少し時を遡り、九月六日日曜日の夕刻。
皇國の業田国際空港に、日本国の政府専用機が到着した。
この便で、日本国の捕虜となっていた皇國の兵士達が送還されることになっていた。
出迎えるのは皇國の内閣総理大臣にして予備役国防軍大将・都築廉太郎と、国防軍大臣にして元帥国防軍大将・五郎丸佐平、遠征軍大臣にして元帥遠征軍大将・初芝進之輔、外務省から総源猫太郎次官である。
捕虜の内訳は、硫黄島防衛戦で確保された元輪田隊の将校達、南鳥島の戦いで確保された最新鋭機の操縦士達、その他、多くの侵攻作戦で日本国の手に落ちた計数十名である。
彼らは概ねジュネーブ条約に基づいた人道的な扱いの下で今日まで過ごし、日本国政府の外交官や自衛官の立会いの下、皇國側に引き渡される。
都築を始めとした皇國側の高官達は、引き渡された兵達一人一人に労いの言葉を掛けていった。
だがそんな中で、最後に一人だけ特別に自衛官を伴って階段を降りる女が居た。
彼女だけは殆ど軍と関わりの無い予備役少尉で、岬守航達との関わりから半ば強引に捕虜としての地位を付与された経緯を持つ。
曲がりなりにも彼女が男爵令嬢だったことも、この特別扱いには影響していた。
「水徒端様、貴女は此方へどうぞ」
そんな彼女、水徒端早辺子には政府高官とは別の出迎えが用意されている。
早辺子は少し驚いた様に眉を上げた。
案内役を務めるのは外交官の乃万晃である。
彼に先導され、彼女は上流階級用の特別待合室に通された。
「お連れしました」
上等な意匠の施された待合室に控えていたのは、三人の華族令嬢だった。
その顔触れを目の当たりにし、早辺子は入室を躊躇う。
この場の四人は皆新華族の令嬢だが、早辺子は自身を待ち受けていた三人について、あまり良い評判を聞いていなかった。
「御機嫌良う、水徒端早辺子さん」
三人の内、最初に立ち上がって優雅に挨拶をしたのは長身で金髪碧眼の美女、子爵令嬢・別府幡黎子だった。
早辺子もまた長身ではあるが、黎子の背丈はその彼女に迫る程である。
「別府幡様……、それに、枚辻様、鬼獄様……、御無沙汰しております……」
別府幡黎子・枚辻埜愛瑠・鬼獄東風美、この三名は新華族の社交界では一癖も二癖も有る厄介な令嬢として有名であった。
小柄の痩せた体躯に黒い衣装に身を包み、猫の縫い包みを抱える銀髪の少女、子爵令嬢・枚辻埜愛瑠は気怠げな表情をしたまま明後日の方向を見ている。
レオタードとスパッツに胴着を身に着けた健康的な茶髪の美少女、伯爵令嬢・鬼獄東風美は早辺子の方を向くと、底意地の悪い笑みを浮かべた。
唯一きちんと挨拶をした黎子も、青い眼のそこは読み取ることが出来ず、その考えは掴みどころが無い。
「これは一体……どういうことなのでしょうか?」
勿論、是迄日本国で捕虜として囚われていた早辺子には、この三名が迎えに来ることなど全く伝えられていない。
突然の状況に、ただ困惑するばかりである。
そんな彼女の様子に、東風美が一つふんと鼻を鳴らして立ち上がった。
「どういうことかは兎も角、態々迎えに来てあげた私達に礼の一つも無いんですか?」
東風美はそう言うと、不機嫌そうな表情を浮かべて入り口で佇む早辺子に迫る。
その態度には、早辺子に対する侮りが繕われもせず表われていた。
しかしこの場では早辺子の家格が最も低く、加えて最年長である。
早辺子は素直に頭を下げ、非礼を詫びる。
「失礼致しました、御三方。此の度は私のような者の為、態々御足労頂き誠に有難う御座います」
東風美はそんな彼女の様子に目を細める。
早辺子の振る舞いは常識的なものだが、東風美の機嫌は直っていないようだ。
東風美は早辺子へと更に一歩近付き、互いの息が掛かる程に距離を詰めた。
「どういたしまし、てっ!」
「おぐっ!!」
突如、東風美は早辺子の鳩尾に重いを入れた。
捕虜に対する処置として扶桑丸で神為を取り除かれていた早辺子は、堪らず腹を抱えて膝を突く。
思い掛けない暴挙に、早辺子を連れて来た乃万も慌てふためいている。
「水徒端様!? 鬼獄様、何を! ……うっ!」
瞬間、乃万は冷や汗を掻いて動きを止めた。
彼の喉元には匕首の先端が突き付けられていた。
全く気付かぬ間に、枚辻埜愛瑠が乃万の懐まで移動していたのだ。
「やめた方が良い。平民が東風美を咎めると、後が面倒」
「枚辻様っ……!」
乃万を見上げる埜愛瑠の眼には、気怠げながらも威圧感があった。
枚辻家は戦闘一族として名を馳せた新華族である。
一瞬のうちに間を詰めた体術も、その面目躍如というわけだ。
「皇國貴族ともあろう者が虜囚の辱めを受けるなんて、どの面下げて生きて帰って来たんですか?」
東風美は早辺子を土足で踏み躙る。
そんな彼女を諫めるのは、先程乃万に匕首を突き付けた埜愛瑠だ。
「東風美、あんまりやるとそいつ死んじゃう」
「ああ、そういえば雑魚でしたもんね、こいつ」
「そうそう。この方、術識神為から覚醒した逆順型らしいですわよ。そのせいで、最も基礎的な耐久力と恢復力が弱くて戦闘には向きませんの」
蹲って悶える早辺子を、東風美の嘲る様な視線が見下ろす。
逆順型とは、神為が異能から覚醒していくタイプで、白檀揚羽が例に挙げられるように、一般に戦闘向きでないとされる。
神為は通常、第一段階で生命力の根幹となる耐久力と恢復力が覚醒し、次の第二段階として膂力や瞬発力、知覚能力など、身体に関する能力が超常的に強化され、第三段階として特殊な異能が身に付く。
しかし稀に、これが逆順で覚醒するものも存在する。
このタイプは体が常人のままで異能だけ身に付いてしまう為、通常よりも体が脆く、中には能力の詳細が判らないまま命を落としてしまうこともある。
故に、通常の神為使いからは蔑みの目で見られることも少なくないのだ。
しかし、そんな東風美の蔑みに対して埜愛瑠が首を横に振る。
「違う、そうじゃない。水徒端早辺子は神為を無効化されている。今のそいつの耐久力は常人と同じ」
「あっ、いっけない!」
東風美はわざとらしく慌てた様子を見せ、早辺子の背中から足を退けた。
遠巻きに様子を窺っていた黎子も、わざとらしく思い出した様に指を立てて上を向く。
「そういえば十桐様がそのようなことを仰っていましたね」
「黎子、白々しい。東風美は兎も角、黎子は知っていて止めなかった」
「ちょっと埜愛瑠、なんですか、私は兎も角って?」
埜愛瑠の指摘に、黎子は悪びれもせず微笑む。
「だって、私は東風美さんの気持ちも解りますから。正直、良い気分ではないですよ。明治日本などに送られる上にこの様な御方に立ち振る舞いを教われ、だなんて……」
「ですよねー。黎子なら解ってくれると思っていました」
「まあ、確かにそれはそう……」
三人の遣り取りから、早辺子は大方の事情を察した。
意図までは解らないが、どうやら十桐がこの三人に日本国へ赴く様に命じており、そして早辺子はその案内役に選ばれた、ということらしい。
と、そんなことをしていると、一人分の小さな足音が廊下から近付いてきた。
そしてそれは、特別待合室の前で立ち止まる。
「何をしておるのじゃ、お前達」
「あ、十桐様」
武家の婦人の様な和装を身に付けた、小柄な少女にも似た彼女は女公爵・十桐綺葉――皇國最上級貴族・六摂家の一角を担う十桐公爵家の当主である。
岬守航らと縁のある彼女は、三人の新華族令嬢を率いて和平交渉に臨む大役を受けたのだ。
「これはどういうことじゃ?」
「すみません、十桐様。水徒端早辺子は気分が悪くなったようでして。明治日本で何か悪い物でも食べさせられたんですかね?」
東風美は白々しく嘘の弁明をする。
そしてその嘘を、他の二人も咎めたりはしない。
何も察せぬ十桐ではないが、現場を目撃していない以上は何も言えまい。
「水徒端よ、我が東瀛丸を与えてやろう。それで神為を身に付ければ、腹痛は回復する筈じゃ。お前の能力も借りる機会があるかも知れんからの……」
十桐はそう言うと懐から小瓶を取り出し、その中から一粒の錠剤を早辺子に差し出した。
早辺子が東瀛丸を飲む様子を、三人の新華族令嬢は何も言わずに見守っている。
「では、滑走路に向かうとするかの。此度の交渉、恙無く済むことを願うばかりじゃ」
「はい! 十桐様、一つ質問があります!」
東風美が勢い良く手を挙げた。
「これから私達が明治日本へと向かうのは、和平交渉というのは建前で、本当は叛逆者を征伐しに出掛けるのだと聞いています!」
「うむ、そのとおりじゃ。交渉は主に我が引き受けるから、お前達はその間に向こうの戦士達と協力して狼ノ牙を始末するのじゃ」
「成程。やはり明治日本の戦士達と組んで狼ノ牙を征伐する訳ですね?」
東風美は十桐の答えを聞き、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「つまり、会えるんだ……。曾御爺様・持国天様に逆らった愚かな一族の末裔に……」
東風美は何やら良からぬことを企んでいた。
何はともあれ、早辺子は十桐綺葉及び三人の新華族令嬢を伴い、帰国したその足で再び日本国へと戻ることになった。