航達が動いたのは翌々日、九月十一日金曜日のことだった。
根尾自身は前日の十日には戻ってきたものの、東風美に東瀛丸を与えるのは一日遅らせたのだ。
神為を失って中一日以内に東瀛丸を服用した場合、神為の復活はごく短時間に留まる為である。
夕刻、特別警察特殊防衛課と新華族令嬢達は、いつもの会議室に集まった。
愈々、屋渡倫駆郎と沙華珠枝の遺品から、二人の即席を追い掛けるのだ。
「白檀、取り寄せてあるだろうな」
「勿論。此方、屋渡の赤ジャケットと沙華のピンクブレスレットでーす。ではでは鬼獄さん、お願いしますねー」
机上に置かれた二人の遺品を前に、東風美は息を整える。
「いざ!」
ジャケットとブレスレットに東風美の手がそれぞれ翳された。
その手から光る揚羽蝶が二匹、遺品に向かって羽撃き、花に見立てたかの様に留まる。
揚羽蝶は暫くすると遺品から飛び立ち、東風美の目の前で背を向けて空中停止した。
「では皆さん、御覧になりたい日時を指定してください!」
「その蝶々が教えてくれるの?」
「はい! 何なりと御命令ください、魅琴様!」
あれから、東風美はどのような心境の変化があったのか、魅琴を崇拝して素直に従うようになっていた。
「九月七日の午前零時。航が屋渡と戦うことになった直前から始めましょう」
「仰せのままに、魅琴様!」
一々魅琴に対して敬称付きで答える東風美の口振りに、航はあまり良い気分がしなかった。
(まさかこの娘、魅琴に完全敗北してどうあっても勝てないと悟ったせいで奴隷堕ちしたつもりじゃないだろうな)
謎の嫉妬心を覚えて仏頂面を浮かべる航を、魅琴が肘で小突く。
「何よ、その表情」
「いや、何でもないよ」
「貴方のことも一昨日しっかり負かしてあげたでしょう。それとも、昨日一日ダウンしただけじゃ足りなかったかしら?」
「うぐ……」
揶揄うように笑う魅琴は、どうやら航の下らない心持ちなど軽くお見通しらしい。
そんな二人を横目に、東風美は二匹の揚羽蝶を指差して魅琴から示された時間を呟いた。
東風美の長い茶髪が逆立ち、揚羽蝶の腹面に正方形の航空写真が形成されて拡がる。
屋渡のジャケットの真上に浮かぶ写真の地理を見るに、どうやら揚羽蝶の位置が指定時間に屋渡の居た場所を示しているらしい。
「そうだった。あの時間、僕はこの辺りを走ってたっけ……」
「ということはこっちが屋渡、隣が沙華だな。あとは時間を遡って、二人の位置が重なる場所を特定していけば、その中のどれかが奴らのアジトだということになる」
根尾の指示を受けた魅琴の命令で、東風美は二つの航空写真の時間を同時に遡り始めた。
「私が狼ノ牙に潜入していた限りでは、屋渡と沙華は犬猿の仲でした。二人がそれぞれ独自行動していて落ち合うことはまず無いでしょう。おそらく、二人の位置が重なるのはアジトのみかと……」
早辺子が経験からの推測を述べた。
程無くして、屋渡と沙華の位置情報は同じ地点で殆ど動かなくなった。
「この場所か。白檀、住所を特定しろ」
「アイアイ」
根尾の指示を受けた白檀がスマートフォンでマップアプリを起動する。
「東風美、一応八月十五日まで遡りなさい」
「畏まりました、魅琴様!」
航が顔を顰めて東風美を睨む。
魅琴に命令された彼女が羨ましいのだ。
「ふむ、航空写真が消えたわね」
「申し訳御座いません、魅琴様! 私の能力で遡れる位置情報は、現在位置からの範囲に制限があるんです!」
「いいえ、その情報があれば充分だわ。要するに、八月十五日の或る瞬間を境に、現在位置より遠く離れた場所から突然移動してきたということでしょう。ということは、二人の位置情報が止まっていた場所に能力で移動してきたと見て間違い無い。つまり、アジトは間違い無くこの場所よ」
見たところ、その場所は公園近くのアパートだった。
「皆さーん、住所が解りましたよー」
白檀が卓上にスマートフォンを置いた。
画面には同じ場所のマップが表示されている。
「どうします? 今すぐにでも行きますか?」
航は根尾に判断を仰いだ。
対して、根尾の答えは慎重だった。
「いや、一旦斥候を出そう。間違い無く奴らがこの場所に居ると確認した上で、総戦力で一気に叩くんだ」
「斥候? 誰が行くんです?」
「一人知り合いに心当たりがある」
根尾はそう言うと、誰かに電話を掛ける。
「伴藤、突然済まん。一つ頼みたいことがあるんだ」
『えー……。危ない話なら嫌よ。私、もう皇先生の所からは離れているんだから』
「君の能力なら安全に運べる話だ。一応、報酬も弾む。頼まれてくれないか?」
『……まあ、そういうことなら』
どうやら元同僚の秘書・伴藤明美に依頼したらしい。
伴藤の能力は、一定の範囲に探索網を張り、場合によっては攻撃を加えるというものだ。
開戦初期には皇國が送り込んだ末級為動機神体を一つ残らず探し出して破壊している。
塵米サイズの機体すらも探索する精度を持つ彼女の能力は、索敵には打って付けなのだ。
『わかったわ、根尾君。探索対象の情報を頂戴』
「人ではなく、場所だ。今から言う住所に探索網を伸ばし、部屋内部の様子を調べてもらいたい。我々の推測ではおそらく、武装戦隊・狼ノ牙の面々が潜んでいる筈なのだ」
『了解。場所にも依るけど、近場なら三十分以内で結果が出ると思うから、また後で連絡するね』
「ああ、頼んだぞ。住所は……」
根尾は必要な情報を伝え、電話を切った。
「取り敢えず、伴藤の調査結果を待とう。ああ、鬼獄嬢、もう結構だ。どうもありがとう」
「どういたしまして! さあ、奴らを捕まえたら曾御爺様や神瀛帯熾天王の皆様方の潔白が証明されますよ! その時は魅琴様を除く全員に謝罪していただきます! 覚悟の準備をしておいてくださいね!」
揚羽蝶と航空写真が消え、東風美の髪が下ろされた。
「狼ノ牙か……」
珍しく物思いに耽る風な虻球磨新兒が呟いた。
「どうしたんだよ、虻球磨? 元気が無いじゃないか、お前らしくもない」
「ん、ああ岬守。いや、あいつらって皇國から逃げるときに日本に居る仲間の所へ移動したんだよな。それって、椿のことだろ?」
「ああ、そうだろうな……」
新兒としては、椿陽子のことを気にしていた。
彼女とは衝突したこともあったが、一箇月の間、公転館で仲間として苦楽を共にしてきた。
その彼女が狼ノ牙の内通者だったという事実、まだ割り切れていないところがあるのだろうか。
そういえば、航達に先んじて日常に帰った久住双葉もそうだった。
双葉は陽子と相部屋で心を通わせていた為、思い入れも一入だったのだろう。
「俺、あいつに訊いておきたいことがあるんだよな……」
「そうか。その為にも、狼ノ牙とはちゃんと決着を付けないとな」
「ああ」
そんな遣り取りをしていると、根尾のスマートフォンに電話が入った。
どうやら伴藤の調査結果が出たらしい。
「どうだった? 狼ノ牙は居たか?」
『それが……』
報告を聞く根尾の表情が険しくなっていく。
「解った。どうもありがとう。明日、此方のホテルまで来てくれ。報酬を渡す」
根尾は苦虫を噛み潰したような表情で電話を切った。
航は彼に結果を尋ねる。
「どうだったんですか?」
「結論から言うと、奴らはもうアジトを変えていた。中にあったのは、一人の男の死体だけだったらしい」
根尾の口から出た空恐ろしい調査結果に、その場の空気が凍り付いた。
狼ノ牙に何があったというのだろうか。
誰か無関係の人物を巻き込んだのか、末期状態のテロ組織らしく内ゲバを起こしたのか、何れにせよ、穏やかな話ではない。
「誰の死体か判りますか?」
魅琴の質問に、根尾は溜息を吐いて答える。
「八卦衆の一人、久地縄元毅。組織でも最古参の男で、ずっと参謀役を務めてきた男だ。曰く、ヤシマ人民民主主義共和国の首相を務めた久地縄穂純の生まれ変わり、重要人物だろう」
調査結果に拠ると、これで八卦衆は首領Дこと道成寺太ただ一人となってしまった。
武装戦隊・狼ノ牙の面々としては、道成寺の子女である椿陽子・道成寺陰斗姉弟、それから首領補佐・八社女征一千が残るばかりである。
とはいえ、航達の捜査は振り出しに戻ってしまった。
しかしその時、魅琴が何かに気付いたかの様に一瞬目を見開いた。
「待って……。いいえ、そんなことは無いわ、屹度……」
「どうしたんだ、魅琴?」
顔を伏せた魅琴の表情は、心做しか青褪めて見える。
「四日前、幽鷹君と兎黄泉ちゃんの病院が襲われたわよね。狼ノ牙の目的は、二人を拉致することだった、それは良い。でも、どうやって病院の場所を知ったのかしら……」
「それは……僕らの情報が狼ノ牙に漏れている……ということか?」
航もまた、嫌な想像が脳裡に浮かんでしまった。
奇しくも、新兒が陽子の話を出したことで回路が繋がってしまったのだ。
「まさか、内通者……? あの時の椿の様に……?」
武装戦隊・狼ノ牙の捜査は、当初の方針から大きく進路を変えようとしていた。
それはおそらく、航や魅琴、日本国の面々にとって、望ましくない行き先だろう。
秋の夕暮れの日差しが、ブラインド越しに会議室へと差し込んでいた。
秋分を控え、夜が支配的な季節に向かう未来を暗示しているかの様に……。