日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九話『親愛なる残春』 破

 公(こう)転(てん)館(かん)に戻った航(わたる)と早(さ)辺(え)子(こ)をロビーで出迎えたのは、険悪な空気だった。

 男二人と女二人が二手に分かれ、睨(にら)み合(あ)う男と女をそれぞれ同性が宥(なだ)めているという構図である。

 

「またかよ……」

「そのようですね……」

 

 もうこの絵面だけで何があったか察してしまい、航(わたる)と早(さ)辺(え)子(こ)は呆(あき)れ果(は)てた。

 

「もうこんな莫(ば)迦(か)女と生活するのは沢山なのだよ」

「それ、こっちの台詞(せりふ)だから」

「なんだと?」

「態(わざ)々(わざ)二回も言いたくない……かな」

 

 尚(なお)も悪態を交わし合うのは航(わたる)にとって二人の友人、虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)と久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)だ。

 

「好(い)い加(か)減(げん)止(や)めなって、双(ふた)葉(ば)」

「お前も落ち着けよ、な、虎(こ)駕(が)」

 

 それを双(ふた)葉(ば)のルームメイト・椿(つばき)陽(よう)子(こ)と航(わたる)のルームメイト・虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)が止めようとしている。

 これもまた、時と場合によって新(しん)兒(じ)と航(わたる)が入れ替わる以外は毎度の光景である。

 

「岬(さき)守(もり)様、一(ひと)先(ま)ず私(わたくし)は買い出しの品を片付けた後に夕食の準備に向かいます。この場はお任せしますね」

 

 そう言うと、早(さ)辺(え)子(こ)は航(わたる)から荷物を預かって食堂へと引っ込んでしまった。

 

(逃げたな……)

 

 場の収束を押しつけられた航(わたる)は溜(ため)息(いき)を吐いて新(しん)兒(じ)に事情を尋ねる。

 

「今度は何?」

「ん? ああ、今日の訓練で滝(たき)壺(つぼ)に落とされただろ? で、藻掻いてる時に虎(こ)駕(が)の腕が久(く)住(ずみ)ちゃんに当たったって話なんだが……」

 

 双(ふた)葉(ば)と虎(こ)駕(が)は啀(いが)み合(あ)っており、この様に些(さ)細(さい)な事で言い争いを始めてしまうのだ。

 

「そうだよ! 虻(あぶ)球(く)磨(ま)が言ってる通り、当たっただけなのだよ!」

「だとしても周りをよく見てよ!」

「そんな余裕無かったのだよ!」

「普段愛国心がどうのと言ってるくせに、いざとなったら自分の事ばっかり!」

「溺れたお前の事も助けようとしてたのだよ!」

「助けてくれたのは陽(よう)子(こ)さんだよ!」

「確かにあの時、虎(こ)駕(が)も来てたよ。二人とも、もう良いじゃないか……」

 

 椿(つばき)が二人を宥めようとする。

 そういえば双(ふた)葉(ば)は泳ぎが得意ではなかったと、航(わたる)は思い出した。

 一応、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)から教わって金(かな)槌(づち)ではなくなったが、それでも苦手は苦手らしい。

 

『久住さん、今度三人でプールに行きましょう』

『そんな、良いよ麗(うる)真(ま)さん。今更泳げなくっても』

『いざという時、命に直結するわ。骨(こつ)さえ解れば出来るようになるから、一緒に練習しましょう』

 

 航(わたる)は不意に、魅(み)琴(こと)の水着姿を思い出した。

 はち切れんばかりの実りと引き締まった五体が織り成す抜群のプロポーションは眼福だった。

 そんな事を思い出す程、航(わたる)にとって二人の友人の言い争いは恒例行事であり、どうでも良かった。

 

(友達と友達も友達同士仲良く、とはいかないもんだな……)

 

 そんなことを染み染み考えていると、二人の争いが再燃の気配を見せる。

 

「頭に来た! 今日という今日はそのふざけた性根を叩(たた)き直(なお)してやるのだよ!」

「あー、結局暴力に訴えるんだ、最低!」

「そんな事は言っていないのだよ!」

「じゃあ言葉の暴力だ!」

 

 大学生にもなって、どんなレベルの争いをしているのか、と言いたくなる。

 航(わたる)は新(しん)兒(じ)と一緒に虎(こ)駕(が)を止めに入ったが、どうにも収まりそうにない。

 

「阿(あ)呆(ほ)」

「莫(ば)迦(か)」

「動画で真実」

「ハッシュタグ運動」

 

 小学生レベルの口(くち)喧(げん)嘩(か)だ。

 こうなってしまっては、最(も)早(はや)最後の手段に頼る他無い。

 

「椿(つばき)」

「ああ。ほら、もう行くよ、双(ふた)葉(ば)」

 

 結局、最終的には椿(つばき)が双(ふた)葉(ば)を部屋に引っ込め、強制的に口論を終わらせてしまう。

 ロビーには当事者の虎(こ)駕(が)、それから航(わたる)と新(しん)兒(じ)が残される形となった。

 

「久(く)住(ずみ)さんもそうだけど、いくら気に入らないからって一々突っかかってどうするんだ。お互いもう成人しているのに」

「まあ、それはそうなのだが……」

 

 航(わたる)の言葉に虎(こ)駕(が)は口(くち)籠(ご)もる。

 自分でも大人げないということは重々承知なのだろう。

 

「だが、どうしても癇(かん)に障ってしまうというか、考え方が相(あい)容(い)れないというか……」

「だからってよ、一々喧(けん)嘩(か)してたらそのうち痛い目見るぞ! 俺(おれ)なんか何度も留置所で夜を明かす羽目になったからな!」

 

 新(しん)兒(じ)の忠告は、航(わたる)と虎(こ)駕(が)にとって世界の違う話だった。

 

「いや、流(さ)石(すが)にそこまでのことはしないのだよ」

 

 同室で聞き慣れている航(わたる)は兎(と)も角(かく)、虎(こ)駕(が)は新(しん)兒(じ)の常識に若干引いていた。

 聞けば、新(しん)兒(じ)は十八になるまで相当荒れていたらしい。

 酷(ひど)いときは喧嘩相手の暴走族を殺しかけたこともあるらしく、その時の妹の涙で自分の身の振り方を省みたそうだ。

 今のお調子者の彼からは想像も出来ない過去である。

 

「なあ、虎(こ)駕(が)・虻(あぶ)球(く)磨(ま)、聴いてくれ」

 

 航(わたる)は二人に小声で囁(ささや)いた。

 

「僕(ぼく)は脱出を諦めてなんかいない。寧(むし)ろ前よりも情報が増えた分、確実に脱出するやり方を色々考えている最中なんだ。だからあまり仲(なか)違(たが)いを起こしたくはない。協力関係に支障が出たら困るんだよ」

 

 航(わたる)は脱出決行日に備え、早(さ)辺(え)子(こ)から様々な情報を貰(もら)っている。

 例えば、現在地が碧(あお)森(もり)州は霜(しも)北(きた)半島――日本でいうところの青森県下北半島に相当する場所に公(こう)転(てん)館(かん)が建っている事。

 埼玉県に相当する埼(さい)璧(たま)州に入れば、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の手も及び難(にく)く、米国の大使館に繋(つな)がれる、という事。

 

「そう来なくっちゃな! なんだ、諦めたのかと心配してたぞ!」

 

 新(しん)兒(じ)の声が嬉(うれ)しそうに弾む。

 だが、虎(こ)駕(が)は腑(ふ)に落ちないといった様子だ。

 

「それは朗報だが、では以前の様に俺(おれ)達と相談しないのは何故(なぜ)だ? 前回は大して準備せず、行き当たりばったりで行動したから失敗した面もある。それを反省するなら、予(あらかじ)め入念に打ち合わせを重ねておくべきだと思うのだよ」

 

 尤(もっと)もな疑問だった。

 新(しん)兒(じ)もこれには同調する。

 

「おお、それもそうだな! 良し、みんなで集まろうぜ!」

 

 だが、航(わたる)にはそれが出来ない理由がある。

 それこそ、早(さ)辺(え)子(こ)との関係や為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の事を仲間に隠している理由だ。

 

 内通者が居る、という話は出来ない。

 計画を共有出来ない理由であり、早(さ)辺(え)子(こ)の協力――即(すなわ)ち、扇(おうぎ)小(さ)夜(よ)が実は味方で有るという情報を話せない理由でもある。

 

 どう弁明したものか、と航(わたる)は彼(あれ)是(これ)考えを巡らせる。

 そんな航(わたる)の腐心を余(よ)所(そ)に、虎(こ)駕(が)は自分の話を続ける。

 

「なあ岬(さき)守(もり)、俺(おれ)はお前の助けになりたいと思っている。あの時の恩を返したいのだよ」

「あの時の恩?」

「中学の時、お前は麗(うる)真(ま)と一緒に俺(おれ)の捜し物を手伝ってくれただろう?」

 

 一応、航(わたる)には思い当たる節があった。

 大した事をしたつもりは無かったので、虎(こ)駕(が)に恩を売ったとは夢にも思っていなかったのだ。

 

「今考えたら、古本屋には迷惑だったよな」

 

 彼らは或(あ)る特殊な参考書を探していたのだ。

 

「実はな、あれは俺(おれ)の捜し物じゃなかったのだ。亡き親友の為(ため)だったのだよ」

「ああ、あれはそういうことだったのか」

「そう……」

 

 航(わたる)は虎(こ)駕(が)の眼(め)にどことなく既視感を覚えた。

 屹(きっ)度(と)、航(わたる)が魅(み)琴(こと)との思い出を呼び起こし切なさを感じている時も、こんな眼をしているのだろう。

 

「俺(おれ)には小学校時代、双子の親友達が居たのだよ。兄弟共に優秀だったが、特に凄(すご)かったのは弟の方だった」

 

 初耳だった。

 少なくとも同じ中学には通っていない。

 虎(こ)駕(が)とは中学進級のタイミングで別れたのだろう。

 

「あいつらの家は貧しかった訳じゃない。だが、私立の中学には一人しか通わせられなかったのだよ。優秀なのは弟の方だったが、公立への進級を選んだ。受験したのは兄の方だったのだ。結果、見事合格。だが、一年もせずに替え玉疑惑が持ち上がった。授業に全くついて行けなかったのだよ」

 

 虎(こ)駕(が)の表情が僅(わず)かに曇った。

 

「結局、疑惑に耐えられなかった兄弟は二年の時、立て続けに自殺してしまった」

「そうか……」

 

 そのような重い背景があったとは、航(わたる)には思いも寄らなかった。

 掛ける言葉が見付からない航(わたる)だったが、虎(こ)駕(が)は寧ろ力強い眼をして続きを語り始めた。

 

「俺(おれ)はあいつらが死ぬ間際、絶望と諦観の中で漏らした無実の訴えをどうしても証明したかったのだよ。中学では離れ離れになっていて何も出来なかったが、俺(おれ)はあいつらが替え玉なんかしていないと知っていたのだ。だから、証拠品になる参考書を探したかったのだよ」

 

 航(わたる)は大方の事情を察した。

 探して欲しいと云(い)われた参考書の特徴は能(よ)く覚えている。

 そこには少しマイナーなアニソン歌手が日付入りでサインしていたからだ。

 

「あの日、サインが貰えたのは試験時間だけなのだよ。受験に使った遺品を見るのが辛いと、両親が古本屋に売っていなければ、お前らの手を煩わせる事も無かったのだがな」

「売れてなくて良かったな」

「まあ、サインといっても当時は一般知名度など無かったし、それ以外にも色々とマーカーやメモがあって、状態は良くなかったからな」

 

 虎(こ)駕(が)の微(ほほ)笑(え)みはどこか物悲しく、今でも親友を救えなかった悔恨が滲(にじ)んでいるような気がした。

 

「無実を伝えた時の、あの両親の顔は忘れられん。喩え死者の濡れ衣であっても、晴らすことは遺族にとって無意味ではない。思えば、あれが俺(おれ)の原点だったのだよ……」

 

 遠い目をする虎(こ)駕(が)を見て、航(わたる)はふと考えた。

 自分には多くの友人が居るが、親友と呼べる相手は居ない。

 幼馴染の魅(み)琴(こと)に向ける感情は、そういうものとは些(いささ)か以上に異なる。

 

 虎(こ)駕(が)にとってはどうなのだろうか。

 今協力を申し出てくれているのは、彼にとって喪(うしな)った親友と同等の友情を感じてくれているからだろうか。

 逆に、自分は彼の為に動くのだろうか。

 平時にいくら決心しても、実際どう考えて動くかは、その時にならなければ判(わか)らないだろう。

 

「だから岬(さき)守(もり)、今度は俺(おれ)がお前を助けたいのだよ。お前にはまだ麗(うる)真(ま)に言っていない気持ちがある。お前は絶対あいつにもう一度逢(あ)わなければならないのだよ」

 

 虎(こ)駕(が)は語気を強めて航(わたる)の両肩を掴(つか)んだ。

 またこの言葉には、話題の重さを敬遠していた新(しん)兒(じ)も耳(みみ)聡(ざと)く反応した。

 

「なんだよ、岬(さき)守(もり)も隅に置けねえじゃねえか!」

「ははは。虻(あぶ)球(く)磨(ま)、お前も小中学生みたいだな」

 

 航(わたる)は新(しん)兒(じ)に茶(ちゃ)化(か)されて苦笑いしながらも、話題を逸(そ)らしてくれた事に感謝していた。

 そして、何はともあれ協力を申し出てくれた虎(こ)駕(が)に対しても強い有難みを覚えた。

 

「じゃ、僕(ぼく)は夕食の支度があるから」

「おう、待ってるぜ!」

「岬(さき)守(もり)、済まないのだよ」

 

 航(わたる)は早(さ)辺(え)子(こ)が待っているであろう食堂へ向かった。

 幸い、この日の問題はこれ以上起こらなかった。

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