同日夜、日本国は東京のとあるビジネスホテル。
比較的大きな一室に、数人の男女が集まっていた。
二箇月程、このホテルは国が貸し切りにして、とある帰還の事務局として使用されている。
「今日、集まってもらったのは他でもない」
根尾弓矢が腕を組んだまま切り出した。
「知ってのとおり一週間前、皇國で革命動乱が起きた。今や敵国ではあるが、連合革命軍を名乗る暴徒によって多くの罪の無い一般市民が犠牲になった、傷ましい事件だった。叛乱は新しく神皇になった獅乃神叡智によって鎮圧されたが、主犯であった武装戦隊・狼ノ牙は我が国へと逃げ込んだという」
「顔を知る人間の許に送り込む能力を使ったと、殺された彼は言っていたわね……」
繭月百合菜が推察する。
「つまり、椿陽子が私達を帰国させてくれたのはこれが狙いだったという訳ね……」
「ったく、そういうことだったのかよ……」
虻球磨新兒は珍しく厳しい表情を浮かべていた。
おそらく、自分達を助けた椿陽子に対して期待していたところがあったのだろう。
「いつの間にか居なくなったと思ったら、まだ何か企んでるのか。心配して損したぜ」
「虻球磨、心配してたのか……」
航とて、何も思わないではない。
椿陽子と、彼女の弟である道成寺陰斗がいなければ帰国出来なかったのは事実である。
だが、日本に害を為そうというのならば捨て置く訳にはいかないだろう。
「根尾さん、特別警察特殊防衛課の職務は神為による有事に於ける治安維持活動も範囲内でしたよね」
「ああ。察しの通り、我々は次の任務として武装戦隊・狼ノ牙の壊滅を目指す」
部屋が緊迫した空気に包まれた。
武装戦隊・狼ノ牙――全ては航達がこの組織に拉致され、皇國に連れて行かれたことから始まった。
その因縁の相手と、これからこの日本で決着を付けるのだ。
「ま、皇國はこれから日本と停戦交渉に入るつもりらしいですからねー。後はこれさえ片付いたら一段落ってところでしょうか」
白檀揚羽が一人プリンを食べながら言った。
相変わらず、生命の危機が間近に迫らなければ彼女は暢気なものだ。
「そうか、停戦か……」
正直、航には実感が無かった。
彼が出撃した最後の戦いは、決して良い結果になっていない。
今一つ、自分の力で平和を勝ち取った気はしなかった。
しかし、戦争が一段落するのならそれに越したことはない。
「あとは狼ノ牙だけ、か……」
「俺はやるぜ!」
新兒は自分の掌に拳を打ち付けた。
「あいつら、目的の為なら罪もねえ奴らを平気で殺す様な連中だ。日本で好き勝手させる訳には行かねえよ」
「それに、彼らは私達の命も変わらず狙い続けるでしょうね……」
繭月の言う様に、狼ノ牙が日本に潜んでいる限り航達は決して安心出来ない。
実際、繭月は皇國で自分達を追ってきた狼ノ牙の刺客・沙華珠枝と遭遇している。
(まさかまたあいつらと関わり合いになるなんてな……)
ふと、航は机の上に目を遣った。
卓上には見覚えのある小瓶が置かれている。
東瀛丸――あの暗い部屋の中で皆してこの薬剤を服用したとき、運命は時代の渦に飲まれたのだ。
「戦ってくれるか?」
「俺としちゃ望むところだぜ」
「やるしかないわね……」
渋い顔をしている根尾の頼みに、新兒と繭月は既に覚悟を決めていた。
そして、航も……。
「後もう少しだ……」
航は自分に言い聞かせた。
ここまで航は命を懸けて能く戦ってきた。
その甲斐あって、国家間の戦争にはほぼ目途が付いたと見て良いだろう。
あとは、最後の後始末だけだ。
「やりますよ、根尾さん。基より何か役に立てることがあるなら戦うつもりだった。日本の、僕達の平和を脅かす連中が相手なら皇國だって狼ノ牙だって、為動機神体だって生身だってやるべき事は変わらない」
「そうか……。ありがとう、三人とも」
航達の次なる敵は因縁の相手、武装戦隊・狼ノ牙だ。
数々の死闘を経て強くなったとはいえ、油断出来る相手ではない。
しかしだからこそ、航達が対処しなくてはならないのだ。
「それとな、実は朗報がある」
根尾が話題を変えた。
「先日、岬守君と共に出撃した雲野兎黄泉君だが、本日帰国して入院の手続を済ませた。命に別状は無く、現在は兄の幽鷹君と同じ病室で眠りに就いている」
根尾の言葉に航は胸を撫で下ろした。
航は一足先に帰国したが、自衛官を始め彼と共に戦った面々は護衛艦で環太平洋諸国を経由して日本に帰還したのだ。
既に動きが筒抜けになっているにも拘わらず、皇國軍の襲撃が無かったことを見るに、どうやら皇國は本当にこの戦争を継続したくないらしい。
「みんな、無事戻って来られたんだな……」
豊中大洋一尉や戦友達に、今度改めて挨拶に行こう――航はそんなことを思った。
が、そのときは航はエレベーターの到着音に気が付いた。
貸し切りの筈のこのホテルに、何者かがやって来たらしい。
「到着したか」
根尾は事情を知っているようだ。
「兎黄泉君の入院だが、それと入れ替わる様に一人の患者が今日退院した。彼女にはその脚で此処へ来てもらうことになっている」
「それって、まさか……!」
部屋の扉がノックされた。
「岬守君、開けてやれ」
航の心臓が高鳴った。
根尾が態々自分を指名したのは、そういうことなのだろう。
彼女は航が出迎えるべきだ、と。
「開けるよ」
航はドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を引いた。
そして、ドアの前に立っている人物の姿をまじまじと見詰める。
そこに居たのはすっかり怪我が治り、包帯の取れた麗真魅琴だった。
「魅琴……うわっ!?」
魅琴は突然航を壁際に追い詰め、顎に指を添えて引いてきた。
「聞いたわよ、航。貴方あの女に、麒乃神聖花に殺されかけたんですってね」
「あの、それが何か……?」
「何か、じゃないわ」
久々に、航は魅琴の視線に見据えられて気後れしていた。
「私以外の女に殺されるってことは、航が永遠にそいつのものになるってことなのよ。そんなの、許せる訳ないじゃない」
どこかで覚えがある遣り取りだった。
まさかあの時の妄想が現実になるとは航も思っていなかった。
「でも、帰って来ただろ?」
「ええ、ま、そうね……」
魅琴は航の顎空手を退け、そして朗らかに微笑んで見せた。
「おかえりなさい、航。この日をずっと待っていたわ」
「ああ、ただいま。魅琴の方こそ、退院おめでとう。もう体は良いのかい?」
「ええ、御陰様で。まだ神為は戻っていないけど、すっかり恢復したわ」
航もまた魅琴に微笑みを向けた。
彼もまた、この日を待ち望んでいた。
二人は今同じ気持ちで互いを見つめ合っている。
「今日付を以て、彼女・麗真魅琴君も特別警察特殊防衛課の一員となるよう了承を貰っている。契約も締結済みだ」
「え?」
根尾の言葉に航は少し驚いた。
だが考えてみれば、戦力として魅琴は喉から手が出る程欲しいところだろう。
それに、魅琴もまた日本を守る為には協力を惜しむまい。
ある程度は予想出来た契約だった。
「ということは、魅琴も今日東瀛丸を?」
「いや、それでは生まれ持っていた神為を東瀛丸に依存することになってしまう。回復があまりに遅れるようならそのときは考え物だが、一先ずは自然に戻るのを待つことにしよう」
「それは……平気なのか?」
航は魅琴の身を案じた。
つまり、彼女は当分神為無しの生身で特別警察特殊防衛課としての任務に身を投じることになる。
そうなると、神為による身体能力強化は得られない上に傷を負えばそう簡単に恢復せず、不可逆の損傷や致命傷も負い易い。
しかし、魅琴は不敵な笑みを浮かべる。
「あら航、私のことを心配してくれるの?」
「そりゃそうだよ」
「ふーん、御立派ね」
魅琴の笑みがお馴染みの意地悪い色に変わる。
「貴方も随分成長したみたいだものね。これは、私も自分の実力を貴方に証明して見せなくちゃならないかしら」
「あ、いや……」
航は自分の頭から一気に血が引いていくのを感じた。
今の航には能く解る。
神為を失って尚、魅琴は強くなった航の遙かな高みに立っているのだ。
仮に再戦したとして、結果は帰国直前のあの時と変わらないだろう。
「すみませんでした」
「遠慮しなくて良いのに。貴方が良ければ私はいつでも相手になるわよ」
熟々、魅琴には敵わない――航は改めて痛感し、そして再会の喜びを噛み締める。
互いに嘗ての気の置けない関係に戻った気がする。
それは何よりも嬉しいことで……。
「君達、イチャ付くのは終わってからにしてもらえるか?」
根尾が気恥ずかしそうに一つ咳払いをした。
忘れるところだったが、今この場は特別警察特殊防衛課として新たな任務に向けた話し合いの為に設けられている。
その空気は魅琴の登場、そして航とのじゃれ合いによってすっかり和やかなものに変わっていた。
「まあまあ、別に良いじゃないですかー。もう話すことは大体話しちゃったでしょう?」
白檀は一人缶ビールを空けながら根尾を宥めた。
ある意味、彼女の態度に比べれば航と魅琴などは圧倒的にマシかも知れない。
「そうだ。どうせならお二人さん、デートとかしちゃったらどうですか? 今までずっと気を張ってきたんですから、偶の息抜きくらいは必要ですよー」
「白檀、お前はこの後残れ。話がある」
どうやらこの後、白檀は根尾から説教されるらしい。
白檀もそれに気付き、開けた酒に口を付けないまま苦い顔をしていた。
「まあ、とはいえ白檀の言うことも一理あるかも知れん。戦時中だからといって、国民に全く娯楽が許されないということはないのだからな」
意外な言葉だった。
航達は現在、監視も兼ねてこのホテルで生活している。
それが、期間限定とはいえ自由行動を許されるとは。
「じゃあ、来週の土曜にでも行くかい?」
「何を言っているの?」
魅琴は釘を刺すように航を真直ぐ指差した。
「来週の土日よ。泊まりがけで遊びに行きたいわ」
大胆な魅琴のと言葉に部屋の全員が思わず赤面した。
特に、航の胸は初心な少年の様に高鳴っていた。
いや、航は充分初心な童貞の青年なのだが。
魅琴はそんな航の反応を愉しむ様に一瞥した後、根尾の方に顔を向ける。
「良いですよね、根尾さん?」
「あ、ああ。事前に申請してくれるなら、それは一向に構わんさ……」
根尾の許可も下りた。
つまり、航と魅琴は来週、八月二十九日から三十日にかけて初めてのデート、それも泊まりに出掛ける。
「楽しみね、航」
魅琴は航に蠱惑的な笑みを向けていた。
斯くして、始まったばかりの二人の関係は早くも一つの一大イベントを迎えることとなった。