日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第七十五話『絶え間なく降る愛の詩(後編)』 急

 二人は魅(み)琴(こと)の家に戻り、先(ま)ずはシャワーを浴びる。

 と、その前に航(わたる)は魅(み)琴(こと)に借りた手巾(ハンカチ)で汗を拭いた。

 

「魅(み)琴(こと)、君(きみ)がシャワーを浴びる間、僕(ぼく)は洗濯物を取り込んでアイロンを当てておくよ」

「ありがとう」

 

 航(わたる)はベランダから庭へ出た。

 夏は終わりつつあるが、日が傾くのはまだまだ遅い。

 

(夜の海、か……)

 

 洗濯物を取り込みながら、航(わたる)は思い出す。

 狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に拉致される直前、海で魅(み)琴(こと)との関係にかなり思い詰めていた。

 時間帯を考えると、今回もあの海浜公園へ行くことになるだろう。

 

(そういえばあの時、タクシーを使ったけど……)

 

 航(わたる)がアイロンを掛けていると、着替えを済ませた魅(み)琴(こと)が襖(ふすま)扉(とびら)を開けた。

 気合いを入れてお洒(しや)落(れ)をした一日目とも、動きやすく露出が多めの二日目とも異なる、自然な普段着といった服装だ。

 だが、元の顔とスタイルの良い魅(み)琴(こと)はそれでも充分に魅力が出ている。

 

「魅(み)琴(こと)、一旦自宅に戻るから、ちょっと待っていてくれないか?」

「どういうこと?」

「良い事を思い付いたんだ。ただ、もしかしたら駄目かも知れないから、そのときは普通に戻って来るよ。ま、ほんのり期待して待っていてくれ」

 

 航(わたる)はそう魅(み)琴(こと)に告げると、釈然としない様子の魅(み)琴(こと)を残して玄関へ、そのまま自宅へと向かった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 日が沈み、西の空で夕日の残り火が一日の終わりを惜しんでいる。

 そんな東京の街並を、二人乗りのバイクが風を切って走っていた。

 航(わたる)が自宅へ戻ったのは、魅(み)琴(こと)を後に乗せて走らせるバイクを取りに行ったのだ。

 二(に)箇(か)月(げつ)弱もの間放置されていたのは大きな懸念点だったが、幸いにもバッテリーの充電とタイヤの空気圧調整でどうにか走れると判断出来た。

 

(折(せつ)角(かく)、魅(み)琴(こと)にプレゼントしてもらったバイクだからな。結構錆(さ)びが拡(ひろ)がっちゃったのは残念だけど、ガソリンから変な匂いがしなくて良かったよ)

 

 このバイク、大学合格記念に魅(み)琴(こと)が航(わたる)の為(ため)に購入したものである。

 予備のヘルメットがあったことが幸いし、二人乗り出来ることを思い出したのだった。

 

(良い風だ。魅(み)琴(こと)もそう思ってくれているかな?)

 

 腰に回された魅(み)琴(こと)の腕が少し締まり、背中越しに彼女の感触が密着感を強める。

 満更でもない心境を気取るには充分だった。

 この瞬間もまた、二人にとって掛け替えのない思い出になるだろう。

 

(扨(さ)て、もうすぐか……)

 

 バイクは例の海浜公園へと差し掛かろうとしていた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 夜の海岸で、航(わたる)と魅(み)琴(こと)は海を眺めながら、互いに肩を寄せ合っていた。

 

「本当に夢みたい……」

 

 波打つ音を奏でる水面は黒い影に染まり、月明かりを映し昏(くら)い空と混ざり合っている。

 そんな景色を、魅(み)琴(こと)は言葉通り夢見るように見詰めていた。

 

「私(わたし)、今大好(す)きな人と明日を見ているのね」

 

 二人の視線の先に拡がる空には、既に煌(きら)星(ぼし)が鏤(ちりば)められている。

 それは昼間の重厚な入道雲が嘘(うそ)の様に、満天の煌(きら)めきを余す事無く披露していた。

 まるで太陽が訪れる東の空を浪(ロ)漫(マン)に染めるように。

 

 そんな夜空に陶酔する二人はこの瞬間、どこまでも混じり気無く至純の恋人同士だった。

 魅(み)琴(こと)は想(おも)いの言の葉を綴(つづ)り続ける。

 

「私(わたし)は神(じん)皇(のう)と刺し違えて死ぬものだとばかり思っていた。先があるなんて考えられなかった……。違うわね。考えると心が揺れてしまうから、避けるようにしていたの」

「そうか……」

「けれども、今の私(わたし)には未来がある。貴方(あなた)が切り開いてくれた未来が。その当たり前の幸せが、とても愛(いと)おしい」

 

 魅(み)琴(こと)は航(わたる)の肩に寄り掛かった。

 

「私(わたし)を助けに来てくれた時の航(わたる)、今思い出しても本当に格好良かったわ。それまでも、皇(こう)國(こく)で再会した航(わたる)は随分見違えたけれど、あの時は本当に特別で……」

 

 ふと、航(わたる)は昨日過(よぎ)った考えを再び思い起こす。

 魅(み)琴(こと)は様々な顔を、新鮮な魅力を色々と見せてくれている。

 では航(わたる)の方は魅(み)琴(こと)に同じ様な感動を与えているのだろうか――その答えを今、魅(み)琴(こと)が語っているような気がしていた。

 

「昨日と今日は、やっぱりちょっとヘタレで情けないところもあって、それは安心したわ。でも、だからこそあの時のギャップが際立つの。この二日間で、私(わたし)は貴方(あなた)を好きになった気持ちを再確認したし、もっと想いが深まった気がする……」

 

 航(わたる)の目に涙が滲(にじ)んだ。

 あの魅(み)琴(こと)が、こんなにも自分に想いを寄せてくれているなんて――そんな感動を禁じ得なかった。

 

 航(わたる)は魅(み)琴(こと)の肩を抱き寄せる。

 波の音が美しい旋律を奏で、愛の詩を載せている。

 今、あれだけ敵(かな)わないと思っていた彼女のことを守りたくて仕方ない――そんな気持ちが溢(あふ)れていた。

 

「勿(もち)論(ろん)、貴方(あなた)に絶対負けない強い自分も気に入ってはいる。でも、こうして大好きな男の人に甘えられる今の自分も幸せ」

「うん」

「一層、このまま時が止まって欲しいとすら思える」

「おいおい……」

 

 そうなったら、夢見ている将来も無くなってしまうぞ――航(わたる)はそう言おうとした。

 しかし、それを待たずに魅(み)琴(こと)の口から同じ言葉が出てきた。

 

「でもやっぱり、明日も明後日もずっと貴方(あなた)と居たいから、それは無しね」

「僕(ぼく)も同じことを言おうとしたよ」

「あら嬉(うれ)しい。じゃ、二人の将来の事をちょっと考えましょうか」

 

 魅(み)琴(こと)は悪戯(いたずら)な表情で指を航(わたる)の胸に這(は)わせる。

 少し冷えた体に突然の刺激が与えられ、航(わたる)は思わず情けない声を漏らした。

 魅(み)琴(こと)はそんな航(わたる)の様子を見て、嬉しそうに語り出す。

 

「とりあえず、二十代前半はこのまま恋人同士として色々と楽しい思い出を作りましょう。で、二十代後半になったら結婚。そのまま暫(しばら)くは新婚気分でやっぱり色々楽しんで、三十前には子供を作りたいわね。そうね……三人くらい欲しいかな。だから頑張ってね」

「ず、随分気が早いな……」

 

 されるがままになっている今の航の状態が、二人が今まで辿りこれから作る関係をどことなく示(し)唆(さ)していた。

 魅(み)琴(こと)は揶揄うように微笑む。

 

「普通の人って小さい頃に何となくそういう将来設計の妄想をするって聞いた事があるわ。私(わたし)はそれが今やっと出来るようになったから、色々溢れているのよ」

「さ、さいですか……」

 

 とはいえ、悪い気分はしない。

 そこには理想的な幸せが溢れている。

 

「素敵な家族を作って、末永く幸せな夫婦でいましょうね」

「だからまだ結婚はしてないって……」

「いいじゃない、時間の問題なんだから」

 

 夏が二人の恋模様を羨(うらや)み、弾けて終わろうとしている。

 それはまるで夢の様に甘美な一時であった。

 

 屹(きっ)度(と)これから、沢山こんな風に思い出が作れるだろう。

 屹(きつ)度(と)万(ばん)事(じ)全てが上(う)手(ま)く行き、最高の大団円を迎えるのだ。

 二人は疑いなくそう思っていた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 何(ど)処(こ)かの闇の中、四人の男女が膝を突き合わせている。

 歪(ゆが)んだ蝋(ろう)燭(そく)の不気味な焔(ほのお)が揺れている。

 

「停戦交渉……なんとも情けない……」

 

 苦虫を噛(か)み潰(つぶ)した様な表情で、旧日本軍の軍服を着た老翁が呟(つぶや)いた。

 閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)――日本国に嗾(けしか)ける目的で皇(こう)國(こく)の建国を先代神(じん)皇(のう)に吹き込んだ鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)の現在の姿である。

 

「まさかあの息子がここまで無能だとは思わなんだ」

「全くだわ……」

 

 ゴシックロリータ服の女が溜息を吐く。

 閏(うる)閒(ま)の息子・鬼(き)獄(ごく)康(やす)彌(み)遠征軍大臣を粛正したのは他ならぬ彼女・貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)である。

 

「あんな連中を獅(し)乃(の)神(かみ)様の臣下に置いておく訳にはいかない。皇(こう)國(こく)政界は一度大掃除する必要があるわね。三(みつ)入(なり)君もそう思うでしょう?」

「誠に面目ない。この責任として、この儂(わし)が必ずや媛(ひめ)様(さま)の眼鏡にかなう統治体制を再構築しましょうぞ」

「だが、少々性急に方針を変え過ぎたのではないか?」

 

 筋骨隆々とした大柄な偉丈夫が女と老翁の会話に割って入った。

 能(のう)條(じよう)緋(ひ)月(づき)元首相の秘書で、甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)に内通していた男・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)は如(い)何(か)にも不服といった仏頂面を浮かべている。

 

「獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)の践(せん)祚(そ)を急ぎ過ぎた。革命動乱の復興に感(かま)けて侵攻が疎(おろ)かになれば、我らの計画にも支障を来すぞ」

「僕(ぼく)のせいだって言いたいのか、推(つき)城(しろ)?」

 

 小柄な少年が大男を睨(にら)み付(つ)けた。

 彼、八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)は武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の首領補佐を務め、今回の戦争で蜂起の機を窺(うかが)うよう道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)に言い含んでいた。

 

「そうとは言わん。寧(むし)ろ、革命で先代神(じん)皇(のう)を排除して獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に皇位を継承させるのは最終手段として予(あらかじ)め計画していたことだ。私(わたし)が問題にしているのは、その発動判断が早過ぎたことだ」

 

 推(つき)城(しろ)は机を拳で叩(たた)いた。

 

「獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)が日本国との停戦を望んでおり、皇(こう)國(こく)政府はその意を酌もうとしている。これでは皇(こう)國(こく)に日本国の皇統を途絶えさせる計画は台無しになりはしないか? まさか広(こう)目(もく)天(てん)よ、日(ひ)和(よ)った訳ではあるまいな?」

「あら、随分な言(い)い種(ぐさ)ね。この私(あたくし)の情念が、高々数百年程度の恨みしか抱えていない貴方(あなた)に変心を疑われるとは思わなかったわぁ……」

「そうだよ。僕(ぼく)達は皆、同じ傷を心に抱えた魂の同志だろう?」

 

 八(や)社(おと)女(め)が不気味な笑みを浮かべ、推(つき)城(しろ)を宥(なだ)めた。

 

「色に狂い、恩を忘れ、統治すら投げ出した皇統……。この僕(ぼく)ですら三人分の恨みを見てきたんだ。況(ま)して御(お)媛(ひめ)様(さま)がこのまま終わらせる訳がないじゃないか」

「その通りよ」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)が白い歯を見せて笑った。

 

「三人とも、あの御(お)方(かた)を甘く見てはいけないわ。あの御方はね、それはそれは恐ろしい御方なのよ。必ずや私(あたくし)達の願いを叶(かな)えてくれる。私(あたくし)達を樂(らく)園(えん)へと導いてくれるわ」

「樂(らく)園(えん)、か……」

 

 推(つき)城(しろ)は目を細めた。

 

「期待して良いならば私(わたし)は引き続き協力を惜しまない。いや、基より退路は無いか……」

「そうだよ、推(つき)城(しろ)。僕(ぼく)達はただ御(お)媛(ひめ)様(さま)と共に冥府魔道を行くだけ、だろう?」

「嬉しいことを言ってくれるわね、征(せい)一(い)千(ち)君。なら、貴方(あなた)と朔(さく)馬(ま)君には頼み事をお願いしようかしら」

 

 八(や)社(おと)女(め)と推(つき)城(しろ)の眼が貴(き)龍(りゆう)院(いん)の方を向いた。

 

「頼み事?」

「二人には日本国へ赴(おもむ)き、邪魔者を排除してほしいの。その間、私(あたくし)と三(みつ)入(なり)君は皇(こう)國(こく)の体制を作り直し、獅(し)乃(の)神(かみ)様の御(ご)協(きよう)力(りよく)を取り付けるわ」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)の言葉で、円卓の四人は二つの立場に分かれた。

 日本国と皇(こう)國(こく)、それぞれの場で陰謀の為に暗躍する二つの立場に。

 二組はそれぞれ向き合い、双方の志を濁った眼の中に確かめる。

 

「確かに、その必要性は否めんな。よく考えれば、我々は敵を侮り過ぎたかも知れん。皇(こう)國(こく)が武力行使さえすれば、日本国など容(た)易(やす)く蹂(じゆう)躙(りん)出来ると……。あいわかった」

「丁度、僕(ぼく)の手駒も向こうに居ることだし、有効活用させてもらうよ」

 

 八(や)社(おと)女(め)と推(つき)城(しろ)が立ち上がった。

 

「では儂(わし)は軍部に工作を仕掛けるとしますかな」

「ええ。獅(し)乃(の)神(かみ)様のことは私(あたくし)に任せておきなさぁい」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)と閏(うる)閒(ま)も立ち上がった。

 

「私(あたくし)達は必ずや、樂(らく)園(えん)へ辿(たど)り着(つ)く」

「その為にも、まだまだ戦争を終わらせる訳には参りませんな」

「其(そ)方(ちら)は任せよう。我々は奴(やつ)らに借りを返す」

「楽しみにしておいてよ」

 

 蝋燭の炎が弱まっていく。

 辺りは完全なる闇に包まれようとしていた。

 

「みんな、良い働きを期待しているわ。樂(らく)園(えん)で会いましょう。皇統が絶えた世界、日本が存在しない世界で……」

 

 何処かの闇の中、陰謀が蠢(うごめ)いている。

 光り溢れる明日の暁(あかつき)を闇に鎖(とざ)す為に、神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)は良からぬ企(たくら)みを尚(なお)も巡らせていた。

 そして夏が終わり、混(こん)沌(とん)の季節が訪れる。

 

 

 

 

 ――第三章『争(そう)乱(らん)篇(へん)』完

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