日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十話『襲撃』 破

 病院内という狭い空間に於(お)いて、繭(まゆ)月(づき)の術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)は能力の真価を発揮出来ない。

 飛行能力が封じられてしまう上、こういう建築物には法律上の義務として一定以上の火気に反応して作動する消火装置が備わっており、火力を上げ過ぎると能力自体を発動出来なくなってしまう。

 この戦い、繭(まゆ)月(づき)は最初から非常に不利な状況にあった。

 

(沙(さ)華(はな)は屋(や)渡(わたり)に匹敵する革命戦士。能力が知られている以上、解っている筈(はず)……)

 

 繭(まゆ)月(づき)は後(あと)退(ずさ)った。

 実のところ、彼女は前回沙(さ)華(はな)にほぼ完敗している。

 十(とお)桐(どう)が割り込んで有(う)耶(や)無(む)耶(や)になったものの、鞭(むち)で体を縛られるところまで行っている。

 沙(さ)華(はな)の能力の性質上、それは敗北と同義であった。

 

「威勢良く出て来た割にはビビっているようだな。当然か。あの時、私(わたし)はこの鞭でお前を縛った。そしてこの鞭には、触れた者を毒で侵す能力がある。もしあの時と結果が同じなら、今度は容赦無く毒殺してやろう」

 

 沙(さ)華(はな)が髪の毛を束ねた鞭を片手に躙(にじ)り寄(よ)る。

 

「今、この場の地の利は私(わたし)にある!」

 

 猛毒の鞭が繭(まゆ)月(づき)に襲い掛かる。

 沙(さ)華(はな)の能力は髪の毛を伸ばし束ねて、猛毒の鞭を作り出すことだ。

 この毒は即効性こそ無いものの、戦いが続く中でじわじわと体を蝕(むしば)み衰弱させる。

 神(しん)為(い)が万全の状態であればそれ程時間を掛けずに解(げ)毒(どく)出来るが、鞭を受ける度に毒の効き目は増していき、衰弱も早まっていく。

 

 繭(まゆ)月(づき)は火力を極限まで抑え、小さな翼から黒い結晶弾を発射した。

 一発、二発の結晶弾では沙(さ)華(はな)の鞭捌(さば)きを前に叩(たた)き落(お)とされてしまう。

 数を打てば鞭を掻(か)い潜(くぐ)って沙(さ)華(はな)まで届くが、的中したとてこの威力では決定打には程遠い。

 

(高火力は出せない一方、長期戦になっても不利……。全く、厄介な状況ね……)

 

 沙(さ)華(はな)の鞭は結晶弾を防ぎつつも繭(まゆ)月(づき)に幾度と無く襲い掛かり、脅かす。

 繭(まゆ)月(づき)の能力は攻撃力・回避力こそ抜群だがが、防御力には乏しい。

 一発、二発と鞭の先端が繭(まゆ)月(づき)の体を掠(かす)め、服の破れからどす黒い痣(あざ)が覗(のぞ)いていた。

 

「狭い場所でよく躱(かわ)すな。なら奥の手で一気に決着を付けてやる!」

 

 そう言うと沙(さ)華(はな)は鞭の先端を一度手元に戻した。

 そして先端と柄を張り伸ばし、繭(まゆ)月(づき)に狙いを定める。

 

『鞭(べん)技(ぎ)・曼(まん)珠(じゅ)沙(しゃ)華(げ)』

 

 鞭が繭(まゆ)月(づき)に向けて飛んできた。

 

(今までと何が違うというの?)

 

 繭(まゆ)月(づき)は鞭の動きを見極め、攻撃を躱そうとする。

 だが先端が到達する直前、鞭は突如無数に枝分かれして拡(ひろ)がった。

 それは丁度、巨大な彼岸花の様に。

 分かれた鞭は廊下を完全に覆い、繭(まゆ)月(づき)の逃げ道を塞いでしまった。

 

「抑(そもそ)も、私(わたし)の鞭は元々髪の毛を束ねたもの! 故に、いくらでも分裂させることが出来る! 更に、一発の被弾でお前を侵す毒の効力は束ねているときと変わらない! 肉を打つ一瞬で鞭全体から毒を送り込むからな! さあ、滅(めつ)多(た)打ちにしてやる!」

 

 沙(さ)華(はな)の鞭は肉を打つ瞬間、毒の侵食と再生産を同時に行う。

 つまりこの分裂した鞭であっても、一発喰(く)らえば一発分、十発喰らえば十発分の毒が繭(まゆ)月(づき)を襲うことになる。

 ただでさえ既に何発か貰(もら)っているところ、これ程の攻撃を受けてしまうと、それだけで致死量に達してしまってもおかしくはない。

 

「だったら!」

 

 繭(まゆ)月(づき)は敢(あ)えて前へと踏み出した。

 鞭がどれ程大量に分裂しようが、元は一本に束ねられたものである。

 つまり、手元に迫れば纏(まと)めて掴(つか)むことが出来る。

 

「くっ!」

 

 そして沙(さ)華(はな)の能力は、屋(や)渡(わたり)の槍(やり)とは違い変幻自在という訳ではない。

 あくまでも彼女の巧みな鞭捌きで縦(じゆう)横(おう)無(む)尽(じん)に操っているだけで、根元の動きを封じられれば先端だけで相手を狙うような芸当は不可能である。

 状況は一転、今度は沙(さ)華(はな)から繭(まゆ)月(づき)の結晶弾を防御する術が失われた。

 繭(まゆ)月(づき)はここぞとばかりに大量の結晶弾を生成し、沙(さ)華(はな)に集中砲火を浴びせようとする。

 

「舐(な)めるなよ!」

 

 沙(さ)華(はな)は強引に鞭を引き、繭(まゆ)月(づき)の体を自分の方へと引き寄せた。

 そして、繭(まゆ)月(づき)の腹に蹴りを見舞う。

 

「ぐはっ……!」

「私(わたし)は一流の戦士だ! 鞭を取られただけで何も出来なくなる女とでも思ったか!」

 

 沙(さ)華(はな)は蹴り技の連続で繭(まゆ)月(づき)を滅多打ちにする。

 

「繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)! 平和な国で生(なま)温(ぬる)い人生を送ってきたお前が! 私(わたし)の復(ふく)讐(しゆう)を邪魔しようとするな! これが! この戦闘力が! 私(わたし)の懸けてきたものの重みだ!」

 

 凄(すさ)まじい連続蹴りの前に、繭(まゆ)月(づき)は膝から崩れ落ちてしまった。

 しかし、それでも鞭だけは手放さずに掴み続けている。

 もし手を離してしまっていたら、倒れている隙に毒鞭で滅多打ちにされて死んでしまっていただろう。

 

「チッ、しぶといな……」

 

 沙(さ)華(はな)は頭を抱えて繭(まゆ)月(づき)を見下ろしていた。

 そんな中、繭(まゆ)月(づき)は嘗(かつ)て沙(さ)華(はな)が語った過去を思い出す。

 妹と贔(ひい)屓(き)されて育てられたこと、自身も己の人生が妹の為(ため)に捧(ささ)げられることを察していたこと、妹は決して憎めない良い娘(こ)だったこと、そんな妹が、華族に見初められたが為に悲惨な末路を辿(たど)ってしまったこと……。

 

「沙(さ)華(はな)珠(たま)枝(え)、貴女(あなた)が皇(こう)國(こく)を恨む気持ちは解(わか)る。私(わたし)も大切な人を喪(うしな)ったから……」

 

 繭(まゆ)月(づき)はゆっくりと立ち上がる。

 彼女は今一度、沙(さ)華(はな)に問い掛けたかった。

 

「でも、だからといって無関係な人達を傷付けて赦(ゆる)される筈が無い。狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は罪も無い多くの人を傷付け、犠牲にしてきた。私(わたし)の恋人もその一人。その痛みを、世の中を変える為だからと受(う)け容(い)れられはしないのよ。貴女(あなた)もそのことは解っているでしょう?」

「下らない説教だな。犠牲に躊(ため)躇(ら)うくらいなら、初めから社会に復讐しようなんて思わないさ」

「それが本当に妹さんの望みなの? お姉さんが罪も無い他人を傷付け、その果てに海外まで逃げて、そこでもまた犠牲を出そうとしている……。自分の為にそんなことをされて、それで妹さんが喜ぶとでも思っているの?」

 

 繭(まゆ)月(づき)の問い掛けに、沙(さ)華(はな)は眉根を寄せて苦(く)悶(もん)の表情を見せた。

 しかし、すぐに口角を釣り上げ、歪(ゆが)んだ笑みを作り上げる。

 

「今日日、そんな黴(かび)の生えた説教を聞けるとは思わなかったよ。答えはやり尽くされた反論と同じだ。別に妹の為じゃない、あいつがそうしてくれと望もうが望むまいが関係無いんだよ。これは私(わたし)の復讐だ! 私(わたし)が私(わたし)の為に、私(わたし)がやりたいからやってるんだよ!」

「そう……それが貴女(あなた)の答えなんだ……」

 

 繭(まゆ)月(づき)は静かに、しかし強い意志を込めて沙(さ)華(はな)を睨(にら)む。

 

「貴女(あなた)が他人を傷付けるのは誰の為でも無く自分の為だと、自分がやりたいから他人を傷付けるって言うのね。そんなのは最(も)早(はや)ただの愉快犯、快楽殺人鬼と変わらない。だったらもう、貴女(あなた)に容赦はしない!」

 

 繭(まゆ)月(づき)は背中から勢い良く焔(ほのお)の翼を噴き出させた。

 沙(さ)華(はな)は驚(きよう)愕(がく)に目を見開いている。

 

「莫(ば)迦(か)な、何を考えている!」

 

 突然の火の手に院内の警報装置が鳴り、天井の噴水装置が作動する。

 大量の水(みず)飛(し)沫(ぶき)が繭(まゆ)月(づき)と沙(さ)華(はな)を打ち付けた。

 折(せつ)角(かく)形成した焔の翼は一瞬で消えてしまう。

 しかし、沙(さ)華(はな)もまた追撃どころではない。

 

「ぐっ!」

 

 何せ、能力の為に髪の毛を伸ばしていたところに突然の放水である。

 前髪と水飛沫が沙(さ)華(はな)の目に掛かり、彼女は一瞬視界を失う。

 その隙に繭(まゆ)月(づき)は沙(さ)華(はな)へと体当たりを敢行した。

 

「ぐおおおおっ……!?」

 

 繭(まゆ)月(づき)は沙(さ)華(はな)の体にしがみ付き、無人の病室へと体を突っ込む。

 更にそのまま窓の方へと沙(さ)華(はな)を押し込んでいき、遂(つい)には二人して窓から飛び出した。

 

 この瞬間、沙(さ)華(はな)は繭(まゆ)月(づき)の狙いと自身の敗北を察したらしく、目を皿の様に見開いて狼(ろう)狽(ばい)する。

 繭(まゆ)月(づき)は再度焔の翼を纏った。

 沙(さ)華(はな)は鞭を振るって悪(わる)足(あ)掻(が)きをするが、自在に宙空を飛び回れる繭(まゆ)月(づき)にとって回避は容(た)易(やす)かった。

 

「く、糞(くそ)おォッッ!!」

 

 自由落下に抗(あらが)えない沙(さ)華(はな)の決定的不利は、文字通り火を見るより明らかだ。

 ただ落ちるしかない沙(さ)華(はな)に向けて、繭(まゆ)月(づき)は無数の結晶弾を放った。

 加減無し、燃え盛る結晶の火力は最大級である。

 その射撃を真(まと)面(も)に受けた沙(さ)華(はな)の身体は地面に激しく叩(たた)き付(つ)けられた。

 

「ぐっ……、ぐはッ……!」

 

 沙(さ)華(はな)は身動きが取れない。

 四肢の筋が千切れ腱(けん)が切れ穴が開き、修復もままならない。

 それは彼女の神(しん)為(い)が尽きてしまったことを明瞭に表していた。

 繭(まゆ)月(づき)はゆっくりと沙(さ)華(はな)の傍らに着地する。

 

「だ、駄目なのかッ!? 私(わたし)は……!」

「急所は外してあるわ。今度こそお縄についてもらう」

「何故(なぜ)ッ!? どうして!? 私(わたし)はどうすれば良かったんだ! 妹すら幸せになれない世界に生まれて! その世界を壊すことすら絶望的で! 私(わたし)の人生は一体何だったんだ!!」

 

 繭(まゆ)月(づき)は悪態を吐く沙(さ)華(はな)に憐(あわ)れみを覚え、諭す様に小さく答えた。

 

「貴女(あなた)には貴女(あなた)の幸せが無かったの? 幸せになる権利は誰にでもあるのに。幸せになれたのは貴女(あなた)の方だったかもしれないのに……。貴女(あなた)は自分の為の復讐を、他人を平気で傷付ける道を選んだ。その選択の結果、報いとして今がある」

 

 沙(さ)華(はな)の表情に憎しみの色が滲(にじ)む。

 歪んだ表情は、繭(まゆ)月(づき)の言葉を受け容れたものには程遠い。

 

「軽々しく言うなよ……! 私(わたし)の分の幸せは全部妹に注がれたことも知らないでっ……! 誰も私(わたし)に幸せなんかくれなかった……!」

「貴女(あなた)は……本当は妹さんを憎みたかったのね……。でも、出来なかった。妹さんが素直な良い娘(こ)で、それを理解出来る善性が貴女(あなた)には有ったから……」

 

 繭(まゆ)月(づき)は考察する――沙(さ)華(はな)珠(たま)枝(え)は妹を憎み切れなかったが、愛していた訳でもなかった。

 自分の幸せが妹に吸われ、妹に全てを捧げる人生を押し付けられてきたという、運命への不公平感――それが沙(さ)華(はな)を支配していたのだ。

 不公平感が妹の悲惨な死によって解消され、新しい人生が拓(ひら)ければ良かったのだろうが、沙(さ)華(はな)は「自分が妹より幸せになることは無い」と思い込んでしまっていた。

 軈(やが)てそれは妹さえ幸せにしなかった皇(こう)國(こく)社会への呪いに変わり、不毛な八つ当たりを続けてきた。

 

「誰かに本音を言えていれば……貴女(あなた)の運命は変わったかも知れない……。自分の中にある不条理な、醜い感情を曝(さら)け出すことが出来ていれば……」

「そう……か……」

 

 月明かりに照らされた沙(さ)華(はな)の表情が、次第に険しさが失(う)せていく。

 少しずつ、繭(まゆ)月(づき)の言わんとすることを理解してきたらしい。

 

「お前は本音を誰かに言えたのか?」

「過去形だけどね。そう考えると、私(わたし)は恵まれていたのかも知れない」

「恋人が狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の犠牲になったんだったか……。そいつが死んだ今、それでもお前はもう一度幸せになれるのか?」

「さあ? でも、また一から探し直すしかないじゃない。自分の手で幸せを……」

 

 沙(さ)華(はな)は目を閉じた。

 今度こそ、彼女は自分の運命と罪を受け止められたようだ。

 

 しかしその時、闇夜の空に無数の短剣が閃(ひらめ)いた。

 天使の様な装飾を施されたそれは、悪魔の様に禍(まが)々(まが)しい殺意を沙(さ)華(はな)に向けていた。

 

「あれはッ!!」

 

 沙(さ)華(はな)が瞠(どう)目(もく)した瞬間、それらの短剣は彼女の体を滅多刺しにした。

 これでは最早助からない。

 

「戦闘一族……枚(ひら)辻(つじ)家の『殺(マー)戮(ダー)人(・ド)形(ール)』……枚(ひら)辻(つじ)……埜(の)愛(あ)瑠(る)……!」

 

 沙(さ)華(はな)は吐血しながら自身を殺害した人物の名を呟(つぶや)き、絶命した。

 同時に、銀髪色白の小柄な少女・枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)が、漆黒の衣装を纏って闇空から降り立った。

 

 枚(ひら)辻(つじ)家は戦闘一族として名高い新華族であり、一族の者には幼少期から厳しい戦闘訓練が課されている。

 十五歳にして国防軍鯱(しゃち)乃(の)神(かみ)隊に所属し、撃墜王(エースパイロット)の一人に名を連ねる枚(ひら)辻(つじ)磊(らい)人(と)少尉もその一人である。

 そして埜(の)愛(あ)瑠(る)は、そんな枚(ひら)辻(つじ)家の中でも最高傑作と評されている。

 狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)などの叛(はん)逆(ぎやく)勢力は彼女を畏れ、「殺(マー)戮(ダー)人(・ド)形(ール)」の異名で呼んでいるのだ。

 

「何故殺したの?」

 

 繭(まゆ)月(づき)は埜(の)愛(あ)瑠(る)に問(とい)質(ただ)した。

 埜(の)愛(あ)瑠(る)は人形の様な無表情をぴくりとも動かさず、淡白に答える。

 

「生かす理由が無いから」

「貴女(あなた)、何を言っているの?」

「普通のことを言っている。叛逆者と蛮族は理由があれば生かす。沙(さ)華(はな)珠(たま)枝(え)は叛逆者。足跡を辿って狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の隠(かく)れ処(が)を探すには死体があれば充分。だから殺した」

 

 埜(の)愛(あ)瑠(る)の回答に、繭(まゆ)月(づき)は背筋の凍る様な思いをした。

 それは凡(おおよ)そ、常識からかけ離れたものだった。

 嘗て皇(こう)國(こく)に奔(はし)ろうとした虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)に根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)が喝破したとおり、皇(こう)國(こく)貴族は叛逆者と見(み)做(な)した者を平然と殺す。

 その価値観に基づいた殺人が、皇(こう)國(こく)ではなく日本国で行われたのだ。

 

 これは後に禍根を残すことになる。

 それが武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)との、本来負ける筈が無い戦いを極めて不利なものにしてしまうのだ。

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