日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十五話『無常』 序

 久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)が病院に搬送されたという事件は、翌日には特別警察特殊防衛課の知るところとなった。

 

 実は、皇(こう)國(こく)との有事に向けた法改正に拠(よ)り、医療機関には「異常な回復力を持つ患者」の事例を警察に通報する義務が発生したのだ。

 通報は特殊防衛課へと可及的速やかに伝えられ、迅速な対処へと繋(つな)げられる――神(しん)為(い)の使い手による国民の被害を最小限に抑えることを目的とした法整備である。

 

 そういう訳で、椿(つばき)陽(よう)子(こ)から東(とう)瀛(えい)丸(がん)を与えられた双(ふた)葉(ば)の病室に、三人の男女が訪れた。

 岬(さき)守(もり)航(わたる)・麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)・根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)――双(ふた)葉(ば)と特に縁の深い友人達と、特殊防衛課の課長の三名である。

 病室の双(ふた)葉(ば)は、航(わたる)達から顔を背けて外の景色を見ている。

 

「久(く)住(ずみ)さん、どうして黙っていたの……?」

 

 魅(み)琴(こと)の問いにも、双(ふた)葉(ば)は答えない。

 不(ふ)貞(て)腐(くさ)れた表情が窓に映っていた。

 

 双(ふた)葉(ば)が特殊防衛課としての契約終了までに飲んでいた東(とう)瀛(えい)丸(がん)の効果は既に切れている。

 その彼女が神(しん)為(い)を使えるとすれば、無関係の所で別の誰かに東(とう)瀛(えい)丸(がん)を与えられたとしか考えられない。

 航(わたる)達は皆、双(ふた)葉(ば)が陽(よう)子(こ)に会っていたという結論に容易に達していた。

 

「久(く)住(ずみ)君、はっきりと言おう」

 

 根(ね)尾(お)が双(ふた)葉(ば)に厳しい言葉を投げ掛ける。

 

「君(きみ)は今、非常に拙(まず)い立場にある。我々に黙って椿(つばき)陽(よう)子(こ)と密通していたこともそうだが、何より君(きみ)が倒れていた現場だ。昨日より、皇(こう)國(こく)側が派遣してきた新華族令嬢が二名、音信不通となっている。例の袋小路には椿(つばき)の血痕と、二人の着ていた衣服の繊維が残されていた。これは、君(きみ)が倒れていた現場で少なくとも椿(つばき)と二名が交戦したことを明白に示しているのだ」

 

 双(ふた)葉(ば)の表情が険しくなった。

 今この状況が心底気に食わない、といった様相だ。

 否(いな)、おそらくそれも正確ではない。

 屹(きっ)度(と)彼女は、帰国してからずっと気に食わないことだらけなのだろう。

 

「私(わたし)をどうするつもりですか?」

 

 双(ふた)葉(ば)は漸(ようや)く口を開いた。

 酷(ひど)く不機嫌な、軽く聞いただけで彼女の心の内が伝わってくる声(こわ)色(いろ)だった。

 つい一月程前まで協力者だったとは思えない敵意が感じられる。

 

「先(ま)ずは事情聴取だな」

 

 根(ね)尾(お)は溜息を吐いた。

 

「既に担当医から許可は貰(もら)っている。君(きみ)にはこれから我々と御同行願いたい。これまでどういった経緯で椿(つばき)陽(よう)子(こ)と会っていたのか、そして昨日あの場で何があったのか……。先ずは話を聞かないことには何も決められない。どうするかはまあ、それからの話だ」

 

 根(ね)尾(お)の言葉に、今度は双(ふた)葉(ば)が露骨な溜息を吐いた。

 

「任意ですよね?」

「何?」

「これって任意同行ですよね? あと、黙秘権は当然あるんですよね?」

 

 双(ふた)葉(ば)の言葉に、病室の空気が凍り付いた。

 

「久(く)住(ずみ)さん、何を言っているんだ? ちゃんと説明して、君(きみ)の疑いを晴らさないと」

「さっき根(ね)尾(お)さんが言っていたでしょう。今、貴女(あなた)の立場は悪いの。今ならまだ間に合うから、椿(つばき)陽(よう)子(こ)との間に何があったか正直に話して。事情が判(わか)らないと、助けたくても助けられないわ」

 

 双(ふた)葉(ば)の態度に驚いた航(わたる)と魅(み)琴(こと)は彼女を説得しようとする。

 しかし、双(ふた)葉(ば)は頑(かたく)なだった。

 初めて航(わたる)達の方へ振り向き、拒絶の棘(とげ)を多分に含んだ言葉を返す。

 

「助けられなかったらどうするつもり? 私(わたし)のことも狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の一員ってことにするの?」

「成程……」

 

 根(ね)尾(お)は眉根を寄せて目を細めた。

 双(ふた)葉(ば)の言(い)い種(ぐさ)から、彼女の胸の内を見抜いたらしい。

 

「どうやら我々は信用を失っているようだな。自分のことを『どうするつもり』とはつまり、我々には既に規定のストーリーがあって、初めから君(きみ)を陥れようとしていると認識しているらしい」

「そう言う貴方(あなた)は、そう思われても仕方が無いという自覚がありそうですね」

 

 普段は可(か)愛(わい)らしい双(ふた)葉(ば)の目が激しくつり上がる。

 彼女は今、今にも導火線の火が間近に迫る爆弾の様な状態だった。

 

「しかし、この二人は君(きみ)の友達だろう?」

「ええ、その筈(はず)ですよ。でも、今は貴方(あなた)の部下じゃないですか……!」

 

 双(ふた)葉(ば)の声が怒りに歪(ゆが)んだ。

 根(ね)尾(お)の言葉が双(ふた)葉(ば)にとって最後の一押しになってしまったらしい。

 

「この際だから言いますけどね、どう考えてもおかしいでしょう。私(わたし)達、普通に生活していたのに突然皇(こう)國(こく)へ連れ去られた被害者なんですよ? なのに恰(あたか)も当然の如くホテルに閉じ込めて、監視して、戦わせて……。人権無視も良い所じゃないですか。で、今度は警察ごっこですか? 本当、いい加減にしてくださいよ。岬(さき)守(もり)君と麗(うる)真(ま)さんもどうかしてるよ。なんで大人しく言いなりになってるの?」

 

 それは、今まで溜(た)め込(こ)んでいたものが堰(せき)を切って溢(あふ)れ出(だ)したかの様な台詞(せりふ)の濁流だった。

 航(わたる)はふと、ホテルのロビーで双(ふた)葉(ば)と交わした会話を思い出す。

 今振り返ると、これこそあの時彼女が本当に言いたかったことだったのかも知れない。

 航(わたる)は双(ふた)葉(ば)の待遇を改善しようと行動したが、彼女が望んでいたのは自分と同じ立場で根(ね)尾(お)に抗議することだったのだ。

 

「返す言葉も無いな。申し訳無かった」

 

 根(ね)尾(お)は頭を下げた。

 

「確かに、我々は国家の非常時を言い訳にして無理を通し過ぎた。事態の収束と個人の私権との間に生じる摩擦の解決は、もっと慎重に模索すべきものだったのに、安易に進めてしまった。そしてそれが敗因となって、与党は近い内に政権を失うという事態に陥ってしまった。にも拘(かか)わらず、今(いま)尚(なお)そのやり方の象徴たる特別警察特殊防衛課を手放せないでいる。皆には理不尽を強いてしまって、申し訳無いと思っている」

「なんですか、それ? 開き直りですか?」

 

 双(ふた)葉(ば)は冷ややかな笑みを浮かべた。

 根(ね)尾(お)に、特別警察特殊防衛課という組織、その制度を制定した日本政府に対する強い蔑(さげす)みが口元に滲(にじ)んでいる。

 

「まあ、良いですよ。付いて行って、話してあげます。貴方(あなた)達、一応警察なんですもんね。いつの間にか、何の研修も受けずに仕事してるみたいですけど。人を逮捕出来る職業に、随分簡単になれるようになったものですよね……」

 

 航(わたる)は胸を締め付ける様な痛みを感じていた。

 何か双(ふた)葉(ば)の言葉と睨(にら)み付(つ)ける視線に、針の様な正確さで肋(ろっ)骨(こつ)を縫って心臓を刺された様な気がした。

 双(ふた)葉(ば)の言うことも尤(もっと)もだと、そう認めざるを得ないところが確かにあった。

 

 そう、何故(なぜ)航(わたる)達はいつのまにか警察の真(ま)似(ね)事(ごと)をしているのだろう。

 高々紙切れ一枚の契約書と掌(てのひら)に収まる身分証明書で、治安維持の使命感を以(もっ)て権力を振りかざしているのだろう。

 今病室を訪れた三人は、何(いず)れも平時だとあり得ない状況を平然と受(う)け容(い)れてしまっている。

 まさにそれこそが、双(ふた)葉(ば)から敵意を向けられる理由なのだろう。

 

「僕(ぼく)達は……確かにおかしいのかも知れない……」

 

 航(わたる)は拳を握り締めた。

 双(ふた)葉(ば)はいつも、忘れてはいけないにも拘(かかわ)らず異常時には見失いがちな良識を気付かせる。

 しかしだからこそ、航(わたる)は双(ふた)葉(ば)の味方でありたかった。

 

「ただ久(く)住(ずみ)さん、僕(ぼく)達はみんな君(きみ)を助けたいと思っている。どうかそれだけは誤解しないでほしいんだ」

 

 航(わたる)は双(ふた)葉(ば)の眼(め)を真(まっ)直(す)ぐ見詰める。

 彼女から目を逸(そ)らしてはならないと思った。

 だが逆に、双(ふた)葉(ば)の方から航(わたる)に目を背けられてしまった。

 双(ふた)葉(ば)は航(わたる)とも魅(み)琴(こと)とも敢(あ)えて向き合わず、冷めた表情のまま立ち上がった。

 

「さ、行きましょうよ。逮捕状を持ってくる手間、省いてあげますよ。特別警察特殊防衛課の皆さん」

 

 双(ふた)葉(ば)はわざとらしく両手を根(ね)尾(お)に差し出した。

 勿(もち)論(ろん)、三人は彼女を逮捕しに来たのではないから、手錠など持ち合わせている筈が無い。

 双(ふた)葉(ば)の行動は、三人に対する不信感の意思表示である。

 その証拠に、彼女は「冗談である」とでも言いたげに肩を竦(すく)めてすぐに手を引っ込めた。

 

 航(わたる)の思いは届かなかった。

 彼らは重苦しい空気を引(ひ)き摺(ず)ったまま河岸を変え、皇(こう)國(こく)の面々が滞在しているホテルへと場所を移す。

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