日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十九話『暴走』 序

 九月二六日土曜日の夕刻、根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)は一人、街で車を走らせていた。

 先週は事態が目(め)紛(まぐ)るしく動き、一時は王手まで掛けたものの、結局捜査に進展は得られていない。

 それどころか寧(むし)ろ、特殊防衛課は逆に追い詰められていた。

 

(一(ひと)先(ま)ず岬(さき)守(もり)君達(たち)の契約は前倒しで延長したが、まさか週刊誌であんな記事が出てくるとはな……)

 

 木曜日、青(せい)天(てん)の霹(へき)靂(れき)が彼らを襲った。

 週刊誌が皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)の行いについて、有ること無いこと並べ立てて報じたのだ。

 拉致被害者の軟禁、東(とう)瀛(えい)丸(がん)の利用、崇(す)神(じん)會(かい)との濃厚な関係――それらは事実に基づいていたものの、記事の書き方はかなり誇張されており、あたかも皇(すめらぎ)が皇(こう)國(こく)との戦争を利用して国家を私物化しようとしたかの如く報じられていた。

 

(皇(すめらぎ)先生が特別警察特殊防衛課を始めとした皇(こう)國(こく)と戦う為(ため)の諸制度を作り、運用する為に様々な違法・脱法的手段を用いたのは事実だ。しかし、自由民主主義と法治主義の破壊と独裁を目(もく)論(ろ)んでいた事実は無い。寧ろ皇(こう)國(こく)からそれらを守るにはそうするしか無かったのが実情だ。しかし、そう言っても通用せんのだろうな……)

 

 根(ね)尾(お)は溜息を吐いた。

 国会召集と内閣総辞職を二日後に控え、愈(いよ)々(いよ)特殊防衛課は動きを止められてしまうかも知れない。

 そうなると、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)や神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)のことは私的に追うしかなくなってしまう。

 血液の提供など、警察からの捜査協力もこれまで通りには得られなくなるだろう。

 

(なのにあれから道(どう)成(じょう)寺(じ)の行方は全く掴(つか)めていない。奴(やつ)の二人の子も、神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)のことも……)

 

 根(ね)尾(お)は一度、道(どう)成(じょう)寺(じ)の潜伏先を掴み、人員をそこへと結集するところまでは行っている。

 しかし、彼は囚(とら)われの別(びゅ)府(う)幡(まん)黎(れい)子(こ)を救出することと、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)の安否確認を優先してしまった。

 御(お)陰(かげ)で道(どう)成(じょう)寺(じ)は逃亡し、また潜伏先を変えてしまった。

 今のところ、その手掛かりは完全に消滅している。

 

(仁(に)志(し)旗(き)の様には行かんということか。所詮、俺(おれ)は素人だからな……)

 

 根(ね)尾(お)は今は亡き部下・仁(に)志(し)旗(き)蓮(れん)のことを思い出していた。

 驚異的な調査能力を持つ、諜(ちょう)報(ほう)のプロフェッショナル――彼ならば、道(どう)成(じょう)寺(じ)や神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)の潜伏先もあっさりと掴んでしまったのだろうか。

 彼は実に優秀な懐(ふところ)刀(がたな)だった。

 

 車を走らせる根(ね)尾(お)は、気が付くと見覚えのある路地へと出ていた。

 皇(すめらぎ)の議員秘書だった時代、何度か通った道だ。

 有力な支持者だった神社へ参っていた記憶が昨日の様に思い出される。

 

 ふと懐かしくなった彼は、車を近くの駐車場に置いて久々に参ってみたくなった。

 行き詰まった現状に、過ぎ去った時代の残り香に誘われて逃避してみたくなったのかも知れない。

 

 鳥居を前にした彼が最初に感じたのは、議員秘書時代には無かった寂しさだった。

 建物も敷地も、鳥居も獅(し)子(し)狛(こま)犬(いぬ)も、心なしかすべてが小さく見える。

 

(気の持ちようで景色の見え方はこうも変わるのか)

 

 彼は溜息を吐いた。

 現実が変わらず存在し続ける以上、気晴らしというものの何と無意味な事か。

 夕日が神域を朱色に照らし、過去を荼(だ)毘(び)に付そうとしている。

 余り長居するものでもないし、根(ね)尾(お)は軽く参ってその場を立ち去り、ホテルに戻ろうと考えた。

 

「む……」

 

 その時、根(ね)尾(お)は一人の中年女性と眼(め)が合った。

 痛々しい傷跡の残る犬を連れ、日課の散歩で通りかかったらしい。

 根(ね)尾(お)は彼女のことを知っている。

 

「根(ね)尾(お)さん、お久し振りです」

「二(に)井(い)原(はら)さん……」

 

 二(に)井(い)原(はら)椛(もみじ)――武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に拉致された被害者のうち、最初に殺されてしまった女子高生・二(に)井(い)原(はら)雛(ひな)火(び)の母親である。

 以前は娘の担当だった愛犬の散歩だが、今は彼女が請け負っているようだ。

 果たして如(い)何(か)なる心持ちで毎日この道を、この神社を通っているのだろう。

 根(ね)尾(お)と椛(もみじ)は、互いに一礼した。

 

「二(に)井(い)原(はら)さん、娘さんの件は力になれず、お詫(わ)びする言葉も見付かりません……」

 

 根(ね)尾(お)にとって、椛(もみじ)は合わせる顔の無い人物だ。

 彼らは狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に拉致された国民全員を帰国させられた訳では無かった。

 救出する前に死亡してしまった者も居れば、不手際で死なせてしまった者も居る。

 そして椛(もみじ)は、拉致事件発覚の切(きっ)掛(かけ)であり、皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)に藁(わら)にも縋(すが)る思いで調査を頼んできた人物であり、最も若くして還(かえ)らぬ人となった被害者の遺族である。

 

 根(ね)尾(お)は椛(もみじ)からの汎ゆる罵声を覚悟していた。

 しかし、椛(もみじ)の表情は思いの外穏やかなものだった。

 大いなる悲しみが宿った眼をしてはいた。

 しかし、根(ね)尾(お)に対する批難は殆(ほとん)ど感じられない。

 

「他の方が帰国されたということは、皇(すめらぎ)先生は間違いなく娘の為に力を尽くしてくれたということですよね。それに根(ね)尾(お)さんもまた自ら皇(こう)國(こく)へ乗り込み、命辛々戻られたと聞いています。私(わたし)達家族としては感謝こそすれ、恨(うら)み辛(つら)みを申し上げるつもりなど毛頭御座いません」

 

 椛(もみじ)の言葉を意外に想(おも)った根(ね)尾(お)は瞠(どう)目(もく)し、一瞬言葉に詰まった。

 

「……勿(もっ)体(たい)無(な)い御(お)言(こと)葉(ば)です」

「それに、今は娘を拉致した犯人の一味を追い掛けてくれているんでしょう? 駅前に指名手配のポスターが貼られていますし、何人かはもう捕まったんですよね」

 

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)が日本国へ逃亡してすぐ、彼らは警察に八(はっ)卦(け)衆(しゅう)の指名手配を要請した。

 幸いなことに彼らの姿は世界中の空に映し出されていて、顔写真には困らない。

 その内、情報提供を今も受け付けているのは首領の道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)とその血縁だけだ。

 

「国家の安全保障の為ですから……」

 

 根(ね)尾(お)は答えを濁した。

 正確には、捜査を終えた三人に関しては容疑者死亡という結末になっている。

 決して胸を張れる成果ではない。

 

 だが根(ね)尾(お)はどこか心に西日が差した様な気がした。

 自分達がやってきたことで、ほんの少しでも報われたと感じている人は確かに居るのだ。

 

 椛(もみじ)の表情は決して明るくない。

 作り笑いには一言で表せない複雑な心情を隠しているのだろう。

 根(ね)尾(お)に対する感情も、言葉通りではあるまい。

 しかし、全てが嘘(うそ)という訳でもないだろう。

 

(彼女は俺(おれ)に対して、努めて穏当に接してくれている。少なくとも、彼女の中ではまだ俺(おれ)達はそうすべき相手なのだろう……)

 

 根(ね)尾(お)は考える。

 彼女は今、根(ね)尾(お)や皇(すめらぎ)のことをどうにか許せているのだ。

 それは彼女の心が完全な闇に染まっていないということである。

 自分達の戦いが、彼女の中で小さな光を保っている。

 

「二(に)井(い)原(はら)さん」

「はい」

「仕事が一段落したら、一度娘さんに手を合わさせていただけませんか?」

「それはつまり……」

 

 椛(もみじ)は軽く目を開いた。

 そして一瞬だけ眉を下げると、再び小さく微(ほほ)笑(え)みを見せる。

 夕日が影を差した、物悲しげな笑顔だった。

 

「お気持ちだけ頂いておきます。どうか御無理はなさらないでください。皇(すめらぎ)先生のように倒れてしまっては元も子もありませんよ」

「出過ぎた言葉でした。御(お)気(き)遣(づか)い、感謝いたします」

 

 何処(どこ)までも穏当な椛(もみじ)の気遣いが根(ね)尾(お)の身に染みた。

 決して晴れやかな気分ではないが、視界が開けていく気がする。

 

「では根(ね)尾(お)さん、私(わたし)はこれで。皇(すめらぎ)先生にも宜(よろ)しくお伝えください」

「はい。御時間をいただき、ありがとうございました」

 

 椛(もみじ)は愛犬「ミッキー」を連れて神社を後にした。

 根(ね)尾(お)はその背中を見送りつつ、考える。

 

(出来れば帰してやりたかったよ。娘の雛(ひな)火(び)さんをな……)

 

 二(に)井(い)原(はら)雛(ひな)火(び)を拉致したのは道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)本人である。

 この情報もまた、仁(に)志(し)旗(き)から齎(もたら)されたものだ。

 つまり、椛(もみじ)の娘の敵は未(いま)だ取れていない。

 根(ね)尾(お)は奥歯を噛(か)み締(し)めた。

 

(こんなことをしている場合ではない。まだ日数は残されている)

 

 そう、まだ終わった訳ではない。

 政権が変われば、特別警察特殊防衛課は廃止され、現行の組織も凍結されるだろう。

 だが、まだその日程までは決まっていない。

 まだ諦めるには全然早過ぎるのだ。

 

(なんとしても、道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)に然(しか)るべき報いを受けさせなくては!)

 

 根(ね)尾(お)は決意を新たに歩き出した。

 その足取りは、来た時とは打った変わって力強いものだった。

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