日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

29 / 399
第十話『異人』 序

 岬(さき)守(もり)航(わたる)が水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)と決めた脱出の決行日まで、残り一週間を切った。

 飢餓訓練を終えて早(さ)辺(え)子(こ)から話を聞いた所に依(よ)ると、屋(や)渡(わたり)倫(りん)駆(く)郎(ろう)の説得は順調らしい。

 今日か明日辺り、航(わたる)に配置換えが言い渡されるだろう、とのことだ。

 

『でも、神(しん)為(い)の第三段階に達していないのは僕(ぼく)だけじゃないですよ』

『残りのお二方はまだ見込みが無くもない、と屋(や)渡(わたり)は云(い)っていました。つまり、予定通り岬(さき)守(もり)様が一番に見限られることになります。上出来ですね』

 

 そんな昨晩の会話を思い出しながら、航(わたる)は久々の朝食を準備する。

 才能弄(いじ)りももう慣れてしまった。

 

 神(しん)為(い)の第三段階、特殊な異能の発現は俗に「術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)」と呼ばれるのだという。

 七人の中でこれに達したのは四人である。

 

 先(ま)ず、飢餓訓練の開始前に折(おり)野(の)菱(りょう)、椿(つばき)陽(よう)子(こ)が能力に覚醒していた。

 この二人は特に才能があるとして、屋(や)渡(わたり)も高く評価している。

 

 次に、訓練の前半で虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)が覚醒に至った。

 久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)に対してやや勝ち誇るような眼(め)を向けた彼だったが、それに反発したのか、訓練が終わりへ差し掛かる頃に双(ふた)葉(ば)もまた覚醒に至った。

 

 取り残されたのは虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)、繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)、そして航(わたる)である。

 特に、航(わたる)の才能の無さ、進(しん)捗(ちょく)の悪さは群を抜いているようで、時折屋(や)渡(わたり)から総括と称して暴行を受けた。

 

(あと少し、ほんの少しの辛抱だ。だけど、大丈夫か? 本当に条件は整うのか?)

 

 配置換え、即(すなわ)ち為(い)動(どう)機(き)身(しん)体(たい)に触れられる立場に置かれるのは、早(さ)辺(え)子(こ)の言葉を信じるとして、彼は未(いま)だに自力で実戦起動出来ていない。

 飢餓訓練で暫(しばら)く操縦訓練が出来なかったのだから、その分遅れているのだ。

 

『何とか形にする他御座いませんね。これからはより一層厳しくいきますので、そのおつもりで』

 

 危機感もあり、航(わたる)は早(さ)辺(え)子(こ)のスパルタ宣言が逆に有難いと思った。

 表には出さないように努めているが、航(わたる)は少しずつ精神的に追い詰められていた。

 

(みんなの命は僕(ぼく)が預かっているんだ)

 

 朝食の支度を終えた航(わたる)は俯(うつむ)いてそんな事を考えていた。

 と、その時、食堂の扉が開いた。

 

「ふあぁ、やってるー?」

「あ、おはようございます。随分早いですね」

 

 珍しい人物だった。

 繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)はこれまでずっと恋人を喪(うしな)ったショックから塞(ふさ)ぎ込(こ)んでおり、朝食を摂(と)るのはいつも最後か、摂らない日もあった。

 

 彼女は眠そうに目を擦りながら席に着いた。

 寝癖で跳ねた髪の毛が、半ば寝(ね)惚(ぼ)けたままろくに身支度もしないまま降りてきた事を雄弁に物語っている。

 尤(もっと)も、航(わたる)は彼女のこういっただらしのなさには慣れていたし、自室に同じ様な人種も居るので、今や特に気にすることもなく朝食を配膳していく。

 

「一寸(ちょっと)嫌な夢を見ちゃってさ。早く目が覚めちゃった。二度寝したら絶対寝坊するから、もう起きちゃおう、ってね……」

 

 目が覚めた、という割には不明瞭な発音だった。

 

「そうですか、大丈夫ですか?」

 

 悪夢、と聞いて航(わたる)は心配になった。

 繭(まゆ)月(づき)はずっと精神の安定を欠いている。

 一人部屋にすると自殺するかも知れない、という懸念はあったが、彼女の強い希望もあってそうした。

 時折、航(わたる)・双(ふた)葉(ば)・虎(こ)駕(が)・新(しん)兒(じ)・椿(つばき)で交代して声を掛け、彼女の無事を確かめている。

 

「ありがとね。でも、前からよく見る夢だから平気よ。寧(むし)ろ、心が前の状態に戻ってきたのかも知れない……」

 

 平気、と言ってはいるが、繭(まゆ)月(づき)の表情はどこか哀(かな)しげで、儚(はかな)げな厭(えん)世(せい)観(かん)を露(あら)わにしているように見えた。

 繭(まゆ)月(づき)の行動、心理は実のところ読めない。

 全てがどうでも良く、死にたいといった様子で塞ぎ込んでいたかと思えば、生命の危機から脱した時は思わず航(わたる)に抱き付いてきたりする。

 だが、この奇妙な雰囲気はいつも彼女に纏(まと)わり付(つ)いているように思える。

 

「御無理はなさらないでくださいね」

 

 あまり気の利いた言葉が見付からない航は、差し障りの無い事しか言えなかった。

 繭(まゆ)月(づき)は小さく「うん」とだけ頷(うなず)いた。

 

 と、そこへもう一人、珍しい男が入って来た。

 折(おり)野(の)菱(りょう)が黙って繭(まゆ)月(づき)の隣に坐(すわ)った。

 

 ここ最近、特に飢餓訓練中から、折(おり)野(の)は繭(まゆ)月(づき)を気に掛けるようになっていた。

 曰(いわ)く「どこかそこはかとなく死がへばり付いているような妙な匂いがして好みだ」とのことだ。

 能(よ)く分からない感性だが、航(わたる)も感じている厭(えん)世(せい)的(てき)な雰囲気の事を言っているのだろうか。

 

 そんな繭(まゆ)月(づき)は、折(おり)野(の)を気にせず黙々と食事を続けている。

 折(おり)野(の)は奇妙な視線を繭(まゆ)月(づき)に注いでいた。

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)を見る自分の視線も、端から見ればこんな感じなのだろうか、と航(わたる)は居心地が悪かった。

 

「おい、早く俺(おれ)の飯も用意してくれよ」

「あ、悪い」

「人間、腹減ると気が短くなって、一寸した冷遇が癇(かん)に障るようになるんだよ。こういう状況じゃなきゃぶち殺してるぞ」

 

 不覚にも配膳し忘れていたことを脅迫気味に指摘され、航(わたる)はいそいそと折(おり)野(の)の分の朝食を用意した。

 しかし、折(おり)野(の)は並べられた食事に手を付ける事なく、ただじっと繭(まゆ)月(づき)の横顔を眺めていた。

 流石(さすが)に航(わたる)は腹を立てたが、その得も知れぬ異様な雰囲気に文句を言う気を挫(くじ)かれた。

 

「今日は元気そうじゃねえか」

 

 不意に折(おり)野(の)が繭(まゆ)月(づき)へ話し掛けた。

 突然の事に航(わたる)は驚いたが、繭(まゆ)月(づき)は平然としている。

 

「まあねー、御(お)陰(かげ)様(さま)で」

「ふん、相変わらず面白くねえ反応だな」

 

 折(おり)野(の)の言う通り、彼に対して繭(まゆ)月(づき)は航(わたる)達の中で唯一恐怖でも警戒でもない当たり前の反応を返す。

 それは塞ぎ込んでいた時から変わらず、折(おり)野(の)がいくら威圧しようが柳に風だった。

 

(案外、強い人なのか?)

 

 航(わたる)は繭(まゆ)月(づき)への認識をそう改めつつあった。

 折(おり)野(の)もまた、彼女にそんな印象を持っているのかも知れない。

 

「他の奴(やつ)らみてえに過剰な怖がり方されるのも心外だが、貴女(アンタ)みてえに特に何でもなく見られるのも自信失くすぜ」

 

 折(おり)野(の)は漸(ようや)く朝食に手を付け始めた。

 そんな彼に対し、繭(まゆ)月(づき)は奇妙な事場を返す。

 

「だって貴方(あなた)、経歴笠(がさ)に着て粋(イキ)ってるだけで普通の人じゃない」

 

 折(おり)野(の)だけでなく、航(わたる)も開いた口が塞(ふさ)がらなかった。

 隣に座っている相手は両親を含めて何人も殺害した凶悪犯である。

 凶行に至った狂気はその眼光に充分表れており、到底「普通の人」等と評して良い人物ではない。

 折(おり)野(の)はプライドに障ったのか、血走った目で繭(まゆ)月(づき)を凝視していた。

 

「ほーう、お姉ちゃんはこの俺(おれ)のどこが普通だって言うんだい?」

 

 航(わたる)は折(おり)野(の)の態度に「拙(まず)い」と警戒を強めた。

 何かあった時には、折(おり)野(の)から繭(まゆ)月(づき)を守らなければならない。

 だがそんな航(わたる)の心境を知ってか知らずか、繭(まゆ)月(づき)はあっけらかんとして答える。

 

「貴方(あなた)、損得勘定ちゃんと出来るでしょ? 閉鎖空間に女が四人も居るのに、誰にも暴行を働いたりしない。『取(と)り敢(あ)えず』でこの中の誰かを殺してみたりもしない。そんな、理に適(かな)わない無意味な凶行には走らない」

「いやいや繭(まゆ)月(づき)さん、そこまでやるようなのは単なる異常者ですよ」

 

 航(わたる)は繭(まゆ)月(づき)の極端な言い分に苦笑いを浮かべた。

 しかし、彼女は揺るがない。

 

「だから、異常者じゃないんだってば、この人。多分、殺人に対するハードルが低いだけで、内面は普通の人。やったら確実にバレる状況で犯罪はしないけど、バレないと思ったら万引や横領くらいはする。そんな、ごく普通の感性で殺人までやっちゃうだけだよ」

 

 そういう人間は、普通の人とは呼ばないだろう。

 第一、普通の人はいくらバレなくとも万引も横領もしないのだ。

 しかし、航(わたる)としては繭(まゆ)月(づき)の言いたいことも解(わか)らなくはない。

 要するに、必要以上に警戒せずとも理解不能な行動を取るような人間ではないということだろう。

 

 だが、当の折(おり)野(の)は納得がいかない様子だった。

 

「へーえ、貴女(アンタ)にとっての異常者ってのは、思考回路からして異質な奴って事か」

「妙に突っかかるなあ。別に、異常者と思われて良い事なんか無いんだから、正常扱いで良かったと思いなさいよ」

 

 二人の遣(や)り取(と)りの中で、航(わたる)の中に一つの違和感が生じていた。

 ひょっとすると、繭(まゆ)月(づき)の言う通りではないか。

 客観的に見て異常な折(おり)野(の)は自分を異常だと主張しているが、繭(まゆ)月(づき)は正常だと主張する。

 もしかすると、正常なのは折(おり)野(の)の方で、繭(まゆ)月(づき)の方が異常なのではないか。

 

 折(おり)野(の)もそれを感じたのか、普段大なり小なり振(ふ)り撒(ま)いている殺気を完全に沈めて溜(ため)息(いき)を吐いた。

 繭(まゆ)月(づき)は平然と味(み)噌(そ)汁(しる)を口にし、初めから折(おり)野(の)の殺気の有無など問題にしていないようだ。

 

「あのな、姉ちゃんよ」

 

 折(おり)野(の)は諭す様に口を開いた。

 

「確かに、世の中には何考えてんのか分かんねえ変な思考の奴はごまんと居るよ。そういうのに比べたら、俺(おれ)は寧ろ分かり易(やす)いかも知れねえ。でも、そいつらって大半は社会の中で普通に生活している真(まっ)当(とう)な人間なんだわ」

 

 航(わたる)は折(おり)野(の)の言に「それはそうだ」と深く納得した。

 繭(まゆ)月(づき)は黙って聴き入っている。

 

「結局、ヤバい奴と真(まと)面(も)な奴を分けるのは、そいつが何を考えているか、じゃなくて何をやらかしたか、なんだわ。頭ん中でどんだけ身の毛が弥(よ)立(だ)つ邪悪な事考えてようが、真当に生きてる奴はそれだけで充分真面な人間なの。逆にどんな御(ご)立(りっ)派(ぱ)なお題目掲げる実直な奴でも、やってる事が邪知暴虐ならそいつは極悪非道、鬼畜外道なんだよ」

 

 折(おり)野(の)は言葉を切って一息入れると共に朝食の白米を掻(か)き込(こ)み、味噌汁を一気に飲み干した。

 まるで何か別の事に腹を立てている様な手付き・咀(そ)嚼(しゃく)だった。

 

「だからな、これは岬(さき)守(もり)にも言っておくぜ、俺(おれ)は武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)とかいう奴らの事ははっきり言って気に入らねえ。何の罪もねえ奴をいきなり攫(さら)って、その内一人をあっさり殺して悪びれねえ。そんな事を平気でやる癖に、さも自分達を正義の味方かのように吹(ふい)聴(ちょう)しやがる。悪党としちゃ最低の部類だ。悪には悪の自覚がねえと駄目なのさ」

 

 どうやら折(おり)野(の)には彼なりの悪の美学があるらしい。

 尤も、自分の悪行に対する開き直りに思えなくもない。

 

「だから岬(さき)守(もり)、どうせまだ脱出するつもりではいるんだろ? それ、絶対に諦めるな。決してこんな奴らに染まるんじゃねえぞ」

 

 言われる迄も無い――航(わたる)は強く念じた。

 折(おり)野(の)は航(わたる)の意思が通じたのか否か、乱暴に空になった食器を置いて手を合わせた。

 

「ごっそさん」

 

 折(おり)野(の)は二人の反応を待たず食堂を後にした。

 ふと繭(まゆ)月(づき)の方を見ると、彼女は立ち去る折(おり)野(の)の後ろ姿を呆(ぼう)然(ぜん)と眺めていた。

 

 航(わたる)には二人がよく解らなかった。

 その後、早(さ)辺(え)子(こ)に呼ばれて七人はその日の訓練へ向かった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。