八月二十八日金曜日夜、日本国は東京。
とあるビジネスホテルに一台のタクシーが到着した。
「じゃ、行くか」
「ええ」
この週末、二人は付き合いだして初めてのデートに出掛けることになっている。
といっても、このタクシーでデートに行くのではない。
「
画面に表示されているのは彼女の自宅の地図と住所である。
そう、二人は一旦帰宅する
『このままホテルから出掛けるのはちょっと味気ないと思わない?』
長年共に過ごしながら、交際に至らなかった二人。
臆病さと宿命によって生み出されていた強力な反磁性から
待ちに待った初デートである、どうせなら一度日常に帰り、願い続けた形で始めたいではないか――そう合意した二人は、
「
運転手が
ナビの画面に表示された地図に、
簡易的な図に過ぎないとはいえ、その敷地の大きさは
「やっぱり今もあそこに住んでいるんだね」
「当然でしょう、自宅なんだから」
最後に訪れたのは
「
「え?」
「冗談よ。言ったでしょ?」
そんなことを話しながら見送る夜の街並には、これまで過ごしてきた懐旧の光と影が街灯と共に色付いていた。
今日までの日常を明日に運ぶ人々には、それぞれの歴史があるに違いない。
誰かと紡いだ
戦時中であるにも
タクシーが信号に捕まった。
運転手はミラーを
後部座席の
「お客さん、さっきから気になっていたんですが、どこかでお会いしませんでしたか?」
二人は確かに、この運転手を知っている。
「運転手さん、もしかしてあの夜の……?」
タクシーを運転しているのは、まさに
「お客さん、無事だったんですね。いやあ、ずっと気掛かりだったんですよ! 失礼を承知の上で、あれから何度もアパートの様子を見に行きました。ずっと郵便物が
運転手は感情を入れてしみじみと語った。
目に涙は浮かんでいないが、
「ありがとうございます、彼を心配してくれて」
彼女が
二人にとって、隠れた恩人と言って良いだろう。
「いやあお嬢さん、
信号が変わり、運転手は前方との車間距離を充分に開けて発進させた。
それにしても、奇妙な偶然もあったものだ。
奇縁といったところだろうか。
⦿⦿⦿
こうして二人は先ず
「ありがとうございます」
停車したタクシーから、先ずは
その間、
しかし
「あれ? 竹が見当たらないけど……」
「あぁ……」
その後ろ姿は少し寂し気だ。
「処分してもらったのよ。
「へぇ……」
「残していたら大変なことになっていたでしょうね。竹は恐ろしく成長が早い上に貫通力がある。梅雨の時期が成長期らしいから、この道路を突き破っていたかも……」
「ははは、そりゃ大変そうだ」
確かあの頃、
それはもう
しかし、それならばそれで一つの思い出として完結させ、記憶に
二人はこれから新しい思い出をいくらでも作っていけるのだから。
「
夕日に照らされる
「ああ、また明日」
二人は一旦、
タクシーの扉が閉まった。
「じゃお客さん、例のアパートまでで
「ええ、お願いします」
タクシーは
⦿⦿⦿
その後、程無くしてタクシーは
「ありがとうございます。自力で帰るって言ってたのに、結局送ってもらっちゃいましたね」
「ははは、お客さん、冗談が
「はい、お釣りです。お忘れ物はないですか?」
「大丈夫です」
「では、どうか
「
「いや、
運転手の話通り、郵便受けには大量の郵便物が溜まっていた。
おそらく、扉を開ければこれ以外にも地面に散乱していることだろう。
「ま、なんにせよまた生きてこの扉を開けられるんだな……」
そして先ずは、郵便物の中から比較的重要と思われるものを
「これは選挙の葉書か。あと、六月分の家賃の催促状ね。いや、七月に帰国出来て良かったよ……」
通常、賃借人失踪によって家賃滞納があった場合、二箇月の時点で訴訟提起がされる。
その間に三箇月目の滞納があった場合、家主と賃借人の信頼関係
このとき、家主は私物を売却することが一部出来るようになるらしい。
その後、政府からの補償金と特殊防衛課としての仕事で得た給料で滞納分と二箇月分の家賃を支払い、どうにか事なきを得た状態だ。
そう思うと
これは日曜日の選挙にも足を運んだ方がいいだろう。
(そんなに時間がかかるものでもないし、
自分の部屋で充電するのも三箇月ぶりだ。
幸い電気・水道・ガス・携帯代は引き落としだったので、今もそれらは生きている。
ふと、
今思えば、あの頃の自分はかなりストーカー染みていた。
だが改めて見れば、
『日曜日は投票日だってさ』
『ちょっと投票所に寄っていい?』
数秒後、立て続けに二つの返信があった。
『当然でしょ』
『明日ちゃんと投票所の入場券を持って来なさい』
すぐさま、
『もし僕が気付かなくて持って来なかったらどうしてた?』
『私から言うつもりだったわ』
『守らなかったら』
『わかっているわよね?』
それを見て
そして、また悪い癖が下腹の辺りから込み上げてくる。
あの時も辛抱
そして目を覚ましてシャワーを浴びた後、ふと海へ行きたくなってタクシーを呼んだのだった。
ああ、駄目だ、また思い出してしまう。
しかも今は、妄想のネタにも更に刺激的な思い出が増えてしまっている。
幼い頃からの想い人に
それに、正式に付き合い始めてから
(こんなの、耐えられるわけないな……)
しかし
水を差された
「もしもし?」
『もしもし
(まさか、バレているのか?)
流石にそれは無いだろう――そう思いながらも、
「な、何でもいいだろ?」
『まあ確かにそうね。でも、下らないことをして余計な体力を使ったせいで寝坊して遅刻した、なんてことになったら流石に幻滅するわよ』
(いや、本当にバレている? なんで?)
「どうして
『勘よ。でも、当たっている自信はあるわ。だって、
「ぐ……!」
反論できない。
そういえば、
後の情事はいつも
「
『そうでもないわよ。変態性は予想以上だったし』
「返す言葉も御座いません……」
電話口からは
『ま、今夜は明日に備えて早く寝なさい。ちゃんと体力を温存しておいた方がいいわよ。ね?』
意味深に
『うふふ、明日、楽しみにしているわ。お休み、
「あ、ああ。お休み、
二人は寝る前の挨拶をして通話を終えた。
今後このようにコントロールされる予感を少しだけ抱きながら……。