武装戦隊・狼ノ牙が非道な組織であると、航も新兒も知っているつもりだった。
その首魁である陽子の父親・道成寺太も極悪人であるとは思っていた。
だが、陽子の口から語られると、その邪悪さは一層真に迫るものがある。
師匠・妻・息子・娘――道成寺は周囲の汎ゆる人間を自分の道具として利用してきたのだ。
「酷いな……」
航は思わず嫌悪を吐いた。
航もまた、とても幸福とは言い難い家庭で育った。
父親は母親に許されざることをしておきながら平然と結婚し、その罪を追及しても何ら悪びれなかった男である。
そんな夫の所業に傷付いた母親は、被害者性を刃に変えて息子の航に向け、幼い航に対して無視を決め込む様になった。
麗真魅琴が居なければ航は孤独に世界を呪い、怨念に染まって狂気に目覚めていたかも知れない。
だがそれでも、父親は離婚して以降関わり合いを持たなくなったし、母親も最低限の扶養義務は果たした。
そういう意味で、全てを身勝手に利用し踏み躙ってきた道成寺太という男以上に糞だと言い切れる親など滅多には居まい。
「椿、お前が弟を自由にしたいことはよく解ったぜ」
一方で、新兒は温かい家庭に恵まれながらそれを奪われた。
妹を溺愛していた彼は、最悪の血縁の中で弟を想う陽子に何を見るだろう。
少なくとも、既に今にも殴り掛かりそうな殺伐とした空気は彼から消え去っていた。
しかし、手放しに同情して全面的に寄り添える訳でもないらしい。
「だが、お前はその為に人から翼を捥ぐ様なことをしてきたんじゃないのか?」
「何が言いたい?」
「死んだ親父が好きだった歌にな、空を飛びたい蜘蛛が蝶々から羽根を捥いで飛ぼうとする歌がある。蜘蛛は翅がないから仕方が無いと言い訳してたがよ、そんなやり方じゃ自由に空を飛ぶことなんて出来やしなかったんだ。お前は他人から奪った翼で何処へ行く気だったんだ? 空を飛んでいた蝶に何か傷付けられる理由があったのかよ?」
陽子は新兒の言い種に顔を顰め、食って掛かってきた。
「知った風な口を利くなよ! 世の中汚れずに生きていける人間だけじゃないんだ!」
「そうかもな。そしてそういう奴は関わる奴のことも汚してっちまう。そして、自分を大切にしてくれる筈の、汚れる筈じゃなかった奴まで真黒にしちまうんだ」
新兒は即座に言葉を返す。
陽子は瞠目して固まった。
彼が不良の世界から足を洗ったのは、もしかすると妹や家族のことも闇に沈めてしまうことを恐れたのかも知れない。
その大切な家族はもう居ない。
そして今、新兒にとって陽子は同じ間違いを犯しながらそれを省みていないように見えるのだろう。
彼は陽子を嘗ての自分と重ね、捨て置けないに違いない。
新兒は陽子が双葉まで巻き込んだことを批難しているのだ。
「久住ちゃんは本来、すんなり日常に帰れる筈だった。それをややこしい立場にしたのは手前だろうが。久住ちゃんは良い娘だからな、手前の力になろうとしたんだろう。だが、どうにもならなかった結果が今のこの様だろうが。違うか?」
「っ……!」
陽子は言い返してこなかった。
新兒はそんな彼女を更に問い詰める。
「抑もよ、お前らはあの時、俺達と日本に来た時に逃げやがったよな? 『好きで狼ノ牙に協力した訳じゃなかった』とかなんとか言っておいて、コソコソ行方を眩まして奴らをこの国に引き入れやがった。あの次点で大人しくこっちの警察の世話になって、今の事情を話してたら、こんなことにはならなかったんじゃねえか? そうすれば捕まってる間に扶桑丸を飲まされて、弟の問題なんか起きなかったじゃねえか! で、狼ノ牙も一網打尽だった! 手を汚したことを自覚しながら償うつもりは更々無くて、その癖、切羽詰まったら『助けてください』なんてよ、虫が良過ぎるとは思わねえのか? あ!?」
陽子は完全に下を向いてしまった。
今更になって何を言うのか――そんな新兒の糾弾が彼女に深く抉ったのだろう。
「虻球磨、そりゃ言い過ぎだ」
しかし、そこで航が間に入る。
「考えてみろよ。あの時、日本は皇國と開戦待った無しだった。両国の国力差を考えると日本には勝ち目が無い戦争だ。現に、多くの偶然と奇跡が重なって辛うじて停戦に持ち込めそうになったくらいだ。もしあのまま日本で捕まって敗戦を迎えたら、椿と弟は間違いなく皇國に引き渡される。そうしたら二人はどうなる? そう思うと逃げるのも無理はないだろう。今お前が言ったことは今だからこそ言える後出しの理屈じゃないか」
「まあ、そうか……」
窘める航の言葉に、新兒は腕を組んで背凭れに身を引いた。
航は俯いたままの陽子に言葉を掛ける。
「椿、兎に角事情は解った。僕としては、お前ら姉弟には帰国の恩があるし、助けてやりたいと思っている。口ではこう言っているが、虻球磨の気持ちも同じだ。そしてこれは特別警察特殊防衛課の方針でもある」
陽子は顔を上げた。
航はそんな彼女に続けて言い聞かせる。
「お前と弟のことだけど、一先ずは確保することになる。その後だけど、まあ拉致やその他の破壊活動に加担したということで、警察で取り調べが始まるだろう。けど、情状は酌量されるように力は尽くすつもりだ。苛酷な環境で無理矢理従わされていたのなら、罪が免除されたり軽くなったりする公算は高い。やり直しだって充分効くと思う。加えて言えば、皇國とは犯人引き渡し条約を結んでいないし、日本国として絶対に結べない筈だから、向こうで処刑されることも無いだろう」
陽子は瞳を潤ませ、目を皿の様に見開いている。
秋の日差しが窓から差し込み、水入りの硝子杯の形を卓上に模った。
震える唇が光を帯び、籠の中の鳥が恐る恐る外へ飛び出す様に言葉が漏れ出る。
「私達を……助けてくれるのか?」
「僕達の目的はお前らを成敗する事じゃないからな。根尾さんとしても、陰斗に扶桑丸を飲ませて助けることに何の異論も無い筈だ」
陽子の眼から大粒の涙が零れ落ちた。
今まで抑えていた感情が一気に溢れ出したようだった。
そんな彼女を見て、新兒も流石に幾分か物腰を柔らかくして付け加える。
「ま、一度過ちを犯したらやり直す事すら一生許されないなんてことはねえだろ。それだと俺も困るしな。罪を償った後、自分の力で空を自由に飛べるかはお前ら次第じゃねえか? 親父が好きだった歌もそういう締められ方だったしよ……」
「ありがとう……! 本当にありがとう……! やっと……やっと解放されるのか……」
何度も礼を言う陽子を見ながら、航は思い出す。
嘗て狼ノ牙の支配下から脱出して日本政府の人間に保護された時、航は深海から水面に出られた様な解放感を覚えた。
航達が囚われていたのは一月程だったが、陽子と陰斗はその比ではない。
叛逆組織から抜け出して体制の管理下に入るのが「解放」とは一見奇妙だが、叛逆組織を犯罪組織に置き換えれば当然の話である。
今漸く、陽子の地獄は終わりを迎えようとしていた。
「椿、何でも好きなもん食えよ。腹減ってるだろ?」
新兒が初めとは打って変わった調子でメニューを差し出した。
「そういえば僕達も選んでなかったな。何も食わずに店を出る訳にもいかないから、取り敢えず注文するか」
「ありがとう。でも安いのにしとくよ。助けてもらう身で、これ以上厚かましい真似は出来ないからな」
三人は注文を選ぶ。
食事が終われば、航から根尾弓矢に連絡を入れて迎えを寄越して貰うつもりだ。
そうして彼女を高級ホテルまで連れて行き、事情を訊けば陰斗は間違い無く保護出来るし、道成寺にも大きく近付く。
上手く行けば、鬼獄東風美の能力で残る全員の居場所を特定出来るかも知れない。
目的達成までは後一歩だ――航も新兒もそう思っていた。
だが陽子を含む三人は、物陰から彼らの様子を窺う一人の男に気付いていなかった。
大柄なその男が気配を消す技術は、凡そ素人のものではなかった。
⦿⦿⦿
推城朔馬は、航と新兒、そして陽子を載せた車を見て電話を掛ける。
「八社女、計画通り椿陽子が彼奴等の本拠地に向かったぞ」
『推城、見送りご苦労。直ちに刺客を送らせてもらうよ』
「労うのは早い。私にはこれから文字通り骨の折れる仕事が待っているからな……」
『ははは、果たして骨折で済むかな?』
二人は何かを良からぬこと企んでいた。
そしてそれは、予想だにしない悲劇の幕を開けることになる。