九月十日――特別警察特殊防衛課に住所が割れる一日前のアパートの一室で、二人の男が遅い報せに苛立っていた。
その脇では一人の青年が感情の無い人形のような表情で立っている。
武装戦隊・狼ノ牙の首魁・首領Дこと道成寺太と、参謀役の久地縄元毅、そして首領Дの息子である道成寺陰斗だ。
「同志屋渡は兎も角として、同志沙華はまだかね? 双子の居場所の情報は、例の筋から確かに入ったのだろう?」
「確かに……。あまりにも遅いですね、首領。それに、陽子嬢も……」
「陽子は心配要らんよ。陰斗を握っている限り、あれが我々から離れることは無い」
二人はこの場に居ない三人の帰りを待っているようだ。
屋渡倫駆郎と沙華珠枝は雲野兄妹の確保の為に、そして陰斗の姉である椿陽子はそれとは別の目的で一旦この隠れ処を離れている。
だが、三人の下へ吉報は一切入ってこない。
「首領、一つ提案があるのですが……」
久地縄は一息入れてから何かを決意したように話題を変える。
「ヤシマ人民民主主義共和国の再建は、皇國ではなく此方側、明治日本で行うというのは如何でしょう?」
「ほう……」
道成寺は顎髭を触り、考え込んでいる。
久地縄は構わず続ける。
「第一次八月革命の成功も、先の第二次八月革命が後一歩の所まで行ったのも、戦争によって国の政情が混乱していてそれに乗じたことが大きいと考えます。しかし皇國は今、新たなる神皇の下で急速に安定を取り戻しています。これでは、向こう側で三度目の革命運動を起こしても失敗するのは目に見えています。そして、この世代の我々には次の政情不安を待っている時間など残されていない」
「対して此方側の明治日本は、長年与党に君臨してきた保守政党が選挙に大敗しながらも政権に居座り時間稼ぎを続けている、そんな政情不安がある。おまけに国力そのものも皇國の十分の一以下と……。勢力の立て直しと革命に都合の良い条件は、此方側の方がずっと揃っているということかね?」
「はい。仮に現内閣が観念して総辞職したとして、久々の政権交代である以上は混乱は続くでしょう。勿論、行く行くは皇國も視野に入れるとして、一先ず明治日本から革命を成就させて足場を固めるのが宜しいかと……」
久地縄はまるで顔色を窺う様に道成寺の伏した目を見上げた。
彼の提案は現実を見据えているようにも思えるが、それでも受け入れられるかまるで不安がっているようだ。
対して、道成寺は答える。
「君の提案には問題がある」
「どういうことです?」
「明治日本で革命を成就させたとして、すぐに皇國へと革命を飛び火させることは出来ん。である以上、この地で革命国家をそれなりに維持しなければならんではないか」
「そんなことは当然ではないですか、首領!」
隣の部屋に聞こえることも憚らず、久地縄は声を大きくした。
「革命して建国した国家を維持する、当然ではないですか! そうして人民の幸福な暮らし振りを見せ、皇國内にも再び我々のシンパを育てていくのです! 我々の理想は、方向性として決して間違ってなどいないのだから! 資本主義、保守主義、身内主義が政治の腐敗を齎しているのは明治日本とて同じ! それは今の政局から見えるでしょう! なればこそ、我々の理想により人民にとって真に幸福な国を……」
「人民とは、この狗の民族の事かね、同志久地縄!?」
今度は道成寺が声を荒らげた。
どうやら双方の考えには食い違いがあるようだ。
「同志久地縄、抑も何故我々が先に皇國から革命しようとしたのか。水は低きから高きには流れぬ。狗の民族の国が二つあるならば、圧倒的に強大な皇國から先に亡国の淀に沈めるのだ! さすればその強大な軍事力を奪うことが出来る! そして反動勢力がもう一つの国に逃げたとて、国力が遙かに小さな明治日本では亡命政府に反攻の目は無い! 皇國から奪った武力を以てすれば、明治日本をも革命の濁流に呑み込むことなど訳は無い! だが逆だとどうなる? この国の武力を奪ったとて、皇國には勝てんではないか!」
道成寺の背後にどす黒い炎が燃えていた。
爛々と耀う眼は追い詰められた獣の如く周囲全てへの敵意に満ちている。
「事此処に及んでも、首領の思いは変わらないというのですか……!」
久地縄の眉間に深い深い皺が刻まれた。
血走った目はやや潤んですらいた。
そしてその口から、長年溜め続けた苦しみを吐き出す様な訴えが転び出る。
「もう一度っ……。もう一度理想を目指すことは出来ないのですかっ……? 確かに皇國では駄目だった……! でもこっちでは、明治日本では違うかもしれないじゃないですか! そうですよ首領、いや同志道成寺! もう一度、今度はこっちの日本でやってみましょうよ、理想国家の建設を! 前回の経験もあるんです! しくじったところを改善すれば、今度は屹度上手く行きます!」
久地縄は縋るようにすら見える眼差しを道成寺に向けていた。
道成寺が返したのは驚愕と困惑と、そして怒りが入り混じった顰め面だった。
二人は暫く無言で、睨み合うかの如く見詰め合う。
この沈黙は二人の夢が完全なる終焉に向かっていることを暗示していた。
否、二人の思いは遙か以前から既に擦れ違っており、その時点で終わっていたのかもしれない。
一度の挫折に因って、理想国家の建設から日本民族の亡国へと目的が完全にすり替っていた道成寺と、それに同調しながらも、本音では嘗ての夢を棄て切れずに道成寺を待ち続けていた久地縄。
二度目の挫折は、二人の間に横たわっていた歪みを白日の下に晒してしまったのだ。
そんな二人を、陰斗は無表情で、無関心に、唯々視界に入れるように見ていた。
というより、彼の瞳の焦点は二人よりももっと奥、部屋の入口付近に合わさっていた。
陰斗の視点の異様さに、二人はまるで気付いていない。
「まあまあ、二人とも落ち着きなよ……」
突如、入口の方から男の声がした。
道成寺と久地縄は驚いて振り向く。
二人は今の今まで、そこに四人目の男――首領補佐・八社女征一千が立っていたことに気付いていなかった。
この男はいつでも突然現れる。
「や、八社女首領補佐……」
久地縄は思い詰めた様に男の名を口にした。
思い起こしてみれば、嘗ての同志を狂わせている思想はこの男から吹き込まれたものだ。
そして久地縄にはそれ以上に、何よりも気に入らないことがあった。
「八社女首領補佐、今まで何処で何を……?」
そう、この男は革命の機が訪れると告げ、裏で何やら準備をしていたと見える。
しかし肝腎要の一斉蜂起時には一切顔を出さず、敗走した後の今頃になって何食わぬ顔で顕れたのだ。
一体何のつもりなのか――久地縄は声には出さずともそう眼で訴えていた。
「言っただろ? 僕は僕で色々動いているのさ」
そんな彼の不満を一顧だにせず、八社女はおどけた調子で答えにならない答えを返した。
久地縄は苦虫を噛み締めるように奥歯に力を込める。
そして、八社女のこの態度に不満を募らせていたのは、道成寺も同じであった。
「ならば、今回もあの時の様に『動いた成果』があるということかね? それで滅多に姿を見せない君が、態々我々の隠れ処を調べてまでやってきてくれた訳かね?」
道成寺の口調は、久地縄と言い争っていた時とはまた違った、冷ややかな批難の色を帯びていた。
二人の視線が少年の様な八社女に突き刺さる。
唯一人、道成寺の息子である陰斗だけが、相変わらず無感情な眼で八社女を見詰めていた。
そんな中で八社女は、にやりと厭らしく口角を上げた。
「ううん、今回は違うかな。最早後が無くなったから、起死回生の一手を今すぐ与える為に来た、と言うべきだろうね」
「後が無い? 起死回生?」
久地縄は首を捻った。
いや、後が無いという意味は分かる。
現状、彼らはかなり追い詰められてはいる。
だが、それ以上に起死回生という言葉が気になった。
思い出されるのは、彼らが初めて出会ったあの時だ。
八社女も同じことを思ったのか、久地縄に構わず話を続ける。
「あの時もそうだったね。君達はかなり滅びの瀬戸際まで来ていた。今回はもっと拙い状況かも知れない。何せ、今や我々結成時の三人を除く残存戦力は、正式な構成員ではない陽子・陰斗姉弟しかいないのだからね」
「何!?」
今度は道成寺が口を挟んだ。
彼らはまだ、八卦衆の二人が辿った顛末を把握していなかった。
「八社女首領補佐、君は屋渡君と沙華君がやられたと言っているのかね?」
「おやおや、知らなかったのか。二人は死んだよ。例の双子は回収に失敗し、敵の手元でより厳重に守られることになってしまった」
「何ということだ!!」
久地縄が足を踏み鳴らした。
彼がこの様に、感情を剥き出しにして振る舞うのは珍しい。
客観的に見て元々極めて薄いとはいえ、それでも最後に残されていた望みが潰えたのだから、無理も無い。
道成寺も頭を抱えている。
「こんな筈では……こんな筈ではなかった……! 革命を成就する千載一遇の好機だと思ったのに……! 機が巡ってきた時の為に、皇國から抵抗する術を奪う手筈を練りに練ってきたのに! 後一歩で悲願は達成される筈だったのに! 一体、どうしてこうなった!!」
道成寺は次第に声を高くして悲痛に嘆いた。
久地縄は硬く目を閉ざし、首を振る。
「いや、今思えば我々は焦り過ぎたのです……! 我々の思想は純粋な者ならば目覚めさせることが出来る。仮令、皇國に於いて高貴な身分の者であっても、です。それは水徒端早芙子や刻御門竜胆で証明されている。ならば、そこから皇族を一人か二人取り込むことも出来た筈。戦争を長引かせ、皇國をより追い詰めるように工作しつつ、苦しむ民の姿を皇族に見せて一人でも此方に付かせる。そうすれば、あの獅乃神叡智も封じられたかも知れない。少なくとも、もっと慎重に機を窺い下手に動こうとはしなかった筈……」
「今になってペラペラと! ならば何故最初からそうしなかった!」
久地縄の後知恵に苛立った道成寺は血走った目を見開いた。
「余裕が無かったのです! そのような体力、我々には残されていなかった! お忘れか首領! 先の屋渡の失態で我々は多くの設備を、兵器を、人材を、そして東瀛丸の生産能力まで喪失したのです! 我々は既に追い詰められていた! 好機と見て蜂起した実態は、一か八かで蜂起せざるを得なかったのです!」
「ではあいつらのせいか! あの明治日本から確保した新入隊員共、革命に協力せず脱走したあの連中! 岬守航とかいう餓鬼と仲間共が余計なことをしてくれたせいで、我々は今や風前の灯火という訳かね!」
道成寺と久地縄は錯乱した様に大声を張り上げて口論していた。
そんな中、八社女は相変わらず不敵に不気味に笑っていた。
「だから落ち着きなって」
八社女が二人の間に割って入った。
「起死回生と言っただろう? そう、この状況はあの時と同じなんだ。あの時と同じように、君達に力を与えにやって来たという訳さ」
二人は八社女の言葉に目の色を変えた。
そうだった、話が脱線してしまっていた。
追い詰められた二人の許に、八社女は再び手を差し伸べるべく顕れたというのだ。
宛ら、八十年前と同じ様に。
「あの時僕はこの世の理を捻じ曲げ、君達に眠る力を最大限まで引き出した。その後、よく鍛えて見違える程成長したと思う。しかしそれでも足りないというのなら、今度は理を捻じ曲げるこの世の外側の力そのものを与えよう」
八社女は不気味な笑みを見せる。
「『神為』を生きとし生ける者の国――葦原中國の力とするならば、死者の住まう黄泉の国――根之堅洲國の力、その名を『穢詛禍終』……!」
不気味な静寂と邪悪な闇が、住宅街に紛れ込んだ隠れ処を包み込もうとしていた。