時をやや遡る。
街中で戦いを繰り広げる麗真魅琴と推城朔馬だったが、形勢は一方的なまま変わらなかった。
「ぐっ……! はぁ、はぁ……」
推城は既に満身創痍で、長槍を握る手にも力が入っていない。
最早勝敗は決したと言って良いだろう。
否、それは最初から明らかだったかも知れない。
「もう一度訊くわよ。久住さんを何処へやったの?」
一方で、魅琴の表情にも余裕は無い。
戦いは完全に制している。
だが、彼女は推城の耐久力に不気味なものを感じていた。
「ふむ、口惜しいが仕方あるまい……」
推城は何かを決意したらしく、静かに構えを解いた。
「そんなに知りたいのなら教えてやろう、久住双葉の居場所をな」
「あら、突然素直になるのね」
「事情が変わったのでな。私もまた、早々に別件へ向かわねばならんらしい」
魅琴は眼に敵意を宿したまま、推城に近付く。
余計なことをしようものなら容赦無く叩くと、無言のうちにそう語っている。
「先ず久住双葉の安否だが、我々はあの女に一切危害を加えてなどいないし、監禁や拘束などの行動制限も課してはいない。八社女はただ、あの女から電話を拝借して貴様に掛けただけだ。用が済めば素直に電話を返し、そしてそのまま行かせている」
「何をふざけたことを。そんな話を信用するとでも? 久住さんが八社女にスマホを貸す訳が無いでしょう」
「ククク……」
推城は不気味に笑っている。
魅琴はそんな彼の態度が癇に障り、拳を振り上げた。
「おっと待て。流石の私もこれ以上貴様の拳を貰いたくはない。ここは拳を降ろして、話の続きを聴いてもらおうか」
「降ろさないから心して喋りなさい」
「八社女はな、一度久住双葉に取引を持ち掛けている。椿陽子を道成寺太から解放する為の取引だ」
「取引?」
「知らなかったのか? 皇奏手の政治生命に止めを刺すべく、秘書として見た不正行為を記者に暴露することだ」
魅琴の拳が推城を殴り飛ばした。
巨体の後頭部が途轍もない勢いで土瀝青に叩き付けられ、凄まじい衝突音が響く。
「ぐうう……!」
「次下らないことを言うようなら、そんな口は要らないわ。お前から聞くのは諦めて自力で探すことにするから」
「フン、まあ良いさ。肝心なのはあの女が今無事ということなのだからな」
「ならさっさと居場所を吐きなさい」
魅琴は推城の髪を掴んで無理矢理立たせた。
推城は動じず、言葉を続ける。
「久住双葉はある女との約束で、『金糸雀』という喫茶店に向かっている。あの女が通っていた高校の近くらしい」
「喫茶店『金糸雀』……」
「確かめるなら早く行った方が良いぞ。あの辺りには最近、奴が潜んでいるからな」
「奴?」
「知れたこと、道成寺太よ」
推城は歪んだ笑みを浮かべた。
「道成寺は今、潜伏先の付近で狼藉を繰り返している。革命に必要な資金や根城、そして女を手に入れる為にな。そして、『金糸雀』はまさにその危険区域にある。遭遇する可能性は大だ」
魅琴は瞠目し、推城の身体を突き飛ばした。
推城から言葉以上の悪意を受け取っていた。
彼の目的は自分の足止めだという。
ならば、このまま素直に自分を行かせるだろうか。
行かせた先にも二段構えの足止め策を講じ、次の刺客を用意しているのではないか。
ならば久住双葉が道成寺と遭遇するのは、可能性が大というよりも仕組まれた必然ではないのか。
「お前ら……!」
「助けたければ行くが良い。尤も、それが貴様にとって賢明かは知らんがな。何せあの女は、貴様らを記者に売り飛ばす裏切り者なのだからな!」
「黙れ!」
魅琴は推城を蹴り飛ばした。
巨体が地を這うボレーシュートの様に飛んで行き、ビルへと突き刺さる。
彼女はそのまま背を向けて、推城に目もくれずに再び駆け出した。
⦿⦿⦿
時を戻す。
満身創痍の推城朔馬は、折れた長槍の柄で身体を支えながら歩いている。
一歩一歩進む度に血が滴り落ちる姿は、八社女征一千よりも遙かに弱っていた。
「おいおい推城、手を貸してくれるのは有難いが、大丈夫なのか?」
「悪いが大丈夫ではないな。手を貸すと言っても形勢を逆転するのは到底無理だ。出来るのは精々、撤退を助けることくらいだろう。私を麗真魅琴にぶつけたのは貴様なのだからな、そこは大目に見てもらおう」
推城は片膝を突いた。
「出来ればもう少し足止めしておきたかったがな。流石の私も限界だった。そんな折、広目天から貴様が危ないとの報せが入ったから、もう一人の刺客の方へと誘導して此方へ駆け付けたという訳だ」
「成程、賢明な判断だよ。実際、君が来てくれていなかったら僕は石化させられ、全てを吐かされていただろう」
八社女は推城の方へと勢い良く駆け出した。
が、岬守航が咄嗟に飛び付いて押し倒す。
「ぐっ、この凡夫が! 邪魔をするな!」
「狙いは見え透いているんだよ、八社女! 逃がして堪るか!」
航は八社女にしがみ付いたまま離さない。
言葉通り、彼らがどうやってこの場を切り抜けようとしているのかは大方予想が付いている。
今の状態の推城が戦力にならないことは一目で解る。
それは本人が誰よりも承知の筈だ。
しかし、二人はこの場から逃れられると確信している。
そして実際、彼らにはその手段があるだろう。
「岬守君、よくやったぞ。そのまま離すな」
「解っていますよ。根尾さんは推城を頼みます」
根尾弓矢が推城に一歩一歩迫る。
「推城朔馬、お前のことも石化させてもらう。八社女の自爆は封じたが、お前にはそれが残されているからな」
「くっ……!」
推城は顔を顰めた。
どうやら航と根尾の読みは当たっていたらしい。
というより、二人して力を使い果たした神瀛帯熾天王がこの場から逃げるには、どちらかが自爆するしかないだろう。
しかし、その最後の手段も破られた。
今度こそ二人は一巻の終わり、そう思われた。
『おやおや、御二人共絶体絶命ではありませんか』
その時だった。
何処からともなく、更に別の男の声が聞こえたきた。
「今度は誰だ……?」
声の方を見上げた航は驚愕に目を瞠った。
そこには覚えのある光景があったからだ。
目の前に立ち込める黒い靄を、航は知っている。
その闇の奥から、一人の男の頭部が浮き上がって来る。
「お前は……!」
最初に闇から顕れたのは猫面だった。
そして半身を乗り出すように、上半身から徐々にその全貌を見せていく。
背の高い、軍服を着た猫面の男――航はこの男に会ったことがある。
「久しい喃、岬守航。あれからもう六年になるか……」
仮面の下から老翁が狂気の眼を覗かせている。
目の前に足を着けた男は、嘗て航の高校を襲ったテロリスト「崇神會廻天派」の中心人物の一人で、仲間を裏切って唯一人あの場を立ち去った「猫面の男」に他ならなかった。
「岬守さん、そのまま伏せていてください!」
白檀揚羽が老翁に向けて右手を突き出している。
彼女の術識神為は、空気を揺らして催眠効果を持つ「音」を作り出して幻惑するのが主な能力だが、応用すれば音波による破壊圧を相手に向けることも可能なのだ。
その猛威が老翁に襲い掛かる。
だが彼は一瞬にして姿を眩まし、白檀の背後に回り込んでいた。
「話にならん喃」
老翁は白檀を激しく蹴り飛ばす。
彼女は航の脇に倒れ込んだ。
そして同時に航も気が付く。
いつの間にか、航の腕から八社女の身体が抜け出していた。
「ふう、一時はどうなることかと思ったよ」
八社女は老翁と隣り合って立っていた。
更にその脇には推城も控えている。
この男もまた神瀛帯熾天王の一員だと航も根尾もすぐに理解した。
そして、その正体も。
「貴様……『持国天』、鬼獄魅三郎か……」
「ヒヒヒ……」
老翁は甲高い笑い声を漏らした。
六年前に航が襲われた時と同じ、腐った性根が軋むような声だ。
「お前は儂の曾孫の一人じゃな? 如何にも儂は嘗て鬼獄魅三郎を名乗っていた男じゃ。しかし、今の儂は媛様より別の名を賜っておる」
魔除けの紋章が記された手袋が猫面を掴み、自身の顔から剥ぎ取った。
仮面の裏から顕れた老翁の顔には、確かに嘗て麗真家に飾られていた鬼獄魅三郎の面影がある。
「今の儂の名は『閏閒三入』。閏年の閏に、門構えに月の閒、三入は三に入ると書く」
「閏閒……三入……」
航は閏閒の顔をまじまじと見詰めながら、白檀を抱えて立ち上がった。
この男こそが麗真家の宿命の元凶、つまり麗真魅琴を死地へと追い遣った張本人だ。
そう思うと、航の腹の底が沸々と煮えてくる。
険しい表情で閏閒を睨む根尾も概ね同じ思いだろう。
一方、閏閒はそんな二人を嘲るような視線を返している。
それでいて、眼には憎悪の焔が宿っている。
「全く、今更になって儂らのことを嗅ぎ回りおって。鬱陶しいことこの上無い。それに、まさか増長天様と多聞天様まで追い詰められるとは……。我が不肖の息子は随分と面倒な禍根を残してくれたものじゃ」
だが言葉とは裏腹に、閏閒は口角を歪み上げた。
邪で、攻撃的な、悪意に満ちた笑みである。
「そこまで知りたいならば教えてやろうか? 我々が何処から来て、何処へ行こうとしているのか……」
「何?」
閏閒の意外な言葉に、航と根尾は思わず身構えた。
驚きを禁じ得なかった二人であるが、それは相手側の八社女や推城も同じらしい。
「聞き間違えかな? 僕達のことをわざわざ教えようとしていると聞こえたが……?」
「なんのつもりだ、持国天」
「媛様の意思じゃよ」
八社女と推城は顔を顰めたが、それ以上は口を噤んだ。
閏閒が出した「媛様」という言葉が二人を制したのだろう。
不穏な静寂が辺りに拡がる中、閏閒は続ける。
「媛様……広目天様は仰った。我らの悲願は成就の時を迎えようとしている。帝に連なる者共を根之堅洲國へと誘い、葦原中國の大地を土蜘蛛で覆い尽くし、我ら『朝敵』の樂園が来たると。その前に、滅び行く者共には自分が何者に滅ぼされるのかを知り、後悔と絶望を味わわせてやるのが面白い、と喃……」
閏閒は悍ましい笑い声を漏らし始めた。
「御二人をここまで追い詰めた褒美じゃ。貴様らに我ら『神瀛帯熾天王』の何たるか、しかと教えて進ぜよう」
不気味に淀む空の下で今、恐るべき真実が明かされようとしていた。