日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第七十三話『厭戦』 急

 同日夜、日本国は東京のとあるビジネスホテル。

 比較的大きな一室に、数人の男女が集まっていた。

 二箇月程、このホテルは国が貸し切りにして、とある帰還の事務局として使用されている。

 

「今日、集まってもらったのは他でもない」

 

 根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)が腕を組んだまま切り出した。

 

「知ってのとおり一週間前、皇(こう)國(こく)で革命動乱が起きた。今や敵国ではあるが、連合革命軍を名乗る暴徒によって多くの罪の無い一般市民が犠牲になった、傷ましい事件だった。叛(はん)乱(らん)は新しく神(じん)皇(のう)になった獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)によって鎮圧されたが、主犯であった武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は我が国へと逃げ込んだという」

「顔を知る人間の許(もと)に送り込む能力を使ったと、殺された彼は言っていたわね……」

 

 繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)が推察する。

 

「つまり、椿(つばき)陽(よう)子(こ)が私(わたし)達を帰国させてくれたのはこれが狙いだったという訳ね……」

「ったく、そういうことだったのかよ……」

 

 虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)は珍しく厳しい表情を浮かべていた。

 おそらく、自分達を助けた椿(つばき)陽(よう)子(こ)に対して期待していたところがあったのだろう。

 

「いつの間にか居なくなったと思ったら、まだ何か企(たくら)んでるのか。心配して損したぜ」

「虻(あぶ)球(く)磨(ま)、心配してたのか……」

 

 航(わたる)とて、何も思わないではない。

 椿(つばき)陽(よう)子(こ)と、彼女の弟である道(どう)成(じょう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)がいなければ帰国出来なかったのは事実である。

 だが、日本に害を為(な)そうというのならば捨て置く訳にはいかないだろう。

 

「根(ね)尾(お)さん、特別警察特殊防衛課の職務は神(しん)為(い)による有事に於(お)ける治安維持活動も範囲内でしたよね」

「ああ。察しの通り、我々は次の任務として武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の壊滅を目指す」

 

 部屋が緊迫した空気に包まれた。

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)――全ては航(わたる)達がこの組織に拉致され、皇(こう)國(こく)に連れて行かれたことから始まった。

 その因(いん)縁(ねん)の相手と、これからこの日本で決着を付けるのだ。

 

「ま、皇(こう)國(こく)はこれから日本と停戦交渉に入るつもりらしいですからねー。後はこれさえ片付いたら一段落ってところでしょうか」

 

 白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)が一人プリンを食べながら言った。

 相変わらず、生命の危機が間近に迫らなければ彼女は暢(のん)気(き)なものだ。

 

「そうか、停戦か……」

 

 正直、航(わたる)には実感が無かった。

 彼が出撃した最後の戦いは、決して良い結果になっていない。

 今一つ、自分の力で平和を勝ち取った気はしなかった。

 しかし、戦争が一段落するのならそれに越したことはない。

 

「あとは狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)だけ、か……」

「俺(おれ)はやるぜ!」

 

 新(しん)兒(じ)は自分の掌(てのひら)に拳を打ち付けた。

 

「あいつら、目的の為(ため)なら罪もねえ奴(やつ)らを平気で殺す様な連中だ。日本で好き勝手させる訳には行かねえよ」

「それに、彼らは私(わたし)達の命も変わらず狙い続けるでしょうね……」

 

 繭(まゆ)月(づき)の言う様に、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)が日本に潜んでいる限り航(わたる)達は決して安心出来ない。

 実際、繭(まゆ)月(づき)は皇(こう)國(こく)で自分達を追ってきた狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の刺客・沙(さ)華(はな)珠(たま)枝(え)と遭遇している。

 

(まさかまたあいつらと関わり合いになるなんてな……)

 

 ふと、航(わたる)は机の上に目を遣った。

 卓上には見覚えのある小瓶が置かれている。

 東(とう)瀛(えい)丸(がん)――あの暗い部屋の中で皆してこの薬剤を服用したとき、運命は時代の渦に飲まれたのだ。

 

「戦ってくれるか?」

「俺(おれ)としちゃ望むところだぜ」

「やるしかないわね……」

 

 渋い顔をしている根(ね)尾(お)の頼みに、新(しん)兒(じ)と繭(まゆ)月(づき)は既に覚悟を決めていた。

 そして、航(わたる)も……。

 

「後もう少しだ……」

 

 航(わたる)は自分に言い聞かせた。

 ここまで航(わたる)は命を懸けて能(よ)く戦ってきた。

 その甲斐(かい)あって、国家間の戦争にはほぼ目途が付いたと見て良いだろう。

 あとは、最後の後始末だけだ。

 

「やりますよ、根(ね)尾(お)さん。基より何か役に立てることがあるなら戦うつもりだった。日本の、僕(ぼく)達の平和を脅かす連中なら相手が皇(こう)國(こく)でも狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)でも、戦いが為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)でも生身でもやるべき事は変わらない」

「そうか……。ありがとう、三人とも」

 

 航(わたる)達の次なる敵は因縁の相手、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)だ。

 数々の死闘を経て強くなったとはいえ、油断出来る相手ではない。

 しかしだからこそ、航(わたる)達が対処しなくてはならないのだ。

 

「それとな、実は朗報がある」

 

 根(ね)尾(お)が話題を変えた。

 

「先日、岬(さき)守(もり)君と共に出撃した雲(くも)野(の)兎(と)黄(よ)泉(み)君だが、本日帰国して入院の手続を済ませた。命に別状は無く、現在は兄の幽(ゆ)鷹(たか)君と同じ病室で眠りに就いている」

 

 根(ね)尾(お)の言葉に航(わたる)は胸を撫(な)で下(お)ろした。

 航(わたる)は一足先に帰国したが、自衛官を始め彼と共に戦った面々は護衛艦で環太平洋諸国を経由して日本に帰還したのだ。

 既に動きが筒抜けになっているにも拘(かか)わらず、皇(こう)國(こく)軍の襲撃が無かったことを見るに、どうやら皇(こう)國(こく)は本当にこの戦争を継続したくないらしい。

 

「みんな、無事戻って来られたんだな……」

 

 豊(とよ)中(なか)大(たい)洋(よう)一尉や戦友達に、今度改めて挨拶に行こう――航(わたる)はそんなことを思った。

 

 が、そのときは航(わたる)はエレベーターの到着音に気が付いた。

 貸し切りの筈(はず)のこのホテルに、何者かがやって来たらしい。

 

「到着したか」

 

 根(ね)尾(お)は事情を知っているようだ。

 

「兎(と)黄(よ)泉(み)君の入院だが、それと入れ替わる様に一人の患者が今日退院した。彼女にはその脚で此(こ)処(こ)へ来てもらうことになっている」

「それって、まさか……!」

 

 部屋の扉がノックされた。

 

「岬(さき)守(もり)君、開けてやれ」

 

 航(わたる)の心臓が高鳴った。

 根(ね)尾(お)が態(わざ)々(わざ)自分を指名したのは、そういうことなのだろう。

 彼女は航(わたる)が出迎えるべきだ、と。

 

「開けるよ」

 

 航(わたる)はドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を引いた。

 そして、ドアの前に立っている人物の姿をまじまじと見詰める。

 そこに居たのはすっかり怪(け)我(が)が治り、包帯の取れた麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)だった。

 

「魅(み)琴(こと)……うわっ!?」

 

 魅(み)琴(こと)は突然航(わたる)を壁際に追い詰め、顎に指を添えて引いてきた。

 

「聞いたわよ、航(わたる)。貴方(あなた)あの女に、麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)に殺されかけたんですってね」

「あの、それが何か……?」

「何か、じゃないわ」

 

 久々に、航(わたる)は魅(み)琴(こと)の視線に見据えられて気後れしていた。

 

「私(わたし)以外の女に殺されるってことは、航(わたる)が永遠にそいつのものになるってことなのよ。そんなの、許せる訳ないじゃない」

 

 どこかで覚えがある遣(や)り取(と)りだった。

 まさかあの時の妄想が現実になるとは航(わたる)も思っていなかった。

 

「でも、帰って来ただろ?」

「ええ、ま、そうね……」

 

 魅(み)琴(こと)は航(わたる)の顎空手を退け、そして朗らかに微(ほほ)笑(え)んで見せた。

 

「おかえりなさい、航(わたる)。この日をずっと待っていたわ」

「ああ、ただいま。魅(み)琴(こと)の方こそ、退院おめでとう。もう体は良いのかい?」

「ええ、御(お)陰(かげ)様(さま)で。まだ神(しん)為(い)は戻っていないけど、すっかり恢(かい)復(ふく)したわ」

 

 航(わたる)もまた魅(み)琴(こと)に微笑みを向けた。

 彼もまた、この日を待ち望んでいた。

 二人は今同じ気持ちで互いを見つめ合っている。

 

「今日付を以(もつ)て、彼女・麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)君も特別警察特殊防衛課の一員となるよう了承を貰(もら)っている。契約も締結済みだ」

「え?」

 

 根(ね)尾(お)の言葉に航(わたる)は少し驚いた。

 だが考えてみれば、戦力として魅(み)琴(こと)は喉から手が出る程欲しいところだろう。

 それに、魅(み)琴(こと)もまた日本を守る為には協力を惜しむまい。

 ある程度は予想出来た契約だった。

 

「ということは、魅(み)琴(こと)も今日東(とう)瀛(えい)丸(がん)を?」

「いや、それでは生まれ持っていた神(しん)為(い)を東(とう)瀛(えい)丸(がん)に依存することになってしまう。回復があまりに遅れるようならそのときは考え物だが、一(ひと)先(ま)ずは自然に戻るのを待つことにしよう」

「それは……平気なのか?」

 

 航(わたる)は魅(み)琴(こと)の身を案じた。

 つまり、彼女は当分神(しん)為(い)無しの生身で特別警察特殊防衛課としての任務に身を投じることになる。

 そうなると、神(しん)為(い)による身体能力強化は得られない上に傷を負えばそう簡単に恢復せず、不可逆の損傷や致命傷も負い易(やす)い。

 しかし、魅(み)琴(こと)は不敵な笑みを浮かべる。

 

「あら航(わたる)、私(わたし)のことを心配してくれるの?」

「そりゃそうだよ」

「ふーん、御(ご)立(りつ)派(ぱ)ね」

 

 魅(み)琴(こと)の笑みがお馴(な)染(じ)みの意地悪い色に変わる。

 

「貴方(あなた)も随分成長したみたいだものね。これは、私(わたし)も自分の実力を貴方(あなた)に証明して見せなくちゃならないかしら」

「あ、いや……」

 

 航(わたる)は自分の頭から一気に血が引いていくのを感じた。

 今の航(わたる)には能く解(わか)る。

 神(しん)為(い)を失って尚(なお)、魅(み)琴(こと)は強くなった航(わたる)の遙(はる)かな高みに立っているのだ。

 仮に再戦したとして、結果は帰国直前のあの時と変わらないだろう。

 

「すみませんでした」

「遠慮しなくて良いのに。貴方(あなた)が良ければ私(わたし)はいつでも相手になるわよ」

 

 熟(つく)々(づく)、魅(み)琴(こと)には敵(かな)わない――航(わたる)は改めて痛感し、そして再会の喜びを噛(か)み締(し)める。

 互いに嘗(かつ)ての気の置けない関係に戻った気がする。

 それは何よりも嬉(うれ)しいことで……。

 

「君(きみ)達、イチャ付くのは終わってからにしてもらえるか?」

 

 根(ね)尾(お)が気恥ずかしそうに一つ咳(せき)払(ばら)いをした。

 忘れるところだったが、今この場は特別警察特殊防衛課として新たな任務に向けた話し合いの為に設けられている。

 その空気は魅(み)琴(こと)の登場、そして航(わたる)とのじゃれ合いによってすっかり和やかなものに変わっていた。

 

「まあまあ、別に良いじゃないですかー。もう話すことは大体話しちゃったでしょう?」

 

 白(びやく)檀(だん)は一人缶ビールを空けながら根(ね)尾(お)を宥(なだ)めた。

 ある意味、彼女の態度に比べれば航(わたる)と魅(み)琴(こと)などは圧倒的にマシかも知れない。

 

「そうだ。どうせならお二人さん、デートとかしちゃったらどうですか? 今までずっと気を張ってきたんですから、偶(たま)の息抜きくらいは必要ですよー」

「白(びやく)檀(だん)、お前はこの後残れ。話がある」

 

 どうやらこの後、白(びやく)檀(だん)は根(ね)尾(お)から説教されるらしい。

 白(びやく)檀(だん)もそれに気付き、開けた酒に口を付けないまま苦い顔をしていた。

 

「まあ、とはいえ白(びやく)檀(だん)の言うことも一理あるかも知れん。戦時中だからといって、国民に全く娯楽が許されないということはないのだからな」

 

 意外な言葉だった。

 航(わたる)達は現在、監視も兼ねてこのホテルで生活している。

 それが、期間限定とはいえ自由行動を許されるとは。

 

「じゃあ、来週の土曜にでも行くかい?」

「何を言っているの?」

 

 魅(み)琴(こと)は釘(くぎ)を刺すように航(わたる)を真(まつ)直(す)ぐ指差した。

 

「来週の土日よ。泊まりがけで遊びに行きたいわ」

 

 大胆な魅(み)琴(こと)のと言葉に部屋の全員が思わず赤面した。

 特に、航(わたる)の胸は初心(うぶ)な少年の様に高鳴っていた。

 いや、航(わたる)は充分初心(うぶ)な童貞の青年なのだが。

 魅(み)琴(こと)はそんな航(わたる)の反応を愉(たの)しむ様に一(いち)瞥(べつ)した後、根(ね)尾(お)の方に顔を向ける。

 

「良いですよね、根(ね)尾(お)さん?」

「あ、ああ。事前に申請してくれるなら、それは一向に構わんさ……」

 

 根(ね)尾(お)の許可も下りた。

 つまり、航(わたる)と魅(み)琴(こと)は来週、八月二十九日から三十日にかけて初めてのデート、それも泊まりに出掛ける。

 

「楽しみね、航(わたる)」

 

 魅(み)琴(こと)は航(わたる)に蠱(こ)惑(わく)的(てき)な笑みを向けていた。

 斯(か)くして、始まったばかりの二人の関係は早くも一つの一大イベントを迎えることとなった。

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