日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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幕間十二『壊劫』

 嗚呼(ああ)、生まれ落ちてしまった……。

 

 俺(おれ)が顕(あらわ)れし此(こ)処(こ)は何(いず)処(こ)ぞ。

 

 眩(まばゆ)き光に溢(あふ)れている。

 

 ……然(さ)れど、俺(おれ)は誰ぞ。

 

 ……而(しこう)して、誰が俺(おれ)ぞ。

 

 其(そ)処(こ)な小さき男よ。

 

 俺(おれ)の器を取り上げし男よ。

 

 答えよ、汝(なれ)は俺(おれ)か。

 

 ……成程、神(かみの)皇(すめら)を俺(おれ)に譲る日(ひ)嗣(つぎ)か。

 

 即(すなわ)ち、汝(なれ)は俺(おれ)か。

 

 ならば他の者はどうか。

 

 痩せた老夫は?

 

 若き女は?

 

 稚(をと)女(め)は?

 

 もう一人、得体の知れぬ女は?

 

 汝(なれ)ら皆、俺(おれ)の生まれ落つるを祝福するか。

 

 ……成程、皆俺(おれ)ということか。

 

 然れど、此(こ)の壮麗にして厳粛なる降誕の間に場違いなる翅(は)蟲(むし)が一匹。

 

 斯(か)様(よう)に無礼・不快・耳障りな翅(は)音(おと)を立てるは甚だ不敬不届千万。

 

 俺(おれ)に非ざるは限り無き嫌(けん)悪(お)を催す物(もの)也(なり)。

 

 消(き)え失(う)せよ……。

 

 ……。

 

 危うくこの場の俺(おれ)を諸(もろ)共(とも)滅殺するところであった。

 

 まだ見ぬ俺(おれ)を共々鏖(おう)殺(さつ)するところであった。

 

 父を名乗る俺(おれ)よ、大儀であった。

 

 今、俺(おれ)の降誕に際し、天(てん)地(ち)神(しん)明(めい)・森(しん)羅(ら)万(ばん)象(しよう)・三(さん)千(ぜん)世(せ)界(かい)に問う。

 

 俺(おれ)は誰ぞ、誰が俺(おれ)ぞ。

 

 汝(なれ)ら皆、俺(おれ)に非ずば在る可(べ)からず。

 

 心す可(べ)し。

 

 天地神明、総(すべ)て遍(あまね)く俺(おれ)の為(ため)に照(しょう)照(しょう)たる可(べ)し。

 

 森羅万象、余すことなく此(これ)の俺(おれ)を萬(まん)福(ぷく)に漬(ひた)らしめる可(べ)し。

 

 三千世界、汎(あら)ゆる俺(おれ)の細胞を末(まつ)梢(しよう)まで快(け)樂(らく)に満たし続ける可(べ)し。

 

 天(てん)地(ち)開(かい)闢(びやく)・萬(ばん)物(ぶつ)流(る)転(てん)、押(お)し並(な)べて今日(きよう)此(この)時(とき)の為、俺(おれ)の為ぞ。

 

 一(ひと)先(ま)ずは、神(かみの)皇(すめら)の在りし神(かみの)國(くに)は俺(おれ)也と心得た。

 

 然らば、小さき者共よ、此の俺(おれ)に名を与えよ。

 

 神聖至尊たる此の俺(おれ)に相(ふ)応(さわ)しき名を付けよ。

 

 ……。

 

 そうか……。

 

 俺(おれ)の名は『獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)』……。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

⦿⦿

 

 

 

⦿

 

 

 

 皇紀二六五八年元旦。

 神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)は皇宮宮殿、宇(う)気(け)比(ひ)の間。

 神(じん)皇(のう)・鳳(おおとり)乃(の)神(かみ)大(だい)智(ち)と侍従長・大(だい)覚(かく)寺(じ)常(つね)定(さだ)、侍女・砂(さ)倉(くら)瑠(る)璃(り)花(か)、第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)が見守る中、「聖(せい)宮(きゅう)」と呼ばれる人工母胎はその匣(はこ)の蓋(ふた)を開いた。

 人工羊水が排出され、匣(はこ)と繋(つな)がる臍(へそ)の緒(お)も切り離される。

 

 今此(こ)処(こ)に、一人の御(み)子(こ)が降誕した。

 だが侍従長・大(だい)覚(かく)寺(じ)常(つね)定(さだ)はその赤子の様子に困惑を極めていた。

 黄(こう)櫨(ろ)染(ぜん)御(のご)袍(ほう)を思わせる茶(ちゃ)金(きん)色(いろ)の肌が薄(うっす)ら青みを帯び、白(はっ)金(きん)色(しょく)の毛が青く燦(きら)めいている。

 目蓋の裏から僅(わず)かに覗(のぞ)く双(そう)眸(ぼう)は、真紅と柳(りゆう)緑(りよく)の色違いだ。

 

 そして何より、この赤子は泣く様子が全く無かった。

 これでは呼吸が出来ない。

 青い唇だった為、死産ではないかとも疑った。

 

「陛下、御子は……」

 

 恐る恐る、大(だい)覚(かく)寺(じ)は神(じん)皇(のう)に申し出ようとする。

 しかし、神(じん)皇(のう)は構わずこの奇妙な赤子に両手を伸ばし、天からの賜り物を光に翳(かざ)すように取り上げた。

 

「素晴らしい……! この太陽の様な、いやそれ以上の、如(い)何(か)様(よう)にも形容すること叶(かな)わぬ眩い生命力……!」

 

 神(じん)皇(のう)は興奮を抑えられないといった様子で震えていた。

 大(だい)覚(かく)寺(じ)はこの時、初めて赤子が既に呼吸していることに気が付いた。

 その神秘的な見目形に、初め彼は底知れぬ畏れを抱いた。

 

「陛下、御子が御無事で何よりです。一向に泣かれぬもので私(わたくし)はてっきり……」

「大(だい)覚(かく)寺(じ)よ、爾(なんじ)もまだまだよの。この子は既に朕(ちん)以上に強大な力を備えておる」

「へ、陛下より……!」

 

 冬だというのに大(だい)覚(かく)寺(じ)の額に汗が伝った。

 立場上聞いていた神(じん)皇(のう)の、理解を超えた真の力の凄(すさ)まじさを更に凌(しの)ぐというのか。

 

「ということは、御子は既に『神の領域』へと……?」

「然(さ)様(よう)。いや、成長すればその上へと至るやも知れぬ。真に真なる至高、朕(ちん)もその存在を朧(おぼろ)気(げ)に感じているに過ぎぬ高み、『造(ぞう)化(か)の領域』へと……!」

 

 神(じん)皇(のう)の小さな手、短い腕が可能な限り高く子を掲げる。

 余りに想像を絶する次元の話に、大(だい)覚(かく)寺(じ)は只(ただ)々(ただ)主君を見守ることしか出来なかった。

 

「聴くが良い、我が嫡子よ。朕(ちん)は神(じん)皇(のう)、森羅万象を統(す)べる者、三千世界の大帝也。其(そ)は即ち、爾(なんじ)の未来である。そして此処は皇(こう)國(こく)。爾(なんじ)に約束されし神州也。朕(ちん)も、この場に控えし臣下も、遍く皇(こう)國(こく)臣民の悉(ことごと)くも、爾(なんじ)の降誕を心より祝福するものである……!」

 

 神(じん)皇(のう)は完全に生まれたての我が子に夢中になっている。

 

「おおっ……!?」

 

 神(じん)皇(のう)は思わず感嘆の声を漏らした。

 赤子は歓喜に笑っていたのだ。

 これには思わず、大(だい)覚(かく)寺(じ)も安(あん)堵(ど)の笑みを浮かべた。

 

 この様子なら安心だ。

 神(じん)皇(のう)陛下の御(ご)慧(けい)眼(がん)に狂いがあろう筈(はず)がない。

 神(じん)皇(のう)陛下の御(ご)仁(じん)徳(とく)に間違いがあろう筈がない。

 

 屹(きつ)度(と)、御子は皇(こう)國(こく)の未来を一層明るく照らすであろう。

 正(まさ)しく、陛下が形容したように、眩い許(ばか)りの神力、神(しん)為(い)で――そう確信した。

 

 しかし、瞬時に赤子は真顔になった。

 宛(さなが)ら窓の枠に一筋の埃(ほこり)を見つけた様に、眉(み)間(けん)に皺(しわ)が寄っていた。

 そして彼は、小さな小さな手を挙げた。

 神(じん)皇(のう)は、刹那に何かを察したようだった。

 

「いかん!!」

 

 神(じん)皇(のう)の体から神(しん)為(い)が全方位に放出された。

 しかしそれはこの空間を何一つ破壊することなく、宇(う)気(け)比(ひ)の間の外へ拡(ひろ)がっていった。

 赤子はそれを受けてか、再び元の穏やかな表情に戻っていた。

 

「へ、陛下……?」

 

 大(だい)覚(かく)寺(じ)は、汗だくになって肩で息をする主君の身を案じて声をかけた。

 神(じん)皇(のう)は一転、極めて難しい顔をしている。

 

「蚊だ」

「蚊、でございますか? 莫(ば)迦(か)な、在り得ませぬ。この宇(う)気(け)比(ひ)の間は生(あ)れ坐(ま)する御子の為に最高水準の清浄が保たれており、埃も菌の類も、空気中に僅かも存在しない筈……」

 

 大(だい)覚(かく)寺(じ)の異論に対し、神(じん)皇(のう)は首を振った。

 

「部屋ではない、更に言えば屋内でもない。皇宮の中庭を我が物顔で音を立てて飛んでおったのだ」

「は、はあ……。それが問題であったと?」

「うむ、危ないところであった」

 

 まじまじと自身を見つめる神(じん)皇(のう)の手に抱かれ、赤子は穏やかに笑っている。

 だがこの場の者、特に神(じん)皇(のう)はそれどころではなかった。

 

「この子はまだ神(しん)為(い)を制御できてはおらぬようだ。いや、神(しん)為(い)ではないな。今この小さき手が無(む)造(ぞう)作(さ)に握られていれば、例えば空気中の酸素、水素、窒素、炭素、諸(もろ)々(もろ)の元素原子が核融合を起こす程の、或(ある)いは新たなる天体が生成される程の、途方も無い圧と熱量が発生したであろう」

「そ、それ程でございますか……? 荒唐無稽なお話ですが、陛下が仰(おつしや)るなら真実なので御座いましょう……。いやはや何とも畏(おそ)ろしい……」

「暫(しばら)くは朕(ちん)自らが観(み)てやらねば、冗談ではなく総てを畢(おわ)らせることになるであろうな」

「す、総てを……」

 

 大(だい)覚(かく)寺(じ)は固(かた)唾(ず)を飲んだ。

 御子を安全に制御出来るとすれば神(じん)皇(のう)しかいない。

 だが、彼にはすべきことがある。

 

「しかし陛下には皇(こう)國(こく)に余すことなく神(しん)為(い)をお送りいただく尊き御(お)役(やく)目(め)が……」

「うむ、付きっ切りでは観られぬ。故に我が嫡子が三千世界の破壊に至ることなきよう『助け』を施す。そして近衛侍従を付け、『助け』を破られる兆候が見られた折には朕(ちん)に報(しら)せることを命ずる」

 

 皇宮に沈黙が流れる。

 神(じん)皇(のう)の言葉の後を侍従長の大(だい)覚(かく)寺(じ)も、侍女・砂(さ)倉(くら)瑠(る)璃(り)花(か)も紡げずにいた。

 

 しかし、大(だい)覚(かく)寺(じ)と砂(さ)倉(くら)は気付いていなかった。

 この場に呼ばれてもいない奇妙な黒い装いの美女が平然と同席していることを。

 幼き皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)が砂(さ)倉(くら)の袖を引っ張り、部屋の隅を指差しているが、砂(さ)倉(くら)には尚(なお)も分からない。

 軈(やが)て、神(じん)皇(のう)は静かに口を開いた。

 

「其(そ)処(こ)な女、そろそろ何か申せ。佇(たたず)まいから見て、爾(なんじ)が此処に参ぜしは我が嫡子に何ぞ関係があるのだろう」

 

 神(じん)皇(のう)の呼び掛けで、初めて長身の女が認識された。

 黒い装束に身を包んだ彼女は、白い歯を見せて不敵に笑う。

 

「流(さ)石(すが)は神(じん)皇(のう)陛下。今(こ)宵(よい)は私(あたくし)の賜りし神託の日。故に先んじて預言の御子に謁(まみ)えようと馳(は)せ参(さん)じた次第でございます」

「ほう、神託とな……」

 

 女と神(じん)皇(のう)は視線を合わせる。

 神(じん)皇(のう)の眼(め)は女から何かを感じていたのか、鋭い光を宿していた。

 彼女には神(じん)皇(のう)に負けない程の超然とした雰囲気が纏(まと)わりついている。

 

「まあ良い。女よ、名を告げよ」

 

 神(じん)皇(のう)は小さく口元で微(ほほ)笑(え)んだ。

 女もそれに微笑みと答えを返す。

 

「貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)。西方の霊山に坐(おわ)す龍(りゆう)の祖神に縁を持つ巫女(みこ)の仙(せん)娥(が)に御座います」

「成程。では爾(なんじ)がやってみるか? 我が嫡子の近衛侍女を」

「願ってもいない事。基より私(あたくし)以外には荷が重いという思案によりお伺いしました」

 

 即答であった。

 神(じん)皇(のう)はそれに頷(うなず)き、ゆっくりと彼女に近寄っていく。

 

「では貴(き)龍(りゆう)院(いん)よ、神(じん)皇(のう)より勅命を授ける。此の子を我が後継に相応しき現(あら)人(ひと)神(がみ)に育て上げよ。我が嫡子、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)を!!」

 

 神(じん)皇(のう)から貴(き)龍(りゆう)院(いん)に赤子、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)が授けられた。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は御子を受け取ると、抱(だ)き擁(かか)えて不敵に笑った。

 

「畏れながら謹んで御(お)請(う)け致しましょう、偉大なる神(じん)皇(のう)陛下」

「うむ、心して務めよ」

 

 斯(か)くして、一つの強大なる存在がこの世に生を受けた。

 彼が時空を超越する世界一の大国、その頂点に君臨するという星の下に生まれたのは、果たして単なる偶然か。

 

 その時、貴(き)龍(りゆう)院(いん)に抱えられた獅(し)乃(の)神(かみ)が甲(かん)高(だか)い良く通る声で言葉を紡いだ。

 

『神(しん)國(こく)遍(へん)俺(えん)唯(ゆい)我(が)獨(どく)尊(そん)』

 

 この日、三千世界は一つの転換を迎えた。

 その新たな局面の名は……。

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