日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十七話『取引』 序

 翌日、九月十九日土曜日。

 高級ホテルでは十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)が意外な人物を自室に通していた。

 

「鬼(き)獄(ごく)よ、黙っていて済まんかったの……」

 

 十(とお)桐(どう)は小卓の向かいに坐(すわ)る鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)に謝罪した。

 東(あ)風(ゆ)美(み)はこの日偶然、信じられない報道を目の当たりにした。

 その後、すぐに十(とお)桐(どう)へと詰め寄ったのだ。

 そんな東(あ)風(ゆ)美(み)を、十(とお)桐(どう)は水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)と共に自室へと招き入れた。

 

「鬼(き)獄(ごく)様、十(とお)桐(どう)様、お茶が入りました」

「急に悪いの水(み)徒(と)端(はた)。鬼(き)獄(ごく)よ、水(み)徒(と)端(はた)は紅茶を淹(い)れるのが中々に上(う)手(ま)い。飲んでみよ、落ち着くぞ」

「ありがとうございます……」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)は十(とお)桐(どう)と、それから早(さ)辺(え)子(こ)にも頭を下げ、紅茶に口を付けた。

 

「扨(さ)て、何から話そうかの……」

「みんなは……御(お)父(とう)様(さま)や御(お)母(かあ)様(さま)、御(お)兄(にい)様(さま)はどうなったのですか?」

「いつまでも隠せるものではないの。あの日、鬼(き)獄(ごく)伯爵家の者は全員本家に集められておった。そこへ、謎の為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の襲撃……。まだ何名か見付かっていない者もおるが、おそらくは……」

「そんな……」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)が見た報道とは、皇(こう)國(こく)の名家である鬼(き)獄(ごく)家が壊滅したというものだった。

 家族を襲った厄災を目の当たりにした東(あ)風(ゆ)美(み)は気が動転して、本国と密に連絡して居るであろう十(とお)桐(どう)を問い詰めたのだ。

 十(とお)桐(どう)は再び頭を下げる。

 

「鬼(き)獄(ごく)よ、我はこの話を聞いたお前の動揺を危惧した。両の日本にとって重要な任務を担うお前の働きに支障が出るのではないか、とな。それで、事が落ち着くまでは黙っておくつもりじゃった。済まんかった」

「そんな、御(お)気(き)遣(づか)い感謝します。でも、どうして……」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)は膝の上で拳を握り締めた。

 

「そこなんじゃ。鬼(き)獄(ごく)家を為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)で襲撃したのは一体何者なのか、狙いは何なのか、それがさっぱり見えん……」

「先日十(とお)桐(どう)様が御推察されていたとおり、やはり今回の講和を快く思わない不穏分子が皇(こう)國(こく)内で良からぬ事を企(たくら)んでいるのでしょうか」

「かも知れぬ。しかし、それに関しては本国で公(く)殿(でん)卿(きょう)や丹(に)桐(どう)卿が既に調査を命じておる。鬼(き)獄(ごく)、お前は目の前の出来ることを果たすのだ。お前の任務は両国の和平に於(お)いて重要なものじゃ。犯人の狙いが我らの考えるとおりなら、それが何よりの弔いとなるじゃろう」

「はい……」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)は一つ、深呼吸をした。

 自分の一家が突然全滅したという報(しら)せを平常心で受け止められる訳が無い。

 しかし、彼女は努めて自分を落ち着かせている。

 彼女は彼女なりに、皇(こう)國(こく)貴族としての誇りを持っていた。

 

「本日、黎(れい)子(こ)と埜(の)愛(あ)瑠(る)が交戦した現場に残された血液が漸(ようや)く提供されるそうです。その中に含まれる椿(つばき)陽(よう)子(こ)の遺伝子情報を辿(たど)り、もう一度武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の隠(かく)れ処(が)を探ります」

「うむ、大変な中済まんが、宜(よろ)しく頼むぞ。後のことは心配せんで良い。お前さんの身柄をどうするかは、我と公(く)殿(でん)卿で話し合って決めるとしよう。決して悪いようにはせん」

「ありがとうございます」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)には遺伝子情報や持ち物から人物の足跡を辿る能力がある。

 それを使えば、椿(つばき)陽(よう)子(こ)が日本国で立ち寄った場所が全て丸裸になるのだ。

 

 今度こそ、敵の隠れ処を探し当てる。

 そして、親友の二人を救い出す――東(あ)風(ゆ)美(み)は決意の光を瞳に宿していた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)と椿(つばき)陽(よう)子(こ)は繁華街に犇(ひし)めくホテルの一室で一夜を明かした。

 今この場に陽(よう)子(こ)は東(とう)瀛(えい)丸(がん)を持って来ておらず、双(ふた)葉(ば)の神(しん)為(い)を戻す手段は無い。

 つまり、仮に襲撃に遭ったとすれば、陽(よう)子(こ)が一人で戦わなければならない。

 折(せっ)角(かく)寝床を確保したというのに、陽(よう)子(こ)は一睡も出来なかったらしい。

 

「陽(よう)子(こ)さん、ごめんね。私(わたし)だけ寝ちゃって……」

 

 双(ふた)葉(ば)は、ホテル前で朝日に目を眩(くら)ませる陽(よう)子(こ)に謝った。

 

「いや、大丈夫だ。私(あたし)は神(しん)為(い)を身に付けているから、睡眠不足は問題無い。それに、眠れなかった理由はもう一つあるんだ」

「あの、もしかして不安なの……?」

「ああ……」

 

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)は今、王手を掛けられている。

 別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)と枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)が日本国に派遣されたということは、残りの三(さん)羽(ば)烏(がらす)である鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)も確実に来ているだろう。

 東(あ)風(ゆ)美(み)には厄介な探索能力がある。

 それに、枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)も隠れ処から逃げ出している。

 

「このままじゃ親(おや)父(じ)と陰(かげ)斗(と)の居場所が発覚してしまう。報道だと、皇(こう)國(こく)からは三羽烏だけじゃなく六摂家当主まで来ている。いくら親父と陰(かげ)斗(と)でも殺されてしまうかも知れない」

「そっか……。そうだよね」

「いや、親父が死ぬこと自体は良いんだ。あいつは死んで当然の奴(やつ)さ。だが、能力を解除しないまま死なれると、陰(かげ)斗(と)に掛けられた呪いが解けなくなる……」

 

 長く父親から離れていた彼女とは違い、道成寺陰(かげ)斗(と)は父の転生の器を産むための装置として利用されている。

 陽(よう)子(こ)の目的は、そんな弟を父親から自由にすることだ。

 

「それにさ、実は皇(こう)國(こく)だけじゃなくて、こっちの連中に捕まるのも策を練らなきゃ拙(まず)いんだよ」

「どういうこと?」

「強要されてとはいえ、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に協力して貴女(アンタ)達の拉致に加担したのは事実だからね。その罰を受けるのは仕方が無いと思ってる。私(あたし)はそれで良い。でも、陰(かげ)斗(と)は駄目なんだ。あいつはきっと、親父の下で私(あたし)なんかとは比較にならないくらい手を汚してる。だから、取引をしなきゃいけない。親父の身柄と引き換えに、陰(かげ)斗(と)の罪を見逃してもらう、そんな取引をこの国の連中としなきゃいけない。貴女(アンタ)の伝(つ)手(て)が必要だっていうのは、そういうことさ。だから、親父を先に捕まえられるのも困るんだよ」

 

 双(ふた)葉(ば)は息を呑(の)んだ。

 陽(よう)子(こ)の狙いは日本の警察に父親を差し出し、陰(かげ)斗(と)との司法取引材料にすることだった。

 その為(ため)に、自分は罪を被る覚悟でいる。

 

 双(ふた)葉(ば)が思ったのは、そのような縛りに囚(とら)われている陽(よう)子(こ)の不自由さである。

 父親の支配から抜け出したい、という思いは非常に共感できても、弟も一緒に、というのは今一つピンと来なかった。

 

(もし弟さんの本音が父親側だったらどうするつもりなんだろう……)

 

 双(ふた)葉(ば)は口には出さないものの、そんなことを思っていた。

 

「陽(よう)子(こ)さん……」

 

 双(ふた)葉(ば)は尋ねる。

 

「何、双(ふた)葉(ば)?」

「陽(よう)子(こ)さんはこれからどうするの? 私(わたし)に何か出来ることある?」

 

 率(そっ)直(ちょく)な疑問だった。

 陽(よう)子(こ)が双(ふた)葉(ば)に求めているのは、要するに警察関係者や政治家へのコネから姉弟のしてきたことを有(う)耶(や)無(む)耶(や)にすることである。

 だが、双(ふた)葉(ば)は最(も)早(はや)そういった関係の人脈から切れている上、嫌(けん)悪(お)感すら抱いている。

 そのことは、夜通し話す中で陽(よう)子(こ)にも伝えていた。

 

「そうだね……。正直に言うと、当てが外れちゃったってとことかな。もうこれ以上、貴女(アンタ)を巻き込むわけにはいかないのかも知れない」

 

 実のところ、陽(よう)子(こ)には最終手段として、取り逃がした埜(の)愛(あ)瑠(る)に代わり双(ふた)葉(ば)を父親に差し出すという禁じ手がある。

 そしてその手札を良くないとは思いつつも捨てられないからこそ、別れを切り出せないのだ。

 

 だが、やはり陽(よう)子(こ)は非情になれなかったらしい。

 小さく微(ほほ)笑(え)むと、彼女は双(ふた)葉(ば)に切り出した。

 

「今までありがとう。やっぱり私(あたし)達の問題は私(あたし)達でどうにかするよ。ここまで親(しん)身(み)になってくれて、嬉(うれ)しかった……」

 

 陽(よう)子(こ)の言葉は双(ふた)葉(ば)との訣(けつ)別(べつ)を意味していた。

 双(ふた)葉(ば)にとって陽(よう)子(こ)は残された最後の友人だが、客観的にはどう見ても厄介ごとに縛り付ける足(あし)枷(かせ)だ。

 双(ふた)葉(ば)が陽(よう)子(こ)にとっての陰(かげ)斗(と)をそう見ていたように、陽(よう)子(こ)も双(ふた)葉(ば)にとっての自身を同じように捉えた。

 

「陽(よう)子(こ)さん……。私(わたし)達、もう終わりなの?」

「終わりにしよう。もう帰った方が良い。家族には嘘(うそ)を吐(つ)いているんだろう? 貴女(アンタ)は貴女(アンタ)で生きていくんだ。それが屹(きっ)度(と)、貴女(アンタ)の幸せ……」

 

 その瞬間、陽(よう)子(こ)の姿はその場から忽(こつ)然(ぜん)と消えてしまった。

 一瞬、電流が火花を散らしたようにも見えた。

 

「陽(よう)子(こ)さん!? 陽(よう)子(こ)さん!! ちょっと何!? 何処(どこ)へ行ったの!? 陽(よう)子(こ)さん!!」

 

 双(ふた)葉(ば)は必死に陽(よう)子(こ)の名を呼んだ。

 だが返事は無かった。

 二人の別れは唐突に、言うべきことを言い終わらぬままぶつ切りに、中途半端な形で終わりを告げてしまった。

 

「陽(よう)子(こ)さん……」

 

 双(ふた)葉(ば)は独り、道端で途方に暮れる。

 しかし、そんな彼女の許(もと)に悪魔が忍び寄っていた。

 邪悪な企みを持って厄災を届けにやって来ていた。

 

「椿(つばき)陽(よう)子(こ)は呼び出されてしまったようだね……」

 

 双(ふた)葉(ば)は驚いて声の方へ振り向いた。

 そこにはいつの間にか、小柄な少年の様な男が立っていた。

 見た事のある姿に、聞いた事のある声。

 双(ふた)葉(ば)にはその少年の様な男に覚えがあった。

 

「貴方(あなた)は確か……!」

「お久しぶりだね、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)さん。武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)、首領補佐の八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)だ。貴女(あなた)とは同じ駐車場に居合わせた程度だったけど、覚えていてもらえて光栄だよ」

 

 直接会ったのは皇(こう)國(こく)の駐車場で、六摂家当主達を迎撃した後での出来事限りだ。

 だが、その邪悪などす黒い存在感は忘れようが無かった。

 

「何の用……?」

「そう怖がらなくても良いよ。僕(ぼく)は君(きみ)に素晴らしい取引を持ち掛けに来ただけなんだから……」

 

 八(や)社(おと)女(め)は表情に不気味な笑みを張り付け、仔(こ)猫(ねこ)をあやす様な声で双(ふた)葉(ば)に語り始めた。

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