新兒から連絡を受けた繭月百合菜は即座に退勤を申し出た。
彼から雲野兄妹の滞在するホテルが敵襲を受けたと報された彼女は、仕事に優先して其方に従うべきと判断。
自身の飛行能力を駆使し、最短距離でホテルの裏側から双子の居る部屋へ直接入った。
「よく来てくださいました、繭月さん」
「能中先生、二人は無事ですか?」
医師・能中伊武――麗真魅琴や雲野兄妹の主治医だった老翁で、初代総帥・麗真魅射の友人として神為に関する医療を請け負っていた男である。
病院が沙華珠枝に襲われたことで、狙われた双子がホテルに移されて以来、もしもの時の為にホテルに詰めていた。
「ええ、敵はまだホテルまで入ってきていません。幸いなことにね」
「そうですか、良かった間に合って……」
繭月はほっと胸を撫で下ろした。
そんな彼女の服を、二人の小さな手が後ろから軽く引く。
振り向くとそこには、能く知る男女の双子がそっくりな顔を並べていた。
「あ、そういえば目を覚ましたのよね。こんにちは」
「お久し振りなのです、繭月百合菜さん」
「ふにゅぅ……」
長らく眠りに就いていた雲野兄妹は一週間程前に目を覚ましていた。
但し、神為までは回復していない。
今の二人は、見た目唯の幼い子供に過ぎない。
もし誰かがこの部屋を襲撃してきたとして、二人から神為を借りることは出来ないのだ。
「外はどうなっていますか?」
「今、根尾さんと岬守さんが敵を抑えてくれています」
「成程、彼らを信じるしかありませんね……」
この部屋の窓は駐車場と反対側を向いている。
様子を見るには、一旦部屋を出なければならない。
とその時、部屋の外から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「敵襲でしょうか、繭月さん」
能中は怯えた様子で繭月に尋ねた。
沙華珠枝襲撃のトラウマが残っているのだろう、恐怖するのも無理は無い。
「私が見てきます」
繭月は部屋の扉を僅かに開け、隙間から外を覗いた。
廊下では三人の女が何やら揉めている。
「増長天様、どうして……?」
「良いか、決して手を出すなよ。我々は道成寺陰斗に手を出さんと約束しておる」
廊下で慌ただしくしていたのは皇國貴族達だった。
鬼獄東風美が早足で廊下を行き、十桐綺葉と枚辻埜愛瑠がそれに続いている。
彼女達は自分達の部屋から外の様子を見たのだ。
(そうか、襲撃者の一人は八社女征一千。鬼獄さんは彼の無実を信じている……)
東風美にとって、八社女は「増長天」と呼ばれる曾祖父の同志である。
曾祖父は鬼獄家で皇國建国の立役者として尊敬され、「持国天」と呼ばれている。
つまり彼女にとって「増長天」とは、曾祖父同様に敬われるべき人物なのだ。
彼女は「増長天」が武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千と同一人物だという情報を頑なに否定している。
しかし、今その当人が狼ノ牙の首領Д・道成寺太の息子である陰斗を連れて自分達の居るホテルを襲撃してきている。
東風美としては、自ら真相を確かめたかったのだろう。
そしてそれを、十桐も許した。
(面倒なことにならなければ良いけど……)
繭月は一抹の不安を覚えながら三人が部屋の前を通り過ぎるのを見送り、扉を閉めた。
⦿⦿⦿
ホテル前の駐車場、航は息を切らしながら雷霆と化した陰斗の突撃を紙一重で躱し続けていた。
(糞、こう動き回られたんじゃ、扶桑丸を飲ませようが無い……!)
航は迅雷宛らの速度で縦横無尽に動き回る陰斗に手を焼いていた。
現状、問題点は主に二つである。
陰斗は戦っている最中、定期的に神為を増幅させる。
それは即ち、彼が完全に壊れて絶命に至るまでの十三階段を一歩一歩昇るに等しい状態である。
そしてもう一つ、神為を増幅させた陰斗の速度は航ですら対応困難な水準に達しており、戦っているうちに航の体力をじわじわと磨り減らしているのだ。
(正直、勝てなくはない。勝つだけならそこまで無理難題じゃない。これくらいの動きの相手なら、光線砲を中てることは出来る。だが、それじゃ陰斗の命を保障出来ない。これが厄介なんだ……!)
航は考える。
生かしたまま陰斗を無力化させる手段は扶桑丸を飲ませるしか無い。
それは今、受け取った小瓶の中にある。
だが、飲ませるには覚悟を決めなければならなかった。
(動き回られるから飲ませられない。なら、無理矢理動きを止めれば良い……)
航は考える。
おそらく航も無傷では済まないだろう。
「だが、やるしか無いか……!」
航は身構えて陰斗の動きを目で追う。
そして、地上に降りた相手に正面から向き合って腰を落とした。
「来い!」
陰斗もまた航と向き合い、膝を曲げて腰を落とす。
全力の飛び出しによる、最高速度の打ち噛ましを繰り出そうとしている。
「ヴォオオオオオッッ!!」
雄叫びの後、一瞬の沈黙。
そして、陰斗は嘗て無い速度で突進してきた。
しかし、航は逃げない。
真正面から陰斗を迎え撃つ。
否、それどころか、陰斗の打ち噛ましを真正面から身体で受け止めた。
「ぐおおおおっっ!!」
凄まじい電撃が航を襲う。
だが航は歯を食い縛って耐えしのぎ、そして陰斗にしがみ付いた。
「グガッ!? グウウウウッッ!」
陰斗は航を振り解こうとする。
しかし、航は離そうとしない。
寧ろ余計に捕縛する四肢の力が強くなっていく。
陰斗は何かに気が付いたのか瞠目し、身体からの放電を止めた。
「気付いたか……」
航は一先ず安堵した。
そして、隙を突いて背後へと回り込み、羽交い締めで押さえ込む。
陰斗は振り解かんと藻掻くが、放電しようとはしない。
これは航の計算通りだった。
「人間の筋肉は感電で硬直する。捕縛された時、電撃は逆効果だと気付いたようだな。賭けだったけど、上手く行ってくれて良かったよ」
航が自らの命運を賭したのは、陰斗がこのことに気付いて放電を止めることだった。
本能のみで戦う陰斗だが、全く戦況を把握していない訳ではない。
航の動きを見ながら人縦横無尽に動き回っては突撃を繰り返す――単純ではあるがそこには間違い無く何らかの「意図」があった。
更に、状況によっては神為を増幅させて自らを強化する。
ならば彼が捕縛されたら、逃れるべく航を振り解こうとする筈だ。
更に、放電が逆効果だと気付けば自らの力だけで藻掻く筈。
航はそこまで読んだ上で陰斗の突撃を敢えて受け止めたのだ。
(放電を続ければ僕を殺すことは出来るかも知れない。だが、そこまではしてこないだろうと思っていた。本能で戦うこいつは目の前の状況に対処はしても、二手三手先まで読んだ上でメリットとデメリットを天秤に掛けたりはしない。拘束を解くよりも僕を仕留める方を優先はしないと思っていたが、賭けに勝ったな)
航は陰斗を全力で押さえ込む。
神為を加味した膂力では、今はまだ航が陰斗を上回っている。
このままでは、陰斗は航の拘束を解けない。
「さあどうする? どうするんだ、ええ?」
陰斗は獣のような呻き声を鳴らす。
今の膂力ではどうしても航を振り払うことは出来ない。
かといって放電では、航の筋肉を硬直させるだけだ。
ならば陰斗に残された手段は一つしか無い。
「ウ……ヴァアアアアアアッッ!!」
陰斗は神為を増幅させ、膂力を上げようと咆哮する。
その時だった。
航は空かさず瓶の蓋を開け、陰斗の口の中に扶桑丸を一錠押し込んだ。
「何!?」
「良し! よくやったぞ、岬守君!」
二人の戦いを脇見していた八社女と根尾も、陰斗の口内に扶桑丸が入ったところをしっかりと目撃した。
後は陰斗が呑み込んでしまえば、勝負は決する。
航は陰斗の頭を上向きにし、口内に手を捻じ込んだ。
「吐くな! 飲め、呑み込め!」
航は思い出す。
魅琴が東風美にそうしたように、扶桑丸を強制的に嚥下させられればどれ程良かったか。
しかし、航は自分に出来ることをやるしか無い。
技術の有無を嘆いてはいられないのだ。
「ン……グッ……!」
陰斗の喉が動いた。
扶桑丸が食道を通って胃へ落ちたのだ。
陰斗の身体から力が抜けていく。
「やった!」
陰斗はそのまま目を閉じ、航に身を預けたまま意識を失った。
神為を喪失し、本能のままに無意識下で戦うことが出来なくなったのだ。
「ふぅ……」
航は安堵と同時に身体の力が抜けた。
ここまでの戦いで相当消耗してしまっている。
陰斗の無力化に成功し、気が抜けてしまったのだ。
陰斗の身体はその場に倒れ伏した。
「根尾さん、すみません。後は頼みます……」
「ああ、任せろ」
航は根尾に声を掛けた。
それを受け、根尾が八社女を睨み付ける。
「莫迦な、陰斗が敗れたのか……。殺さずに無力化したというのか……!」
「八社女、お前の負けだ」
根尾が八社女に躙り寄る。
八社女にもまた戦う術は残されていない。
二人は今、全ての裏で動く「神瀛帯熾天王」を追い詰めていた。
「くっ、この場は……退散するしか無いか……」
「悪いがそれは出来んぞ、八社女」
撤退に切り替えようとした八社女に、根尾は厳然と一つの事実を告げる。
「まさか根尾弓矢、貴様……!」
「そうだ。俺はさっき、お前にこう命令したな。『自爆はするな』と。石化には失敗したが、あれは今も有効なんだよ」
「なんだと……!?」
八社女は焦燥の汗を額一杯に浮き立たせ、歯噛みする。
しかし、最早彼には逃げることも出来ない。
武装神為の大量消費により大幅に力を落とした今、根尾の速度を振り切ることは出来ないだろう。
「おのれ、こんなことが……!」
「さあ、観念しろ八社女征一千!」
航もまた気力を振り絞って八社女に迫る。
「もう逃げられませんよー」
「白檀、お前今頃になって……。調子の良い奴だな」
白檀もワゴン車を降りて参戦した。
取り囲まれた八社女は最早彼らの手に落ちたも同然である。
しかし、その時だった。
『失敗したのか、八社女よ』
何処からともなく、聞き覚えのある声が響いてきた。
航・根尾・白檀は同時に空を見上げる。
「その声は……!」
航が名を呼ぶ前に、一人の偉丈夫が何処からともなく地上へと降り立った。
「手を貸そうか、八社女」
「推城朔馬!」
顕れたのは八社女の同志・推城朔馬だった。
傷だらけのその姿は、彼がここへ来る前に誰かと死闘を繰り広げていたことを雄弁に物語っていた。
「退くぞ、八社女。我々はこんな所で終わる訳にはいかん。我々には為すべき悲願、向かうべき樂園があるだろう」
「推城、助かったよ……」
推城は一歩ずつゆっくりと八社女の側へと歩み寄っていく。
しかしその歩みは如何にも弱々しく、とても戦える状態ではなさそうだ。
奸計の幕引きを告げるように、秋の風が緩やかに吹き込んでいた。