深夜の交差点、命辛々航から逃れた屋渡は、土埃の中で起き上がろうとしていた。
「ぐ、糞……!」
一度立ち上がった屋渡は脚をふらつかせて膝を突く。
受けた攻撃は顔面に拳一発、実質的にはそれだけである。
だがそれだけで、既に屋渡は甚大なダメージを受けていた。
(脚に力が入らん、頭がふらつく、満足に立つことも出来ん……。なんということだ、神為の恢復が追い付いていない。たった一発の拳で、この俺がそれ程消耗してしまったというのか……。岬守を相手に……)
屋渡は苦痛の中で苛立っていた。
認めざるを得ない、今の岬守航は真面にやり合って勝てる相手ではない。
神為も、格闘能力も、既に自分の遙か上の領域に居る。
男子三日会わざれば刮目して見よというが、最早屋渡の知る者とは完全に別人だ。
(まあ良い、それならそれで殺りようはある。しかし、根本的に考え方を変えなければな……)
彼にとって幸いだったのは、早い段階でそれに気付けたこと、そして受け容れられたことだ。
繰り返すが、屋渡は優れた戦士である。
戦況が目紛るしく変わり、相手の評価を改めなければならないということであれば、柔軟に対応することが出来る。
少し動揺はしたが、逃亡したことで冷静さを取り戻していた。
(戦って殺すのは無理だ。なら、戦わせずに殺す……!)
屋渡は腕から分かれた肉槍を伸ばした。
立ち上がれない以上、槍の先を何処かに突き刺して、伸縮を利用して移動するしか無い。
槍は偶々彼の目の前にあったコンビニエンスストアの扉の前に突き刺さった。
(小型の商店か、これは良い。一先ず栄養を補給して体力を取り戻さなくては……)
屋渡は勢い良く床に激突し、硝子張りの扉を開けて店内へと突入した。
突然の事態に、店番をしていた店員達が悲鳴を上げて騒然とする。
今の屋渡は化物と見紛う異形であり、そんな物が突然入店してきたのだから、当然の反応だ。
「騒ぐな、鬱陶しい女どもめ。先ずは食い物を頂くぞ。それから、暫く此処に潜ませてもらう。死にたくなければ静かに大人しくしているんだな」
普段ならば問答無用で店員を殺すところだが、今の屋渡には体力が無い。
そして、必要以上に騒ぎを起こしたくもなかった。
彼が今考えているのは、店内に潜みつつ追って来た航の不意を突き、一瞬にして一方的に殺すことだった。
「ぜぇ……ぜぇ……」
屋渡は片端からパンの袋を破り、口の中へと入れていく。
少しでも体力を恢復し、せめて最低限立ち回れる状態になる必要があった。
ある程度動くことが出来なければ、幾ら策を練ったところで殺しようがない。
(なんとか立てるまでにはなった。だが、肉が欲しい……)
そう考えた屋渡は涙目で震える店員の元へ近寄った。
「おい」
「ヒッ!」
「揚物を出せ」
「この時間は……器具を洗う為……作り置きしないんです……」
「だったら生で良いから寄越せ! 早くせんと殺すぞ!」
槍の鋒を店員の喉元に突き付けて脅す屋渡――だが、その時だった。
「そこまでだ、屋渡!」
扉が開き、入店してきた航が屋渡に光線砲の砲口を向ける。
屋渡にとって、此程早く見付かって追い付かれるとは想定外だった。
「糞おおおおおっっ! 動くなあああっっ!!」
屋渡は咄嗟に女性店員を縛り上げ、前に差し出して盾にした。
体格差から頭は庇い切れないが、代わりに残る槍でガードして身を守る。
今、航が屋渡に光線砲を撃てば、店員に当たるか槍で防がれるかどちらかだろう。
打たれた槍は千切れるだろうが、それでも一撃で頭までは届かない――そう屋渡は目論んでいた。
「少しでも妙な動きを見せてみろォ。その時はこの女の命は無いぞォ」
屋渡は口から尖った舌先を出し入れする。
航の動きを封じ、舌の槍で嬲ろうという腹積もりだった。
航は眉一つ動かさないが、屋渡を撃とうともしていない。
流石に人質を取られて攻め倦ねているのだろうか。
だが、航の口から意外な言葉が出された。
「屋渡、それで良いのか?」
「ああ!?」
航は動じるでもなく、ただ溜息を吐いた。
「お前のことは、人間としては決して許せないが、それでも一人の戦士ではあると思っているよ。そのお前の最後の戦いが、こんな終わり方で良いのかって訊いているんだよ」
「最後だとぉ……?」
屋渡の苛立ちは頂点に達した。
目の前の宿敵に向けるべき汎ゆる罵声が脳内を駆け巡る。
(餓鬼が、虚仮にしやがって! ついこの間までヒヨッコだった分際で何様のつもりだ! 俺は十五で母親を殺し、以来泣く子も黙る武装戦隊・狼ノ牙の革命戦士として幾多の狗共を血祭りに上げてきた男だぞ! 貴様如きに解った様な口で評されて堪るかよ!)
屋渡は考える。
彼の人生は生半可なものではなかった。
父親の夢を失ったこと、夢見たことすらも否定されたこと――そんな自分の運命に膝を屈することなく、現実に中指を立てて槍で刺し殺してきたのが彼の人生だった。
華族の代わりとした組織で、親の代わりとした男と同じ夢を、立ち塞がるものを捻じ伏せて追い掛け続ける――だが再び、その生き方は否定されようとしていた。
(岬守航、貴様と出会ってから汎ゆる物事にケチが付き始めた。貴様さえ、俺の子飼いとして素直に協力していれば……! 或いは貴様が俺に殺されていればこんなことにはならなかったんだ! 何が最後だ! 俺はもう終わりだとでも言うのか! この状況でなんだその余裕は!)
ふざけやがって!!――堪らず、屋渡は怒鳴り上げる。
「状況を見ろ岬守ィ!! 貴様は俺に大人しく殺されるしか無いんだよ!!」
「いや、無理だ。お前は僕を殺せない。人質のこともな」
「何ィ?」
「これまで、僕は本気の光線砲を撃っちゃいない。あまり周囲を破壊したくなかったからな。だが、お前が他人を巻き込もうというなら仕方無い。出力を上げ、お前の頭を槍ごと撃ち抜く。あと、店員さんを殺そうと少しでも妙な動きを見せてもな」
追い詰められた屋渡に、航の冷徹な宣告が突き刺さる。
これでは立場が逆であった。
身動きが取れないのは人質を取った筈の屋渡の方だ。
「ぐっ……!」
「悪いが急所を外す期待はするな。流石の僕も、二度同じ間違いは犯さない」
屋渡の胸中は次第に絶望の闇に覆われていく。
最早完全に手詰まりである。
そんな彼に対し、航は続けて言い聞かせる。
「もう降参しろ。そうすればお前には、少なくとも公正な裁判を受ける権利が保障される」
航の言葉に、屋渡は更に頭に血を上らせる。
額に青筋が浮かび、目蓋が痙攣している。
この期に及んで、彼の思考はまだ航への罵声を並べていた。
(この俺にまだ情けを掛けるつもりか! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなよ! 安く見やがってえええっっ!! 敵に情けを掛けられるなど、そんなものは戦士のっ! 戦士の……!)
敵に情けを掛けられるなど戦士の……――その言葉が頭に過った瞬間、屋渡の思考は突然凍り付いた。
「あ……あ……」
屋渡は気付いてしまった。
店員の拘束が緩む。
(敵に情けを掛けられるなど……戦士の名折れ……。俺はあの時……こいつに情けを掛けられた……。刺せたはずの止めを刺されず、心の臓を撃ち抜かれず、俺は助かった……。なんということだ……。要するに俺は、前の戦いでとっくに戦士として終わっていたんだ……。そんなことにも気付かず、殻を破ったなどと吹いた俺は……)
本当は解っていたのかも知れない。
航に殺されなかった、情けを掛けられてしまったからこそ、戦士として再起する為に航を付け狙ったのだ。
そして今、手も足も出なかった挙げ句再び情けを掛けられた。
これでは全くの道化ではないか。
(嗚呼、もう駄目だ……)
進退窮まった屋渡は自分の現状を客観的に理解してしまった。
御陰ですっかり冷めてしまった。
自覚してしまった以上、憎しみに身を任せて狂い続けることなど出来ない。
屋渡は店員の拘束を解き、熱の冷めた無の表情で力無く項垂れる。
「もう……良い……」
屋渡の体が光に包まれ、肉の槍が元の人間の姿に収まった。
戦意を失い、能力を解除したのだ。
最早これ以上悪足掻きを続ける意思は無かった。
「岬守、俺は……どうすれば良い?」
屋渡の言葉は嘘の様に静かだった。
彼を覆っていた暴力性、狂気は完全に消え失せていた。
その様子を見た航もまた、能力を解除して光線砲ユニットを腕から消した。
「屋渡、僕達は日本に逃げてきた狼ノ牙を探して捕まえなければならない」
「俺に同志を売れということか……」
屋渡は眼を閉じた。
「そういうことになるな」
「解った、観念するさ……。思い返してみれば、俺は理想の家族を狼ノ牙という組織に求めていただけだったからな……」
屋渡が武装戦隊・狼ノ牙に奔った動機、それは「父親と同じ夢を見た家族」という物語を否定され、自らの存在意義を失った様に感じたからだった。
解りたくなどなかった。
父親は自分の夢に感け、家族を蔑ろにした碌でもない男だった、と。
しかし、同じ夢を見た自分を否定して何食わぬ顔で幸せになるなど、耐えられなかった。
過去に何を思い生きてきたのか、それこそは正しく自分の構成要素なのだから。
屋渡倫駆郎が求めたもの、それは物語の肯定だった。
彼が間違いを犯したとすれば、物語の否定の否定に奔ってしまったことだ。
結局それは、自らが本当に求めた物語を捨て、代わりにならない代わりを追い求めて物語すら汚すだけの自傷行為だった。
もしも彼が自分の中の美しい物語を糧にして、力強く生きていくことが出来れば……。
「一応言っておくが、黙秘権はあるぞ?」
「良いと言っている」
屋渡は両手を航に差し出した。
「そうか。まあ兎に角連行する。と言っても手錠は持ってないからな……。代わりにこれで……」
コンビニの床から木の蔓が生えてきた。
航はそれを千切ると、屋渡の両手を縛った。
「これは……久住双葉の能力ではないのか? どうして貴様が……」
「まあ、色々あったんだよ」
「ふん、俺には関係のない話か……」
屋渡は航に連れられ、二人してコンビニから外へと出た。
夏の残り香が消えない、温い夜の空気が二人を包む。
虫の音が妙に五月蠅い夜だった。
だが、航がスマートフォンを取り出して電話を掛けようとしたとき、交差点の中央で風が激しく渦巻いた。
不穏な空気に、二人の視線は渦へと向く。
何処からともなく、男の声が聞こえてきた。
『散々人を傷付け、踏み躙り、殺戮してきた鬼畜が改心してお縄に付く、これにて一件落着……などと、そんな都合の良い結末が許されるとでも思っているのか?』
突如、一人の大男が二人の前に現れた。
長槍を携えた、中世の武士を思わせる出で立ちの偉丈夫だ。
その男を見て、航は驚愕の表情と共に相手の名を呟いた。
「推城……朔馬……」
皇國の元首相・能條緋月の秘書、そして根尾弓矢の調査対象の一人、推城朔馬。
その男は己の巨躯を見せつける様に、不敵な笑みを浮かべつつ、航と屋渡の前に仁王立ちしていた。