皇國国会議事堂から狼ノ牙が去り、議員達は解放された。
道成寺の能力は依然として継続している為、三日間は神為の戻らない日々が続くが、獅乃神叡智の神為が解禁された今、皇國は寧ろ力強く蘇るであろう。
しかし、それでもこの場の者達は浮かない表情を並べていた。
自身の無事を素直に喜べない、といった空気が蔓延していた。
理由は二つある。
一つは、神皇を筆頭とする三人の皇族の死である。
神皇は皇國にとって、正統なる君主として簒奪者の絶望的な統治から臣民を解放すべく、自身を迫害した国に戻ってきた有難き聖人であり、超常的な力の根源として今日の栄光を築き上げてきた偉大なる英雄であった。
また、彼は子女に品格ある生き方を諭しており、若いながら子女もまたそれに応え続けたと思われている。
神皇も二人の皇女も、皇國中から広く敬愛を集めていた。
彼らが喪われたことは哀しみの極みであろう。
「神皇……陛下……」
摂関家当主の一人、女公爵・十桐綺葉は小さな体を震わせ、両目から大粒の涙を零していた。
取分け彼女は神皇に対して並々ならぬ思い入れがあり、筆舌に尽くし難い感情が溢れ出ているのだろう。
十桐はそれで精一杯で、他のことに思い煩わされている場合では無い、と言った様子だ。
「麒姉様……」
第三皇子・蛟乃神賢智は父の死だけでなく、第一皇女・麒乃神聖花に対しても黙祷し、強い哀悼の意を捧げていた。
蛟乃神は麒乃神からの覚えが一際良く、幼い頃から非常に可愛がってもらっていた。
身勝手な振る舞いに思う処はあったろうが、それでも掛け替えのない家族に変わりなかった。
それは第二皇女・龍乃神深花もまた同じ想いであろう。
「嵐花……」
加えて、第三皇女・狛乃神嵐花の死も二人の心に影を落とす。
一番下の妹である彼女は、それ故に皇族皆から可愛がられており、彼女も兄姉をよく慕っていた。
小莫迦にする様な軽口を叩くことがあったのも、一種の愛情表現だったのだろう。
まだ十六歳の彼女まで犠牲になったことは、実に傷ましい結果である。
だがもう一つ、この場の者達には重大な懸念があった。
それは圧倒的な力で叛逆者を鎮圧し、この場を解放した第一皇子・獅乃神叡智である。
「全世界に知らしめてしまった……。天空上映で、叛逆者鎮圧の様子を……」
事態が収束を迎え、冷静になって冷や汗を掻いているのは内閣総理大臣・都築廉太郎である。
端から見て、獅乃神が七曜衆や連合革命軍の雑兵、そして逸見樹に対して行ったのは一方的な虐殺と見られても何ら不自然ではない。
治安部隊ならまだしも、彼は次期神皇、明日の国家元首である。
その獅乃神叡智に殺戮者の印象が根付いてしまうのは、国家の体面上あまりにも拙過ぎる。
懸念はそれだけではない。
恐ろしいのは、獅乃神の心の切り替えや重大な決断があまりにも早過ぎるということだ。
彼は父や肉親の死に際しても殆ど悲しむ素振りを見せず、実質的に命を奪った賊と独り善がりな論理で対話を試みさえした。
そしてそれが不可能と見做すや、相手を殺害することに一切の躊躇いを見せなかった。
大丈夫なのか、この御方の双肩に皇國の未来を託しても――政治のことを少しでも考える者は、皇國の未来に強い不安を感じずにはいられまい。
強固な貴族社会という側面が強く、忘れられているかも知れないが、皇國は立憲君主制を布く民主主義国家なのである。
そんな周囲の者達の憂いも露知らぬといった様子で、獅乃神は或る二人の許へ歩み寄る。
「汝ら二人は叛逆者一味だな?」
議場には地上ノ蠍座の七曜衆から日下部光郎と月夜萌以が残されている。
二人は議員達と共に壁際に並ばされていた。
他の者達との微妙な距離感、議員とも貴族とも異なる空気感から、彼らの立場は凡そ見当が付く。
「ああ。地上ノ蠍座・七曜衆が一人、日下部光郎だ」
「同じく、月夜萌以。貴方の父親をこの場へ連れて来たのは僕達だ」
「このまま逸見さんの様に誅殺するならそうしてくれ」
「右に同じ。今更見逃してくれと懇願するつもりは無いさ」
二人には最早抵抗の意思など無かった。
彼らは神皇を此処へ連行する途中、対話を通じて感化されていた。
それで道成寺に異を唱えたことで、裏切り者として処刑を待つ身となったのだ。
どの道死を待つばかりだった二人は、既に己の運命を受け容れていた。
「まあ、そう早まることもあるまい」
獅乃神は仰々しく両腕を拡げた。
「議員達と同じく並ばされていたこと、逸見の能力で移動していないことから、汝らの立場は見当が付く。己の在り方を悔いたというならばそれに報いてやるのが仁義というものだ」
日下部と月夜はきょとんとした表情を浮かべている。
獅乃神の言葉は、先程の容赦の無い裁断とは打って変わって穏健なものだった。
叛逆者を確定死罪に処す皇國の方針としては不適当な程に。
「俺達は国家への叛逆を企てた一味だ。その過去は変わらない」
「貴方は先程、僕達の罪は死刑か誅殺しか無いと仰っていた筈だが?」
「汝らの場合は些か事情が異なる」
獅乃神は僅かの間、何かを思い悩む様に眉根を寄せた後、すぐに頬を緩めて笑顔を花咲かせた。
それはまるで、何か素晴らしい案を思い付いたかの様な表情の変化であった。
「そうか、そうだったのだ。皇國に於いて『叛逆者は確定死罪』というのは、前々から随分と無情に過ぎると思っていた。崇高なる徳を持つ慈悲深き父上と、和の心を持つ情け深き日本人の作った制度として、違和感を禁じ得なかった。だが、これはそういうことだったのだ。『叛逆者は確定死罪』、即ち、叛逆者でなくなった者は恩赦しても良いのだ」
獅乃神が突然打ち上げた解釈に、議場からは響めきが上がった。
「成程成程、予てより『何も殺すことは無い』とは思っていた。『叛逆者・水徒端早芙子』のことも『近衛侍女・敷島朱鷺緒』として生まれ変わらせて側に置いた。今考えると、余は初めからそういうつもりだったのだ。点と点が線で繋がったぞ」
一人頷いて謎の納得をしている獅乃神だったが、議員達はそれどころではなかった。
特に、内閣総理大臣の都築は慌てた様子で「天空上映を止めさせろ」と怒号を飛ばす。
次期神皇がこのような調子であることは、ある意味で先程の衝撃的な誅殺の様子よりも世界に示したくはない。
それに、彼の解釈が今尚皇國全土で巻き起こっている連合革命軍暴動と鎮圧の現場に届いたとしたら、両陣営からどう思われるだろうか。
「良し、余は決めたぞ!」
そんな周囲の混乱を尻目に、獅乃神は高々と腕を上げる。
「今この時より三日間、自ら投降した叛逆者に対しては余の即位に伴う恩赦を約束しよう! 死刑のみの国家叛逆罪ではなく、より軽い罪で済ませるのだ!」
「お、お待ちください!!」
都築が堪らず、獅乃神の許へと息を切らせながら駆け寄った。
「その様なことをこの場で宣言なさると、現場の統率と社会の法秩序が著しく乱れます!」
議員や貴族達は怯えて真青になった。
獅乃神叡智を怒らせてはならない、敵に回してはならないというのは、皇國上流階級の常識である。
彼に諫言した結果どうなるかは、考えただけでも恐ろしいのだ。
都築はよく勇気を出したと言える。
滝の様な汗が都築の額から頬を伝い、顎から首筋に流れる。
固唾を飲む彼の頭には間違い無く死が過っているだろう。
「確かに、それは困るな」
意外にも、獅乃神は物分かりが良かった。
「では、誠に遺憾だがやめるか……。この二人も折角解ってくれたのだから、どうにかしてそれに報いてやりたかったのだが……」
都築の顔は益々蒼白になった。
これでは都築が獅乃神を望まず翻意させた形になってしまう。
また、次期神皇たる者がこうも軽々しく言ったことを撤回してしまうのも、頗る悪印象である。
図らずも、都築は二重の意味で次期神皇を貶めたことになる。
おそらく、獅乃神に悪意は無い。
だが、君主が備えるべき思慮深さにも欠けている。
「畏れながら、獅乃神様」
その時、第二皇女・龍乃神深花の侍従である灰祇院在清が本会議場に入場し、獅乃神に申し出てきた。
彼は臣籍降下した元皇族の出で現在の皇族とも家族ぐるみの付き合いがあり、そして獅乃神に対しても恐れず物を言える数少ない人物だ。
「皇尊に特赦の大権が定められていたのは神和憲法の話です。現在の皇國に於いて、神皇や皇族は憲法上・法規上に定められた存在では御座いません。仮に特赦が成されるとすれば、内閣による超法規的措置が必要となり、現実的ではないのです」
「ふぅむ、成程……」
灰祇院は嘗て、獅乃神のことを「対話が出来る人物」「無理を言う人物ではない」と評している。
実際、獅乃神は引き下がっている。
「では都築よ、汝には内閣総理大臣として為せる範囲で、余の願いを聞いてほしい」
「は、ははっ。この都築の力で出来ることでしたら、誠心誠意御奉公いたしましょう。何なりとお申し付けください」
「なに、そう畏まらずとも良い」
獅乃神は両腕を開け、肩の力を抜くように促している。
「言うまでも無いことだが、今の皇國は大変な状況にある。先ずは一刻も早く叛乱を鎮め、破壊された国土を復興し、臣民の生活に日常を取り戻さなければならぬ」
「はは、無論、心得ております」
「うむ。そこで汝に願いたいのだが、この未曾有の事態に全臣民が心を一つにして全力を傾けるよう汝から政府として働きかけ、またその意志が遺憾なく復興に繋がるよう、汝が主導して統制を確固たるものとしてもらいたいのだ」
都築は瞠目した。
何故なら今の言葉は、都築として心強いものだったからだ。
次期神皇が復興に国家として注力し、余計な色気を極力出さないように願っている。
これは都築にとって非常に好都合なことだった。
「そうなりますと……当分は明治日本に軍を差し向けている場合ではありませんな……」
「かも知れんな。基より、日本人同士で争うというのは哀しいことだ」
「新たなる神皇陛下は……そう御望みですか……」
「うむ」
都築は元々、開戦に対しては慎重派だった能條緋月の意向を受けた外務大臣であった。
つまり、前総理の小木曽文章が開戦に踏み切ったことを苦々しく思っていたのだ。
「畏まりました。この都築、陛下の御心のままに……」
都築は深々と獅乃神に頭を下げた。
斯くして、皇國の長い長い一日が終わろうとしていた。
神皇が代替わりし、皇國の新しい時代が始まる。
そしてそれは、戦争の相手である日本国にとっても極めて大きな転換点であった。