日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十七話『取引』 破

 突然のことに、椿(つばき)陽(よう)子(こ)は困惑していた。

 何やら建物の中に移動させられたようだが、妙に生臭い。

 

(此(こ)処(こ)は……来たことがある。親(おや)父(じ)達がこっちの国に逃げて来て、勢力を拡(ひろ)げる為(ため)に協力関係を築こうとした過激派の本拠地だ……)

 

 陽(よう)子(こ)は恐る恐る辺りを見渡しながら廊下を進む。

 漂う臭いには嫌な感覚がある。

 海馬の奥底に封印された遠い日の記憶は、全てが壊れる黒い予感を浮かび上がらせていく。

 そして陽(よう)子(こ)は遂(つい)に、その臭いの元を視認して瞠(どう)目(もく)した。

 

「うぅっ……!」

 

 角を曲がると、その先には死体、死体、また死体が横たわっていた。

 陽(よう)子(こ)は顔を引(ひ)き攣(つ)らせ、口と鼻を手で覆った。

 明らかに異常な光景だった。

 

「これは……。一体何が……?」

「粛正したのだよ。革命への協力を渋る日和見主義者共をね」

 

 背後から声を掛けられた陽(よう)子(こ)は驚いて振り向く。

 そこにはいつの間にか、父親の道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)と弟の陰(かげ)斗(と)が立っていた。

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は狂気に歪(ゆが)んだ笑みを浮かべている。

 信号機の様に赤く光る両眼(め)は、既に正気を失っているように見える。

 

「どういうことだ? どうして私(あたし)が……親父と陰(かげ)斗(と)も此処に……?」

「呼び出したのだ。陰(かげ)斗(と)の能力でな」

 

 娘の疑問に道(どう)成(じょう)寺(じ)の横で、陰(かげ)斗(と)は無表情のまま突っ立っている。

 それはまるで、感情を奪われた人形である。

 

「陽(よう)子(こ)、お前は我輩に対し、枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)捜索の人手として陰(かげ)斗(と)を寄(よ)越(こ)せと言ったな? そんな調子の良い、見え透いた謀(たばか)りに我輩が乗るとでも?」

 

 ぞくり、と陽(よう)子(こ)の背筋に怖(おぞ)気(け)が奔(はし)った。

 正気を失った、狂気に歪んだ笑みを浮かべる父親。

 如(い)何(か)に外道の父親といえど、今までここまで異常な表情を陽(よう)子(こ)に向けたことは一度も無かった。

 最(も)早(はや)表面上の紳士然とした態度を取繕うことすら出来ない程に、道(どう)成(じょう)寺(じ)は狂気に呑(の)まれているのだ。

 

 更には、陰(かげ)斗(と)からも何やらどす黒いオーラの様なものが見え隠れしている。

 異常より推察されるのは、道(どう)成(じょう)寺(じ)は息子の陰(かげ)斗(と)に以前にも増して良からぬ事をやらかしたのではないか、ということだ。

 

「親父……完全に常軌を逸したか……!」

 

 陽(よう)子(こ)が命じられていたのは、逃げ出した枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)の捜索である。

 その時父子はまだ陰(かげ)斗(と)が借りたアパートを拠点としていた。

 陽(よう)子(こ)不在中に場所を移していたのは良いとしても、元居た人間を殺して、死体を片付けないままで潜伏しているとは、とても正気の沙汰ではない。

 

 慄(おのの)く陽(よう)子(こ)に、道(どう)成(じょう)寺(じ)は掌(てのひら)を差し出した。

 

「どうもお前はまだ自分の立場が十分にわかっていないと見える。故に、我輩が得た新しい力について教えておいてやろう。まずこのように!」

 

 陽(よう)子(こ)は突然、前方から凄(すさ)まじい圧力を感じた。

 道(どう)成(じょう)寺(じ)が掌から圧倒的な神(しん)為(い)の光を解放し、陽(よう)子(こ)の身体を弾(はじ)き飛(と)ばしたのだ。

 陽(よう)子(こ)は天井に激突し、床に落下した。

 

「神(しん)為(い)自体の凄まじいまでの向上! ただ解放するだけでこの力、既に六摂家当主に匹敵するだろう! 尤(もっと)も、これで終わりではない! 今でもまだ、神(しん)為(い)は爆発的に増幅している! この理を超えた現象、全ては神を殺す力『穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)』の賜(たま)物(もの)なのだ!」

 

 陽(よう)子(こ)は立ち上がることが出来ない。

 禍(まが)々(まが)しい力に上から抑え付けられているかの様だ。

 あまりの圧力に陽(よう)子(こ)は吐血した。

 それを見て道(どう)成(じょう)寺(じ)は娘を心配するどころか得意気に語り続ける。

 

「神(しん)為(い)は神(しん)為(い)を打ち消すことや、貸し与えて重ねることは出来る。しかし、無から生じさせることは出来ん。成長に伴い自然と強くなることはあり得るが、神(しん)為(い)に因(よ)って生じる力で増やすことは出来んのだ。喩(たと)えるなら、雷雲が成長して電力が増すことはあっても、それは自然現象によって増すのであって、電力自身が電力を生み出すことは無いというのと同じだ。しかし一方で、電力は別の手段で生み出すことも出来る。火力・水力・地熱・風力・原子力……様々な方法で回転原動機(タービン)を回し、発電することが出来る。神(しん)為(い)と穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)の関係は、まさに電力と回転原動機(タービン)を回す外力の関係に似ている。そして、両者の関係は逆転することも可能。これがどういうことか解(わか)るかね?」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)の表情は愉悦に歪んでいる。

 それも当然だろう。

 彼が与えられた力は、想像以上に邪悪な特性を持っているのだ。

 

「穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)が神(しん)為(い)を増幅させ、神(しん)為(い)が穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)を増幅させる! 即(すなわ)ち、無限の円環作用(ループ)! 永久機関の完成! 我輩は神(しん)為(い)を際限無く増幅させ、神(じん)皇(のう)を超えるのだ!」

 

 陽(よう)子(こ)は漸(ようや)く圧力から解放された。

 だが、見下ろす道(どう)成(じょう)寺(じ)の表情はまだ悪意に満ちている。

 

「そして、強化は我輩の力だけに留(とど)まらぬ! 穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)を他者に作用させれば、相手の神(しん)為(い)をも爆発的に増幅させる! 陰(かげ)斗(と)!」

 

 父親に命じられ、陰(かげ)斗(と)は倒れている陽(よう)子(こ)に手を翳(かざ)す。

 

「まさか……陰(かげ)斗(と)、何を? やめて! 私(あたし)が分からないのか!?」

 

 陽(よう)子(こ)の制止も虚(むな)しく、陰(かげ)斗(と)の放った電撃が陽(よう)子(こ)に降り注いだ。

 

「あぐあアアアアッッ‼」

 

 陽(よう)子(こ)と陰(かげ)斗(と)の術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)には大きな欠点があった。

 余りにも二人の距離が近すぎる状態で放電すると、敵だけでなく対となる姉弟にもダメージが入ってしまうのだ。

 今回はそれを、陰(かげ)斗(と)が陽(よう)子(こ)自身を狙ってやったものだから、彼女は一(ひと)溜(た)まりも無い。

 

「陰(かげ)……斗(と)……」

「最早陰(かげ)斗(と)は陽(よう)子(こ)、お前よりも我輩の言うことを優先して聞くのだよ。第一の術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)・親(シン)利(リッ)恋(コイ)茶(チャ)裸(ラ)覇(パ)にはそういった血の束縛力もある。だからこそお前は、我輩に陰(かげ)斗(と)を自由にするよう懇願し続けたのではなかったかね?」

 

 姉を攻撃した陰(かげ)斗(と)の表情には、後悔も悲しみも一(ひと)欠(かけ)片(ら)として見えない。

 その姿は今、先日交戦した悪(デビ)魔(ル)人(・ド)形(ール)・別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)や、殺(マー)戮(ダー)人(・ド)形(ール)・枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)よりも余程「人形」だった。

 

「我輩の穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)によって陰(かげ)斗(と)の神(しん)為(い)が増幅した結果、術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)も進化し、新たな能力を身に付けた。自らお前の居場所に飛ぶだけでなく、お前を自らの居場所に呼び寄せることも出来るようになった。それが陽(よう)子(こ)、今お前に起きた事だよ」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は陽(よう)子(こ)の腹を踏みつけにした。

 

「解るかね、陽(よう)子(こ)? 最早我輩を出し抜いて逃げることは出来ん!」

「ぐはっ……!」

 

 踏みつけの強さに陽(よう)子(こ)は再び吐血した。

 そして己の運命を呪うように、その両目からは涙が流れていた。

 

「畜生……」

「ぐふふ、『畜生』と来たか。ならば陽(よう)子(こ)、お前に選ばせてやるとしよう」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は陽(よう)子(こ)を蹴り飛ばし、両腕を拡げた。

 

「我輩はこれでも娘であるお前には一定の情を抱いている。だからこそ、革命に協力的であって欲しいし、お前も所詮は『狗(いぬ)の民族』の一人だとは思いたくない。そこでお前に問おう。お前は我輩の娘で、革命戦士か? それとも、我輩を騙(だま)して陰(かげ)斗(と)と逃げようとしてる愚かな狗の民族に過ぎないのか? どちらか今此処で選び給(たま)え」

 

 それは、逆らえば死という最後通告であった。

 服従を誓うというのが前者であり、それは陰(かげ)斗(と)との自由を諦めるということであり、そしてそれを拒絶するならば父の敵対者として戦いを挑むことになる。

 

 だが、後者の選択肢に未来はない。

 一人では父だけでも勝ち目が無いのに、陰(かげ)斗(と)まで父親の側に付く。

 そして当然、自分が死ねば陰(かげ)斗(と)は一生解放されない。

 

 どの道、彼女の悲願は潰(つい)えた。

 陽(よう)子(こ)は頭を垂れ、父親の足下に額を擦り付けた。

 

「私(あたし)を……貴方(あなた)の娘でいさせてください……」

「成程、それがお前の答えか。結構結構」

 

 父親は満足げに顎(あご)髭(ひげ)を触っている。

 そして、とんでもないことを陽(よう)子(こ)に命じた。

 

「ではその証(あかし)として、あの娘(むすめ)を我輩に差し出し給え」

「あの娘(むすめ)?」

「嘗(かつ)て公(こう)転(てん)館(かん)でお前と一つ屋根の下で過ごしたあの娘、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)だよ」

 

 陽(よう)子(こ)の表情は見る見るうちに青(あお)褪(ざ)めていく。

 顔を上げ、涙目で首を振りながら懇願する。

 

「そんな……どうかそれだけは……。双(ふた)葉(ば)だけは見逃してくれ! お願いします!」

「見逃す? 妙なことを言うねお前は。我輩は基より、狗の民族の一匹も見逃すつもりなど無いのだよ。この意味が解らないほど愚かかね?」

 

 絶望、そのどす黒い闇が陽(よう)子(こ)を包み込んでいく。

 そうか、そういうことか。

 父親に降(くだ)った以上、双(ふた)葉(ば)の味方である為には双(ふた)葉(ば)もまた父親に降(くだ)らせなければならない。

 

「解った……。呼び出して落ち合い、連れて来る」

「連れてくる必要は無いよ。また陰(かげ)斗(と)の能力でその娘ごとこちらへ飛ばせば良い。そうすれば、あの娘が尾行されていても安全だ。では陽(よう)子(こ)、すぐに行き給え」

「はい……」

 

 陽(よう)子(こ)は立ち上がり、それ以上は何も言わずにビルから出て行った。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)は八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)から衝撃的な事実を聞かされていた。

 

「じゃあ陽(よう)子(こ)さんは……もうお父さんから逃げられない……?」

「そうだね。自分一人の力じゃまず無理だ。弟の新たな力、父親の支配力と狂気……。あらゆる条件が彼女に詰みを宣告している」

「そんな……」

 

 双(ふた)葉(ば)は俯(うつむ)いて目に涙を浮かべた。

 そんな彼女を前に、八(や)社(おと)女(め)の眼が妖しく光る。

 

「但し、僕(ぼく)から首領に言えば考えを変えてくれるかもしれない」

「ほ、本当?」

「ああ、本当さ。抑(そもそ)も、彼に力を与えたのは僕(ぼく)だからね。いくら彼が己の力に溺れているとて、僕(ぼく)の言うことは無下に出来ない筈(はず)さ」

 

 双(ふた)葉(ば)は縋(すが)る様な眼で八(や)社(おと)女(め)を見上げた。

 最早希望は彼だけだった。

 そして八(や)社(おと)女(め)は邪悪な企(たくら)みを含んだ笑みで、双(ふた)葉(ば)に持ち掛ける。

 

「そこで、一つ取引をしようじゃないか」

「取引?」

「今から言うことを君(きみ)がやってくれたら、陽(よう)子(こ)・陰(かげ)斗(と)姉弟を解放するよう僕(ぼく)から首領に言ってあげよう」

 

 双(ふた)葉(ば)は少し考え込んだ。

 八(や)社(おと)女(め)は決して信用できる人間ではない。

 陽(よう)子(こ)も八(や)社(おと)女(め)を「胡(う)散(さん)臭(くさ)い」と評した。

 だが、彼女には他に方法が思い浮かばなかった。

 

「私(わたし)は何をすれば良いんですか?」

 

 双(ふた)葉(ば)は覚悟を決めた。

 陽(よう)子(こ)は陰(かげ)斗(と)を解放する為なら何でもすると言っていた。

 それ以外の事はどうでもいいと。

 だが、公(こう)転(てん)館(かん)の日々によって双(ふた)葉(ば)だけは例外になったと言ってくれた。

 

(なら私(わたし)も、陽(よう)子(こ)さんの為なら何だってしよう……!)

 

 双(ふた)葉(ば)は固(かた)唾(ず)を呑んで八(や)社(おと)女(め)の言葉を待っていた。

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