久地縄元毅は長年道成寺太の参謀役、右腕として常に彼を陰から支えてきた。
その切掛は彼らの前世、祖父の代――久地縄穂純と道成寺公郎だった頃の大学時代まで遡る。
時は西暦一九十五年、大学に入ったばかりだった子爵令息・久地縄穂純は、学食で同じく新入生の公爵令息・道成寺公郎と出会った。
当時の道成寺は長身で洗練された顔立ちをしており、同年代の誰よりも世の趨勢を見通す洞察力と周囲の人間を惹き付ける魅力を併せ持っていた。
一方で道成寺は久地縄の才知と事務能力と交渉力、冷静な状況判断能力を大いに買っていた。
そして二人は共通の理想を抱く同志として意気投合することになったのだ。
それまでの様に資本家が富を独占するのではなく、労働者達の合意に基づき必要に応じて分け与えられる経済体制。
それまでの様に特権階級が政治を独占するのではなく、貧富に依らず万民によって国を動かす政治体制。
それまでの様に誰もが好き勝手に資源を漁り開発するのではなく、合理性に則って統制された計画に基づき国を発展させる開発体制。
彼らはそんな理想の下で多くの同志を集め、彼の世界線に於ける国際共産党の指導の下で政治団体を結成。
そして戦争の混乱に乗じて理想を実現すべく、それまでの帝によって治められる日本に取って代わる共産主義国家「ヤシマ人民民主主義共和国」を建国するに至った。
あの頃が彼らの絶頂期であった。
彼らは露西亜帝国及び継承国の蘇維埃連邦・亜米利加合衆国という二つの巨大国家に戦争を仕掛けるという愚――否、戦争そのものを二度と繰り返さぬよう、国民意識の改革と国家規模の縮小を試みた。
大和民族が身の丈を自覚し、素朴な富で足るを知れば、自ずと国民の幸福と国家の安穏に繋がると信じていた。
また力を失えば、世界もまたこの民族の狂気に二度と曝される事無く、永久的な平和の時代が訪れるのではないかと夢想していた。
だが、理想の国家運営、政治を極めようとした彼らに待っていたのは、何処までも残酷で容赦の無い現実だった。
その曇り無き眼に映った未来は箱庭の中の楽園。
だが偽り無き倭を襲った時代は牢獄の中の奈落。
彼らの統治はまず結果に、それから権威に、民衆に、武力に、趨勢に、挙句は歴史に学問に否定された。
当時を生きた人民は、あの時代を地獄だったと言う。
当時を教わった臣民は、あの時代を過ちだったと云う。
そして客観的な視点から当時を学んだ化外の民もまた、あの時代は失敗だったと評する。
道成寺公郎と久地縄穂純は国家権力を失い、二人と共に戦おうという兵力も僅かばかりとなってしまった。
そんな彼らの前に現れたのが、八社女征一千だった。
十代の少年の様な出で立ちでありながら何百年も生きたような風格を持つ男だった。
「道成寺公郎、君は生まれついて特別な力を持っているらしいじゃないか。天神の血筋の奇跡と謳われたあの鳳乃神大智よりも先に、その力を我が物として使い熟していた」
北の大地に追い詰められ、急拵えで作った隠れ処で閉じこもっていた道成寺は、八社女の話に聴き入っていた。
「だが、君にはまだ強大な潜在能力が眠っている。僕は君が不世出の指導者の器であると信じて疑わない。勿論、久地縄穂純、その道成寺の眼鏡にかなった君もまた、歴史に名を残すべき傑物だ。何より、その胸に抱いた誰もを救う高邁な理想が素晴らしい。その君達を斯様な境遇に置くとは……熟々救い難い民族だと思わないか……?」
八社女の言葉には不思議な魅力があった。
心が求めている琴線に的確に触れ、最も美しい和音を響かせる様な、そんな気がした。
当時、久地縄は心を動かされていた。
道成寺に至っては目に涙を浮かべてすらいた。
「だが、我々は敗けてしまった……。もうここから盛り返すことは……」
「諦めるのはまだ早い」
八社女は弱気になっていた二人に優しい微笑みを見せた。
少年の様な顔立ちでありながら、異様な包容力を備えた微笑みであった。
「言っただろう。君には、いや君達には凄まじい可能性があると。僕がその扉を開いてあげよう。そして三人で再びこの国を盗り、愚かなる民族を浄化するのだ」
八社女は二人に向けて手を翳した。
『穢詛禍終・美地過神』
道成寺と久地縄の身体が紫色の毒々しい闇に包まれた。
不思議なことに、二人の体の奥底から新たな力が溢れて来る。
「これは……一体……?」
「僕には君達の力とは異なる、しかし表裏一体の力があってね。この世の理を外側から捻じ曲げることが出来るのさ。使い方によってはこうやって、君達の力を増幅させることだってね……」
八社女の言うとおり、二人の神為はこれまでとは明らかに異なる水準に達していた。
それはまるで、趣味の体育愛好家が一夜にして世界的な運動選手に成ったかの様だ。
「これからは自らの能力に名前を付けるといい。僕と並々ならぬ因縁を持った或る女も、名前には霊力があると考えたものだ。今、君達に与えた力の名は僕から与えよう」
「いや……」
道成寺は歪んだ笑みを浮かべ、掌を突き出して八社女の言葉を止めた。
「それならばお誂え向きの名がある。今、我輩は君に引き出された力の全貌を理解した。これは運命を支配する力だ。どのように時代が流れても、何代でも世代を重ねて国を治める地位に返り咲く力だ。ならば我輩はこう名付けよう!」
両腕を拡げる道成寺は、久地縄の眼にあまりにも大きく見えた。
神皇が刻を超えて帰還した現人神ならば、道成寺もまたそれに匹敵する存在なのだと感じた。
少し畏ろしいくらいだった。
「第一の能力『親利恋茶裸覇』! 意味は祖神に供物を捧げること! この能力があれば我輩は何度でもこの世に舞い戻ることが出来る! 第二の能力『神威詐無』! 意味は神の存在否定! 反動勢力の要たる神通力の類を封じることが出来る! 第三の能力『雌作務下』! 意味は狗の民族そのもの! 神通力を預かることが出来る!」
「ほう、聞き慣れない言葉だね……」
「丁度、嘗てこの地に生きた、そして野蛮なる狗の民族に滅ぼされた民の言葉だ! その無念を我輩が受け継ぐのだ! 何年何世代掛かろうが、必ず再び政権に返り咲いてね!」
「素晴らしい……!」
道成寺の言葉を聞き、今度は八社女が口元を歪めて笑った。
「君達はヤシマ臨時政府としては瀬戸際まで追い詰められてしまったが、ある意味では始まりの日を迎えたとも言える。ならば僕達三人から始めようではないか。道成寺君、今までヤシマの国家主席として民を導いてきた君が引き続き首領の座に就き給え。首相の久地縄君は同じく引き続き参謀役を、そして僕は君達の夢の続きを首領補佐として助けようではないか」
道成寺は歓喜に震えており、久地縄もまた概ね同じ心境だった。
だが同時に、久地縄は少し不穏な空気を読み取ってもいた。
そんな同志の僅かな懸念も露知らず、道成寺は高らかに宣言する。
「只今より、我々は狼の牙となる! 天神の子孫を騙る旧い権威にいつまでも尻尾を振り続け、疑いもせずに強きを助けて肥え太らせ、弱きを挫き隅へ追いやる――そんな狗の民族に滅ぼされた狼達の恨みの牙だ! そう、最早ヤシマ人民民主主義共和国臨時政府ではない! 我々は『武装戦隊・狼ノ牙』!!」
その後、彼らは残党の反対派を粛清した上で徐々に勢力を拡大し、武装戦隊・狼ノ牙として皇國最大の反政府組織にまで成り上がった。
道成寺公郎と久地縄穂純は術識神為・親利恋茶裸覇によって孫の道成寺太と久地縄元毅として転生を果たし、その地位を引き継いだ。
そして今に至るまで、久地縄は道成寺が日本国家の剥奪という恐ろしい思想にのめり込んでいく様を横目に見ながら、それでも彼を支え続けたのだ。