日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第七十六話『家族』 破

 九月六日日曜日、午前八時頃。

 岬(さき)守(もり)航(わたる)と虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)は墓地を訪れていた。

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は新(しん)兒(じ)を拉致した際、彼と一緒に旅行に訪れていた家族三人を殺害した。

 葬儀と埋葬は親戚筋が行っていたようだが、戦争事態がある程度落ち着いた今、漸(ようや)く墓参りする余裕が生まれたのだ。

 

 航(わたる)と新(しん)兒(じ)は共に手を合わせる。

 公(こう)転(てん)館(かん)で、航(わたる)は新(しん)兒(じ)から妹の話を何度も聞かされている。

 又聞きとはいえ様々な為人(ひととなり)を知らされた相手が眠っている墓標を前に、生前の平穏な家庭を想像し、思いを馳(は)せる。

 

(虻(あぶ)球(く)磨(ま)……)

 

 朝の日差しが照り付ける。

 八月が終わったとはいえ、まだまだ残暑の厳しい朝だ。

 

「悪かったなぁ、葬式出られなくてよ……」

 

 手を合わせて暫(しば)しの後、新(しん)兒(じ)は脇に置いていたバケツから墓石に水を掛け、布(ふ)巾(きん)で丁寧に拭き始めた。

 

「岬(さき)守(もり)も済まねえな。折(せつ)角(かく)のツーリングに、墓参りなんか挟んじまってよ」

「気持ちは解(わか)るつもりだよ。僕(ぼく)も手伝おうか?」

「いや、俺(おれ)にやらせてくれよ」

 

 航(わたる)は淡々と墓石を掃除する新(しん)兒(じ)の背中に物悲しさを覚えた。

 親しい者の死――考えてみれば、新(しん)兒(じ)は今初めて家族がこの世を去った現実と向き合っているのかも知れない。

 本人達の魂と最(さい)期(ご)の対話を交わし、自分達に起きた事を呑(のみ)込(こ)めてはいるだろう。

 しかし、落ち着いて心に整理を付ける時間が充分だったとは到底言えまい。

 

「大丈夫か?」

「ん? ああ、ちゃんと受(う)け容(い)れられてはいるぜ。俺(おれ)は俺(おれ)で、これからも生きていかなきゃいけねえ。それが家族との約束なんだ。ありがてえことに、高校卒業して就職するまでは親戚が面倒見てくれるって言ってくれててな。親(おや)父(じ)やお袋が好かれてた御(お)陰(かげ)で、葬式や後の手続は全部やってもらえたよ。熟(つく)々(づく)、俺(おれ)は周りの人間に恵まれてたんだなあ……」

 

 そう言いながらも、新(しん)兒(じ)は空を見上げた。

 まるで亡き家族の幻影を仰ぎ見ているかの様だ。

 

「ただなあ……今でも夢に見るんだよ。家族が一緒だった頃の夢、これから先も一緒に生きていく夢、そんな、本来失う筈(はず)じゃなかった未来・過去・今の夢をよ……。で、朝起きていつも思うのさ。『ああ、そうか。こっちが現実だった』ってな……」

 

 突如奪われた日常は、新(しん)兒(じ)の中に今(いま)尚(なお)その残り香を潜ませているらしい。

 それは一生消えはしないのだろう。

 

 新(しん)兒(じ)だけではない。

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の拉致によって、三人が命を落としている。

 

 十五歳にして、最初の崩落で真先に死んでしまった二(に)井(い)原(はら)雛(ひな)火(び)――彼女の家族もまた、新(しん)兒(じ)と同じ様に彼女のことを想(おも)いながら生きていくのだろう。

 殺人鬼・折(おり)野(の)菱(りょう)は正当な裁きを受ける機会を永遠に失い、彼に殺された被害者の遺族達はやり切れない想いを引(ひ)き摺(ず)り続けるだろう。

 皇(こう)國(こく)に奔(はし)ろうとして開戦の切(きっ)掛(かけ)を作ってしまった虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)――彼の家族は、彼の喪失だけではなく彼の迷いと過(あやま)ちにも苛(さいな)まれ続けるのだろう。

 そしてその開戦によって生じた戦争で犠牲になった者達の家族もまた、亡き者達を想い続けるのだろう。

 

 そんな中にあって、前に進む誓いを立てられた新(しん)兒(じ)は、確かにまだどん底ではないのかも知れない。

 

「扨(さ)て、そろそろ行くか」

 

 掃除を終えた新(しん)兒(じ)は空のバケツに布巾を掛けた。

 これは彼にとって、喪失を乗り越える儀式だったのだろう。

 通常は葬儀で済ませる通過儀礼を、彼は今漸く終えたのだ。

 

「付き合わせて悪かったな。後で何か奢(おご)るよ」

「良いよ、気を遣わなくったって」

 

 航(わたる)にとっては、家族とは決して良いものではなかった。

 本来の家族は居ないも同然の育て方をされてきたので、家族の温(ぬく)もりが当たり前に有る人々には少しだけ羨(せん)望(ぼう)を感じていた。

 

 だが、大切な者が居なくなってしまう悲しみは解る。

 幼馴染の麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)が消えてしまうと思ったときは、この世が闇に包まれて終(しゆう)焉(えん)を迎えてしまうかの様な気分だった。

 そういえば、彼女は航(わたる)に家族を作ってくれてもいたとも言えるかも知れない。

 彼女の父・麗(うる)真(ま)魅(み)弦(つる)は航(わたる)に対して家族の様に接してくれたし、亡くなった時には言い様の無い喪失感があった。

 

「虻(あぶ)球(く)磨(ま)」

「ん?」

「また来ような」

 

 新(しん)兒(じ)はほんの少し意外そうに目蓋を釣り上げた。

 おそらく、内心で亡き家族に再訪を約束はしたに違いない。

 だが航(わたる)がそれを言い出すとは思わなかったのだろう。

 そんな新(しん)兒(じ)に、航(わたる)は付け加える。

 

「片付けることが片付いたら、また報告に来よう」

 

 航(わたる)の言葉に新(しん)兒(じ)は腑(ふ)に落ちたらしい。

 今、彼らは「特別警察特殊防衛課」の一員として一つの仕事を請け負っている。

 革命に敗れ、日本国に逃亡してきた武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)との因(いん)縁(ねん)を終わらせる任務があるのだ。

 

「そうだな」

 

 新(しん)兒(じ)は小さく微(ほほ)笑(え)んで頷(うなず)いた。

 

「よっしゃ、じゃあ二人してかっ飛ばしに行こうぜ。気分転換によ」

「言っておくけど虻(あぶ)球(く)磨(ま)、法定速度は守るからな」

「解ってるって。今の俺(おれ)は真人間だからな」

 

 墓参りを終えた二人は、帰国前に約束していたツーリングへと向かった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 同日正午、神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)皇宮。

 宮殿の荘(そう)厳(ごん)な食堂には革命を生き延びた三人の皇族が集まり、二箇月に一度の昼食会の席に着いていた。

 半分以上の皇族がこの世を去って尚(なお)、恒例の催しが開かれたのは、新たに神(じん)皇(のう)となった獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)たっての希望によるものだった。

 

「寂しくなってしまいましたね……」

 

 皇弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)が思わず溢(こぼ)した。

 二箇月前にはこの場に父親の先帝・大(だい)智(ち)、長女の麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)、次男の鯱(しゃち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)、三女の狛(こま)乃(の)神(かみ)嵐(らん)花(か)も居たのだ。

 問題の無い家族という訳では無かったが、それでも皆掛け替えの無い存在だった。

 

「汝(なれ)等が残ってくれたのは不幸中の幸いだった」

 

 簡素な食事、茶(ちや)碗(わん)の白米を箸で口に運び、新神(じん)皇(のう)・叡(えい)智(ち)はしみじみとそう語った。

 二人の弟妹はそんな兄が今までとは全く違う異様な雰囲気を纏(まと)っているように見えていた。

 これまで第一皇子、皇太子だった立場とは異なり、皇(こう)國(こく)の君主となった――その変化が新たな権威を着せているのだろうか。

 ある種の近寄り難(がた)い威厳――この空気感はどことなく嘗(かつ)ての父を思わせる。

 

「父上がこの会食を楽しみになさっていた気持ちが今では能(よ)く解る。家族とは尊いものだ」

 

 兄の眼(め)にはまるで幾億年を生きて酸いも甘いも噛(か)み分(わ)けてきたかの様な深みのある潤みが宿っていた。

 開戦前からは考えられないその変貌に、皇妹・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)は息を呑(の)む。

 しかし彼女は一つ、兄に確かめておきたいことがあった。

 

「時に、兄様」

 

 ほんの少しの覚悟と共に、妹は兄へと切り出した。

 どうしても問(と)い質(ただ)しておかなければならないことがある。

 

「何だ、深(み)花(か)?」

「都(つ)築(づき)総理は辞任を考えているとか」

「ああ。停戦の合意に至ったならば、先の動乱の責任を取って退くと言っていた。俺(おれ)としては辞めなくても良いと思っているのだが、決意は固いようだ」

「彼は昔ながらの忠誠心と生真面目な責任感のある男です、然(さ)もありなんといったところでしょう。しかし兄様、問題はその後です」

 

 兄・獅(し)乃(の)神(かみ)は妹・龍(たつ)乃(の)神(かみ)に鋭い視線を向けた。

 妹は一瞬たじろいだが、それでもぶれない覚悟で言葉を続ける。

 

「兄様、本気で政界に進出し、首班指名を目指すおつもりですか?」

「如(い)何(か)にも」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は平然と答えた。

 

「深(み)花(か)よ、汝(なれ)も咎(とが)めるのか」

「当然です。神(じん)皇(のう)が、帝が行政権を握る世にしようなど、神(じん)皇(のう)親政を目指そうなど、今の時代にはあり得ません」

「汝(なれ)の言うことも解る」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は構わず食事を続けている。

 親族の反対も織り込み済み、といった様子だ。

 

「都(つ)築(づき)にも反対された。何せ、永きに亘(わた)って封印されていた政体だ。だからこそ、俺(おれ)はこの二・三週間のうちに何度も有識者と話し合いの場を持ち、議論を繰り返した。その上で、問題を生じない策を練って政界に打って出るつもりだ」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せ、渋い表情を浮かべていた。

 有識者との話し合い、議論と言えば聞こえは良いが、皇(こう)國(こく)で獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に意見出来る者などほんの一握りだ。

 親しい者達は、獅(し)乃(の)神(かみ)が実のところ結構話を聞く人間だと知ってはいるが、殆(ほとん)どの者は絶対強者という力と権威に圧倒されて迎合するばかりだろう。

 内心では神(じん)皇(のう)親政を危険視していても、神(じん)皇(のう)自身が言い出せば口に出せないに違いない。

 

「しかし、兄様」

 

 二人の会話に、この中では最年少の蛟(みずち)乃(の)神(かみ)が口を挟む。

 

「今まで政界に関わってこなかった兄様は、御自身の政治勢力をお持ちではないでしょう。それでは議会を纏めきれず、政権運営はおろか首班指名もままならないのでは?」

「ああ、その問題は解決している」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の挙げた問題点は、獅(し)乃(の)神(かみ)も把握しているらしい。

 倫理・理念上の懸念を挙げて止めようとする龍(たつ)乃(の)神(かみ)に対し、現実的な可能性の懸念を挙げて止めようとする蛟(みずち)乃(の)神(かみ)という構図は開戦時と同じだが、弟の方策はまたしても上(う)手(ま)く行かなかった。

 

「有識者の中には政治団体の長もいてな、俺(おれ)が政界に進出すると言ったところ、いたく感動した様子で全面協力を申し出てきたのだ。事実上、俺(おれ)の政党として衆議院の三分の二を目指すと言ってくれたよ」

 

 兄の言葉に弟妹の顔が青(あお)褪(ざ)めた。

 神(じん)皇(のう)である兄が親政を目指しているといって喜ぶ政治団体といえば、思い当たるものが一つある。

 

「誰ですか、それは?」

「皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゅ)黨(とう)総裁・荒(あら)木(き)田(だ)将(まさ)夫(お)だ」

 

 ああ、駄目だ……――弟妹は無言で絶望していた。

 よりにもよって、過激な極右と言われている団体と組もうとしている。

 兄は自分の傍(そば)に寄ってくる人間の「悪意」というものを知らず、人を見る目が無いのだ。

 全ては、夢の様な世界を見せられ続けた弊害である。

 

「どうした、汝(なれ)等も遠慮無く食え。折角の食事会なのだからな。たまにはこういう食事も悪くはないぞ」

 

 三人はまだ知らない。

 皇族が集まる二箇月に一度の昼食会は、これが最後になるということを。

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