日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十六話『理想の崩壊』 急

 東京都内、と或(あ)るビルの内部。

 薄暗い部屋の内部には数人の死体が転がっている。

 

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は日本国内へ予(あらかじ)め椿(つばき)陽(よう)子(こ)と道(どう)成(じょう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)を送り込んだ後、二人に根城となるアパートを二つ契約させた。

 一つは陽(よう)子(こ)が、もう一つは陰(かげ)斗(と)が、新生活を始める若者を装って契約した根城で、この二人だけで契約可能な物件・不動産屋は拉致工作段階で末端の構成員が調べて上げていた。

 その後、皇(こう)國(こく)から日本国へ逃亡した狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は一旦は陽(よう)子(こ)の契約したアパートに潜伏していたが、この場所と陰(かげ)斗(と)が契約したアパートはあくまで仮の根城であり、本命となるアジトを手に入れるまでの繋(つな)ぎであった。

 

 本来ならば、動き始めるのは雲(くも)野(の)兄妹を確保し、日本国内の左翼過激派と協力関係を結んだ後になる筈(はず)だった。

 だが狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は雲(くも)野(の)兄妹の確保に失敗し、屋(や)渡(わたり)倫(りん)駆(く)郎(ろう)・沙(さ)華(はな)珠(たま)枝(え)を喪失。

 挙げ句、久(く)地(ち)縄(なわ)元(げん)毅(き)をも喪(うしな)い、首領の道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)は狂気に呑(の)まれた。

 

 そんな道(どう)成(じょう)寺(じ)は強硬手段に出た。

 左翼団体が拠点としていたビルで虐殺を敢行し、場所を乗っ取ったのだ。

 今彼がアジトとしているのは、そういう場所である。

 転がる死体は嘗(かつ)てこの場所を拠点としていた者達の成れの果てという訳だ。

 

「あぐあああああっっ!!」

 

 そんな中、ビルの一室が青白い閃(せん)光(こう)と放電の雑音、そして女の悲鳴で満たされた。

 光と音が収まり、背の高い女が床に倒れ伏す。

 その様子を、二人の男が見下ろしていた。

 

「君(きみ)はこんな話を知っているかね、別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)?」

 

 胡(う)散(さん)臭(くさ)い髭(ひげ)を蓄えた、加特力(カトリック)の神父然とした壮年の男――道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)は、その双(そう)眸(ぼう)を爛(らん)々(らん)と輝かせて、足下の女へと問い掛ける。

 

「元々日本の土地、嘗て八(や)洲(しま)と呼ばれた島(とう)嶼(しょ)は、現在の皇室の祖神とされる天(あま)照(てらす)大(おお)神(みかみ)のものではなかった。本来は出雲の神々のものだったが、その美しさに欲を出した女神が配下の神を引き連れ、力で脅して奪い取ったのだ」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は金髪の女・別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)を踏み付けにした。

 

「あぐっ……!」

「その際、本来の出雲の神々を脅したのが、雷の神の力であったと云(い)われている。その天(あま)照(てらす)大(おお)神(みかみ)の子孫を騙(かた)る皇族に忠誠を誓う貴族が、今まさに雷の力で仕置きを受けているというのは、中々に皮肉な話と思わないかね? それを使役しているのが、神代ならば土(つ)蜘(ち)蛛(ぐも)、維新政府の頃ならば朝敵と呼ばれていたであろう我輩であるというのも……」

 

 肉の焦げる臭いが立ち上がる。

 それは道(どう)成(じょう)寺(じ)に因(よ)る殺(さつ)戮(りく)の果てにこの場を奪われた者達の死体の腐臭と混ざり合い、悍(おぞ)ましい悪臭を漂わせていた。

 

「元は欧米人の君(きみ)には解(わか)らないかも知れないがね、しかし君(きみ)達の歴史も同じ様なものだろう。罪に塗れた血染めの、殺戮と略奪の歴史だ。欲望のままに他人の土地を奪い、生ける者達を駆逐する……そんな身勝手で残虐な先祖の血が、神話の時代から受け継がれているのが、『日本人』などと言う虚構に縋(すが)る狗(いぬ)の民族なのだよ」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は黎(れい)子(こ)の腹に蹴りを入れ、側に控える息子に顎で合図を送る。

 息子・道(どう)成(じょう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)は黎(れい)子(こ)の頭上に手を翳(かざ)し、掌(てのひら)から放電。

 死体に集る蠅(はえ)の羽音にも似た雑音と共に火花が飛び、黎(れい)子(こ)は再び絶叫した。

 

「扨(さ)て、そろそろ我輩の言うことを聞く気になったかね?」

「うぅ……どうかこれ以上は……これ以上は……」

 

 どうやら黎(れい)子(こ)は何かを強要され、少しでも逆らったり機嫌を損ねたりすると罰を与えられているらしい。

 この場を支配しているのは道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)の命令と、息子・陰(かげ)斗(と)の暴力だった。

 ただ、陰(かげ)斗(と)は死んだ魚の様な眼で黎(れい)子(こ)を見下ろしており、そこには一切の自由意志が認められない。

 

 黎(れい)子(こ)は怯(おび)えながらその碧(へき)眼(がん)で二人の男を見上げていた。

 彼女の身長は小柄な陰(かげ)斗(と)よりも高いが、その肉付きの良い抜群のスタイルを持った白く美しい裸体は煤(すす)に塗れている。

 黎(れい)子(こ)は陰(かげ)斗(と)の度重なる通電に拠(よ)って逆らう気力・心を折られていた。

 皇(こう)國(こく)新華族の一角、別(びゅ)府(う)幡(まん)家の令嬢である黎(れい)子(こ)は今、下劣な叛(はん)逆(ぎゃく)者の虜囚となる辱めを受けているのだ。

 

「何故(なぜ)我輩が君(きみ)に制裁を加えているか、解るかね?」

「それは……」

「まあ、連座というやつだよ。君(きみ)の友人である枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)は君(きみ)を置いて一人で逃げ出した。ならばその罪は君(きみ)が背負う、常識だろう? 親の罪は子に、先祖の罪は今を生きる者に、組織の罪は構成員に、そして友の罪は共に……」

「そんなっ……!」

 

 再び、通電。

 悲痛な絶叫が谺(こだま)する。

 

「民族とは、国家とは、家族とは、人間関係とはそういうものだ。その罪から逃れる為(ため)には、全ての柵(しがらみ)を棄(す)てた完全なる一個人となる他無い。虚構に縋る者は虚構の罪も背負わねばならない、当然だ。つまり、人間は本来一人でなければならないのだよ。汎(あら)ゆる歴史も文化も伝統も葬り去り、国家に拠らずに生きていかなければならないのだ。我輩はそれをこの狗(いぬ)の民族に与えてやろうというのだよ」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は歪(ゆが)んだ笑みを浮かべていた。

 陰(かげ)斗(と)はそんな父親に黙々と従っている。

 その姿は、まさに個人としての人格を奪われた人形の様だ。

 つまり、通電が行われるか否(いな)かは全て父親である道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)の裁量次第である。

 

 黎(れい)子(こ)の瞳に道(どう)成(じょう)寺(じ)の凶相が映り込む。

 彼女は必死でその足に縋(すが)り付(つ)いた。

 

「お願いいたします……。もうお許しくださいまし……。何でも……何でも言うことを聞きます故、どうかこれ以上は……」

「ほう、そうかね。調教も進んできたようだね」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は下劣に歪んだ口元から歯を覗(のぞ)かせた。

 そして、自らの足に縋る黎(れい)子(こ)を振り払う。

 

「では、いつもの様に態度で示し給(たま)え」

「うぅ……はい……」

 

 黎(れい)子(こ)は道(どう)成(じょう)寺(じ)の要求に従い、手と膝を床に着けて頭を下げた。

 黒ずんだ煤に塗れて額を床に擦り付ける姿には、貴族令嬢らしい高慢さなど微(み)塵(じん)も感じられない。

 別(びゅ)府(う)幡(まん)子爵家の誇りを振(ふ)り翳(かざ)した彼女の人格的個性は今、仮死状態にあった。

 そこに在る惨めで無(ぶ)様(ざま)な姿は、気位の高い別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)の残骸に成り果てようとしていた。

 

「では、服従の誓いを唱え給え」

「はい。私(わたし)、別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)は革命の為に武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の備品として道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)様に服従を誓います……」

「ふはははは、そうだよ! それこそが君(きみ)の本来在るべき姿というものだよ! 心の外側に纏(まと)った虚飾を脱ぎ去り、脆(ぜい)弱(じゃく)な本性を曝(さら)け出す! 今君(きみ)が見せているそれこそが君(きみ)の、否、狗(いぬ)の民族の本質というものだ! 今我輩の手で君(きみ)は偽物を脱却して本物となり、女性としての真の魅力を引き出されたといえよう!」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)の言葉は、彼の女性観というものを端的に表していた。

 彼は女がそれぞれ持つ本来の個性というものに興味が無い。

 ただ、自分の為に利用する肉の器としか思っていない。

 彼にとって、全ての男と女は単に雄と雌なのだ。

 それは人間を動物と見(み)做(な)しているということに他ならない。

 彼にとって、日本人とは正しく「狗(いぬ)」なのだ。

 

「まあ、流(さ)石(すが)に自らの神(しん)為(い)を自由に出来ないとあっては素直に従う他無いよねえ? 逃げ出したお友達もすぐに陽(よう)子(こ)が見つけ出すだろう。その時はあの枚(ひら)辻(つじ)家の娘にもあれこれ仕込んでやらなくては……なあ陰(かげ)斗(と)……」

 

 陰(かげ)斗(と)は答えない。

 だがその冷酷な眼(まな)差(ざ)しは、父の指示があればいつでも放電により彼女に苦痛を与えると物語っていた。

 

「扨(さ)て、ではそろそろ調教も次の段階に進もうかね」

「次の段階……?」

「何、簡単なことだよ。君(きみ)には我輩の子を産んでもらう。抑(そもそ)も此(こ)処(こ)での君(きみ)の役割とは、その為の道具となることなのだから」

「そんなっ……!」

 

 次の瞬間、父親の合図とともに陰(かげ)斗(と)の手から電撃が放たれ、黎(れい)子(こ)は悲鳴を上げた。

 

「ひぎゃああああっっ!!」

「この程度の事で一々息子の手を煩わせないでくれ給え。素直になったと思ったが、まだ少し反抗的だね。この分ならば、通電時間を倍にすることも考えねばなるまい」

「ごめんなさい!! ごめんなさい!! 産みます!! 産ませて頂きますからぁっ!!」

 

 黎(れい)子(こ)は泣きながら懇願し、額を床に擦り付けた。

 そんな彼女の目の前に、道(どう)成(じょう)寺(じ)の足が差し出される。

 

「では、いつもの様に舐(な)め給え。そして、自分から宣言するのだ。我輩の元気な子を沢山産ませてください、とね」

「は、はい!! 言います!! 私(わたし)、別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)に道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)様の元気なお子様を沢山産ませてくださいまし!!」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は身の毛の弥(よ)立(だ)つ様な悍ましい高笑いをあげた。

 屹(きっ)度(と)彼は今、自らの支配欲を満足の絶頂に高めているのだろう。

 黎(れい)子(こ)の碧(あお)い両目からは涙が零(こぼ)れ落(お)ちていた。

 

「今後は我輩のことは首(しゅ)領(りょう)Д(デー)、首領様と呼びなさい」

「ふぁい……」

 

 このビルは悪徳が支配していた。

 悍ましい絶叫の響く入り口前には、一人の少女が息を潜めている。

 

「今は駄目。せめて道(どう)成(じょう)寺(じ)が一人にならないと……」

 

 人形の様に小柄な少女、枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)である。

 彼女は逃げ出した訳ではなく、一度道(どう)成(じょう)寺(じ)の支配から逃れて黎(れい)子(こ)を救う算段をしていたのだ。

 

「黎(れい)子(こ)……待ってて。すぐに助けるから……」

 

 埜(の)愛(あ)瑠(る)は銀髪を靡(なび)かせ、死臭漂うその淵(ふち)の奥底を睨(にら)み付(つ)けていた。

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