翌日、九月十九日土曜日。
高級ホテルでは十桐綺葉が意外な人物を自室に通していた。
「鬼獄よ、黙っていて済まんかったの……」
十桐は小卓の向かいに坐る鬼獄東風美に謝罪した。
東風美はこの日偶然、信じられない報道を目の当たりにした。
その後、すぐに十桐へと詰め寄ったのだ。
そんな東風美を、十桐は水徒端早辺子と共に自室へと招き入れた。
「鬼獄様、十桐様、お茶が入りました」
「急に悪いの水徒端。鬼獄よ、水徒端は紅茶を淹れるのが中々に上手い。飲んでみよ、落ち着くぞ」
「ありがとうございます……」
東風美は十桐と、それから早辺子にも頭を下げ、紅茶に口を付けた。
「扨て、何から話そうかの……」
「みんなは……御父様や御母様、御兄様はどうなったのですか?」
「いつまでも隠せるものではないの。あの日、鬼獄伯爵家の者は全員本家に集められておった。そこへ、謎の為動機神体の襲撃……。まだ何名か見付かっていない者もおるが、おそらくは……」
「そんな……」
東風美が見た報道とは、皇國の名家である鬼獄家が壊滅したというものだった。
家族を襲った厄災を目の当たりにした東風美は気が動転して、本国と密に連絡して居るであろう十桐を問い詰めたのだ。
十桐は再び頭を下げる。
「鬼獄よ、我はこの話を聞いたお前の動揺を危惧した。両の日本にとって重要な任務を担うお前の働きに支障が出るのではないか、とな。それで、事が落ち着くまでは黙っておくつもりじゃった。済まんかった」
「そんな、御気遣い感謝します。でも、どうして……」
東風美は膝の上で拳を握り締めた。
「そこなんじゃ。鬼獄家を為動機神体で襲撃したのは一体何者なのか、狙いは何なのか、それがさっぱり見えん……」
「先日十桐様が御推察されていたとおり、やはり今回の講和を快く思わない不穏分子が皇國内で良からぬ事を企んでいるのでしょうか」
「かも知れぬ。しかし、それに関しては本国で公殿卿や丹桐卿が既に調査を命じておる。鬼獄、お前は目の前の出来ることを果たすのだ。お前の任務は両国の和平に於いて重要なものじゃ。犯人の狙いが我らの考えるとおりなら、それが何よりの弔いとなるじゃろう」
「はい……」
東風美は一つ、深呼吸をした。
自分の一家が突然全滅したという報せを平常心で受け止められる訳が無い。
しかし、彼女は努めて自分を落ち着かせている。
彼女は彼女なりに、皇國貴族としての誇りを持っていた。
「本日、黎子と埜愛瑠が交戦した現場に残された血液が漸く提供されるそうです。その中に含まれる椿陽子の遺伝子情報を辿り、もう一度武装戦隊・狼ノ牙の隠れ処を探ります」
「うむ、大変な中済まんが、宜しく頼むぞ。後のことは心配せんで良い。お前さんの身柄をどうするかは、我と公殿卿で話し合って決めるとしよう。決して悪いようにはせん」
「ありがとうございます」
東風美には遺伝子情報や持ち物から人物の足跡を辿る能力がある。
それを使えば、椿陽子が日本国で立ち寄った場所が全て丸裸になるのだ。
今度こそ、敵の隠れ処を探し当てる。
そして、親友の二人を救い出す――東風美は決意の光を瞳に宿していた。
⦿⦿⦿
久住双葉と椿陽子は繁華街に犇めくホテルの一室で一夜を明かした。
今この場に陽子は東瀛丸を持って来ておらず、双葉の神為を戻す手段は無い。
つまり、仮に襲撃に遭ったとすれば、陽子が一人で戦わなければならない。
折角寝床を確保したというのに、陽子は一睡も出来なかったらしい。
「陽子さん、ごめんね。私だけ寝ちゃって……」
双葉は、ホテル前で朝日に目を眩ませる陽子に謝った。
「いや、大丈夫だ。私は神為を身に付けているから、睡眠不足は問題無い。それに、眠れなかった理由はもう一つあるんだ」
「あの、もしかして不安なの……?」
「ああ……」
武装戦隊・狼ノ牙は今、王手を掛けられている。
別府幡黎子と枚辻埜愛瑠が日本国に派遣されたということは、残りの三羽烏である鬼獄東風美も確実に来ているだろう。
東風美には厄介な探索能力がある。
それに、枚辻埜愛瑠も隠れ処から逃げ出している。
「このままじゃ親父と陰斗の居場所が発覚してしまう。報道だと、皇國からは三羽烏だけじゃなく六摂家当主まで来ている。いくら親父と陰斗でも殺されてしまうかも知れない」
「そっか……。そうだよね」
「いや、親父が死ぬこと自体は良いんだ。あいつは死んで当然の奴さ。だが、能力を解除しないまま死なれると、陰斗に掛けられた呪いが解けなくなる……」
長く父親から離れていた彼女とは違い、道成寺陰斗は父の転生の器を産むための装置として利用されている。
陽子の目的は、そんな弟を父親から自由にすることだ。
「それにさ、実は皇國だけじゃなくて、こっちの連中に捕まるのも策を練らなきゃ拙いんだよ」
「どういうこと?」
「強要されてとはいえ、狼ノ牙に協力して貴女達の拉致に加担したのは事実だからね。その罰を受けるのは仕方が無いと思ってる。私はそれで良い。でも、陰斗は駄目なんだ。あいつはきっと、親父の下で私なんかとは比較にならないくらい手を汚してる。だから、取引をしなきゃいけない。親父の身柄と引き換えに、陰斗の罪を見逃してもらう、そんな取引をこの国の連中としなきゃいけない。貴女の伝手が必要だっていうのは、そういうことさ。だから、親父を先に捕まえられるのも困るんだよ」
双葉は息を呑んだ。
陽子の狙いは日本の警察に父親を差し出し、陰斗との司法取引材料にすることだった。
その為に、自分は罪を被る覚悟でいる。
双葉が思ったのは、そのような縛りに囚われている陽子の不自由さである。
父親の支配から抜け出したい、という思いは非常に共感できても、弟も一緒に、というのは今一つピンと来なかった。
(もし弟さんの本音が父親側だったらどうするつもりなんだろう……)
双葉は口には出さないものの、そんなことを思っていた。
「陽子さん……」
双葉は尋ねる。
「何、双葉?」
「陽子さんはこれからどうするの? 私に何か出来ることある?」
率直な疑問だった。
陽子が双葉に求めているのは、要するに警察関係者や政治家へのコネから姉弟のしてきたことを有耶無耶にすることである。
だが、双葉は最早そういった関係の人脈から切れている上、嫌悪感すら抱いている。
そのことは、夜通し話す中で陽子にも伝えていた。
「そうだね……。正直に言うと、当てが外れちゃったってとことかな。もうこれ以上、貴女を巻き込むわけにはいかないのかも知れない」
実のところ、陽子には最終手段として、取り逃がした埜愛瑠に代わり双葉を父親に差し出すという禁じ手がある。
そしてその手札を良くないとは思いつつも捨てられないからこそ、別れを切り出せないのだ。
だが、やはり陽子は非情になれなかったらしい。
小さく微笑むと、彼女は双葉に切り出した。
「今までありがとう。やっぱり私達の問題は私達でどうにかするよ。ここまで親身になってくれて、嬉しかった……」
陽子の言葉は双葉との訣別を意味していた。
双葉にとって陽子は残された最後の友人だが、客観的にはどう見ても厄介ごとに縛り付ける足枷だ。
双葉が陽子にとっての陰斗をそう見ていたように、陽子も双葉にとっての自身を同じように捉えた。
「陽子さん……。私達、もう終わりなの?」
「終わりにしよう。もう帰った方が良い。家族には嘘を吐いているんだろう? 貴女は貴女で生きていくんだ。それが屹度、貴女の幸せ……」
その瞬間、陽子の姿はその場から忽然と消えてしまった。
一瞬、電流が火花を散らしたようにも見えた。
「陽子さん!? 陽子さん!! ちょっと何!? 何処へ行ったの!? 陽子さん!!」
双葉は必死に陽子の名を呼んだ。
だが返事は無かった。
二人の別れは唐突に、言うべきことを言い終わらぬままぶつ切りに、中途半端な形で終わりを告げてしまった。
「陽子さん……」
双葉は独り、道端で途方に暮れる。
しかし、そんな彼女の許に悪魔が忍び寄っていた。
邪悪な企みを持って厄災を届けにやって来ていた。
「椿陽子は呼び出されてしまったようだね……」
双葉は驚いて声の方へ振り向いた。
そこにはいつの間にか、小柄な少年の様な男が立っていた。
見た事のある姿に、聞いた事のある声。
双葉にはその少年の様な男に覚えがあった。
「貴方は確か……!」
「お久しぶりだね、久住双葉さん。武装戦隊・狼ノ牙、首領補佐の八社女征一千だ。貴女とは同じ駐車場に居合わせた程度だったけど、覚えていてもらえて光栄だよ」
直接会ったのは皇國の駐車場で、六摂家当主達を迎撃した後での出来事限りだ。
だが、その邪悪などす黒い存在感は忘れようが無かった。
「何の用……?」
「そう怖がらなくても良いよ。僕は君に素晴らしい取引を持ち掛けに来ただけなんだから……」
八社女は表情に不気味な笑みを張り付け、仔猫をあやす様な声で双葉に語り始めた。