道成寺太は椿男爵家に近付く際、「安珍清」と名を偽った。
当時の男爵・椿晴明は父親が作り上げた武術を「椿流剛体術」という拳法に纏め、道場を開いていた。
その門下生となった安珍清こと道成寺太は、誠実な人柄を装い師範の信用を得ていく。
嘗て自分を苦しめた格闘術を身に付け、そして次代に自分の魂を繋ぐ為の「子宮」を求めたが故だ。
晴明は彼の才覚を認め、全ての技を伝授した。
娘の真理との結婚も認め、婿養子に迎えて道場と男爵位を継がせるつもりですらあった。
しかし、真理に横恋慕していた兄弟弟子が恋敵を追い落とすべく調査したところ、偶然にも一番弟子・安珍清の正体が道成寺公郎の孫にして武装戦隊・狼ノ牙の首領Дこと道成寺太であると発覚。
晴明は直ちに自称「安珍清」を破門にし、娘の婚約も解消させて警察に突き出そうとした。
だが道成寺には見定めた相手を魅了して虜にしてしまう能力があり、真理は道成寺に激しく恋慕・欲情してしまっていた。
彼女は父親に従うよりも道成寺との駆け落ちを選び、彼との間に双子の姉弟を設けた。
真理との同棲開始から五年後、道成寺の潜伏先が露呈。
同棲先の一軒家は警察に踏み込まれ、道成寺は内縁の妻である真理を殺害。
双子のうち姉の陽子は敢えて残し、弟の陰斗のみを人質として行方を眩ましてしまった。
男爵家の血を引く陽子の身の安全確保に人員を割かれてしまった為だ。
以上の経緯で、双子の姉弟は五歳の頃に離れ離れとなって、別々の人生を歩み始めた。
⦿⦿⦿
警察に保護された陽子は、母親の生家である椿男爵家に引き取られた。
男爵・椿晴明は亡き娘の忘れ形見・陽子を孫として大切に育てた。
多くの門下生を輩出した椿流剛体術の道場だったが、事件の直後に畳まれることとなってしまった。
男爵夫妻にとって、門下生として信用した男に娘を殺されたことが余程堪えたのだろう。
住所も、過去から逃げる様に移した。
だが椿流剛体術は、ひっそりと陽子に教えられた。
娘の忘れ形見を喪いたくない想いから、身を守る術を身に付けさせたのだろう。
陽子は男爵家で何不自由なく育てられた。
しかし、彼女はずっと忘れることが出来なかった。
母親が死に、父親と弟が自分から離れていったのは五歳の時である。
物心付いていた彼女を襲った強烈な体験は、ずっと記憶に焼き付いていた。
(私には弟が居た……)
あの時自分の身に何が起こったのか、そこまでは理解出来ていない。
何故自分は一人で祖父母の元に引き取られたのか、ずっと引っ掛かっていた。
祖父母は何も語ってくれない。
十二歳の時、陽子はとうとう自分から祖父に尋ねた。
「お爺ちゃん、どうして私には父親と母親が居ないんだ?」
「母さんは病気だったんだ。お前が小さい頃に死んでしまったんだよ」
「じゃあ父さんは?」
「陽子、世の中には知らない方が良いこともある。父親のことは二度と口にするな」
父親についての詮索を禁じる祖父の眼は、珍しく有無を言わさぬ迫力があった。
屹度嘗て武術家だった頃の厳しい眼だったのだろう。
その眼を前にすると弟の消息を尋ねることは出来なくなった。
一年後、陽子は祖母にも尋ねてみた。
但し母親がどんな人物だったのか、それだけを問い掛けた。
「お前のお母さんは綺麗な娘だった。門下生達の間でも人気者だったんだよ」
「でも、門下生は誰も選ばなかったんだよね?」
陽子は父親のことを何も聞かされていなかった。
故に、父親が破門された元弟子だということも知らなかった。
「それは……」
祖母は言葉に詰まった。
口を滑らせたと思っていたのかも知れない。
そして観念した様に、一つだけ教えてくれた。
「陽子はもう小さい子じゃないから教えてあげよう。お母さんはね、駆け落ちしたんだよ」
「父さんと?」
「陽子、お父さんのことは教えられない。お前の為にも、知らない方が良いんだ」
「うん、解ってる。父さんのことはもう訊かないよ」
正直、父親に大した興味は無かった。
陽子が気に掛かっていたのは、記憶の中に確かに存在する双子の弟のことだ。
もしかすると、祖父母も知らない可能性がある。
気が付いた時には、既に離れ離れになっていたからだ。
(駆け落ちした母さんの行き先、それだけが弟の手掛かりか……)
その後も、陽子は弟のことがずっと頭の片隅から離れず気になり続けていた。
そして十五歳の頃、遂に祖父母の家、椿男爵家を飛び出して弟を探し始めた。
母親がどのような人間に出会い、何を想って生きたのか――それだけが頼りだった。
⦿⦿⦿
一方で父親である道成寺太もまた陽子のことを求め始めていた。
それは息子の陰斗に特異な傾向を持った神為の才覚があると解ったからだ。
皇國貴族は子息に対し、三~五歳頃より東瀛丸を与え、神為の資質を図る。
同じ様に、道成寺もまた陽子と陰斗に三歳の頃から東瀛丸を与えた。
別れるまでの二年間は姉弟二人共に、離れ離れとなってからは陰斗一人に継続して東瀛丸を服用させ続け、一応は戦力としても育てていた。
奇妙なのは、陰斗の神為が姉と別れた頃から伸び悩み始めたことだ。
才能がある子供は神為の成長が早く、陽子と陰斗にもその兆候があった。
しかし、伸び盛りの筈の六歳以降で成長が鈍化する例は余り聞かない。
武装戦隊・狼ノ牙はこの奇妙な現象を見逃さず、皇國が秘匿する研究成果を調べた。
結果、男女若しくは一卵性双生児に於いて、互いの神為に相互作用が働いて増幅する現象があるということを知った。
ならば陽子と一緒だった頃の急成長も、引き離された時期から成長が鈍化しかことも説明が付く。
また、陽子と再び一緒にすれば、陰斗は更なる戦力として成長する可能性が高い。
陽子自身も戦力として確保出来れば、一石二鳥である。
狼ノ牙は「双子計画」、即ち、雲野兄妹の作成と同時進行で陽子の拉致を画策。
陽子が家を出て丁度一カ月後、道成寺は陽子を連れ去ろうと、椿男爵家を襲撃した。
嘗ての師とその妻を殺害したが、肝腎要の娘は自分が連れて行った弟を探して家出していた。
この行き違いにより、父親もまた娘を探し始めた。
結果、全国的な組織力を持つ父親の方が先に「母親の情報を探す椿男爵家の孫娘」に辿り着いた。
陽子と陰斗、互いに十八歳の時だった。
道成寺は陰斗の身柄を盾に、陽子に対して組織への協力を強要し始めた。
⦿⦿⦿
陽子は弟の陰斗と再会した。
姉弟は基本的に八卦衆の誰かの管理下に置かれたが、初期の頃はまだ監視も緩く、二人切りになることも少なくなかった。
しかし陰斗は、長年受け続けた父親からの虐待染みた訓練の影響か、感情を全く表に出さなくなっていた。
時折発する言葉の喋り方すら、読み上げソフトの様に単調で無機質なものだった。
ある時陽子は、嘗て母が好きだった唄を口遊んだ。
陰斗と再会した時の為に、朧気な記憶を頼りに探し当てたものだ。
記憶違いの旋律もあり、陰斗が気付くかどうかはわからない、
しかし、それは数少ない「父親が絡まない母との思い出」であり、姉弟の絆である。
陽子が暫く唄っていると、陰斗はほんの僅かな、注意深く観察していなければわからないほど小さな微笑みを覗かせた。
(やっぱり覚えていたんだ)
陽子は陰斗の中に、嘗て自分と暮らした頃の欠片を見付けられた気がした。
唄い続けていると、陰斗の表情が次第に解れていった。
屈託の無い少年の様な笑顔だった。
充分成長した弟の中に、五歳の頃の面影があった。
(こいつ、顔良いな……。気付かなかったよ。今までは表情筋が死んでいたからかな……)
陽子はこの時、彼に本来の人生を戻してやりたいと強く思った。
真当に笑ったり、怒ったり出来るような、普通の生き方――弟がその道に戻れば、彼の人生は屹度光り輝くに違いない。
陽子にとって、一度だけ見ることが出来た陰斗の笑顔は、それ程までに鮮烈だった。
それ以来、椿陽子の願いは、希望は、ただ一つ――獣同然の父を除き、肉親と呼べる唯一の存在である弟・陰斗を救うことになった。
それさえ叶えば後はどうでも良かった。
彼女にはもう、帰る場所も待つ人も居ないのだから。
陽子にとって、弟だけが唯一だった。
久住双葉と出会い、絆されるまでは……。
⦿⦿⦿
陰斗が陽子に少しずつ心を開いていると判ると、父親の道成寺太は陽子に対して意図的に任務を与え、弟と別行動をさせ始めた。
二人の神為を強化するのは良いが、あまり強くなり過ぎて自分の制御下から外れることは避けたかったし、二人共謀して反乱を起こされても面白くなかったからだ。
そんな中の一つが、拉致被害者の中に内通者として紛れ込むという任務である。
陽子は拉致被害者達と交流を深め、一人でも深く洗脳するようにと、父親から命じられた。
目的の為、部屋割りの話を誘導して相部屋となる様に仕向けた。
それが久住双葉との出会いであった。
彼女の双葉に対する第一印象は、「チョロそう」だった。
少し思考を誘導してやれば簡単に感化され、導きたい答えに自分で辿り着いてくれる。
そうして自然に吹き込んでやれば、都合の良い手駒が完成するだろう。
彼女はそんな考えで、「最初は心を開かないが、自分だけには少しずつ本音を聞かせてくれるようになっていく人」を演じた。
これは思いの他上手く行った。
上手く行き過ぎた。
ある時、陽子はあの唄を双葉の前で口遊んでいた。
弟に会わせてもらえない中で、意図せず出てしまったのだろう。
皇國の唄を知らない双葉は、陽子に尋ねる。
「何の唄?」
「ん……?」
陽子はハッとした。
日本国に存在しない唄だとバレてしまえば、内通が発覚してしまうかも知れない。
しかし、どんな人間も自分の国の音楽を全て知っている訳ではないだろう。
ならば、ある程度正直に話した方が誤魔化しが利くだろうと考えた。
「母さんが良く唄っていたんだ。双子の弟が好きな唄でね。偶に口を突いちゃうんだ」
「へえ……。どういう唄なの?」
陽子は一呼吸置いた。
そういえば、この歌詞には母親が好く理由が何かあったのだろうか。
それに、何処か自分と陰斗の境遇に重なる。
「幸せな鳥の唄。飼い主に愛され、丁寧に飼育されている。でも、彼は籠の中から出られない。鳥は本来、自由に空を飛ぶ筈なんだ。その鳥は空を見上げて、鳥籠の中の幸せな生活じゃなくて新しい世界に出たいと願う。そしてある時、飼い主はうっかり彼を逃がしてしまう。彼はとうとう、憧れていた新しい世界で自由に飛び回ることが出来るようになった……。そんな、自由を求める鳥の唄……」
言葉にしてみて、改めて思った。
自分はこの歌が好きだ。
そしておそらく、陰斗もそうなのだろう。
「素敵な唄だね……」
双葉に共感してもらえたことは陽子にとって嬉しかった。
しかし、それは意外でもあった。
もし双葉が陽子にとって利用するだけの相手なら、彼女の共感など必要無い筈だ。
それが嬉しいのは、双葉のことを単なる駒とは思えなくなっていたということだ。
陽子は察した。
「双葉、貴女のこと結構好きかも」
それは陽子が双葉に初めて話した、嘘偽りない本音だった。
弟だけだった彼女の中に、新たに双葉の居場所が出来た。
双葉が入り込んでしまった。
この好意は双葉との絆を築く上で有利に働いたが、裏切る上では陽子を苦しめることになっていった。