日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十二話『本能』 序

 白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)の運転するワゴン車は虻(あぶ)球(く)磨(ま)新(しん)兒(じ)と椿(つばき)陽(よう)子(こ)を載せ、皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)の選挙事務所へとやってきた。

 道中では法定速度をかなり上回る危険な運転で走り続けたが、幸いにして何故か警察に捕まることもなく無事に目的地まで辿(たど)り着(つ)いた。

 

「ささ虻(あぶ)球(く)磨(ま)さん上がってください。椿(つばき)陽(よう)子(こ)は一旦此(こ)処(こ)で安静にさせておきましょう」

「おお!」

 

 彼らは小さな事務所へと足を踏み入れた。

 長らく使われていなかった為(ため)か、古いままのポスターがそのまま掲げられている。

 

「なんか、全然使われてないって感じだぜ」

「先生は専(もつぱ)ら省庁か議員会館の方の事務所に詰めていましたからねー」

「あんま片付いてねえなあ。俺(おれ)の部屋と良い勝負じゃねえか」

「定期的に軽く掃除はしてますよー。あ、其(そ)処(こ)のソファ使ってくださいねー」

 

 陽(よう)子(こ)をソファに寝かせる新(しん)兒(じ)を尻目に、白(びやく)檀(だん)は隅に置かれた金庫の前で屈(かが)み込(こ)んだ。

 

「その中に扶(ふ)桑(そう)丸(がん)があんのか?」

「東(とう)瀛(えい)丸(がん)以上に貴重なものですからねー。僅(わず)かな数をいくつかの小瓶に分けて複数箇所に保管しているんですよー。それこそ、さっきみたいなことになって全部無くなったら捕虜を無力化する手段が完全に失われる訳ですからねー」

 

 白(びやく)檀(だん)は金庫のダイヤルを回し続ける。

 

「おいおい、一体何桁あるんだよ?」

「十六桁ですねー」

 

 金庫が解錠された。

 中には掌(てのひら)にすっぽりと収まってしまいそうな小瓶が寂しく置かれている。

 おそらく、中に入っているのは多くて三錠だろう。

 

「虻(あぶ)球(く)磨(ま)さん、ティッシュ持ってますー?」

「いんや、持ってねえな」

「じゃあ私(わたし)のを使いましょう。普段から手巾(ハンカチ)と一緒に持ち歩いた方が良いですよー」

 

 白(びやく)檀(だん)はテーブルの上にティッシュを敷くと、小瓶から取り出した扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を一錠その上に置いた。

 

「椿(つばき)陽(よう)子(こ)が目を覚ましたらそれを飲ませてくださいねー」

「残りは貴女(アンタ)が一人で持っていくのか?」

「そうなりますねー」

 

 白(びやく)檀(だん)は素(す)気(げ)ない表情と仕草で小瓶を懐にしまい込んだ。

 

「繭(まゆ)月(づき)さん、こっちに呼ぶか? 来るまで待って、一緒に行った方が良いんじゃねえか?」

「御(お)気(き)遣(づか)いは有難いんですけど、彼女は根(ね)尾(お)さんの指示通りホテルに向かわせてください。あっちは今人手が足りないんでー」

「大丈夫なのか?」

「行くしかないですからねー。多分、これは私(わたし)に課せられた運命なんですよー」

 

 新(しん)兒(じ)は溜息を吐いて椅子に坐(すわ)り込(こ)んだ。

 白(びやく)檀(だん)の後ろ姿から静かな覚悟が見て取れたからだ。

 彼女は察している。

 

「多分、最初から仕組まれていたんですよね。椿(つばき)陽(よう)子(こ)を捕まえられたことも、弟の陰(かげ)斗(と)が突然顕(あらわ)れたことも。だとすると、仕掛け人は一人しか居ないじゃないですかー」

 

 椿(つばき)陽(よう)子(こ)と道(どう)成(じよう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)は武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に残されていた数少ない戦力である。

 二人の父親は首(しゆ)領(りよう)Д(デー)こと道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)。

 しかし彼とは別に、狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)には裏から操る黒幕が存在する。

 神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)の一人、首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)は白(びやく)檀(だん)の同僚である仁(に)志(し)旗(き)蓮(れん)の殺害を企(くわだ)て、葬り去った因(いん)縁(ねん)の相手でもある。

 

「じゃ、虻(あぶ)球(く)磨(ま)さん、椿(つばき)陽(よう)子(こ)を頼みますねー」

「ああ、気を付けてな」

 

 白(びやく)檀(だん)は新(しん)兒(じ)と陽(よう)子(こ)を残して事務所を後にした。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 ホテル前、駐車場。

 岬(さき)守(もり)航(わたる)は意識を失ったままで戦い続ける陰(かげ)斗(と)と対(たい)峙(じ)していた。

 腐屍徊(ソンビ)の様に体を揺らしながらゆっくりと近寄ってくる陰(かげ)斗(と)。

 航(わたる)は警戒して構えを取る。

 

 今の陰(かげ)斗(と)は迅雷の速度で縦(じゆう)横(おう)無(む)尽(じん)に動き回る。

 集中力を一瞬でも切ってしまうと、その速度と攻撃力で一気に命に手を掛けられてしまう。

 

 航(わたる)の周囲四方八方に、再び雷鳴が駆け巡る。

 こんなことをされては、常人では戦いにもならない。

 しかし今の航(わたる)は違った。

 拳が、蹴りが、襲い来る陰(かげ)斗(と)を正確に捉える。

 

(行ける!)

 

 強敵達の戦いの中で、航(わたる)は大きく成長した。

 嘗(かつ)ては恐るべき敵として数人掛かりでなんとか渡り合った屋(や)渡(わたり)倫(りん)駆(く)郎(ろう)を単独で圧倒できるようになった。

 今の彼は神(しん)為(い)の使い手の中でも上澄み中の上澄みに位置していると言って良い。

 雷の速度ですら、全神経を研ぎ澄ませば捕捉出来るほどだ。

 

「グゥオオオッ!!」

 

 しかし、いくら打っても陰(かげ)斗(と)の攻撃は収まらない。

 殴り飛ばそうが蹴り飛ばそうが、構わず次の攻撃を仕掛けてくる。

 

「しつこいな……」

 

 航(わたる)は陰(かげ)斗(と)を殴り倒して地面へと叩(たた)き付(つ)けた。

 だが、いくら一方的に圧倒しても陰(かげ)斗(と)の動きを止めることは出来ない。

 陰(かげ)斗(と)は初めから意識の無い状態で、本能だけで戦っている。

 彼を止める方法は三つ、殺すか、切り刻むか、彼の本能を突き動かしている神(しん)為(い)を消滅させるかだ。

 

 陰(かげ)斗(と)は再び稲光となり、航(わたる)の周囲を駆け巡った。

 

「またこれか。他には無いのか?」

 

 航(わたる)は薄々気づき始めていた。

 今の陰(かげ)斗(と)は非常に画一的な戦術しか取れていない。

 本能だけで戦っているのだから当然と言えば当然である。

 

(能力は強力になった。速度も圧倒的に上がっている。だが、これなら寧(むし)ろ意識があった時の方が強くなかったか?)

 

 が、そう思ったのも束(つか)の間(ま)、陰(かげ)斗(と)は突如立ち止まり、獣の様な雄(お)叫(たけ)びを上げた。

 

「ウゥヴァアアアアアアッッ!!」

「なっ……! これは!!」

 

 異変にはすぐに気が付いた。

 陰(かげ)斗(と)の神(しん)為(い)が雄叫びと共に爆発的に増大したのだ。

 そして、再びの突撃。

 航(わたる)は反応し切れず、迅雷の打(ぶ)ち噛(か)ましを喰(く)らって弾(はじ)き飛(と)ばされてしまった。

 

「ぐああああっっ!!」

 

 舞い上がった航(わたる)を目掛け、陰(かげ)斗(と)が何度も体当たりを敢行する。

 滅多打ちにされた航(わたる)は、電撃の威力に意識を失いかけていた。

 

「ぐっ、このっ……!」

 

 航(わたる)は右拳の光線砲ユニットを構えた。

 

(死んでくれるなよ!)

 

 航(わたる)が放った光線が陰(かげ)斗(と)の腹部を貫いて空の彼方(かなた)へと奔(はし)り抜けて行った。

 陰(かげ)斗(と)は体当たりの軌道を大きく逸(そ)らし、血を撒(ま)き散(ち)らしながらホテルの壁に激突する。

 同時に、滅多打ちから逃れられた航(わたる)もまた地面に叩き付けられた。

 

「ぐっ……!」

 

 互いに倒れた航(わたる)と陰(かげ)斗(と)は、二人同時に立ち上がる。

 航(わたる)は今の攻撃で大きなダメージを負ったが、陰(かげ)斗(と)の傷は既に塞(ふさ)がろうとしていた。

 増幅した神(しん)為(い)が傷の治りを早めているのだ。

 だがそれは、陰(かげ)斗(と)にとって決して良いことではない。

 

(このまま神(しん)為(い)が上がり続けたらどうなる? ずっと本能だけで暴れ続けるのか? それとも、心が本能レベルまで完全に壊れてしまったら、今度こそ死んでしまうのか?)

 

 陰(かげ)斗(と)は再び身体を揺らし始める。

 このままの状況が続けば、航(わたる)は次第に追い詰められていってしまうだろう。

 

⦿

 

 八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)は航(わたる)と陰(かげ)斗(と)の戦いを横目に睨(にら)んでいた。

 彼は以前、岬(さき)守(もり)航(わたる)について盟友の推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)と互いの見解の相違を摺(す)り合(あ)わせていた。

 

『岬(さき)守(もり)航(わたる)を放置するのは危険だ。可能な限り早急に始末した方が良い』

 

 そのように評していたのは推(つき)城(しろ)の方だ。

 八(や)社(おと)女(め)にはそれが理解出来なかった。

 

『それ程のものか? 彼には才能が無い。偶然が味方して環境に強くされただけだ』

『だからこそだ、八(や)社(おと)女(め)。それはつまり、何らかの超常的な運命が奴(やつ)を強くしている様ではないか。まるで歴史の表舞台に推し上げようとしているかの如く。それは即(すなわ)ち、我々にとって最大の怨敵であるとすら言えよう。麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)をも上回ってな……』

 

 八(や)社(おと)女(め)は眉根を寄せた。

 岬(さき)守(もり)航(わたる)は今、確かにとんでもない存在へと成り上がった。

 雷(らい)霆(てい)と化して縦横無尽に動き回る道(どう)成(じよう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)と渡り合っている。

 皇(こう)國(こく)の立体駐車場で対峙した頃からは考えられない成長だろう。

 

「運命と歴史に愛された男か……。気に入らないね……」

 

 八(や)社(おと)女(め)は嘆息した。

 だがそんな彼に、根(ね)尾(お)弓矢が一瞬にして肉薄する。

 慌てて飛び退いた八(や)社(おと)女(め)だったが、根(ね)尾(お)の指が頬(ほお)を掠(かす)めた。

 根(ね)尾(お)がもし大量の神(しん)為(い)を使っていたら、この一瞬の接触で八(や)社(おと)女(め)は石化していただろう。

 

「そうなんだよね……。根(ね)尾(お)弓矢、君(きみ)の能力も何だかんだでヤバいんだよ。でも触れただけの一瞬では石にならなかったね」

「お前一人を捕らえるのなら無言で石にしてしまえばいいんだがな。お前には何か裏の目的を共有した秘密の仲間がいるだろう?」

「成程、じっくり石にしながら命令して情報を引き出そうということか。僕(ぼく)も甘く見られたものだ」

 

 八(や)社(おと)女(め)は矢を番(つが)えて弓を構える。

 

「陰(かげ)斗(と)も苦戦しているようだし、僕(ぼく)もそろそろ本腰を入れて君(きみ)を始末するか。元々、本命は君(きみ)の方だからね」

「奇遇だな。俺(おれ)もお前のことは必ず落とし前を付けさせなければならないと思っている」

 

 航(わたる)と陰(かげ)斗(と)の戦い、その裏でもう一方の戦いも動きを見せようとしていた。

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