ホテルのエントランスから三人の女が飛び出して来た。
慌てふためいた様子で駐車場を駆けて来る鬼獄東風美を、十桐綺葉と枚辻埜愛瑠が追い掛ける。
彼女はこの場に神瀛帯熾天王が集まった光景に驚愕を隠せない様子だった。
「増長天様だけじゃない……多聞天様、それに持国天様まで、どうして……?」
この場の視線が東風美に集まる。
航には彼女が動揺しているその訳が能く解った。
慌ててこの場へやって来たことから察するに、東風美は八社女が道成寺陰斗と共闘している様子を見ていたのだ。
それは彼女にとって信じられない光景だったに違いない。
一方で、そんな東風美が誇りに思っている「皇國建国の導き手達」こと「神瀛帯熾天王」は、彼女を無感情に見据えていた。
取分け、東風美の曾祖父たる「持国天」閏閒三入は、曾孫を疎まし気に見ていた。
「そう言えば、お前は此方へ来ていたんじゃったな。すっかり忘れておったわ。命拾いした喃……」
「命拾い……?」
東風美の顔が一気に青褪めた。
彼女は既に、自分の家族が何者かに襲撃されて鏖にされたことを知っている。
目の前に居る曾祖父の口振りは、まるで自分がそれに巻き込まれなかったことを残念がっているかの様だ。
否、それどころか、もっと悪い想像も容易に想起させる。
「まあ良いわ、元々何も知らん愚かな小娘じゃから喃。ただ蝶よ花よと煽てられて世界の中心が自分だと勘違いしているだけの、鬼獄家にとっての『愛玩人形』がお前じゃ。掃除し損じたとしても大差は無いじゃろう」
「どういうことですか……?」
震える東風美に対し、閏閒は侮蔑に満ちた嘲笑を向ける。
それは凡そ、自分を除いた家族の殆どを喪って弱っている肉親に対して向ける表情ではなかった。
「フン、儂は元々鬼獄家など作るつもりは無かった。最初の息子・入彌だけが居れば事足りた。あ奴さえ裏切らなければ、代わりの手駒を用意する必要など無かったのじゃ」
「代わりの……。入彌って、明治日本で麗真家を作った大叔父様のことですか……? 私達は……麗真魅射の代わりだって言うんですか……?」
「そう、鬼獄家は儂ら『神瀛帯熾天王』の目的の為に、暗躍する上での手駒とすべく作り上げたものじゃ。麗真魅射などと名を変えて皇國に盾突いたあ奴の、本来の役目を引き継がせる為に喃。あ奴の組織結成能力も、元々はその為に儂が仕込んだものじゃ。しかし麗真家と鬼獄家、両者が築き上げたものと成果を見るに、出来の違いは一目瞭然じゃ喃」
俯く東風美、見下す閏閒――その対比関係は極めて残酷なものだった。
立ち会う航は思わず拳を握り締める。
根尾も眉間に皺を寄せ、不快感を隠せていない。
そんな二人を尻目に、閏閒は東風美へ更に追い打ちを掛ける。
「その癖、鬼獄家は知り過ぎておった。儂ら『神瀛帯熾天王』の真の目的を喃。有能でなくとも、手駒として使えるならば良かった。しかし、此度の戦争で康彌はその無能を露呈させた。それが広目天の媛様の逆鱗に触れて始末された。そして翻って鬼獄家を俯瞰したとき、康彌以上に皇國社会で出世している者がおらんではないか。無能な癖に秘密は知っている手駒など怖くて使えんし、負債になるだけじゃ」
閏閒は年老いた顔を邪悪に歪めて笑った。
「だから、一掃したのじゃ。この儂自らの手で喃」
瞬間、東風美は絶叫して閏閒に殴り掛かった。
曾孫の憤怒と殺意が存分に込められた渾身の拳が曾祖父を襲う。
だが閏閒はこれを容易く躱すと、東風美の首筋目掛けて手刀を振り下ろす。
丸太であろうと両断出来る程の鋭い一撃だ。
咄嗟に、一人の男が彼女を庇った。
根尾の背中が閏閒の手刀に斬り裂かれ、痛々しい傷跡が刻まれていた。
倒れ込んだ根尾は閏閒を睨み上げる。
「こうも簡単に肉親を殺そうとするのか……! 血も涙も無い鬼とは貴様のことだな鬼獄魅三郎、いや、閏閒三入!」
「当たり前じゃ。抑も肉親とは、本来は己の死後に家を残す為に造り生かすもの。不死なる我らにとっては、ただ目的に利用する為のものに過ぎん。用済みになれば棄てるまでよ」
根尾に返された視線は恐ろしく冷酷なものだった。
「おい、其処の狼藉者共」
小柄な女貴族・十桐綺葉が前へ出た。
「さっきから言うておる貴様らの『目的』とは何じゃ? 答えによっては貴様ら全員我の手で消してくれようぞ」
「六摂家当主か、この場で最も厄介なのはお前じゃろう喃。だが、如何に十桐綺葉の能力とはいえ儂等の『穢詛禍終』に効くとは思わぬことじゃ」
「何?」
「十桐綺葉、お前の能力は自身にとって理に適った別宇宙をこの場に召喚し、絶対的に有利な法則下で環境を制するというものじゃろう? しかし、穢詛禍終とは抑も宇宙の理の外側に存在する力。故にお前の力は受け付けんのじゃよ」
神瀛帯熾天王三人の周囲を薄黒い泡の様な皮膜が覆った。
推城が腕を点に向けている。
これは推城の能力ということか。
『穢詛禍終・魔祟楼』
皮膜は少しずつ小さくなっており、推城の額から汗が流れる。
どうやらこの皮膜を維持する上で無理をしているらしい。
「持国天、この状態では長く保たん。話すなら手短に、さっさと話してしまえ」
「承知いたしました」
閏閒は再び根尾と東風美に眼を向けた。
「先程も語ったように、鬼獄家は神瀛帯熾天王が皇國で暗躍する手駒として作ったものじゃ。全ては一つの壮大な悲願の為に、儂が日本国より世界の境界を越えて行き来し、皇國の建国を助けたのはその為じゃ。皇國の、神皇の強大な力を利用し、世界を儂らにとっての樂園へと導く為に……」
「樂園だと……?」
航は閏閒の言葉に、背筋を百足が蠢く様な強いむず痒さを覚えた。
樂園という聞こえの良い目的が、何処までも不穏で悍ましいもののように感じる。
「それは……どういう意味だ?」
「ヒヒヒ……」
閏閒は目を皿の様に見開いた。
血走った眼球に、百年以上も蓄え続けたかの様な狂気が宿っている。
「日本人の存在しない世界、日本の足跡が消え去った歴史だ! その為にこそ儂は皇國に目を付けた! 皇國を動かし、汎ゆる世界で日本を吸収させ、そして一纏めに絶滅へと追い込む為に喃!」
航は戦慄を禁じ得なかった。
嘗て麒乃神聖花が高らかに謳い上げた、皇國の行動原理にも大いに脅威を感じたものだったが、その裏には更に恐るべき悪意が潜んでいたとは。
余りの物言いに、その場は静まりかえっている。
航はやっとの思いで辛うじて尋ねた。
「何故……そんな恐ろしいことを……」
「至極単純な理由じゃよ。儂らは恨んで恨んで、恨み尽くしておるからじゃ。日本という国の何たるかを象徴する帝、天皇というものを喃」
閏閒の脇に控える八社女と推城は眉間に皺を寄せ、憎しみに顔を顰めた。
凄まじい表情だった。
その皺の一本一本に、積年の恨みが刻まれているかの様だ。
「儂らは皆、それぞれに生きた時代で帝から筆舌に尽くし難い無念を味わわされた。皇位を簒奪せんとする不届きなる怪僧の掣肘に尽力した恩人諸共島流しに遭った者。二つに分かれた皇統の争いに巻き込まれ、武士としての生き方を奪われた者。そして、君側の奸を除き親政を築かんとする忠義を認められず、逆賊の汚名と共に処刑の裁きを下された者」
「じゃあお前らは本当に……奈良時代や南北朝時代から生きて、ずっと天皇を恨み続けてきたっていうのか……!」
「その力を与えられたのじゃ! 広目天の媛様に喃!」
閏閒は両腕を拡げた。
「儂らは神なる東瀛に生まれ落ち、天の帝への愛の焔を燃やす至高の忠臣! 然れど痛絶なる裏切りに遭いて愛は憎悪に転じ魔の道へと至る! 即ち我ら『神瀛帯熾天王』也!」
曇天に雷が鳴り響いた。
それは宛ら、不遜なる三人に対して天が怒り猛っているかの様だ。
しかし、雲は陽光を遮っている。
淀んだ空は駐車場に不穏な影を落としていた。
「そうか……だが残念だったな」
航は閏閒に言い返す。
「頼みの綱の皇國は、日本と講和を結びたがっている。皇國を使って日本を滅ぼそうという魂胆は最早風前の灯火だ。お前らの悲願は叶わない」
「そう思うか?」
閏閒は航の指摘を一笑に付した。
「何処までもお目出度い奴じゃ喃。忘れてはいまいか? 抑も皇國は何を求めて世界を渡り、日本を吸収して回っているのか。六摂家当主・十桐綺葉、お前はそれを知りながら交渉する中で、心苦しさは感じんのか?」
「三種の神器……!」
そう、皇國が日本国に戦争を仕掛けた目的、日本国を吸収しようとしている理由は、皇族の神為を安定的に継承するには三種の神器が必要だと言われたからだ。
今回の交渉はその目的を棚上げにしており、ここが解決していない以上はその場凌ぎにならざるを得ないだろう。
しかしこの時、十桐は気が付いた。
「待て……それを先代神皇陛下に伝えたのは、確か怪しげな巫女じゃった筈……。貴様らの言う『広目天の媛様』とはまさか……!」
「それだけではないぞ。今の神皇を産んだ卵子、それを提供した『臥龍飛鳥』なる女もまた、媛様が手配したものじゃ。ならば今の展開もまた織り込み済みだとは思わんか?」
稲光が空を覆った。
「予言しよう。世界一の超大国が甘やかしに甘やかした『絶対強者』、あの愚かな新神皇は、孰れ日本人への愛を反転させて避け得ぬ滅びを齎すじゃろう!」
閏閒の言葉に誰もが息を呑んだ。
取分け、皇國の面々は強い衝撃を受けている。
新神皇が、獅乃神叡智が日本人の敵になる――その恐ろしさは皇國の最上層こそ何よりも能く知っている。
また、航達日本国の人間も彼の凄まじい叛乱鎮圧を目の当たりにしている。
あの男が猛威を振るうとなると、確かに由々しき事態であるだろう。
「本当に……そんなことがあるというのか……!」
「それはお楽しみじゃ。しかし、媛様は既にその様に動いておる」
神瀛帯熾天王を覆う薄黒い皮膜が急速に萎んでいる。
推城は再び片膝を突いていた。
「持国天、そろそろ終わりにしろ」
「これは失礼。では、そろそろ行きますか喃」
三人はその場で踵を返した。
そして閏閒が両手を差し出すと、彼らの目の前に黒い靄が現れた。
『穢詛禍終・深膿』
八社女、推城が順に靄の中へと入った。
二人の姿はその場から忽然と消えてしまった。
閏閒もそれに続こうとする。
「待て!」
航は閏閒を呼び止めようとする。
だが、満身創痍の彼らにはそれが精一杯だった。
「小僧共、お前達は今、歴史の枝の上におる。橿原の地で芽吹いた大木の末梢じゃ。だが、今や悠久の大木は枯れて死のうとしておる。儂らが枯らすのじゃ」
閏閒は意味深なこと場を残して靄の中へと入っていく。
「長年励み続けた甲斐があったわ。穢詛禍終で儂らに永遠の生を授けてくださった媛様に、やっと報いることが出来る……」
閏閒の姿は靄と共に消え去った。
駐車場には草臥れ切った航達と、大きな衝撃と傷を負った皇國の貴族達、そして利用されるだけされて棄てられた陰斗の身体が静かに佇むばかりだった。