日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十六話『理想の崩壊』 破

 久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)は決して見込みの無い漫画家志望者ではなかった。

 担当編集者も成長を期待して漫画家のアシスタント業を紹介したのだ。

 プロの水準と比較すれば未熟だった画力も着実に向上した。

 しかし、彼女にはどうしても克服出来ない弱点があった。

 

 話を考えられない。

 そして画力も、話の稚拙さを補える程のものにはならなかった。

 

 そんな双(ふた)葉(ば)だったが、周囲は見(み)棄(す)てたりしなかった。

 一方的にライバル視していた千(ち)絵(え)が連載を勝ち取って半年が過ぎた頃、双(ふた)葉(ば)にもチャンスが巡って来たのだ。

 原作付き漫画の作画担当の仕事だった。

 担当編集者からの紹介で、女性コミックの連載漫画を受け持つことになったのだ。

 

 だがこれは双(ふた)葉(ば)にとって、様々な意味で苛酷な仕事だった。

 第一に、双(ふた)葉(ば)が作画を担当した原作は、漫画原作どころか物語の体(てい)裁(さい)を為(な)しておらず、双(ふた)葉(ば)側で原作を再解釈する必要があった。

 一から話を考えるという双(ふた)葉(ば)にとって最も苦手な工程を避けることは出来たものの、これはこれで楽な作り方ではない。

 双(ふた)葉(ば)は兎(と)に角(かく)、先(ま)ずは作品を通して原作者が何を言おうとしているか「理解」しなければならなかった。

 

 第二に、この原作者が非常に気難しく社会性に欠けた人物で、双(ふた)葉(ば)の解釈が少しでも気に入らないと、ネームどころか完成原稿にもリテイクを要求してくるのだ。

 その御(お)陰(かげ)で双(ふた)葉(ば)は毎度締め切りに追われ、深夜まで睡眠時間を削って仕事し続けなくてはならなかった。

 仕事を続けるうちに、双(ふた)葉(ば)は肉体的にも精神的にも疲労でボロボロになっていった。

 

 第三に、双(ふた)葉(ば)が担当したのは過激な性描写が多く含まれる作品だった。

 元々双(ふた)葉(ば)は性に奔放な性格ではなく、苦手なものを描き続けることは非常に堪えた。

 ただ、これに関して双(ふた)葉(ば)は原作者を悪くは思っていない。

 過激な性描写は寧(むし)ろ原作者の性(せい)嫌(けん)悪(お)から来ていたもので、性暴力の陰惨さを物語る目的で導入されていたからだ。

 

 結局双(ふた)葉(ば)はこの仕事をどうにかやりきった。

 非常にマイナーな漫画だったが、この経験が次に繋(つな)がる筈(はず)だった。

 しかし、この仕事が双(ふた)葉(ば)に「過激な性描写を含む女性コミックの漫画家」というイメージを与えてしまった。

 これが彼女を大いに苦しめることになる。

 

 この後、双(ふた)葉(ば)は仕事に恵まれなかった。

 どうにか仕事にありつこうと、双(ふた)葉(ば)自身が自分を売り込まなければならなかった。

 担当編集だけでなく、多方面にコネクションを作るべく自ら営業を掛ける。

 その際、唯一自分がやりきった仕事をアピールする。

 

 年配の男性編集者と食事へ行った。

 コンパに参加し、顔を売った。

 飲みに行き、カラオケに行き、そして性交渉を求められた。

 過去の仕事から、性に奔放だと誤解された。

 

(男の人って、どうしてこうなんだろう?)

 

 双(ふた)葉(ば)は少し、嘗(かつ)ての原作担当が何故(なぜ)あの様な作品を書いたのか、解(わか)った気がした。

 立場を盾に、性的な要求をしてくる下衆な男。

 自分が描いた漫画を知っている癖に、作品を厭(いや)らしい眼(め)でしか読解せず、本当に描かれていた訴求を理解しない無能な男。

 双(ふた)葉(ば)の周りにはそんな男ばかりになっていた。

 

「久(く)住(ずみ)さん、大丈夫かい?」

 

 或(あ)る時、アシスタントの仕事中に、漫画家の先生から心配して声を掛けられた。

 この時、双(ふた)葉(ば)は明らかに精神的に参っていた。

 以前にも増して痩せた体と疲れ切った表情が、自分でも目に見えていた。

 

「すみません先生。昨日遅くまで飲んでいたもので……」

「困るな。君(きみ)、最近絵が乱れているじゃないか。リテイクも増えている。漫画の仕事を取りに行くのは良いが、今のやり方は本末転倒だよ。正直、見ていられない。人付き合いは大事だが、程々にした方が良い」

 

 追い詰められていた双(ふた)葉(ば)は少し苛(いら)立(だ)ちを覚えた。

 だったらどうすれば良いというのか。

 この人は才能に恵まれているから、そのような綺(き)麗(れい)事(ごと)が言えるのだ。

 自分もこの先生や千(ち)絵(え)の様に才能があれば……。

 

(ああ、そうか。私(わたし)、才能無いんだ……)

 

 双(ふた)葉(ば)はふと気付いてしまった。

 自分は漫画家にはなれない。

 偏(ひとえ)に、才能が無い。

 そんな自分が無理に漫画を続けるとすれば、苦手な性描写を描き続けるしか無いのだ。

 

 双(ふた)葉(ば)の眼に、今手懸けている原稿が映る。

 胸や尻が強調された、性的訴求力が強い、艶(なま)めかしい絵だ。

 考えてもみれば、自分はずっとこの様な物を描かされていた。

 性的なことにしか興味が無い、下衆で無能な男達を喜ばせるような絵を只管(ひたすら)に……。

 

(あ、無理だ私(わたし)……)

 

 この時、双(ふた)葉(ば)は自分が居た環境の、否(いな)、社会の劣悪さに気付いてしまった。

 目覚めた、と云(い)うべきだろうか。

 自分は此(こ)処(こ)に居られない。

 こんな場所に居てはおかしくなってしまう。

 

「先生」

「どうした?」

「お世話になりました」

 

 双(ふた)葉(ば)はそう言い残すと、荷物を持って逃げるように職場を後にした。

 吐き気と涙が止まらなかった。

 

(私(わたし)、何を夢見ていたんだろう? 目指した世界はこんなにも残酷で、醜くて、穢(けが)らわしくて……)

 

 斯(か)くして、双(ふた)葉(ば)は夢を棄(す)てた。

 遅れながら大学を受験し直し、普通の人生を歩み直そうとした。

 彼女が拉致に遭ったのは、そんな最(さ)中(なか)だった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 時を戻し、二〇二六年九月十八日、自宅のベッドに寝そべっていた双(ふた)葉(ば)の電話が鳴った。

 掛けてきた相手は椿(つばき)陽(よう)子(こ)――五日振りの連絡である。

 

「もしもし、陽(よう)子(こ)さん?」

『双(ふた)葉(ば)! 今から会えないか? 頼む、拙(まず)いことになったんだ!』

 

 陽(よう)子(こ)の声は随分と慌てている。

 何やら急を要するらしい。

 

「どうしたの、陽(よう)子(こ)さん? 拙(まず)いことって何?」

『この間捕まえた二人の内一人が逃げ出した! 私(あたし)達の居場所もバレるし、貴女(アンタ)もあいつに狙われる!』

「この前の二人ってあの……!」

 

 双(ふた)葉(ば)は咄(とっ)嗟(さ)に窓の外を見渡した。

 どうやら尾行らしき人物は見当たらない。

 

「わかった。場所は私(わたし)が指定して良い?」

『……分かった。遠過ぎなければ大丈夫だよ』

 

 陽(よう)子(こ)に場所を伝えた双(ふた)葉(ば)は、家族にアルバイトと嘘(うそ)を吐いて家を飛び出した。

 双(ふた)葉(ば)にとって、陽(よう)子(こ)は何としても助け出したい人物だった。

 もう自分には陽(よう)子(こ)しか居ない。

 そして何より「父親に自由を奪われ生き方を決められてしまっている」というのが、双(ふた)葉(ば)にはどうしても許せないのだ。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 二人が落ち合うと決めたのは近くの公園だった。

 陽(よう)子(こ)を待つ間、双(ふた)葉(ば)は不安で胸が張り裂ける思いだった。

 扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を飲んでしまった彼女は神(しん)為(い)が使えず、今敵襲に遭ったら一(ひと)溜(た)まりも無いからだ。

 

「双(ふた)葉(ば)!」

 

 陽(よう)子(こ)の姿が見え、声を掛けられた双(ふた)葉(ば)は安(あん)堵(ど)した。

 そして迷い無く陽(よう)子(こ)の方へ駆け寄った。

 

「貴女(アンタ)、神(しん)為(い)が無くなってるね……。飲まされたんだね?」

「うん、まあ……」

「拙(まず)いな……。今日は持って来れなかったんだよ」

 

 陽(よう)子(こ)は辺りを見渡し、敵襲を警戒する。

 そして、彼女は何かを見付けたようだ。

 

「双(ふた)葉(ば)、付けられたね」

「え?」

 

 陽(よう)子(こ)が見つけたのは元崇(す)神(じん)會(かい)――特殊防衛課の尾行だった。

 双(ふた)葉(ば)に気取られなかった彼らといえど、陽(よう)子(こ)の目は誤(ご)魔(ま)化(か)せなかったらしい。

 陽(よう)子(こ)は目線で人数を数え、そして考え込む。

 

「参ったな……。これじゃ向こうに帰ることは出来ない……」

「弟さんは今どうしてるの?」

「親(おや)父(じ)の所さ、相変わらずね。親父は今、陰(かげ)斗(と)のことをあまり自分の手元から離そうとしない。私(あたし)達をいつでも追い掛けられる能力を持っていた逸(へ)見(み)さんが居なくなっちゃったから、人質を手放せないんだ」

「そう……」

 

 双(ふた)葉(ば)は今、陰(かげ)斗(と)の身を案じる陽(よう)子(こ)の態度を少し煩わしく思っていた。

 彼女から見て、陽(よう)子(こ)は父親だけでなく弟にも縛られて見えた。

 だが、そんなことを口に出せば陽(よう)子(こ)との関係も終わりかねない。

 双(ふた)葉(ば)にとって、自分を頼ってくれる陽(よう)子(こ)は失えない最後の友人だった。

 

「弟さんって、確か陽(よう)子(こ)さんの所へ飛んで来れなかったっけ?」

「ああ、まあね。でもそれには親父が『支配』を解かなきゃいけないんだ」

「支配?」

「親父の術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)の一つさ。支配下に置いた者の神(しん)為(い)を自由に使える。逆に、支配されてしまった者は神(しん)為(い)を自由に使えなくなってしまうのさ。陰(かげ)斗(と)は基本、親父の手元で支配下に置かれているから、親父の許可無しに能力を使えないんだ」

 

 陽(よう)子(こ)の表情に悔しさが滲(にじ)む。

 

「親父の奴(やつ)は今、おかしくなってしまっている。何か新しい力に目覚めたらしい。それで前以上に冷静な話し合いが通じないんだ」

「そんな……。それじゃあ陽(よう)子(こ)さんは一体どうするの? そんな状態のお父さんと運命を共にするなんて……」

「勿(もち)論(ろん)、真(まっ)平(ぴら)だ! だが、勝てないんだよ私(あたし)じゃ親父には……!」

 

 頭を抱える陽(よう)子(こ)を見て、双(ふた)葉(ば)はまるで自分の事の様に胸を締め付けられた。

 自分ではどうしようもない力の差と環境に苦悩する姿が他人のものとは思えなかった。

 

「でも陽(よう)子(こ)さん、このままじゃ……」

「解ってる。一旦、今日の寝床を確保しよう。後の事はそれから考える。暫(しばら)く付き合える?」

「うん、勿論だよ」

 

 双(ふた)葉(ば)と陽(よう)子(こ)はとりあえず場所を移動した。

 この時双(ふた)葉(ば)は漸(ようや)く、自分の背後で動く気配を察した。

 

「ごめんね陽(よう)子(こ)さん。私(わたし)が鈍(にぶ)いばっかりに……」

「双(ふた)葉(ば)が謝る事じゃないさ。無理を言っているのはこっちなんだから。迷惑かけて私(あたし)こそごめん」

「そんな、迷惑だなんて……」

「取(と)り敢(あ)えずホテルに入ろう。入室したら親父に連絡する。逃げた一人、枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)を捕まえるように言われてるんだ。『一人では無理そうだから、応援に陰(かげ)斗(と)を寄(よ)越(こ)してくれ』って伝えてみるよ」

 

 陽(よう)子(こ)に先導され、双(ふた)葉(ば)は夜の闇を走る。

 道に沿って流れていくライトがとても美しい光の芸術の様に思えた。

 その先に待ち受けている運命を、彼女はまだ知らなかった。

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