の力が至らぬばかりに! 如(い)何(か)様(よう)に苛酷な罰も甘んじてお請けいたします故、何(なに)卒(とぞ)怒りをお鎮めください!」

 

 それは絵に描いた様な土下座だった。

 美しく整った所作が、却(かえ)って彼女の必死さと弱々しさを引き立てている。

 

 敷(しき)島(しま)は常々、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に美しい夢を見せ続けるよう努めてきた。

 現実世界の醜さ、残酷さを知ってしまうというのは、何としても避けたい事態だった。

 開戦前夜には既に蟻(あり)の一穴程の亀裂が入ってしまっていたが、事(こと)此(こ)処(こ)に至って完全に崩壊したとみて間違い無いだろう。

 最(も)早(はや)敷(しき)島(しま)には、唯(ただ)々(ただ)地べたに額を擦り付けて許しを乞うしかないのだ。

 

「敷(しき)島(しま)よ、面を上げよ」

 

 そんな敷(しき)島(しま)の背中に、獅(し)乃(の)神(かみ)は淡々とした口調で命じた。

 敷(しき)島(しま)はこれから判決を受ける罪人の様に、震えながらゆっくりと顔を上げる。

 怯(おび)えきった涙目の表情で、奥歯をガタガタと鳴らしながら、それでも主に逆らえない彼女は、影の差した竜顔を真(まつ)直(す)ぐに見上げる他無い。

 宛(さなが)らその様は、死刑宣告を待っているかの様だ。

 

「確かに、恐ろしい事態であろう。だが落ち着くが良い、敷(しき)島(しま)よ」

 

 そんな近衛侍女に、獅(し)乃(の)神(かみ)は諭す様に落ち着いた声で語り掛ける。

 

「凡(おおよ)その事情は貴(き)龍(りゅう)院(いん)から聞いた。余に汝(なれ)を責めるつもりなど毛頭無い。それと、汝(なれ)は大いなる勘違いをしているようだ」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は顔を上げ、議場全体を見渡した。

 

「今、余はこの場の誰に対しても怒りなど抱いていない」

「え……?」

 

 敷(しき)島(しま)は訳が解(わか)らず、口を半開きにしたまま固まった。

 獅(し)乃(の)神(かみ)はそんな敷(しき)島(しま)の頭をそっと撫(な)でると、彼女を置いて道(どう)成(じよう)寺(じ)の方へとまた歩き始めた。

 

「怒りも、悲しみも、汎(あら)ゆる激情は一場の揺らぎだ。ならば唯(ただ)一時、己が心情を傾ければそれで事足りる。先に綾(あや)花(か)や那(な)智(ち)の死に触れて余はそう学んだ。故に、今の余は至って平静なのだ」

 

 言葉の通り、議長席へ向けて階段を降る獅(し)乃(の)神(かみ)の表情には一切の負の想念が見られない。

 というより、常人に計り知れない心境を映す様に、能面を思わせる表情で道(どう)成(じよう)寺(じ)を見据えていた。

 

「ふ、ふふふ。何を偉そうに気取っているのかね……?」

 

 そんな獅(し)乃(の)神(かみ)の有り様に気(け)圧(お)されている道(どう)成(じよう)寺(じ)だったが、強がりからか胸を貸す様に相対する。

 丁度、議長席の道(どう)成(じよう)寺(じ)と階段上の獅(し)乃(の)神(かみ)で目線の高さが重なった。

 

「莫(ば)迦(か)息(むす)子(こ)が、早速皇帝気分のようだね。ならばその座に着かせてやった我輩に感謝するが良い!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は獅(し)乃(の)神(かみ)を挑発し、銃口を向けた。

 彼が使用した第二の術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)による能力、神(しん)為(い)使用の制限は今も有効である。

 如(い)何(か)に「絶対強者」と呼ばれる彼であろうと、万全の状態で神(しん)為(い)を使える自分の方が圧倒的に有利――そう高を括(くく)っているらしい。

 

 だが、敷(しき)島(しま)にとってその態度は地雷原で暗黒舞踊を行う様な命知らずである。

 彼女は再び焦燥に駆られた。

 

「やめろ道(どう)成(じよう)寺(じ)! 頼むから獅(し)乃(の)神(かみ)様を挑発してくれるな! この御(お)方(かた)の……この御方のお怒りは……!」

 

 階段を慌てて降り、足を縺(もつ)れさせて転倒する敷(しき)島(しま)は無(ぶ)様(ざま)そのものだった。

 だが、彼女がそうなってしまうのも無理は無い。

 今、敷(しき)島(しま)は侍従長・大(だい)覚(かく)寺(じ)常(つね)定(さだ)から聞いた言葉を反(はん)芻(すう)していた。

 

『絶対強者・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)殿下にお仕えする者は心せよ。其(そ)方(なた)の主となる御方のお怒りは、三千世界を畢(おわ)らせる』

 

 それは獅(し)乃(の)神(かみ)に親しい者にとって、常識ともいえる戒(いまし)めであった。

 そうとも知らない道(どう)成(じよう)寺(じ)の無謀な態度に、この場の者達は皆戦々恐々としていた。

 

「道(どう)成(じよう)寺(じ)よ」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)の体がふわりと浮き上がり、道(どう)成(じよう)寺(じ)の眼前に降り立った。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は驚いて後(あと)退(ずさ)り、今一度力強く銃を向ける。

 そんな相手に対し、獅(し)乃(の)神(かみ)はあくまでも淡々とした口調で言い聞かせる。

 

 

「道(どう)成(じよう)寺(じ)よ、余は汝(なれ)と話がしたくて此処へ来たのだ」

「は、……は?」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は素頓狂な声を漏らした。

 理解の出来ない言葉に虚を突かれた、と言ったところか。

 

「話って……戦いに来たのではないのかね?」

「それは無い。父上はその気になればいつでも汝(なれ)らを鏖(おう)殺(さつ)出来たし、それは余とて同じこと。現場に足を運ぶまでも無い。しかし、それでは此(これ)程(ほど)の事を起こした汝(なれ)等に対し、あまりに無体ではないかと思ってな」

「いやいやいやいや!!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は首を激しく横に振った。

 

「我輩は国家を転覆しようとしている、君(きみ)にとっての敵なのだよ? 君(きみ)の家族を三人も殺し、残る二人もこれから処刑しようとしている。我輩が起こした事というのは、つまりそういうものだ。それを君(きみ)は……一体何を言っているのかね?」

「無論、許そうというものではない。国家叛(はん)逆(ぎやく)罪(ざい)の刑罰には皇(こう)國(こく)の法律上死刑以外存在しない。或(ある)いは指定貴族による誅(ちゆう)殺(さつ)権の行使か。何(いず)れにせよ、最終的には死によって処されることになるだろう。だがその前に、汝(なれ)には叛(はん)逆(ぎやく)に至った信義を訊(き)いておかねばなるまい」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は意味が解らないと言った様子で口を開けている。

 獅(し)乃(の)神(かみ)はそんな周囲の反応は気にも留(とど)めず、更に話を続ける。

 

「ここまでのことをしでかしたのだ、何か汝(なれ)なりの信念に基づいている筈だ。汝(なれ)には汝(なれ)なりの誇り高き意志、理念、理想、大義、正義、そして切望があったのだと、余は十全に疑いなく信じている。そうだろう?」

 

 真紅と柳(りゅう)緑(りょく)の眼が光を点(とも)している。

 冷や汗を掻(か)く道(どう)成(じよう)寺(じ)に、獅(し)乃(の)神(かみ)の太い腕が差し伸べられた。

 一見すると美しい光景の様だが、その姿には只(ただ)ならぬ狂気にも似た何かが渦巻いていた。

 獅(し)乃(の)神(かみ)は自分の真意をこう纏める。

 

「何(な)故(ぜ)なら、道(どう)成(じよう)寺(じ)よ。汝(なれ)もまた日本人なのだから。清く正しく美しい大和民族なのだから」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は激しく音を立てて腰を抜かした。

 目の前の大男が語った言葉は、凡(およ)そ正気のそれではない。

 ある意味で、道(どう)成(じよう)寺(じ)とは鏡合せの思考である。

 日本人は畜生であるのか天人であるのか――ただ、道(どう)成(じよう)寺(じ)が自分達を例外としているのに対し、自分の家族を死に追(お)い遣(や)った相手すらも自らの好評価に内包しようという獅(し)乃(の)神(かみ)は遥(はる)かに徹底して異常だった。

 

「余は父上の後継として、日(ひ)嗣(つぎ)として、一人の皇(こう)國(こく)臣民である汝(なれ)の名もまた、誇り高き戦士として遺(のこ)したいと考えている。その為には汝(なれ)に真意を問(と)い質(ただ)さねばならん。さあ話せ」

「頭がおかしいのかね君(きみ)は!?」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は尻餅を搗(つ)いたまま後(あと)退(ずさ)り、背中の壁を支えにして立ち上がった。

 そして漸(ようや)く、理解不能な獅(し)乃(の)神(かみ)を指差して周囲の同志に命じる。

 

「同志屋(や)渡(わたり)、その痴(し)れ者(もの)を殺せ! これ以上我輩に狂った妄言を聞かせるな!」

 

 白羽の矢が立ったのは、道(どう)成(じよう)寺(じ)が戦闘力に於(お)いて最も信を置く屋(や)渡(わたり)倫(りん)駆(く)郎(ろう)だった。

 だが屋(や)渡(わたり)は一向に動こうとしない。

 

「だ、駄目です首(しゆ)領(りよう)……」

「あ?」

「駄目です首(しゆ)領(りよう)Д(デー)! こいつと戦うのは駄目だ! 蜂起は中止して何(ど)処(こ)かへ逃げましょう!」

「な、何を言っているんだね君(きみ)は!?」

 

 屋(や)渡(わたり)は頭を抱え、震えながら拒絶の意を示した。

 

「俺(おれ)には解るんです。この世には神(しん)為(い)とは無関係に異常な強さを持った化物が居る。こいつは……絶対にヤバい!」

「ええい、ならば七(しち)曜(よう)衆(しゅう)! 同志火(ひ)野(の)・金(こん)剛(ごう)・地(じ)頭(とう)! この使えん臆病者の代わりに君(きみ)達が殺(や)れ!」

「は、はい!」

 

 地(ち)上(じよう)ノ(の)蠍(さそり)座(ざ)の最高幹部「七(しち)曜(よう)衆(しゅう)」の三人、火(ひ)野(の)初(はつ)音(ね)・金(こん)剛(ごう)悟(さとる)・地(じ)頭(とう)恭(きよう)輔(すけ)が素早く議長席に飛び移り、獅(し)乃(の)神(かみ)を取り囲んだ。

 

「余を殺すつもりか」

「首領の命令だからね」

「否(いや)、基よりそのつもり!」

「皇族は最初から皆殺しの予定だぜ!」

「そうか、あいわかった……」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)がそう納得した、次の瞬間だった。

 三人は突然体が弾(はじ)け飛(と)び、肉片と血(ち)飛(し)沫(ぶき)に変わってしまった。

 乾いた破裂音の残響だけが周囲に死の余韻を撒(ま)き散(ち)らしていた。

 

「は、はぁぁああああ!?」

 

 再び道(どう)成(じよう)寺(じ)は腰を抜かした。

 理解を超えた現象を目の当たりにし、その表情には困惑と恐怖がこびり付いていた。

 

「い、一体何をした! 君(きみ)は今、我輩の能力で神(しん)為(い)を禁じられて使えない筈! それがどうして……!」

「神(しん)為(い)? 筋肉の微細な伸縮で空気に圧力を掛けて飛ばしただけで、神(しん)為(い)でややこしいことをしたつもりは無かったのだが……」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は少し考え込んだ後、右腕を高々と天に挙げた。

 

「しかし、貴(き)龍(りゅう)院(いん)もああ言っていたことだし、折(せつ)角(かく)だから使ってみるか。解禁第一発としてまずは……」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)が周囲を見渡すと、何人かの賊がパニックを起こして一目散で駆け出した。

 殺されると察して議場から逃げようとしているらしい。

 だが、獅(し)乃(の)神(かみ)の掌(てのひら)から天に向けて放たれた光の筋は、ゆっくりと放物線を描いて下降し、逃げ出した賊に悉(ことごと)く打ち付けられ、敵を消滅、一掃してしまった。

 

「成程、これは良い。余計な被害を生まず、破壊したいものだけに力を作用させることが出来る……」

「な、なぁぁあああっ!?」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は再び道(どう)成(じよう)寺(じ)に歩み寄る。

 

「あがっ……! あがががが、ヒィィイイー!!」

「さあ教えてくれ、如何なる崇高な理念が汝(なれ)を凶行に走らせたのかを……」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は異様な程に穏やかな表情で道(どう)成(じよう)寺(じ)に今一度手を差し伸べた。

 道(どう)成(じよう)寺(じ)の立場からすれば、只ならぬ程に恐ろしい光景だろう。

 

「や、やめろ!! 来るな!!」

「拒むな。聞き分けが無いならこのまま誅殺するしかなくなる。余はその様な結末など望まない。さあ、話せ」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は獅(し)乃(の)神(かみ)の言葉に青(あお)褪(ざ)めた。

 完全に計算外、あまりにも理解を超えた事態に、道(どう)成(じよう)寺(じ)は為(な)す術(すべ)も無かった。

 次第に震えだし、奥歯を鳴らす、

 そして遂(つい)には、恐怖のあまり叫びだしてしまった。

 

「い、嫌だ! 死ぬのは嫌だ! 助けて! 誰か! 頼む、誰か! 誰かアアアアア!! 殺される! 殺されてしまう!!」

 

 道(どう)成(じよう)寺(じ)は発狂した。

 全ての日本人から国家を奪い、国家の上流階級を人民裁判に掛けると嘯(うそぶ)いた男に今、真の絶対者による処断が下ろうとしていた。

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