日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十七話『取引』 急

 双(ふた)葉(ば)は強い不安を押し殺す様に歯を食い縛り、八(や)社(おと)女(め)の眼(め)を見ていた。

 

 今、手を差し伸べているこの男が味方でないことは百も承知である。

 それこそ、皇(こう)國(こく)では自分達に襲い掛かってきたのだ。

 そんな八(や)社(おと)女(め)が、生半可な条件で助けてくれる訳が無い。

 陽(よう)子(こ)と陰(かげ)斗(と)の解放に協力して、この男に何の利も無い筈(はず)だ。

 

 裏を返せば、そんな無意味なことをする代償に、単に私利私欲を満たす様な下らないことを求めるとは考え辛(づら)い。

 道(どう)成(じょう)寺(じ)の様に、体を求める様な下衆な条件ではないだろう。

 何かを棄(す)てる覚悟があれば、期待には応えられる筈だ。

 

「そう身構えなくとも大丈夫だよ。君(きみ)の人生に深刻な影響を与えるような酷(ひど)い要求をするつもりは無いさ」

 

 八(や)社(おと)女(め)は不気味なほど優しく微(ほほ)笑(え)んだ。

 それはまるで、双(ふた)葉(ば)の胸の内に巣食う不安を見透かしているかの様だった。

 八(や)社(おと)女(め)には人間心理を知り尽くす程の重厚な経験を感じさせる奇妙な風格がある。

 そういえばこの男、少年の様な姿をしているが、千年以上も前の奈良時代に生きたなどと語っていた。

 

「君(きみ)は一時期、特別警察特殊防衛課の一員として戦っただけでなく、元国会議員、皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)防衛大臣の下でも働いたそうじゃないか」

「はい……」

「ならば見ているだろう? 皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)は皇(こう)國(こく)との戦いで日本を守る為(ため)という名目のもと多くの違法行為に手を染めている。拉致被害者の法的根拠無き軟禁に、違法薬物である東(とう)瀛(えい)丸(がん)服用の推奨、崇(す)神(じん)會(かい)という国権とは別に存在する暴力装置との濃厚な関係、その如(いか)何(が)わしい秘密政治結社を特殊防衛課として採用するという国権の私物化……。それらの不正を今から紹介する記者に曝(ばく)露(ろ)し、彼女の政治生命を完全に絶ってほしい」

 

 八(や)社(おと)女(め)は手に何者かの名刺を持っていた。

 そこにはおそらく、政治的に皇を追い落としたくて仕方が無い報道関係者の連絡先が記されているのだろう。

 確かに、双(ふた)葉(ば)はその人物にとって垂(すい)涎(ぜん)ものの情報をいくつも持っている。

 

 双(ふた)葉(ば)は前線から外された後、一時的に皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)直々の預かりとなっていた。

 その中で、今八(や)社(おと)女(め)が並べ立てた皇の悪行を目の当たりにしてきた。

 それらは全て、皇(すめらぎ)が閣僚という権力者であったからこそ押し通せたことである。

 

 しかし、与党は衆議院選挙で大敗し、皇(すめらぎ)は落選した。

 今、選挙に勝った野党は早期の国会召集を求めている。

 それが実現すれば首班指名が行われ、政権が変わることになるのだが、特殊防衛課は新政権の意向で動きを止められてしまう可能性が濃厚だった。

 

 その為、総理大臣は今野党や世論の圧力に耐えどうにか国会召集を先延ばしにしている。

 しかし、この状況で皇(すめらぎ)の不正行為が暴(ばく)露(ろ)されれば、おそらく保(も)たないだろう。

 それこそが武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)の狙う確信的利益だった。

 

 ここで八(や)社(おと)女(め)の条件を呑(の)めばどうなるか、それは双(ふた)葉(ば)にも能(よ)く解(わか)る。

 だが双(ふた)葉(ば)が抱いた感想は実に簡単なものだった。

 

(何だ、そんなことで良いんだ)

 

 彼女は皇(すめらぎ)を庇(かば)おうとも、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の捜査を続けさせようとも全く思っていなかった。

 最(も)早(はや)国家に協力する義理など無い――それが双(ふた)葉(ば)の答えである。

 

「そんなことで良いなら喜んで」

「ククク、良い答えだね」

 

 双(ふた)葉(ば)にとって、皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)は嫌(けん)悪(お)の対象の一人でしかない。

 確かに、双(ふた)葉(ば)はこの社会に蠢(うごめ)く「男の欲望」に思う処(ところ)が有る。

 皇(すめらぎ)はそんな苛酷な環境で戦ってきた女なのだろう。

 しかし、如(い)何(か)に彼女が出世しようが、総理大臣になろうが、それは既存の社会規範に乗っかった結果に過ぎない。

 

 それどころか、皇(すめらぎ)は「公の為の滅私の奉仕」という社会の規範を押し付け過ぎる。

 皇(すめらぎ)は女性であっても、女性の為の社会の味方などではない。

 よって、庇う理由など無いばかりか、寧(むし)ろ積極的に除かなくてはならない。

 ――双(ふた)葉(ば)は皇(すめらぎ)を売ることに些(いささ)かの躊(ため)躇(ら)いも、後悔も罪悪感も無かった。

 

「今の答えで契約は成立した。この番号に電話して、或(あ)る女性記者と会う約束をするが良い。僕(ぼく)から話は通してあるから、喜んで取材してくれる筈さ。そこで彼女に洗(あら)い浚(ざら)いを話してしまうんだ。僕(ぼく)は彼女からの連絡を待ち、取材が終わった時点で首領に話しに行こう」

「解りました」

 

 八(や)社(おと)女(め)は双(ふた)葉(ば)に名刺を渡すと、その場から忽(こつ)然(ぜん)と消えてしまった。

 双(ふた)葉(ば)はその名詞を胸に仕(し)舞(ま)い込(こ)むと、わざとらしい早足で歩き出した。

 

⦿

 

 双(ふた)葉(ば)が歩き出す様子を、物陰から血(ち)塗(まみ)れの男が見ていた。

 鍛えられた肉体に、短い髭(ひげ)と濃い眉毛を特徴とした中年男だった。

 

「はぁ……はぁ……なんということだ……。あの女、皇(すめらぎ)先生を裏切るつもりか……! このままでは……おのれ……」

 

 男の背後には固太りした中年男の死体が転がっている。

 どうやら二人は何者かに襲われてしまったらしい。

 

「眞(ま)咲(さき)、悪いが置いて行くぞ。このまま久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)を行かせる訳にはいかん……!」

 

 男は体に鞭(むち)を打ち、双(ふた)葉(ば)の尾行を続けようとする。

 しかし、そんな彼の背後に一人の大男が迫っていた。

 

「元崇(す)神(じん)會(かい)三代目総(そう)帥(すい)・息(いき)田(た)琉(りゅう)次(じ)郎(ろう)だな?」

 

 息(いき)田(た)琉(りゅう)次(じ)郎(ろう)は声に驚いて振り返った。

 瞬間、一本の長(なが)槍(やり)が生きたの心臓を突き刺して貫通した。

 息(いき)田(た)は驚(きょう)愕(がく)の表情のまま固まり、物言わぬ屍(しかばね)となって体を宙に掲げられた。

 即死である。

 

「やれやれ、詰めが甘いのだ、増(ぞう)長(じょう)天(てん)の奴(やつ)め」

「おやおや、息(いき)田(た)は生きていたのか。悪かったね、多(た)聞(もん)天(てん)」

 

 息(いき)田(た)を殺した下(げ)手(しゅ)人(にん)に、八(や)社(おと)女(め)が親しげに話し掛けた。

 

「しかし、あの息(いき)田(た)琉(りゅう)次(じ)郎(ろう)を一撃か。流(さ)石(すが)は本職だね、推(つき)城(しろ)。僕(ぼく)はデブの眞(ま)咲(さき)刃(じん)三(ぞう)しか殺し切れなかったよ」

「ふん、よく言う。本気でやっていなかっただけだろう」

 

 八(や)社(おと)女(め)の仲間・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)の手から槍(やり)が消え、息(いき)田(た)の死体は土瀝青(アスファルト)に落ちて血の花を咲かせた。

 

「呆(あっ)気(け)無(な)いものだね。これであの持(じ)国(こく)天(てん)の息子が作り上げた崇(す)神(じん)會(かい)は完全消滅か」

「元々廻(かい)天(てん)派(は)とかいう裏切り者集団との戦いで二代目総帥を始めとした主力が喪(うしな)われ、更に皇(こう)國(こく)との戦争で殆(ほとん)どの戦力が喪われていたからな。残りの始末など、所詮は塵(ごみ)掃(そう)除(じ)の様なものだろう」

「それをいうなら、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)はどうだろうね?」

「期待はしていないのだろう?」

「まあね。だが思わぬ手柄を立てるかもよ。道(どう)成(じょう)寺(じ)が穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)に好(よ)く馴(な)染(じ)んでいてね」

「それと、息子の陰(かげ)斗(と)か。残るこの国の守り手を一人や二人程度始末してくれるかも知れんな……」

「その間に、僕(ぼく)らは御(お)媛(ひめ)様(さま)の本命の願いを叶(かな)えるべく動くだけさ」

「それが今の一手か。まあ広(こう)目(もく)天(てん)があの女を欲しがるのも解るがな……」

 

 八(や)社(おと)女(め)と推(つき)城(しろ)は不穏な会話をしながら、昼下がりの路地裏へと消えていった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 同日夕刻、陽(よう)子(こ)は再びビルの中へと呼び戻された。

 その場には父親と弟だけでなく、もう一人の男が待ち構えていた。

 

「やあ、久しぶりだね陽(よう)子(こ)さん」

「や、八(や)社(おと)女(め)首領補佐……」

 

 八(や)社(おと)女(め)は陽(よう)子(こ)を挟んで陰(かげ)斗(と)と向き合い、不敵な笑みを浮かべて立っていた。

 陰(かげ)斗(と)の隣には道(どう)成(じょう)寺(じ)が、首輪で繋(つな)がれた金髪の美女を侍(はべ)らせて椅子に坐(すわ)っている。

 

(別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)……。すっかり調教されてしまったらしいな。無理も無い。今の親(おや)父(じ)は異常だ……)

 

 陽(よう)子(こ)は今の別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)が自分に重なる用に思えた。

 陰(かげ)斗(と)を助け出すと、双(ふた)葉(ば)だけは傷付けないと、そう心に決めた筈なのに、状況に絶望して命惜しさにそれを曲げてしまい、父親の操り人形に成り下がった。

 今の自分は、黎(れい)子(こ)と同じく「嘗(かつ)て椿(つばき)陽(よう)子(こ)だった者の残骸」に過ぎないのだろう。

 そんな自己嫌悪に苛(さいな)まれる陽(よう)子(こ)に、八(や)社(おと)女(め)は穏やかな声で語り掛ける。

 

「陽(よう)子(こ)さん、もう久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)を呼び出す必要は無いよ」

「ど、どういうことですか?」

「彼女は僕(ぼく)達狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)にとっての最大の障害を取り除くために動いてくれた」

「ふむ……」

 

 首(しゅ)領(りょう)Д(デー)・道(どう)成(じょう)寺(じ)太は顎(あご)髭(ひげ)を弄(いじ)っている。

 

「それに免じて、陽(よう)子(こ)と陰(かげ)斗(と)を解放して欲しい、というのが久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)の願いという訳だね、同志八(や)社(おと)女(め)?」

「そういうこと。だがまあ、首領としてもおいそれと首を縦に振れないのは解る。そこで、こういう取引はどうだろう?」

 

 話に付いて行けない陽(よう)子(こ)の頭越しに、八(や)社(おと)女(め)は道(どう)成(じょう)寺(じ)に提案する。

 それはこういうものらしい。

 

「今後、陽(よう)子(こ)さんと陰(かげ)斗(と)君は僕(ぼく)が預かろう。道(どう)成(じょう)寺(じ)、君(きみ)の許(もと)からは離れるので久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)との取引には反しないし、首領補佐の僕(ぼく)が従えれば組織との繋がりが切れるわけじゃない。君(きみ)は一人になってしまうが、敵の組織も間もなく動けなくなるだろう。在野の個人として君(きみ)を狩りに来るかもしれないが、今の君(きみ)ならば力で捻(ね)じ伏(ふ)せられるだろう?」

「確かにな……。我輩の力は刻一刻と増大している。権力にしがみ付く狗(いぬ)共の反動分子など物の数ではないわ。手始めにこの国から亡国に追い込み、今度こそ狗(いぬ)の民族から日本という虚構を取り上げてやる」

「そういうこと。一応女も用意できているみたいだし、前と同じように社会への不満分子を煽(あお)れば人員は集まるだろう? その時、最早姉弟が必要無くなっていれば……」

「……まあいいだろう。そういうことならね」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は嘗て皇(こう)國(こく)から革命することに拘(こだわ)っていたことも忘れているらしい。

 最早彼は狂気の闇にどっぷりと浸(つ)かり切ってしまっていた。

 八(や)社(おと)女(め)以外の人間の言うことなど真(まと)面(も)に聞きはしないだろう。

 

 しかしどうやら、陽(よう)子(こ)にとってはそれが物事を上(う)手(ま)く運んだらしい。

 彼女の頬(ほほ)に涙が伝った。

 自分は双(ふた)葉(ば)を差し出すつもりだったのに、その双(ふた)葉(ば)が呑んだ取引のお陰で道が拓(ひら)けた。

 

「ごめん双(ふた)葉(ば)、私(あたし)……。ありがとう……」

「では陽(よう)子(こ)さんに陰(かげ)斗(と)君、僕(ぼく)と一緒においで」

 

 八(や)社(おと)女(め)は陽(よう)子(こ)と陰(かげ)斗(と)の手を取り、二人を引いて歩き出した。

 

「では道(どう)成(じょう)寺(じ)、何かあれば先程渡した連絡先に電話してくれ。願わくは次に会う時は、君(きみ)が立派に組織を立て直して願いを叶えていれば良いね」

「フン、一応感謝しておいてやろう。精々、我輩の子供らに寝首を掻(か)かれんようにな」

 

 八(や)社(おと)女(め)と陽(よう)子(こ)・陰(かげ)斗(と)が部屋を出て行き、場には道(どう)成(じょう)寺(じ)と黎(れい)子(こ)だけが残された。

 

「扨(さ)て、では一(ひと)先(ま)ず次の種を仕込むとしようか。この体に流れる忌まわしき狗の民族の血を薄めるのも悪くはない。黎(れい)子(こ)君、そこに四(よ)つん這(ば)いになり給(たま)え」

「はい、首領様……」

 

 黎(れい)子(こ)は今、完全に道(どう)成(じょう)寺(じ)の虜(とりこ)となっていた。

 それは相手を魅了するという道(どう)成(じょう)寺(じ)の能力の効果である。

 黎(れい)子(こ)は本能で道(どう)成(じょう)寺(じ)を求め、逆らうことなど考えられなくなっているのだ。

 

「良い光景だ。随分従順になったことだし、御褒美をあげないとね」

「ありがとうございます……」

 

 死臭漂う悍(おぞ)ましい場所で如何わしい行為が行われようとしている。

 しかしその時、窓の外で小さな人影が動いた。

 

「道(どう)成(じょう)寺(じ)ッッ!!」

 

 突如、窓の外から無数の短剣の嵐が道(どう)成(じょう)寺(じ)に襲い掛かった。

 道(どう)成(じょう)寺(じ)はそれを軽く振り払い、窓の外を禍(まが)々(まが)しい眼で睨(にら)み付(つ)ける。

 

「ほう、逃げた訳ではなかったのか。我輩に挑むとは良い度胸だ。良いだろう、外へ出て行ってやるから待ってい給え」

 

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は黎(れい)子(こ)の首輪を引き、割れた窓に足を掛けた。

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