日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十二話『穢詛禍終』 急

 アパートの一室、部屋の入口前に立つ八(や)社(おと)女(め)は闇を背負っていた。

 闇は玉子の殻に奔(はし)る亀裂の様に拡(ひろ)がっていき、彼と対(たい)峙(じ)する道(どう)成(じょう)寺(じ)と久(く)地(ち)縄(なわ)をも呑(の)み込(こ)もうとしていた。

 その形は八本の足を持つ節足動物にも似ていた。

 

「道(どう)成(じょう)寺(じ)公(きみ)郎(お)・久(く)地(ち)縄(なわ)穂(ほ)純(ずみ)……。これは『神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)』たる僕(ぼく)から『八(はち)部(ぶ)衆(しゅう)』たる君(きみ)達に贈る最後の餞(はなむけ)だ。しかし、ここで再び生まれ変われば君(きみ)達は更なる力を得るだろう。日本を滅ぼす為(ため)の絶大な力を……」

「『八(はち)部(ぶ)衆(しゅう)』? 我々は『八(はっ)卦(け)衆(しゅう)』だよ?」

「おや、そうだったかな?」

「それに、餞とはどういうことです?」

「ふふふ……」

 

 八(や)社(おと)女(め)は二人に向けて軽く握った拳を差し出した。

 彼の背負う闇とは対照的に、手の中から虹色の光が漏れている。

 

「先程も言ったとおり、今から君(きみ)達に与えるのはこの世のものではない。神(しん)為(い)が己の中の内なる神に近付く『晴れの力』だとすれば、穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)は神に忌み嫌われる『穢(けが)れの力』。しかしその忌避は恐怖でもある。何(な)故(ぜ)ならこの力には、この穢れには、神々が人を縛るこの世の理を蝕(むしば)み壊す力があるからだ!」

 

 八(や)社(おと)女(め)を覆う闇が膨れ上がっていく。

 彼の姿は月影に潜む巨大な蜘蛛(くも)を思わせた。

 

「神(しん)為(い)は人間の力を神に近付け、現(あら)人(ひと)神(がみ)とする。それに対し、穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)は人間をこの世の者ではない別の存在に変えるもの。故に、穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)を与えられた者は神(しん)為(い)とは全く異質の力に目覚めるであろう。葬られた君(きみ)達の希望は、死の世界から返り咲く……」

 

 八(や)社(おと)女(め)の手が開かれた。

 そこには網に包まれた二つの球が乗っている。

 団(どん)栗(ぐり)大の飴(あめ)玉(だま)、それが虹色の光の正体だった。

 

「それは一体……何かね?」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は固(かた)唾(ず)を呑(の)んだ。

 その眼(め)は何か、邪悪なものに見せられているかの様に炯(けい)々(けい)と光っている。

 そんな彼に、八(や)社(おと)女(め)は不気味な笑みを湛(たた)えて答える。

 

「穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)を得る為の食べ物『黄(よ)泉(もつ)戸(へ)喫(ぐひ)』。丁度神(しん)為(い)に於(お)ける東(とう)瀛(えい)丸(がん)のようなものさ。但し、東(とう)瀛(えい)丸(がん)と違いこの黄(よ)泉(もつ)戸(へ)喫(くび)には効力の期限が無い。一度喰(く)らえば、以後死ぬまで穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)が君(きみ)達に定着する。尤(もっと)も、必ずしも得られるとは限らないがね。穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)を身に付ける為には条件があるんだよ」

「条件?」

 

 久(く)地(ち)縄(なわ)は恐る恐る尋ねた。

 今此(こ)処(こ)で八(や)社(おと)女(め)の甘言に乗ってしまえば、おそらく取り返しが付かない。

 だが一方で、他に道が無いことも確かだ。

 今、二人は藁(わら)にも縋(すが)らざるを得ない状況だった。

 

 そんな二人の手に、「黄(よ)泉(もつ)戸(へ)喫(ぐひ)」なる虹色の飴玉が置かれた。

 予想以上に軽い、まるで手に何も乗っていないかの様だ。

 この軽さが、この世のものではないという八(や)社(おと)女(め)の言葉に更なる説得力を持たせる。

 

「条件はね、憎(ぞう)悪(お)だよ。この世界に対する憎悪! 生きとし生けるものを根絶やしにしてやるという憎悪だ!」

 

 どす黒い闇が部屋を覆い尽くした。

 最(も)早(はや)この空間には、三人の姿以外何も見えない。

 

「冀(こいねが)うならば授けよう! 理外の力、穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)を! さあ、憎め世界を! 呪え大地を! 怨(うら)め人々を! 殺せ神々を! 今こそ、黄(よ)泉(もつ)戸(へ)喫(ぐひ)を喰らうが良い!」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は迷わず虹色の飴玉「黄(よ)泉(もつ)戸(へ)喫(ぐひ)」を口に含んだ。

 

「首領!?」

「考えるまでも無いだろう、同志久(く)地(ち)縄(なわ)? さあ、君(きみ)も……」

 

 久(く)地(ち)縄(なわ)は震える手を見詰めていた。

 道(どう)成(じょう)寺(じ)はこの毒を喰らった。

 ならば自分も、それに従うまでだ。

 今までずっとそうしてきたのだから。

 

「で、では……!」

 

 覚悟を決めた久(く)地(ち)縄(なわ)もまた、黄(よ)泉(もつ)戸(へ)喫(ぐひ)を口に放り込んだ。

 すると、二人の胸から紫の闇が拡がり、二人を包み込んだ。

 

「さあ! 今この時より、君(きみ)達も神への叛(はん)逆(ぎゃく)者となる! ようこそ、穢れと呪(じゅ)詛(そ)に満ちた魔の世界へ!!」

 

 闇が晴れ、部屋が元通りのアパートの景色へと戻っていく。

 どうやら力は受け渡されたようだ。

 

「ククク、これが穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)か……!」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は歓喜に震えている。

 新たに身に付けた力を実感しているのだろう。

 

 しかし久(く)地(ち)縄(なわ)は突然血を吐いて倒れた。

 久(く)地(ち)縄(なわ)は何が起きたのか解(わか)らず喉を押さえて苦しむ。

 その様子を見て、八(や)社(おと)女(め)は溜息を吐いた。

 

「あーあ久(く)地(ち)縄(なわ)、やはり君(きみ)は駄目だったか。君(きみ)はこの期に及んで人を救おうなどと思い上がっていたんだね」

「ぐはッ! ぐはぁッ!!」

「全く笑わせる。君(きみ)達がいったいどれだけ人を殺したと思っているんだ。君(きみ)達がしたことは、国を地獄に落とし、そして奪い返されて尚(なお)も殺(さつ)戮(りく)を繰り返した、それだけじゃないか。道(どう)成(じょう)寺(じ)君はその点素晴らしい。ちゃんと、狗(いぬ)の民族たる日本人への憎悪を自覚しているのいるのだからね」

 

 久(く)地(ち)縄(なわ)は体の穴という穴から血を噴き出して悶(もだ)える。

 そしてその苦しみの中で、一つの結論を突き付けられてしまった。

 彼は道(どう)成(じょう)寺(じ)を見上げ、血に塗れてしまった魂を絞り出すように問い掛ける。

 

「どうっ……! 道(どう)成(じょう)寺(じ)君!! 君(きみ)は本当にもう理想は要らないのか!? 日本人への、狗の民族への憎しみだけになってしまったのかッ!? もう二度とあの日々に!! 理想の社会を語り合った若き日々には戻れないのか⁉ 私(わたし)はずっと信じて……! 今は憎しみに囚(とら)われていても、革命を為(な)し再び国を手に入れさえすれば君(きみ)は本懐を取り戻してくれるとずっと……! 私(わたし)が感銘を受け、憧れた君(きみ)はもういないのかッッ!!」

 

 最(さい)期(ご)の声を振り絞り、その悲痛な胸の内を吐露する久(く)地(ち)縄(なわ)だが、道(どう)成(じょう)寺(じ)は最早そんな彼に眼もくれていなかった。

 唯(ただ)々(ただ)、歪(ゆが)んだ狂気の笑みを湛えて歓喜の声を上げている。

 

「ふっ……ふはははは!! 素晴らしい! 素晴らしいぞこの力は!! これが穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)、神の理の外側の力という奴(やつ)なのか!! これならば勝てる!! 今度こそ皇(こう)國(こく)を落とし、日本人を地獄に落としてやれるぞォッ!!」

「ああ、出来るとも。何せ穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)は神(しん)為(い)を増幅させることすら可能だからね。嘗(かつ)て僕(ぼく)が君(きみ)達の力を引き出した様に、今度は君(きみ)自身が君(きみ)の可能性を増幅させるんだ」

 

 自らの新しい力に酔(よ)い痴(し)れる道(どう)成(じょう)寺(じ)太の姿を、死に往(ゆ)く久(く)地(ち)縄(なわ)は失望と共に見続けていた。

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は遠くへ、取り返しの付かない場所へと行ってしまった。

 八(や)社(おと)女(め)という得体の知れない男に連れ去られてしまった。

 最早嘗ての友はおらず、今(いま)際(わ)の視界にへばり付いているのは憎悪に塗れた悪魔のみである。

 

 今、嘗て一国を統治したヤシマ人民民主主義共和国の政府だった組織は、完全に闇に堕(お)ちた。

 その猛威はまずこの日本国で振るわれることになるだろう。

 そして彼の傍らには久(く)地(ち)縄(なわ)の死体が、忘れ去られた理想の残骸の様に打ち捨てられていた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 皇(こう)國(こく)皇宮は食堂に続く扉の前、二人の美女が主の言付けで控えていた。

 神(じん)皇(のう)が皇太子時代から召し抱えている近衛侍女、敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)と貴(き)龍(りゅう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)である。

 それぞれ長身にクラシックなメイド服とゴシックロリータ服を纏(まと)っており、帯刀した姿は主君の威信を感じさせる。

 

「荒(あら)木(き)田(だ)め、余程あの御(お)方(かた)に取り入りたいようだな……」

 

 敷(しき)島(しま)は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せ、主の客人に対する嫌(けん)悪(お)感を剥(む)き出(だ)しにしていた。

 ここ数日、二人の主君である獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は、皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゅ)黨(とう)総裁・荒(あら)木(き)田(だ)将(まさ)夫(お)と何度も引見していた。

 選挙と政権運営に対する協力体制について話し合っているようで、近衛侍女たる二人すら話し合いの場からは外されていた。

 

「でも敷(しき)島(しま)ちゃん、荒(あら)木(き)田(だ)の考えは正しいわぁ」

 

 貴(き)龍(りゅう)院(いん)は含み笑いを浮かべ、荒(あら)木(き)田(だ)の思惑を評する。

 

「どういうことだ、貴(き)龍(りゅう)院(いん)殿」

「あの御方は、獅(し)乃(の)神(かみ)様は極めて純粋な御方よぉ。愛(いと)しい者を愛し、守りたい者を守る。その範囲を拡げようとする寛大さを備える一方で、時には果断な処置も辞さない。ならば、周囲の人間はどうするべきなのか。獅(し)乃(の)神(かみ)様にとって愛すべき、守るべき者となれば良い。そういう意味で、あの御方を自らの思想の擁護者にしようとしている荒(あら)木(き)田(だ)は正しい」

「それを取り入ると言うのだがな……」

「だから、取り入って正解なのよぉ」

 

 敷(しき)島(しま)は溜息を吐いた。

 獅(し)乃(の)神(かみ)が神(じん)皇(のう)となった今、皇(こう)國(こく)は急激に蘇(よみがえ)ろうとしている。

 寧(むし)ろ、勢い余ってより強くなろうとしている空気すらある。

 本来は政治的実権を持たない神(じん)皇(のう)だが、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は内閣総理大臣の都(つ)築(づき)廉(れん)太(た)郎(ろう)をも通り越して復興に影響を与えていた。

 

 一見すると、帝(みかど)の人徳によって皇(こう)國(こく)をより良い未来へと導いている様に見えるだろう。

 だが、これが危うい傾向であるということも敷(しき)島(しま)には解っていた。

 獅(し)乃(の)神(かみ)は帝でありながら首班指名を目指し、神(じん)皇(のう)親政の復古を目(もく)論(ろ)む荒(あら)木(き)田(だ)に担ぎ出されようとしている。

 それは皇(こう)國(こく)にとって、禁(きん)忌(き)の扉を開けることに他ならなかった。

 

「考え無しに獅(し)乃(の)神(かみ)様をその気にさせて……。これでは誰にも止められなくなるぞ……」

「あら、抑(そもそ)もあの御方を止めることなど出来るとでも?」

 

 貴(き)龍(りゅう)院(いん)が笑みに不穏な闇を宿らせる。

 

「でも心配することは無いわ。あの御方が皇(こう)國(こく)を、日本人を心から愛している限り、全ての世界に於ける日本人にとって、あの御方の治世はこの上無い福(ふく)音(いん)となるわぁ……」

 

 敷(しき)島(しま)は貴(き)龍(りゅう)院(いん)の言葉に何処(どこ)となく凄(すさ)まじい不穏さを覚えた。

 貴(き)龍(りゅう)院(いん)は白い歯を見せて笑っている。

 

「ふふふ、日本人を愛している限り、ね……」

 

 貴(き)龍(りゅう)院(いん)の背後に不気味な影が拡がっている。

 それは宛(さなが)ら、巨大な八本足の節足動物――恐るべき蜘蛛の怪物の形に似ていた。

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