日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第八十九話『暴走』 急

 椿(つばき)陽(よう)子(こ)と道(どう)成(じょう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)は、残された最後の拠点に移っていた。

 八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)の目から離れ、漸(ようや)く手に入れた苟且(かりそめ)の自由――しかし無論、八(や)社(おと)女(め)からは「妙なことは考えないように」「いつでも監視しているから、下手なことをすればすぐに判(わか)る」と釘(くぎ)を刺されている。

 この場所は拉致事件の直前に狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の工作員が潜んでいた部屋で、場所が割れていないのは最早此処しかない。

 

 見付かってしまったら、もう二人に行く場所は無い。

 陽(よう)子(こ)は陰(かげ)斗(と)と共に、外出は最小限に抑えて極力動かないように息を潜め続けた。

 幸い、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の工作で手に入れた日本円の蓄えはまだ多少はある。

 

(このまま岬(さき)守(もり)達の所へ駆け込めば当初の計画通り。親(おや)父(じ)の情報を提供し、取引を持ち掛けることが出来る。だが、八(や)社(おと)女(め)がそれを許す訳が無い。監視しているのは嘘(うそ)じゃないだろう。此(こ)方(ちら)の動きに気付かれて親父に連絡されたら元(もと)の木(もく)阿(あ)弥(み)だ。とはいえ、全く希望が無い訳じゃない。八(や)社(おと)女(め)がこのまま私(あたし)達を放置し続けるとは思えない。必ず接触してくる筈(はず)。その時、八(や)社(おと)女(め)を斃(たお)せば私(あたし)達は自由だ)

 

 陽(よう)子(こ)はその一念で只管(ひたすら)耐え続けた。

 その甲斐(かい)あってか、二人は実に十八日もの間何事も無くやり過ごした。

 だが問題は十九日目、十月七日水曜日に起こった。

 

「か、陰(かげ)斗(と)、一体どうしたというんだ……?」

「ううぅぅぅっっ……!」

 

 この日、陰(かげ)斗(と)は朝から調子が悪そうだった。

 何か体調を崩すことでもあったかと、陽(よう)子(こ)は心配になったが、彼女達は病院に行くことなど出来ない。

 そうして手を拱(こまね)いているうちに、昼過ぎになると、陰(かげ)斗(と)は如(い)何(か)にも苦しそうに呻(うめ)き始めたのだ。

 目の焦点が合っておらず、涎(よだれ)を垂らし、まるで狂った獣になってしまったかの様だ。

 

「うがあああああっっ!!」

「か、陰(かげ)斗(と)……!」

 

 陰(かげ)斗(と)は咆(ほう)哮(こう)し、陽(よう)子(こ)の体を突き飛ばした。

 陽(よう)子(こ)はアパートの薄い壁に背中をぶつけて尻餅を搗(つ)く。

 

「陰(かげ)斗(と)、なにが起こっているんだ……?」

 

 明らかに様子がおかしい弟の姿に、陽(よう)子(こ)は戸惑いと焦燥を禁じ得なかった。

 このまま陰(かげ)斗(と)を放置していては危険だということは解(わか)る。

 しかし、どうすれば良いのかわからない。

 

 そんな時、陽(よう)子(こ)は不意に誰かの気配を感じた。

 部屋に自分と陰(かげ)斗(と)以外の誰かが居る――陽(よう)子(こ)は部屋を見渡し、気配の主を探す。

 

「これは……随分と症状が進行しているようだね。首領はかなり無(む)茶(ちゃ)をしてしまったらしい……」

 

 覚えのある声は陽(よう)子(こ)の頭上から聞こえた。

 首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)はいつの間にか陽(よう)子(こ)の目の前に立っており、陽(よう)子(こ)を見下ろしていた。

 

「八(や)社(おと)女(め)……さん……。陰(かげ)斗(と)は一体どうしちゃったんですか……?」

 

 陽(よう)子(こ)の問い掛けを尻目に、八(や)社(おと)女(め)は藻(も)掻(が)き苦しむ陰(かげ)斗(と)の下へと近付いた。

 そしていつもの薄ら笑いも浮かべずに、陰(かげ)斗(と)の表情をじっと窺(うかが)っている。

 

「首領は穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)によって、神(しん)為(い)を際限無く増幅することが出来るようになった。自分自身は言わずもがな、郎党の神(しん)為(い)にも及ぼすことが可能だ。丁度八十年程前、僕(ぼく)が首領に施した様にね」

「ええ。陰(かげ)斗(と)は神(しん)為(い)を増して新しい能力を得ました。それが問題なんですか?」

「ああ、大問題だね」

 

 八(や)社(おと)女(め)は陽光の方へと振り向いた。

 眉根を寄せた表情が、事態の深刻さを言外に物語っている。

 

「考えてもみ給(たま)えよ。首領が得た穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)の力は僕(ぼく)も持っている。つまり、首領に出来ることは僕(ぼく)にも出来るんだ。首領は自身の神(しん)為(い)を際限無く増幅させ、神(じん)皇(のう)を超えようとしている。今この瞬間にも、彼は遙(はる)かに強くなっているだろう。しかしならば、どうして僕(ぼく)も同じ様に自分の神(しん)為(い)を増そうとしないと思う?」

「つまり神(しん)為(い)の増幅には、何か良くない副作用があると……?」

 

 陽(よう)子(こ)は立ち上がり、陰(かげ)斗(と)の許へと歩み寄った。

 八(や)社(おと)女(め)の不穏な言葉に、弟への心配が否が応にも募ってしまう。

 カーテンを閉め切った部屋が、昼間にも拘(かか)わらず真夜中の様に暗く感じる。

 何やら押(お)し潰(つぶ)す様な鬱(うっ)屈(くつ)とした闇が胃の辺りを抑え付けている。

 

「見てのとおりさ」

 

 八(や)社(おと)女(め)は眼(め)で陽(よう)子(こ)の視線を陰(かげ)斗(と)へと誘導した。

 呻き、藻掻き、苦しみ、そして正気を失った様に叫んでいる。

 

「神(しん)為(い)とは、内なる神の力だ。しかしね、それは本来、人の身で宿すには大き過ぎる力なんだ。それを精神力で辛うじて統御して、僕(ぼく)達は超人的な力を発揮する。しかし本人の器を大きく超えた神(しん)為(い)は、軈(やが)て精神を蝕(むしば)み始める……」

「あ……」

 

 陽(よう)子(こ)はすぐに父親のことを思い出した。

 道(どう)成(じょう)寺(じ)は穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)を身に付けてから、明らかに狂気に呑(の)まれていた。

 

「だから親父はおかしくなっていったのか……」

「人には人の、身の丈に合った神(しん)為(い)の器がある。それは成長と共に神(しん)為(い)を増していく分には問題無い。器もまた追従して大きくなっていくからね。しかし、穢(え)詛(そ)禍(まが)終(つひ)によって強引に神(しん)為(い)を増幅した場合、度が過ぎると器の成長が追い付かなくなってしまうんだ」

「ち、ちょっと待ってくれ!」

 

 陽(よう)子(こ)には一つの疑問があった。

 八(や)社(おと)女(め)の言葉と、今の陰(かげ)斗(と)には辻(つじ)褄(つま)の合わない要素が一つある。

 

「陰(かげ)斗(と)は昨日まで特におかしいところは無かったんだ!」

「それは昨日まではどうにか精神の許容範囲を超えていなかったからだよ。増幅した神(しん)為(い)が器から溢(あふ)れ、精神に異常を来す、その瞬間は或(あ)る日突然訪れる。首領は狂っているかも知れないが、あれでもまだ精神の均衡は保っている方なんだよ」

「親父が陰(かげ)斗(と)の神(しん)為(い)を増幅させていたのは二週間前までなんだよ!? それが、どうして今になって!?」

 

 陽(よう)子(こ)の問いに、八(や)社(おと)女(め)の眼が陽(よう)子(こ)を見返してくる。

 

「忘れたのかい? 異性双生児に於(お)ける神(しん)為(い)の特性を……」

「まさか……そんな……!」

 

 陽(よう)子(こ)は顔から血の気が引いていくのを感じた。

 抑圧された胸の奥から吐き気が込み上げて来る。

 受(う)け容(い)れがたい事実だった。

 

「異性双生児は近くに居ると相互作用を起こして神(しん)為(い)を増幅させていく。それこそが、組織で神(じん)皇(のう)の複製人間(クローン)を双子として作製した狙いだった筈だ。そしてそれに気付かせたのは、他ならぬ君(きみ)達だろう?」

 

 狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)が先代神(じん)皇(のう)の複製人間(クローン)として雲(くも)野(の)幽(ゆ)鷹(たか)と雲(くも)野(の)兎(と)黄(よ)泉(み)を生み出した理由、それはオリジナルの力に少しでも近付ける為(ため)に、異性双生児の神(しん)為(い)相互作用を利用する為だ。

 それは嘗(かつ)て、雲(くも)野(の)兄妹から岬(さき)守(もり)航達にも語られている。

 そして道(どう)成(じょう)寺(じ)の娘と息子で、異性双生児である陽(よう)子(こ)と陰(かげ)斗(と)こそがその現象を狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に伝えたのだ。

 

「私(あたし)が傍(そば)に居たせいで……陰(かげ)斗(と)が苦しんでいるというのか……?」

「それだけじゃない。こうしている間にも、彼の神(しん)為(い)はどんどん増幅していき、益(ます)々(ます)精神を蝕むだろう。その果てに訪れるのは、完全なる精神崩壊だ。心が壊れ、完全に物言わぬ人形と化してしまうのさ」

「そんな……!」

 

 陽(よう)子(こ)は陰(かげ)斗(と)から目が離せない。

 苦痛を訴える狂った叫び声は、助けを求めているかの様だ。

 何から?

 苦しみの原因が陽(よう)子(こ)だとするならば、陰(かげ)斗(と)は一体何から逃れたがっているのだろうか。

 

「助ける方法は……無いんですか?」

「二つある。一つは、増幅した神(しん)為(い)に追い付くように器を拡大してしまうことだ。しかし、これが出来る者は極めて稀(まれ)だ。それこそ、神(じん)皇(のう)と同等の者でなければ不可能な芸当だろう。因(ちな)みに先代神(じん)皇(のう)は生前、普段は神の領域にある自身の神(しん)為(い)を抑えて、ここぞという時だけ全力を発揮していた。力を解放する際は神(しん)為(い)の急激な上昇に併せて自身の身体を拡大し、器を大きくしていたんだ。つまり、今言った話はその次元を前提とした話だということ。陰(かげ)斗(と)にはまあ不可能だろうね」

「じゃあ、もう一つの方法は……?」

「こっちは簡単さ。神(しん)為(い)を失わせてしまえば良い」

 

 八(や)社(おと)女(め)の言葉の意味はすぐに解った。

 陽(よう)子(こ)は一つ深呼吸をする。

 

「解りました。扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を手に入れ、陰(かげ)斗(と)の神(しん)為(い)を消失させれば良いんですね?」

「まあ、そういうことになるね。だが、あれは僕(ぼく)も首領も持っていないんだ」

「大丈夫です。心当たりはありますから……」

 

 陽(よう)子(こ)は考える。

 久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)と最後に会った時、彼女から神(しん)為(い)が消えていた。

 間違い無く、双(ふた)葉(ば)は扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を飲まされたのだ。

 つまり、双(ふた)葉(ば)を捕えた者達に掛け合うことが出来れば、扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を手に入れることが出来る。

 

「八(や)社(おと)女(め)さん、行かせて貰(もら)えますね?」

「……無理も無いね。このままでは陰(かげ)斗(と)が使い物にならなくなる。それは組織にとっても首領にとっても好ましくはない。ならば、多少の危険や損は承知の上で君(きみ)を行かせるしか無いだろう」

「ありがとうございます……」

 

 陽(よう)子(こ)は決意と覚悟を胸に陰(かげ)斗(と)と八(や)社(おと)女(め)へ背を向けると、部屋から出て行った。

 双(ふた)葉(ば)とはもう会わないつもりだったが、陰(かげ)斗(と)を救う為ならば已(や)むを得(え)ない。

 事情を話し、無理を言ってでも航達に繋(つな)いでもらうしかないだろう。

 

 時の沈黙を破り、事態は急速に動き出そうとしていた。

 

⦿

 

 陽(よう)子(こ)がアパートの部屋を去り、この場には八(や)社(おと)女(め)と陰(かげ)斗(と)が二人切りとなった。

 そんなとき、八(や)社(おと)女(め)の電話が鳴る。

 

「もしもし」

『私(わたし)だ』

「推(つき)城(しろ)、どうかしたのかい?」

 

 電話の相手は神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)としての同志・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)だった。

 八(や)社(おと)女(め)は推(つき)城(しろ)と共に日本国で動き、何やら狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)とは別に企(たくら)みを張り巡らせている。

 

「ちょっと今面倒なことになっていて、手短に済ませてもらえると有難いんだがね」

『よく言う、自分で撒(ま)いた種だろう』

「まあ、そうなんだけどね。そして、収穫の時も近い」

『では、愈(いよ)々(いよ)だな?』

「ああ」

 

 八(や)社(おと)女(め)の口元が邪悪に吊(つ)り上(あ)がる。

 策謀の笑みが闇の中で怪しく揺らめいている。

 

「機は熟した。これから一気に邪魔者を始末してしまおう」

『そうだな。特に、岬(さき)守(もり)航(わたる)は是が非でも早期に消してしまいたい』

 

 八(や)社(おと)女(め)は推(つき)城(しろ)の言葉を訝(いぶか)しんだ。

 勿(もち)論(ろん)、邪魔者である日本国の特別警察特殊防衛課は全員消すつもりでいるが、その中でも岬(さき)守(もり)航(わたる)の名を殊更に挙げる意味が解らない。

 

「意外だな、推(つき)城(しろ)。あの凡夫の何処(どこ)にそれ程警戒する必要がある? 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)の危険性に比べれば塵(ちり)芥(あくた)も同然だろう」

『それはそうだ。しかし、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)は正直異次元過ぎて手に負えんだろう。彼奴(きゃつ)に関しては、我らの手ではなく別の手段で葬ることを考えた方が良い。となると、次点として確実に消したい相手を考えた時、私(わたし)は奴(やつ)のことが真(まっ)先(さき)に思い浮かんだのだ』

「うーん、だからそれが解んないんだよね。確かに為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の操縦士としては脅威だよ? でも、生身の戦士としてはそれ程かな? 元々彼の神(しん)為(い)は乏しかったんだ。つい最近まで術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)にも完全覚醒していなかった、凄(すさ)まじいまでの非才振りだ」

『だが、完全覚醒した能力というのが相当厄介だ』

「それもどうかな? 君(きみ)の分析が正しいとして、もうこれ以上新たな能力を身に付ける余地は無いだろう? 自ら名乗ったものの能力を、本来の使用者が使えなくなった時に身に付ける能力、それも自分が神(しん)為(い)を身に付けるまでに名乗った者に限ってのもの……。だとすると、彼の手の内はもうほぼ全部見えているじゃないか」

『そうでもない。私(わたし)が思うに、後一つだけ重要にして驚異的な能力が隠されている筈だ。我々の計画を破(は)綻(たん)させかねないのは麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)よりも寧(むし)ろその最後の秘匿……』

 

 八(や)社(おと)女(め)は首を傾(かし)げる。

 今一つ、推(つき)城(しろ)の主張に納得が出来なかった。

 しかし、八(や)社(おと)女(め)は推(つき)城(しろ)と付き合いが長い。

 彼の慎重さは決して軽視すべきではないとも思っていた。

 

「解ったよ。岬(さき)守(もり)航(わたる)のことは最優先で消すとしよう。その為の策に、君(きみ)の手も借りたいんだが……」

『良いだろう。して、どうするつもりなのだ?』

 

 八(や)社(おと)女(め)は不気味に北(ほく)叟(そ)笑(え)む。

 様々な思惑の下、航(わたる)達に恐るべき魔の手が伸びようとしていた。

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