日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第九十三話『枯死』 破

 ホテルのエントランスから三人の女が飛び出して来た。

 慌てふためいた様子で駐車場を駆けて来る鬼(き)獄(ごく)東(あ)風(ゆ)美(み)を、十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)と枚(ひら)辻(つじ)埜(の)愛(あ)瑠(る)が追い掛ける。

 彼女はこの場に神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)が集まった光景に驚(きよう)愕(がく)を隠せない様子だった。

 

「増(ぞう)長(じよう)天(てん)様だけじゃない……多(た)聞(もん)天(てん)様、それに持(じ)国(こく)天(てん)様まで、どうして……?」

 

 この場の視線が東(あ)風(ゆ)美(み)に集まる。

 航(わたる)には彼女が動揺しているその訳が能(よ)く解(わか)った。

 慌ててこの場へやって来たことから察するに、東(あ)風(ゆ)美(み)は八(や)社(おと)女(め)が道(どう)成(じよう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)と共闘している様子を見ていたのだ。

 それは彼女にとって信じられない光景だったに違いない。

 

 一方で、そんな東(あ)風(ゆ)美(み)が誇りに思っている「皇(こう)國(こく)建国の導き手達」こと「神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)」は、彼女を無感情に見据えていた。

 取分け、東(あ)風(ゆ)美(み)の曾(そう)祖(そ)父(ふ)たる「持(じ)国(こく)天(てん)」閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)は、曾(ひ)孫(まご)を疎まし気に見ていた。

 

「そう言えば、お前は此(こ)方(ちら)へ来ていたんじゃったな。すっかり忘れておったわ。命拾いした喃(のう)……」

「命拾い……?」

 

 東(あ)風(ゆ)美(み)の顔が一気に青(あお)褪(ざ)めた。

 彼女は既に、自分の家族が何者かに襲撃されて鏖にされたことを知っている。

 目の前に居る曾祖父の口振りは、まるで自分がそれに巻き込まれなかったことを残念がっているかの様だ。

 否(いな)、それどころか、もっと悪い想像も容易に想起させる。

 

「まあ良いわ、元々何も知らん愚かな小娘じゃから喃(のう)。ただ蝶(ちよう)よ花(はな)よと煽(おだ)てられて世界の中心が自分だと勘違いしているだけの、鬼(き)獄(ごく)家にとっての『愛玩人形(トイ・ドール)』がお前じゃ。掃除し損じたとしても大差は無いじゃろう」

「どういうことですか……?」

 

 震える東(あ)風(ゆ)美(み)に対し、閏(うる)閒(ま)は侮蔑に満ちた嘲笑を向ける。

 それは凡(おおよ)そ、自分を除いた家族の殆(ほとん)どを喪(うしな)って弱っている肉親に対して向ける表情ではなかった。

 

「フン、儂(わし)は元々鬼(き)獄(ごく)家など作るつもりは無かった。最初の息子・入(いる)彌(み)だけが居れば事足りた。あ奴(やつ)さえ裏切らなければ、代わりの手駒を用意する必要など無かったのじゃ」

「代わりの……。入(いる)彌(み)って、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)で麗(うる)真(ま)家を作った大叔父様のことですか……? 私(わたし)達は……麗(うる)真(ま)魅(み)射(いる)の代わりだって言うんですか……?」

「そう、鬼(き)獄(ごく)家は儂(わし)ら『神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)』の目的の為(ため)に、暗躍する上での手駒とすべく作り上げたものじゃ。麗(うる)真(ま)魅(み)射(いる)などと名を変えて皇(こう)國(こく)に盾突いたあ奴の、本来の役目を引き継がせる為に喃(のう)。あ奴の組織結成能力も、元々はその為に儂(わし)が仕込んだものじゃ。しかし麗(うる)真(ま)家と鬼(き)獄(ごく)家、両者が築き上げたものと成果を見るに、出来の違いは一目瞭然じゃ喃(のう)」

 

 俯(うつむ)く東(あ)風(ゆ)美(み)、見下す閏(うる)閒(ま)――その対比関係は極めて残酷なものだった。

 立ち会う航(わたる)は思わず拳を握り締める。

 根(ね)尾(お)も眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せ、不快感を隠せていない。

 そんな二人を尻目に、閏(うる)閒(ま)は東(あ)風(ゆ)美(み)へ更に追い打ちを掛ける。

 

「その癖、鬼(き)獄(ごく)家は知り過ぎておった。儂(わし)ら『神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)』の真の目的を喃(のう)。有能でなくとも、手駒として使えるならば良かった。しかし、此(こ)度(たび)の戦争で康(やす)彌(み)はその無能を露呈させた。それが広(こう)目(もく)天(てん)の媛(ひめ)様(さま)の逆(げき)鱗(りん)に触れて始末された。そして翻って鬼(き)獄(ごく)家を俯(ふ)瞰(かん)したとき、康(やす)彌(み)以上に皇(こう)國(こく)社会で出世している者がおらんではないか。無能な癖に秘密は知っている手駒など怖くて使えんし、負債になるだけじゃ」

 

 閏(うる)閒(ま)は年老いた顔を邪悪に歪(ゆが)めて笑った。

 

「だから、一掃したのじゃ。この儂(わし)自らの手で喃(のう)」

 

 瞬間、東(あ)風(ゆ)美(み)は絶叫して閏(うる)閒(ま)に殴り掛かった。

 曾孫の憤怒と殺意が存分に込められた渾(こん)身(しん)の拳が曾祖父を襲う。

 だが閏(うる)閒(ま)はこれを容(た)易(やす)く躱(かわ)すと、東(あ)風(ゆ)美(み)の首筋目掛けて手刀を振り下ろす。

 丸太であろうと両断出来る程の鋭い一撃だ。

 

 咄(とつ)嗟(さ)に、一人の男が彼女を庇(かば)った。

 根(ね)尾(お)の背中が閏(うる)閒(ま)の手刀に斬り裂かれ、痛々しい傷跡が刻まれていた。

 倒れ込んだ根(ね)尾(お)は閏(うる)閒(ま)を睨(にら)み上げる。

 

「こうも簡単に肉親を殺そうとするのか……! 血も涙も無い鬼とは貴様のことだな鬼(き)獄(ごく)魅(み)三(さぶ)郎(ろう)、いや、閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)!」

「当たり前じゃ。抑(そもそ)も肉親とは、本来は己の死後に家を残す為に造り生かすもの。不死なる我らにとっては、ただ目的に利用する為のものに過ぎん。用済みになれば棄(す)てるまでよ」

 

 根(ね)尾(お)に返された視線は恐ろしく冷酷なものだった。

 

「おい、其(そ)処(こ)の狼(ろう)藉(ぜき)者(もの)共」

 

 小柄な女貴族・十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)が前へ出た。

 

「さっきから言うておる貴様らの『目的』とは何じゃ? 答えによっては貴様ら全員我の手で消してくれようぞ」

「六摂家当主か、この場で最も厄介なのはお前じゃろう喃(のう)。だが、如(い)何(か)に十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)の能力とはいえ儂(わし)等の『穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)』に効くとは思わぬことじゃ」

「何?」

「十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)、お前の能力は自身にとって理に適(かな)った別宇宙をこの場に召喚し、絶対的に有利な法則下で環境を制するというものじゃろう? しかし、穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)とは抑も宇宙の理の外側に存在する力。故にお前の力は受け付けんのじゃよ」

 

 神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)三人の周囲を薄黒い泡の様な皮膜が覆った。

 推(つき)城(しろ)が腕を天に向けている。

 これは推(つき)城(しろ)の能力ということか。

 

『穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)・魔(ま)祟(たた)楼(ろう)』

 

 皮膜は少しずつ小さくなっており、推(つき)城(しろ)の額から汗が流れる。

 どうやらこの皮膜を維持する上で無理をしているらしい。

 

「持(じ)国(こく)天(てん)、この状態では長く保(も)たん。話すなら手短に、さっさと話してしまえ」

「承知いたしました」

 

 閏(うる)閒(ま)は再び根(ね)尾(お)と東(あ)風(ゆ)美(み)に眼(め)を向けた。

 

「先程も語ったように、鬼(き)獄(ごく)家は神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)が皇(こう)國(こく)で暗躍する手駒として作ったものじゃ。全ては一つの壮大な悲願の為に、儂(わし)が日本国より世界の境界を越えて行き来し、皇(こう)國(こく)の建国を助けたのはその為じゃ。皇(こう)國(こく)の、神(じん)皇(のう)の強大な力を利用し、世界を儂(わし)らにとっての樂(らく)園(えん)へと導く為に……」

「樂(らく)園(えん)だと……?」

 

 航(わたる)は閏(うる)閒(ま)の言葉に、背筋を百足(むかで)が蠢(うごめ)く様な強いむず痒(がゆ)さを覚えた。

 樂(らく)園(えん)という聞こえの良い目的が、何処(どこ)までも不穏で悍(おぞ)ましいもののように感じる。

 

「それは……どういう意味だ?」

「ヒヒヒ……」

 

 閏(うる)閒(ま)は目を皿の様に見開いた。

 血走った眼球に、百年以上も蓄え続けたかの様な狂気が宿っている。

 

「日本人の存在しない世界、日本の足跡が消え去った歴史だ! その為にこそ儂(わし)は皇(こう)國(こく)に目を付けた! 皇(こう)國(こく)を動かし、汎ゆる世界で日本を吸収させ、そして一(ひと)纏(まと)めに絶滅へと追い込む為に喃(のう)!」

 

 航(わたる)は戦慄を禁じ得なかった。

 嘗(かつ)て麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)が高らかに謳(うた)い上げた、皇(こう)國(こく)の行動原理にも大いに脅威を感じたものだったが、その裏には更に恐るべき悪意が潜んでいたとは。

 

 余りの物言いに、その場は静まりかえっている。

 航(わたる)はやっとの思いで辛うじて尋ねた。

 

「何故(なぜ)……そんな恐ろしいことを……」

「至(し)極(ごく)単純な理由じゃよ。儂(わし)らは恨んで恨んで、恨み尽くしておるからじゃ。日本という国の何たるかを象徴する帝(みかど)、天皇というものを喃(のう)」

 

 閏(うる)閒(ま)の脇に控える八(や)社(おと)女(め)と推(つき)城(しろ)は眉間に皺を寄せ、憎しみに顔を顰(しか)めた。

 凄(すさ)まじい表情だった。

 その皺の一本一本に、積年の恨みが刻まれているかの様だ。

 

「儂(わし)らは皆、それぞれに生きた時代で帝から筆舌に尽くし難い無念を味わわされた。皇位を簒(さん)奪(だつ)せんとする不届きなる怪僧の掣(せい)肘(ちゆう)に尽力した恩人諸(もろ)共(とも)島流しに遭った者。二つに分かれた皇統の争いに巻き込まれ、武士としての生き方を奪われた者。そして、君側の奸(かん)を除き親政を築かんとする忠義を認められず、逆賊の汚名と共に処刑の裁きを下された者」

「じゃあお前らは本当に……奈良時代や南北朝時代から生きて、ずっと天皇を恨み続けてきたっていうのか……!」

「その力を与えられたのじゃ! 広(こう)目(もく)天(てん)の媛(ひめ)様(さま)に喃(のう)!」

 

 閏(うる)閒(ま)は両腕を拡(ひろ)げた。

 

「儂(わし)らは神なる東(とう)瀛(えい)に生まれ落ち、天の帝への愛の焔(ほのお)を燃やす至高の忠臣! 然(さ)れど痛絶なる裏切りに遭いて愛は憎(ぞう)悪(お)に転じ魔の道へと至る! 即(すなわ)ち我ら『神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)』也(なり)!」

 

 曇(どん)天(てん)に雷が鳴り響いた。

 それは宛(さなが)ら、不遜なる三人に対して天が怒り猛(たけ)っているかの様だ。

 しかし、雲は陽光を遮っている。

 淀(よど)んだ空は駐車場に不穏な影を落としていた。

 

「そうか……だが残念だったな」

 

 航(わたる)は閏(うる)閒(ま)に言い返す。

 

「頼みの綱の皇(こう)國(こく)は、日本と講和を結びたがっている。皇(こう)國(こく)を使って日本を滅ぼそうという魂胆は最(も)早(はや)風前の灯(ともし)火(び)だ。お前らの悲願は叶(かな)わない」

「そう思うか?」

 

 閏(うる)閒(ま)は航(わたる)の指摘を一笑に付した。

 

「何処までもお目(め)出(で)度(た)い奴じゃ喃(のう)。忘れてはいまいか? 抑も皇(こう)國(こく)は何を求めて世界を渡り、日本を吸収して回っているのか。六摂家当主・十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)、お前はそれを知りながら交渉する中で、心苦しさは感じんのか?」

「三種の神器……!」

 

 そう、皇(こう)國(こく)が日本国に戦争を仕掛けた目的、日本国を吸収しようとしている理由は、皇族の神(しん)為(い)を安定的に継承するには三種の神器が必要だと言われたからだ。

 今回の交渉はその目的を棚上げにしており、ここが解決していない以上はその場凌ぎにならざるを得ないだろう。

 しかしこの時、十(とお)桐(どう)は気が付いた。

 

「待て……それを先代神(じん)皇(のう)陛下に伝えたのは、確か怪しげな巫女じゃった筈……。貴様らの言う『広(こう)目(もく)天(てん)の媛(ひめ)様(さま)』とはまさか……!」

「それだけではないぞ。今の神(じん)皇(のう)を産んだ卵子、それを提供した『臥(が)龍(りゅう)飛(あ)鳥(すか)』なる女もまた、媛(ひめ)様(さま)が手配したものじゃ。ならば今の展開もまた織り込み済みだとは思わんか?」

 

 稲光が空を覆った。

 

「予言しよう。世界一の超大国が甘やかしに甘やかした『絶対強者』、あの愚かな新神(じん)皇(のう)は、孰(いず)れ日本人への愛を反転させて避け得ぬ滅びを齎(もたら)すじゃろう!」

 

 閏(うる)閒(ま)の言葉に誰もが息を呑(の)んだ。

 取分け、皇(こう)國(こく)の面々は強い衝撃を受けている。

 

 新神(じん)皇(のう)が、獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)が日本人の敵になる――その恐ろしさは皇(こう)國(こく)の最上層こそ何よりも能く知っている。

 また、航(わたる)達日本国の人間も彼の凄まじい叛(はん)乱(らん)鎮圧を目の当たりにしている。

 あの男が猛威を振るうとなると、確かに由(ゆ)々(ゆ)しき事態であるだろう。

 

「本当に……そんなことがあるというのか……!」

「それはお楽しみじゃ。しかし、媛(ひめ)様(さま)は既にその様に動いておる」

 

 神(しん)瀛(えい)帯(たい)熾(し)天(てん)王(のう)を覆う薄黒い皮膜が急速に萎(しぼ)んでいる。

 推(つき)城(しろ)は再び片膝を突いていた。

 

「持(じ)国(こく)天(てん)、そろそろ終わりにしろ」

「これは失礼。では、そろそろ行きますか喃(のう)」

 

 三人はその場で踵(かかと)を返した。

 そして閏(うる)閒(ま)が両手を差し出すと、彼らの目の前に黒い靄(もや)が現れた。

 

『穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)・深(しん)膿(のう)』

 

 八(や)社(おと)女(め)、推(つき)城(しろ)が順に靄の中へと入った。

 二人の姿はその場から忽(こつ)然(ぜん)と消えてしまった。

 閏(うる)閒(ま)もそれに続こうとする。

 

「待て!」

 

 航(わたる)は閏(うる)閒(ま)を呼び止めようとする。

 だが、満身創痍の彼らにはそれが精一杯だった。

 

「小僧共、お前達は今、歴史の枝の上におる。橿(かし)原(はら)の地で芽吹いた大木の末(まつ)梢(しよう)じゃ。だが、今や悠久の大木は枯れて死のうとしておる。儂(わし)らが枯らすのじゃ」

 

 閏(うる)閒(ま)は意味深なこと場を残して靄の中へと入っていく。

 

「長年励み続けた甲斐(かい)があったわ。穢(え)詛(そま)禍(が)終(つひ)で儂(わし)らに永遠の生を授けてくださった媛(ひめ)様(さま)に、やっと報いることが出来る……」

 

 閏(うる)閒(ま)の姿は靄と共に消え去った。

 駐車場には草(くた)臥(び)れ切った航(わたる)達と、大きな衝撃と傷を負った皇(こう)國(こく)の貴族達、そして利用されるだけされて棄てられた陰(かげ)斗(と)の身体が静かに佇(たたず)むばかりだった。

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