日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十二話『本能』 急

 新(しん)兒(じ)から連絡を受けた繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)は即座に退勤を申し出た。

 彼から雲(くも)野(の)兄妹の滞在するホテルが敵襲を受けたと報された彼女は、仕事に優先して其方に従うべきと判断。

 自身の飛行能力を駆使し、最短距離でホテルの裏側から双子の居る部屋へ直接入った。

 

「よく来てくださいました、繭(まゆ)月(づき)さん」

「能(の)中(なか)先生、二人は無事ですか?」

 

 医師・能(の)中(なか)伊(ただ)武(たけ)――麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)や雲(くも)野(の)兄妹の主治医だった老翁で、初代総(そう)帥(すい)・麗(うる)真(ま)魅(み)射(いる)の友人として神(しん)為(い)に関する医療を請け負っていた男である。

 病院が沙(さ)華(はな)珠(たま)枝(え)に襲われたことで、狙われた双子がホテルに移されて以来、もしもの時の為(ため)にホテルに詰めていた。

 

「ええ、敵はまだホテルまで入ってきていません。幸いなことにね」

「そうですか、良かった間に合って……」

 

 繭(まゆ)月(づき)はほっと胸を撫(な)で下(お)ろした。

 そんな彼女の服を、二人の小さな手が後ろから軽く引く。

 振り向くとそこには、能(よ)く知る男女の双子がそっくりな顔を並べていた。

 

「あ、そういえば目を覚ましたのよね。こんにちは」

「お久し振りなのです、繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)さん」

「ふにゅぅ……」

 

 長らく眠りに就いていた雲(くも)野(の)兄妹は一週間程前に目を覚ましていた。

 但し、神(しん)為(い)までは回復していない。

 今の二人は、見た目唯(ただ)の幼い子供に過ぎない。

 もし誰かがこの部屋を襲撃してきたとして、二人から神(しん)為(い)を借りることは出来ないのだ。

 

「外はどうなっていますか?」

「今、根(ね)尾(お)さんと岬(さき)守(もり)さんが敵を抑えてくれています」

「成程、彼らを信じるしかありませんね……」

 

 この部屋の窓は駐車場と反対側を向いている。

 様子を見るには、一旦部屋を出なければならない。

 

 とその時、部屋の外から何やら騒がしい声が聞こえてきた。

 

「敵襲でしょうか、繭(まゆ)月(づき)さん」

 

 能(の)中(なか)は怯(おび)えた様子で繭(まゆ)月(づき)に尋ねた。

 沙(さ)華(はな)珠(たま)枝(え)襲撃のトラウマが残っているのだろう、恐怖するのも無理は無い。

 

「私(わたし)が見て来ます」

 

 繭(まゆ)月(づき)は部屋の扉を僅(わず)かに開け、隙間から外を覗(のぞ)いた。

 廊下では三人の女が何やら揉(も)めている。

 

「増(ぞう)長(じよう)天(てん)様、どうして……?」

「良いか、決して手を出すなよ。我々は道(どう)成(じよう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)に手を出さんと約束しておる」

 

 廊下で慌ただしくしていたのは皇(こう)國(こく)貴族達だった。

 鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)が早足で廊下を行き、十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)と枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)がそれに続いている。

 彼女達は自分達の部屋から外の様子を見たのだ。

 

(そうか、襲撃者の一人は八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)。鬼(き)獄(ごく)さんは彼の無実を信じている……)

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)にとって、八(や)社(おと)女(め)は「増(ぞう)長(じよう)天(てん)」と呼ばれる曾(そう)祖(そ)父(ふ)の同志である。

 曾祖父は鬼(き)獄(ごく)家で皇(こう)國(こく)建国の立役者として尊敬され、「持(じ)国(こく)天(てん)」と呼ばれている。

 つまり彼女にとって「増(ぞう)長(じよう)天(てん)」とは、曾祖父同様に敬われるべき人物なのだ。

 彼女は「増(ぞう)長(じよう)天(てん)」が武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)と同一人物だという情報を頑なに否定している。

 

 しかし、今その当人が狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の首(しゆ)領(りよう)Д(デー)・道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)の息子である陰(かげ)斗(と)を連れて自分達の居るホテルを襲撃してきている。

 東(あ)風(ゆ)美(み)としては、自ら真相を確かめたかったのだろう。

 そしてそれを、十(とお)桐(どう)も許した。

 

(面倒なことにならなければ良いけど……)

 

 繭(まゆ)月(づき)は一抹の不安を覚えながら三人が部屋の前を通り過ぎるのを見送り、扉を閉めた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 ホテル前の駐車場、航(わたる)は息を切らしながら雷(らい)霆(てい)と化した陰(かげ)斗(と)の突撃を紙一重で躱(かわ)し続けていた。

 

(糞(くそ)、こう動き回られたんじゃ、扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を飲ませようが無い……!)

 

 航(わたる)は迅雷宛(さなが)らの速度で縦(じゆう)横(おう)無(む)尽(じん)に動き回る陰(かげ)斗(と)に手を焼いていた。

 現状、問題点は主に二つである。

 

 陰(かげ)斗(と)は戦っている最中、定期的に神(しん)為(い)を増幅させる。

 それは即(すなわ)ち、彼が完全に壊れて絶命に至るまでの十三階段を一歩一歩昇るに等しい状態である。

 そしてもう一つ、神(しん)為(い)を増幅させた陰(かげ)斗(と)の速度は航(わたる)ですら対応困難な水準に達しており、戦っているうちに航(わたる)の体力をじわじわと磨(す)り減(へ)らしているのだ。

 

(正直、勝てなくはない。勝つだけならそこまで無理難題じゃない。これくらいの動きの相手なら、光線砲を中(あ)てることは出来る。だが、それじゃ陰(かげ)斗(と)の命を保障出来ない。これが厄介なんだ……!)

 

 航(わたる)は考える。

 生かしたまま陰(かげ)斗(と)を無力化させる手段は扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を飲ませるしか無い。

 それは今、受け取った小瓶の中にある。

 だが、飲ませるには覚悟を決めなければならなかった。

 

(動き回られるから飲ませられない。なら、無(む)理(り)矢(や)理(り)動きを止めれば良い……)

 

 航(わたる)は考える。

 おそらく航(わたる)も無傷では済まないだろう。

 

「だが、やるしか無いか……!」

 

 航(わたる)は身構えて陰(かげ)斗(と)の動きを目で追う。

 そして、地上に降りた相手に正面から向き合って腰を落とした。

 

「来い!」

 

 陰(かげ)斗(と)もまた航(わたる)と向き合い、膝を曲げて腰を落とす。

 全力の飛び出しによる、最高速度の打(ぶ)ち噛(か)ましを繰り出そうとしている。

 

「ヴォオオオオオッッ!!」

 

 雄(お)叫(たけ)びの後、一瞬の沈黙。

 そして、陰(かげ)斗(と)は嘗(かつ)て無い速度で突進してきた。

 

 しかし、航(わたる)は逃げない。

 真正面から陰(かげ)斗(と)を迎え撃つ。

 否(いや)、それどころか、陰(かげ)斗(と)の打(ぶ)ち噛(か)ましを真正面から身体で受け止めた。

 

「ぐおおおおっっ!!」

 

 凄(すさ)まじい電撃が航(わたる)を襲う。

 だが航(わたる)は歯を食い縛って耐えしのぎ、そして陰(かげ)斗(と)にしがみ付いた。

 

「グガッ!? グウウウウッッ!」

 

 陰(かげ)斗(と)は航(わたる)を振(ふ)り解(ほど)こうとする。

 しかし、航(わたる)は離そうとしない。

 寧(むし)ろ余計に捕縛する四肢の力が強くなっていく。

 陰(かげ)斗(と)は何かに気が付いたのか瞠(どう)目(もく)し、身体からの放電を止めた。

 

「気付いたか……」

 

 航(わたる)は一(ひと)先(ま)ず安(あん)堵(ど)した。

 そして、隙を突いて背後へと回り込み、羽交い締めで押さえ込む。

 陰(かげ)斗(と)は振り解かんと藻(も)掻(が)くが、放電しようとはしない。

 これは航(わたる)の計算通りだった。

 

「人間の筋肉は感電で硬直する。捕縛された時、電撃は逆効果だと気付いたようだな。賭けだったけど、上(う)手(ま)く行ってくれて良かったよ」

 

 航(わたる)が自らの命運を賭したのは、陰(かげ)斗(と)がこのことに気付いて放電を止めることだった。

 本能のみで戦う陰(かげ)斗(と)だが、全く戦況を把握していない訳ではない。

 航(わたる)の動きを見ながら人縦横無尽に動き回っては突撃を繰り返す――単純ではあるがそこには間違い無く何らかの「意図」があった。

 

 更に、状況によっては神(しん)為(い)を増幅させて自らを強化する。

 ならば彼が捕縛されたら、逃れるべく航(わたる)を振り解こうとする筈(はず)だ。

 更に、放電が逆効果だと気付けば自らの力だけで藻掻く筈。

 航(わたる)はそこまで読んだ上で陰(かげ)斗(と)の突撃を敢(あ)えて受け止めたのだ。

 

(放電を続ければ僕(ぼく)を殺すことは出来るかも知れない。だが、そこまではしてこないだろうと思っていた。本能で戦うこいつは目の前の状況に対処はしても、二手三手先まで読んだ上でメリットとデメリットを天(てん)秤(びん)に掛けたりはしない。拘束を解くよりも僕(ぼく)を仕留める方を優先はしないと思っていたが、賭けに勝ったな)

 

 航(わたる)は陰(かげ)斗(と)を全力で押さえ込む。

 神(しん)為(い)を加味した膂(りよ)力(りよく)では、今はまだ航(わたる)が陰(かげ)斗(と)を上回っている。

 このままでは、陰(かげ)斗(と)は航(わたる)の拘束を解けない。

 

「さあどうする? どうするんだ、ええ?」

 

 陰(かげ)斗(と)は獣のような呻(うめ)き声(ごえ)を鳴らす。

 今の膂力ではどうしても航(わたる)を振り払うことは出来ない。

 かといって放電では、航(わたる)の筋肉を硬直させるだけだ。

 ならば陰(かげ)斗(と)に残された手段は一つしか無い。

 

「ウ……ヴァアアアアアアッッ!!」

 

 陰(かげ)斗(と)は神(しん)為(い)を増幅させ、膂(りょ)力(りょく)を上げようと咆(ほう)哮(こう)する。

 その時だった。

 航(わたる)は空(す)かさず瓶の蓋(ふた)を開け、陰(かげ)斗(と)の口の中に扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を一錠押し込んだ。

 

「何!?」

「良し! よくやったぞ、岬(さき)守(もり)君!」

 

 二人の戦いを脇見していた八(や)社(おと)女(め)と根(ね)尾(お)も、陰(かげ)斗(と)の口内に扶(ふ)桑(そう)丸(がん)が入ったところをしっかりと目撃した。

 後は陰(かげ)斗(と)が呑(の)み込(こ)んでしまえば、勝負は決する。

 航(わたる)は陰(かげ)斗(と)の頭を上向きにし、口内に手を捻(ね)じ込(こ)んだ。

 

「吐くな! 飲め、呑み込め!」

 

 航(わたる)は思い出す。

 魅(み)琴(こと)が東(あ)風(ゆ)美(み)にそうしたように、扶(ふ)桑(そう)丸(がん)を強制的に嚥(えん)下(げ)させられればどれ程良かったか。

 しかし、航(わたる)は自分に出来ることをやるしか無い。

 技術の有無を嘆いてはいられないのだ。

 

「ン……グッ……!」

 

 陰(かげ)斗(と)の喉が動いた。

 扶(ふ)桑(そう)丸(がん)が食道を通って胃へ落ちたのだ。

 陰(かげ)斗(と)の身体から力が抜けていく。

 

「やった!」

 

 陰(かげ)斗(と)はそのまま目を閉じ、航(わたる)に身を預けたまま意識を失った。

 神(しん)為(い)を喪失し、本能のままに無意識下で戦うことが出来なくなったのだ。

 

「ふぅ……」

 

 航(わたる)は安堵と同時に身体の力が抜けた。

 ここまでの戦いで相当消耗してしまっている。

 陰(かげ)斗(と)の無力化に成功し、気が抜けてしまったのだ。

 陰(かげ)斗(と)の身体はその場に倒れ伏した。

 

「根(ね)尾(お)さん、すみません。後は頼みます……」

「ああ、任せろ」

 

 航(わたる)は根(ね)尾(お)に声を掛けた。

 それを受け、根(ね)尾(お)が八(や)社(おと)女(め)を睨(にら)み付(つ)ける。

 

「莫(ば)迦(か)な、陰(かげ)斗(と)が敗れたのか……。殺さずに無力化したというのか……!」

「八(や)社(おと)女(め)、お前の負けだ」

 

 根(ね)尾(お)が八(や)社(おと)女(め)に躙(にじ)り寄(よ)る。

 八(や)社(おと)女(め)にもまた戦う術は残されていない。

 二人は今、全ての裏で動く「神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)」を追い詰めていた。

 

「くっ、この場は……退散するしか無いか……」

「悪いがそれは出来んぞ、八(や)社(おと)女(め)」

 

 撤退に切り替えようとした八(や)社(おと)女(め)に、根(ね)尾(お)は厳然と一つの事実を告げる。

 

「まさか根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)、貴様……!」

「そうだ。俺(おれ)はさっき、お前にこう命令したな。『自爆はするな』と。石化には失敗したが、あれは今も有効なんだよ」

「なんだと……!?」

 

 八(や)社(おと)女(め)は焦燥の汗を額一杯に浮き立たせ、歯(は)噛(が)みする。

 しかし、最(も)早(はや)彼には逃げることも出来ない。

 武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)の大量消費により大幅に力を落とした今、根(ね)尾(お)の速度を振り切ることは出来ないだろう。

 

「おのれ、こんなことが……!」

「さあ、観念しろ八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)!」

 

 航(わたる)もまた気力を振り絞って八(や)社(おと)女(め)に迫る。

 

「もう逃げられませんよー」

「白(びやく)檀(だん)、お前今頃になって……。調子の良い奴(やつ)だな」

 

 白(びやく)檀(だん)もワゴン車を降りて参戦した。

 取り囲まれた八(や)社(おと)女(め)は最早彼らの手に落ちたも同然である。

 しかし、その時だった。

 

『失敗したのか、八(や)社(おと)女(め)よ』

 

 何処(どこ)からともなく、聞き覚えのある声が響いてきた。

 航(わたる)・根(ね)尾(お)・白(びやく)檀(だん)は同時に空を見上げる。

 

「その声は……!」

 

 航(わたる)が名を呼ぶ前に、一人の偉丈夫が何処からともなく地上へと降り立った。

 

「手を貸そうか、八(や)社(おと)女(め)」

「推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)!」

 

 顕(あらわ)れたのは八(や)社(おと)女(め)の同志・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)だった。

 傷だらけのその姿は、彼がここへ来る前に誰かと死闘を繰り広げていたことを雄弁に物語っていた。

 

「退くぞ、八(や)社(おと)女(め)。我々はこんな所で終わる訳にはいかん。我々には為(な)すべき悲願、向かうべき樂(らく)園(えん)があるだろう」

「推(つき)城(しろ)、助かったよ……」

 

 推(つき)城(しろ)は一歩ずつゆっくりと八(や)社(おと)女(め)の側へと歩み寄っていく。

 しかしその歩みは如何にも弱々しく、とても戦える状態ではなさそうだ。

 奸計の幕引きを告げるように、秋の風が緩やかに吹き込んでいた。

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