日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十話『陰陽』 急

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)が非道な組織であると、航(わたる)も新(しん)兒(じ)も知っているつもりだった。

 その首(しゆ)魁(かい)である陽(よう)子(こ)の父親・道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)も極悪人であるとは思っていた。

 だが、陽(よう)子(こ)の口から語られると、その邪悪さは一層真に迫るものがある。

 師匠・妻・息子・娘――道(どう)成(じよう)寺(じ)は周囲の汎ゆる人間を自分の道具として利用してきたのだ。

 

「酷(ひど)いな……」

 

 航(わたる)は思わず嫌(けん)悪(お)を吐いた。

 

 航(わたる)もまた、とても幸福とは言い難(がた)い家庭で育った。

 父親は母親に許されざることをしておきながら平然と結婚し、その罪を追及しても何ら悪びれなかった男である。

 そんな夫の所業に傷付いた母親は、被害者性を刃に変えて息子の航(わたる)に向け、幼い航(わたる)に対して無視を決め込む様になった。

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)が居なければ航(わたる)は孤独に世界を呪い、怨念に染まって狂気に目覚めていたかも知れない。

 

 だがそれでも、父親は離婚して以降関わり合いを持たなくなったし、母親も最低限の扶養義務は果たした。

 そういう意味で、全てを身勝手に利用し踏(ふ)み躙(にじ)ってきた道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)という男以上に糞(くそ)だと言い切れる親など滅(めつ)多(た)には居まい。

 

「椿(つばき)、お前が弟を自由にしたいことはよく解(わか)ったぜ」

 

 一方で、新(しん)兒(じ)は温かい家庭に恵まれながらそれを奪われた。

 妹を溺愛していた彼は、最悪の血縁の中で弟を想(おも)う陽(よう)子(こ)に何を見るだろう。

 少なくとも、既に今にも殴り掛かりそうな殺伐とした空気は彼から消え去っていた。

 しかし、手放しに同情して全面的に寄り添える訳でもないらしい。

 

「だが、お前はその為(ため)に人から翼を捥(も)ぐ様なことをしてきたんじゃないのか?」

「何が言いたい?」

「死んだ親(おや)父(じ)が好きだった歌にな、空を飛びたい蜘蛛(くも)が蝶(ちよう)々(ちよう)から羽根を捥(も)いで飛ぼうとする歌がある。蜘蛛は翅(はね)がないから仕方が無いと言い訳してたがよ、そんなやり方じゃ自由に空を飛ぶことなんて出来やしなかったんだ。お前は他人から奪った翼で何処(どこ)へ行く気だったんだ? 空を飛んでいた蝶(ちよう)に何か傷付けられる理由があったのかよ?」

 

 陽(よう)子(こ)は新(しん)兒(じ)の言(い)い種(ぐさ)に顔を顰(しか)め、食って掛かってきた。

 

「知った風な口を利くなよ! 世の中汚れずに生きていける人間だけじゃないんだ!」

「そうかもな。そしてそういう奴(やつ)は関わる奴のことも汚してっちまう。そして、自分を大切にしてくれる筈(はず)の、汚れる筈じゃなかった奴まで真(まつ)黒(くろ)にしちまうんだ」

 

 新(しん)兒(じ)は即座に言葉を返す。

 陽(よう)子(こ)は瞠(どう)目(もく)して固まった。

 彼が不良の世界から足を洗ったのは、もしかすると妹や家族のことも闇に沈めてしまうことを恐れたのかも知れない。

 その大切な家族はもう居ない。

 

 そして今、新(しん)兒(じ)にとって陽(よう)子(こ)は同じ間違いを犯しながらそれを省みていないように見えるのだろう。

 彼は陽(よう)子(こ)を嘗(かつ)ての自分と重ね、捨て置けないに違いない。

 新(しん)兒(じ)は陽(よう)子(こ)が双(ふた)葉(ば)まで巻き込んだことを批難しているのだ。

 

「久(く)住(ずみ)ちゃんは本来、すんなり日常に帰れる筈だった。それをややこしい立場にしたのは手前(テメエ)だろうが。久(く)住(ずみ)ちゃんは良い娘(こ)だからな、手前(テメエ)の力になろうとしたんだろう。だが、どうにもならなかった結果が今のこの様だろうが。違うか?」

「っ……!」

 

 陽(よう)子(こ)は言い返してこなかった。

 新(しん)兒(じ)はそんな彼女を更に問い詰める。

 

「抑(そもそ)もよ、お前らはあの時、俺(おれ)達と日本に来た時に逃げやがったよな? 『好きで狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に協力した訳じゃなかった』とかなんとか言っておいて、コソコソ行方を眩(くら)まして奴らをこの国に引き入れやがった。あの次点で大人しくこっちの警察の世話になって、今の事情を話してたら、こんなことにはならなかったんじゃねえか? そうすれば捕まってる間に扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を飲まされて、弟の問題なんか起きなかったじゃねえか! で、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)も一網打尽だった! 手を汚したことを自覚しながら償うつもりは更々無くて、その癖、切羽詰まったら『助けてください』なんてよ、虫が良過ぎるとは思わねえのか? あ!?」

 

 陽(よう)子(こ)は完全に下を向いてしまった。

 今更になって何を言うのか――そんな新(しん)兒(じ)の糾(きゆう)弾(だん)が彼女に深く抉(えぐ)ったのだろう。

 

「虻(あぶ)球(く)磨(ま)、そりゃ言い過ぎだ」

 

 しかし、そこで航(わたる)が間に入る。

 

「考えてみろよ。あの時、日本は皇(こう)國(こく)と開戦待った無しだった。両国の国力差を考えると日本には勝ち目が無い戦争だ。現に、多くの偶然と奇跡が重なって辛うじて停戦に持ち込めそうになったくらいだ。もしあのまま日本で捕まって敗戦を迎えたら、椿(つばき)と弟は間違いなく皇(こう)國(こく)に引き渡される。そうしたら二人はどうなる? そう思うと逃げるのも無理はないだろう。今お前が言ったことは今だからこそ言える後出しの理屈じゃないか」

「まあ、そうか……」

 

 窘(たしな)める航(わたる)の言葉に、新(しん)兒(じ)は腕を組んで背(せ)凭(もた)れに身を引いた。

 航(わたる)は俯(うつむ)いたままの陽(よう)子(こ)に言葉を掛ける。

 

「椿(つばき)、兎(と)に角(かく)事情は解った。僕(ぼく)としては、お前ら姉弟には帰国の恩があるし、助けてやりたいと思っている。口ではこう言っているが、虻(あぶ)球(く)磨(ま)の気持ちも同じだ。そしてこれは特別警察特殊防衛課の方針でもある」

 

 陽(よう)子(こ)は顔を上げた。

 航(わたる)はそんな彼女に続けて言い聞かせる。

 

「お前と弟のことだけど、一(ひと)先(ま)ずは確保することになる。その後だけど、まあ拉致やその他の破壊活動に加担したということで、警察で取り調べが始まるだろう。けど、情状は酌量されるように力は尽くすつもりだ。苛酷な環境で無(む)理(り)矢(や)理(り)従わされていたのなら、罪が免除されたり軽くなったりする公算は高い。やり直しだって充分効くと思う。加えて言えば、皇(こう)國(こく)とは犯人引き渡し条約を結んでいないし、日本国として絶対に結べない筈だから、向こうで処刑されることも無いだろう」

 

 陽(よう)子(こ)は瞳を潤ませ、目を皿の様に見開いている。

 秋の日差しが窓から差し込み、水入りの硝(ガラ)子(ス)杯(コツプ)の形を卓上に模(かたど)った。

 震える唇が光を帯び、籠(かご)の中の鳥が恐る恐る外へ飛び出す様に言葉が漏れ出る。

 

「私(あたし)達を……助けてくれるのか?」

「僕(ぼく)達の目的はお前らを成敗する事じゃないからな。根(ね)尾(お)さんとしても、陰(かげ)斗(と)に扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を飲ませて助けることに何の異論も無い筈だ」

 

 陽(よう)子(こ)の眼(め)から大粒の涙が零(こぼ)れ落(お)ちた。

 今まで抑えていた感情が一気に溢(あふ)れ出(だ)したようだった。

 そんな彼女を見て、新(しん)兒(じ)も流(さ)石(すが)に幾分か物腰を柔らかくして付け加える。

 

「ま、一度過(あやま)ちを犯したらやり直す事すら一生許されないなんてことはねえだろ。それだと俺(おれ)も困るしな。罪を償った後、自分の力で空を自由に飛べるかはお前ら次第じゃねえか? 親父が好きだった歌もそういう締められ方だったしよ……」

「ありがとう……! 本当にありがとう……! やっと……やっと解放されるのか……」

 

 何度も礼を言う陽(よう)子(こ)を見ながら、航(わたる)は思い出す。

 嘗て狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の支配下から脱出して日本政府の人間に保護された時、航(わたる)は深海から水面に出られた様な解放感を覚えた。

 航(わたる)達が囚(とら)われていたのは一月程だったが、陽(よう)子(こ)と陰(かげ)斗(と)はその比ではない。

 

 叛(はん)逆(ぎやく)組織から抜け出して体制の管理下に入るのが「解放」とは一見奇妙だが、叛逆組織を犯罪組織に置き換えれば当然の話である。

 今漸(ようや)く、陽(よう)子(こ)の地獄は終わりを迎えようとしていた。

 

「椿(つばき)、何でも好きなもん食えよ。腹減ってるだろ?」

 

 新(しん)兒(じ)が初めとは打って変わった調子でメニューを差し出した。

 

「そういえば僕(ぼく)達も選んでなかったな。何も食わずに店を出る訳にもいかないから、取(と)り敢(あ)えず注文するか」

「ありがとう。でも安いのにしとくよ。助けてもらう身で、これ以上厚かましい真(ま)似(ね)は出来ないからな」

 

 三人は注文を選ぶ。

 食事が終われば、航(わたる)から根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)に連絡を入れて迎えを寄(よ)越(こ)して貰(もら)うつもりだ。

 そうして彼女を高級ホテルまで連れて行き、事情を訊(き)けば陰(かげ)斗(と)は間違い無く保護出来るし、道(どう)成(じよう)寺(じ)にも大きく近付く。

 上(う)手(ま)く行けば、鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)の能力で残る全員の居場所を特定出来るかも知れない。

 

 目的達成までは後一歩だ――航(わたる)も新(しん)兒(じ)もそう思っていた。

 だが陽(よう)子(こ)を含む三人は、物陰から彼らの様子を窺(うかが)う一人の男に気付いていなかった。

 大柄なその男が気配を消す技術は、凡(おおよ)そ素人のものではなかった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)は、航(わたる)と新(しん)兒(じ)、そして陽(よう)子(こ)を載せた車を見て電話を掛ける。

 

「八(や)社(おと)女(め)、計画通り椿(つばき)陽(よう)子(こ)が彼奴(きやつ)等(ら)の本拠地に向かったぞ」

『推(つき)城(しろ)、見送りご苦労。直ちに刺客を送らせてもらうよ』

「労(ねぎら)うのは早い。私(わたし)にはこれから文字通り骨の折れる仕事が待っているからな……」

『ははは、果たして骨折で済むかな?』

 

 二人は何かを良からぬこと企(たくら)んでいた。

 そしてそれは、予想だにしない悲劇の幕を開けることになる。

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